Censorship

表現の自由は憲法で保障されていて、検閲は禁止されています。誰もが自由に表現活動を行う権利があります。

表現することは個人の尊厳でもあると思います。表現を規制することは、鳥から翼を奪うようなもの。

しかしながら、SNS等での匿名での投稿が過度に個人を攻撃したりします。この攻撃は、間違いなく人を傷つけています。しかも匿名だがら、誰の表現か分からない。攻撃された方は我慢するしかないのでしょうか?

テロリストが、SNSでテロ活動を勧誘します。これは明らかな犯罪行為。このあたりの法律の構成はよくわかりませんが、こういった投稿は、SNSの運営側によって削除されているようです。これは、誰がどう考えても、削除すべきです。直ちに。

SNSの投稿が運営側に削除されるというのは、例えば、ジャーナリストの取材記事が、新聞社に採用されず、翌朝の新聞に掲載されないといったようなものと同じ位置付けなのでしょうか?メディアの媒体は、メディアの運営側なので、運営側が自社の媒体に掲載を認めるかどうかの決定権限を持つのはもっとものような気がします。だから、これは検閲にあたらないと思うので、大いに権限を行使していただき、個人が傷つかないようにして欲しいです。

そのように考えると、SNSの運営側は、人を誹謗中傷するような記事を削除することもできるはずです。むしろ、そういった心無い記事を掲載し続けると、自分たちのメディア媒体としての評判を落とすことになるはずです。しかし、実際はそうはならない。おそらく、SNSの場合は、新聞やテレビとは違って、誰でも自由に表現できることがメリットと思われるので、運営側の主観的な判断で、自由な表現活動を削除してしまうと、逆にSNSの運営側の評判を落とすことになるでしょう。

フェイクニュースは昔から存在していると思いますが、あらゆるニュースが運営側のフィルタを一度通ってから伝わっていた時と、運営側のフィルタを通らずに何でも自由に伝わる今とでは、フェイクニュースの規模が違います。まさに今は、何が本当で何がうそか、インターネットで見ていても全くわかりません。

でも、検閲は禁止されています。運営側も、主観的な判断で、投稿を削除することは簡単にはしないと思います。

どこかで、何かしらのルールが定まるか?それとも、一人ひとりがフェイクニュースに惑わされないように気をつけるか?

とても難しい問題だと思います。

昔から、難しい問題はたくさんありますが、最近はあらゆる問題が難しく、あらゆる問題が規模が大きく、本当に大変だと思います。

2019-06-09 | Posted in BlogNo Comments » 

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