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高校に入ると、日本史と世界史の授業がありました。確か、どちからを選択したような気もしますが、どちらの授業の記憶もあります。世界史の先生はとてもわかりやすく教えてくれて、日本史の先生はとても細かく教えてくれたことを覚えています。

世界史の授業はエジプト文明やメソポタミア文明などから始まり、途中から、ローマ帝国やフランク王国などヨーロッパの歴史と、殷王朝や秦の始皇帝など中国の歴史に分かれて行きました。コロンブスのあたりでヨーロッパと中国以外の歴史が出てきて、マルコポーロのあたりで日本の歴史が世界史に出てきたりしました。

中国史やヨーロッパ史ではなく、世界史という科目だったことに、多くの友達が不思議に思っていたことを覚えています。このあたりで、世界史を追求し出す友達もいて、結局そうやって楽しんでいた友達はいい大学に入って行きました。

社会人になっていろんな国に行くと、世界史の授業で学んだ知識が役に立ちます。そして、各国の博物館に行くと、またちょっと知っていることがあったりして、感動をします。

その一方で、これまでに習ったことっていうのは、ほんの一部だけだったということに気がつきます。大英博物館とか故宮博物館に行けば知っていることに出会うことも多いですが、それでも1日ずっと回っていても、知らないことだらけです。

日本史だって、知らないことだらけなのだから、当たり前と言えば当たり前です。世界史をきちんと学ぼうと思ったら、人生が1万回あっても足りないだろうと思ってしまいます。

なぜ歴史が面白いか?それは様々な人生のロマンを学ぶことができるからだと思います。

紫式部が源氏物語を書いたのは夫の死後。フェルメールも生前は借金に苦しみましたし、ゴッホも夏目漱石も精神的な病に苦しみました。後世に残る偉大な作品を生み出した人は、生前つらい人生を送っている人が多いような気がします。

英雄と呼ばれる人は、ナポレオン・ボナパルトのように、ジェットコースターのような人生を送っている人が多いような気がします。

巨万の富を築いても、ロバート・マクスウェルのように不審な最後を遂げ、死後その名声を失ってしまう方も多いような気がします。

いずれにしても、今、生きているということは、歴史を作っています。日本で生きていれば、日本史の一部を作っているし、日本は世界の中の一つの国である以上は、世界史の一部を作っていることになります。

歴史は、たくさんの人生があつまってできる物語だから、誰一人の人生が欠けても、完全ではありません。そして人類が生きている限り、いつまでったても完成しないのが歴史。歴史という物語には、ハッピーエンドはあり得ないので、ずっと未完成であり続けて欲しいなと思うところです。

歴史が完成しない限りは、何が正しくて、何が間違っているかなんて、過去も現在も未来も、分かるはずがありません。ましてや人様に対して、これが正しいとか、これが間違っているなんて、言うことができるはずがありません。

ただただ、自分の歴史だけは、正しくあろうと、歴史を学び続けるしかないのだと思います。

2019-06-29 | Posted in BlogNo Comments » 

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