Change
かつては大量生産・大量消費。消費が活性化するということは、人が物を手に入れるということであり、それはすなわち消費した人が豊かになるということであり、それはすなわち作ったり、仲介したり、運んだり、店頭にならべたりした人も豊かになるということでした。
それが、少し前にリサイクルやリユースの重要性がようやく認識され、そして今は、できるだけ作らないということが重視されるようになりました。作って作って、売れまくれ、そうしたらみんなが豊かになるということが、間違いだったのですが、今では、当たり前のその間違いに、最初から気がついていた人はどれくらいいるでしょうか?私自身、いまだに、間違っているとわかっていても、買って、捨てるを繰り返しています。間違いに気がついていて、改めることができる人はどれくらいいるでしょうか?。
「変わった」ということ。その変わり方が真逆であるということ。
かつては木を切ることで木材という重要な資源が枯渇するので、天然資源を代替する素材が必要でした。鉄は国家なり。靭性に優れてあらゆる部品に加工でき、メッキ等を施すことができる鉄は最も応用の効く素材です。今も製鉄所があるかどうかは、国の技術力を左右します。鉄は木材よりも、強く、便利で、応用の効く素材で、重厚長大で、裾野の広い産業を作り、人類を豊かにしました。
ただ、鉄を作るためには、鉄鉱石や石炭を掘る必要があります。高炉で二酸化炭素を排出する必要があります。
モノマーやオリゴマーを反応させることで誕生するプラスチックは、金型の通りに成型できるため、安価で大量な消費財を可能にしました。接着剤になったり、あるいは耐久性に優れた屋根になったり、または車のランプになったり、応用範囲は果てしない。
プラスチックを作るためには、ナフサが必要です。石油や天然ガスを掘る必要があります。石油コンビナートで二酸化炭素を排出する必要があります。
今、海のプラスチックが問題になっています。くじらが飲み込んだり、海ガメが身動き取れなくなったりなど、生態系に影響を与えていますし、マイクロプラスチックとして私たちの体の中にも入ってきています。
割り箸は森林破壊だと言われていて、プラスチックの箸が流通し、プラスチックは環境破壊だと言われ、できるだけ国産の間伐材の割り箸を使おうを言われる。そのプロセスの中で、東南アジアでキコリをして日本に木材を輸入していた人や、箸に適した樹脂を開発した人や、いろんな人々が、自分のためでなく、人々が豊かになるために、良かれと思って一生懸命取り組んできました。
誰かが悪いのではなく、良かれと思ってしたことが、思いもよらず、悪い結果を導き、そして、人々は、それを是正しようとして、また一生懸命、良かれと思って取り組みます。その結果がよい方向にいくのか、悪い方向にいくのか、将来のことは誰もわかりません。
わかるのは、どんな善も、悪に変わる可能性があるということ。永久不変で絶対的な善は難しい。でも、善を信じて取り組むしか、救われる道はないということ。
変化は、誰かが決めている訳ではありません。必要必然で生じているもの。ダーウィンが、強いものが生き残るのではなく、変化したものが生き残るといったことの、本当の意味が、競争や生存とはもっと別のところに、あるような気がします。