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1月に渋谷のBunkamuraに行くと、板東俘虜収容所の世界展がやっていました。

偶然、息子と2人で入ることになりました。娘と一緒に美術館に行ったときは、ペラペラ喋りすぎて娘に嫌がられましたが、息子と一緒に入ったこの展示は、お互い無言。

まず、板東って何だ?と思いました。よく見ると、日本に外国人が捕虜になっているようです。でも捕虜ではなく俘虜と書かれています。しかも、その外国人はドイツ人でたくさんいます。写真に写っている姿は捕虜のイメージとは程遠い。

板東俘虜収容所は第一次世界大戦の時のもののようです。日本がドイツに宣戦布告し、中国の青島要塞に攻撃をしたとのこと。なぜドイツと戦争で青島を攻撃したのかと思ったら、青島はそもそもドイツが清から租借した租借地で、そこでドイツの艦隊が配備されていたようです。

そういえば、初めて中国行ったときは、ビールといえば青島ビールでした。車といえばフォルックスワーゲンというのは、別のストーリーがありますが、青島ビールに関しては、ドイツの植民地だったことと深い関係がありそうです。

さて、この板東俘虜収容所の世界展、ドイツ兵の捕虜と日本人が友達のように仲良く写っている写真だけでなく、すてきな絵葉書や芸術作品も併せて展示されています。いかにも、ドイツ人によって描かれたものというイメージです。それだけでなく、スポーツや、音楽活動も活発に行われていたとのこと。

ドイツ人と、日本人が、楽しそうに写真に写っている理由は、「コレだ」と思いました。お互いの文化交流が、友情を育んだのだと思います。

これができた背景は単純ではないと思います。まずは人。徳島俘虜収容所と板東俘虜収容所の所長を務められていた松江豊壽氏は、『「捕虜に甘い」という警告や非難を陸軍軍部から受けていたが、常に敗者をいたわることを信念として貫いた』とのことです。こういう方がトップだったからこそ、文化交流が実現したと思います。

そして、多数派が日本人、少数派がドイツ人だったこと、ドイツ人の方が捕虜として、敗者側の立場だったことも、重要ではないかと思います。日本人がドイツの捕虜となった場合、同じような形での文化交流は実現しないと思います。もちろん、全く別の形での交流が生まれて、友情が育まれることはあると思いますが、すくなくとも日本のスポーツや日本の音楽をドイツで日本の捕虜が普及するということは、イメージがつきません。

日本にも、世界中の人が学びたいと思う独自の文化がたくさんあります。でも日本人は、これまで学ぶことは熱心でしたが、発信することにはあまり熱心ではありませんでした。

少し前の日経産業新聞に掲載されていましたが、今はやりの、ビィジュアルで学ぶ語学学習アプリで、世界中で一番たくさん学習されているのは日本語だそうです。

板東俘虜収容所は、ユネスコ世界の記録への登録に向けて取り組んでいるとのことです。日本の過去、日本の今、日本の未来に、誇りを持つためにも、そして、世界に、こういった日本の素晴らしい側面を知ってもらうためにも、ぜひ、登録されてほしいと思います。

同じときに、同じ時間に一緒に展示室に入った息子は何を思ったか?

私と全く違うことを思ったかも知れませんが、いずれにしても何かプラスになることを感じたはずです。そしてそれが、教養として、これから生きていく上での糧となってくれるはずです。

こういったことを知る機会があれば、それを学んだ人がまた何かしらの新たな歴史を作ります。偶然立ち入ったBunkamuraで、大変よい展示との出会いでした。

2019-05-07 | Posted in BlogNo Comments » 

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