Centralization
18世紀のオーストリア・ハンガリー帝国の繁栄を支えたハプスブルク家の女帝 、そして、マリー・アントワネットの母親として有名な、マリア・テレジア。フランスのブルボン王朝と同盟を結ぶなど、外交に長けていたことが知られています。
江村洋『ハプスブルク家』(講談社現代新書1990年)には、マリア・テレジアが行なったオーストリアの大改革が説明されています。
そのうちの一部の引用。
『あらゆる都市、町村、教区で男・女・子供の数が調査された。いや人間ばかりか、牛や馬など家畜まで調べあげられた。そして、それによって正確な数字が定まり、租税の額が決定された。』
『医療制度にも刷新の手が加えられた。』
『教育制度でも大きな改革が断行された』
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一連の改革によって、オーストリアは中央集権体制を確立します。おそらく18世紀と現代とでは改革の中身は全く違うとは思いますが、改革のテーマは同じなんだなと、感じました。特に、現在、我が国が行なっている、マイナンバーを中心とした情報の体系的な管理は、マリア・テレジアが行なった改革に通じるものがあると思います。
その一方で、今では、情報の伝達対象も、伝達量も、伝達スピードも、日々加速度的に高まっています。日経フォーラム世界経営者会議で韓国SKグループの崔泰源(チェ・テウォン)会長は「デジタル技術は企業や個人間の取引コストを限りなくゼロに近づける」と指摘したとのこと。
情報を瞬時に整理し、管理できる組織に、集権的な力が与えられます。今、その力を国境を超えて、GAFAと一括りに呼ばれる、一部の民間企業が持つようになっています。確かに、各国・地域が、焦るのも無理ないな、と思います。GAFAが国を超える、中央集権的な権力を手にしないとは言い切れません。
ハプスブルク家は700年間もの長い間、ヨーロッパを広範囲に渡って統治しました。日本の徳川幕府よりも長い政権です。そして、江戸時代同様に、ハプスブルク家によって繁栄を享受した神聖ローマ帝国、そしてオーストリア・ハンガリー帝国は、いくつかの紛争・戦争がありながらも、安定した平和をもたらしました。
20年前、1日100件メールが届く人のことを、「すごいなあ」と思っていました。先日、会社で研修を受けたら、部長クラスの人には、1日300件くらいメールが来ているらしいです。読むだけで大変。私は大体1日5〜20件。私の能力では、20件でもかなり大変。メールが届く日と届かない日があった20年前は、100件もメールが届く人のことを「すごいなあ」と思いましたが、今、私自身が20件のメールで相当な苦労をしていると、300件メールが届く部長の人々に対して、「すごいなあ」と思うよりも、「大変だなあ」という気持ちがまさってしまいます。
きっと大企業の偉い人は、1日1000件くらいメールがくるのでしょう。スピードが勝敗を決定する時代、きっと誰よりも早く、誰よりも正確に、誰よりも大量に情報を処理した人が、かつてのハプスブルク家や徳川家のように、最終的に統治する側になって、繁栄をもたらしてくれるのだと思います。ただ、統治する側は、18世紀の時よりもずっと忙しくて、大変だろうな、と思います。
いじめられてもいいから、貧乏でもいいから、太陽と風と色と匂いを、楽しんで、たまにお腹いっぱいご飯が食べれたら幸せだな、と思います。きっと、誰もがそう望んでいるのだと思いますが、性格が悪い人が統治する側になると、きっと一生綺麗な景色すら楽しむことができない世の中になってしまうから、そうならないように、みんながんばって、1日1000件といったメールを処理することになるのだと思います。
優秀な人が統治する、勝つ人が統治する、ということになると、いつになっても、優秀な人、選ばれた人、統治する側の人は、競争に勝ち続けなければなりません。性格が悪い人に統治されないように。しかし、時代が進むにつれて、世の中複雑になり、技術も進展するので、優秀な人はますます大変になるばかりです。
小学校の時、学級委員長に立候補する人がいなくて、学級委員長がくじ引きで決まった時がありました。くじ引きで決まった学級委員長は、とてもすばらしい働きをしました。
中央集権は安定した世の中のために必要だと思います。でも、その中央集権のトップに立つ人は、そろそろ、競争で勝った人ではなく、優秀でかつ道徳的にも優れた人々の中から、くじ引きで決めてはどうかな、と思います。