Invisible

見えないことの恐怖。

将来は誰にも見えません。だから過去を見て、現在を分析して、将来を予測する。将来予測の精度は、過去と現在の分析がいかに緻密か、にかかっていると言えます。

それでも当たるかどうか、わからない。

だから、有事には、希望的な予測をする人と、絶望的な予測をする人に、必ず別れると思います。どちらも見えないものに対して立ち向かった結論であり、最終的には真逆の結論になっていたとしても、どちらも当たっているし、どちらも外れているという結果になるのだと思います。

見えないものはしょうがないです。私には、賢い人のように、たくさんの情報を集めたり、分析したりすることはできません。

できることは、信じることと備えること。これも意外と真逆かも知れません。信じるならば備える必要はないでしょうから、備えているということは信じていないということかも知れません。

実際のところ、私が備えていないのは、信じているからではなく、怠惰だから。甘いからだと思います。信じる人こそ、備えると思います。いや、信じるために、備えるのだと思います。

東京オリンピックが、万が一、無事スケジュール通りに開催でき、大成功したら、世界中が日本を称賛するでしょう。

開催できない状況で、東京オリンピックを開催して、世界中を混乱に陥れたら、世界中から日本は批判されるでしょう。

何が逆で、何が一緒かもわからないし、何が正しくて、何が間違っているかも分かりません。そもそも見えないのだから答えはないので、答えがないからプロセスもありません。

あるのは、この見えない状況の中で、誰かが、何かの決断をしなければならないという状況が、常に、そこらじゅうで起こっているということ。

自分が決断をする立場だったら、自分を信じる、仲間を信じる。仲間が決断をする立場だったら、仲間を信じる、自分を信じる。

今、まさに、必要なのは、これだと思います。

見えないものに、マイナスのことを言い合っていても、傷つけ合うだけです。お互い信じ合えば、結果として、うまく行くんじゃないかな、と思います。

早く、治ってくれますように。世の中が、間違った方向に行きませんように。

神様仏様に祈りながら、ただひたすら、信じ続けたいと思います。

2020-03-22 | Posted in BlogNo Comments » 

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