Populism
小学校の5年生か、6年生の頃。大変素晴らしい先生が担任の先生でした。個性を尊重してくれます。
宿題は、何をやってもよいというのが宿題でした。そしてその宿題にはかならずすごいボリュームのコメントを手書きで返してくれました。毎週だったか、毎月だったか、クラス新聞を発行してくれます。走るのが苦手だった私と、毎日マラソンを一緒に走ってくれて、その結果私は走るのがすごく得意になりました。テストは100点満点ではなく、場合によっては120点といった点がつきます。記述式で期待以上の答えを記入した場合はボーナスポイントです。
当時の先生は30代でしたが、今43歳の私が同じことをやろうと思っても、絶対出来ないな、と思います。
その先生が重視されていたことは「自発性」。言われてやるのではなく、自分でやりたいと思って取り組め、という教えでした。それまでは、級長はクラスで優秀な子が推薦されるという方式だったのですが、その先生は立候補しか認めません。ある時、誰も立候補しませんでした。そうしたら先生は、くじ引きで級長を決めると言います。くじに当たった子は、クラスでとても大人しい子。でも先生はその子の自発性を特に育てて、半年後には素晴らしい級長になっていました。
そんなクラスだったから、みんな仲良しです。振り返ってみれば、運動も勉強もすごくよく出来たクラスだったんじゃないかな、と思います。でも誰もそんなことを気にするクラスではありませんでした。笑いにあふれたクラスでした。
そして、よく喧嘩がありました。何をやっても喧嘩があったような気がします。私が当事者だった喧嘩だけでも数知れず。でも私は他のクラスメートよりも喧嘩は少ない方だったように思います。みんな、個性を主張するから、衝突が起こるのは必須だったと思います。
クラス会は開かれていません。誰が同じクラスか、あまり記憶にありません。IQが高すぎて政府からみで途中からスイスに行ってしまった女の子が一人いました。遺跡を見るのが好きで、教育委員会から評判になっている友人もいました。モテモテの友人もいました。運動も勉強も抜群で、高校行ってからも野球部のレギュラーで、何やってもかなわない友人もいました。超一流大学いって、都銀入って海外駐在している友人もいました。でも、誰だろうと、みんな対等で、みんなお互いを尊重し合っていたなって思います。
ポピュリズムが今、一つのキーワードとなっています。大衆迎合という言葉からは悪い印象は受けませんが、不寛容とか、排他的な雰囲気があります。そして実際に分断が生まれています。ポピュリズムから、私が感じるのは没個性。自発的に主張することが出来ません。
フランス映画 Le SecretをDVDを借りてみました。近代化の過程で生まれた秘密。発展には犠牲がつきものだったのかも知れません。
でも、自発性と、個性を尊重していれば、喧嘩は怒っても分断は怒らないんじゃないかな、と思います。子供にできるなら、大人にもできるはず。
と、思います。