Economy
今朝、6時前に花見に行ってきました。早朝にも関わらず、駐車場は開いていて、誘導している方が何人もいらっしゃいます。そして、公園を掃除している方もたくさんいらっしゃいます。朝早いのに、お互い「おはようございます」といっていて、とても清々しい。
そのままトイレに入ると、トイレにはビールの缶や弁当の容器が、からの状態でたくさん置いてあります。ゴミを持ち帰らずに、トイレに置いて行ったんだと思います。昨晩の宴会の方々と思います。そして、先ほど清々しく挨拶をされていた公園を掃除されているボランティアの方々が、それを一生懸命片付けてくださっているのでしょう。
なんか、光と陰を見た気がしました。ゴミをおいて行った人は、酔っ払っているので、いろんな気遣いが欠如していると思います。ゴミを片付けている人は、そういった人たちに花見を楽しんでもらおうと、朝早くから一生懸命、掃除をしていると思います。心の中ではいろいろと思っているかもしれませんが、とても健やかな笑顔です。
そのシーンだけ見ていると、ゴミはちゃんと片付けなければ、と思いますが、本質的には、そういう問題ではないと思います。おそらく、酔っ払いの人が来ないと、花見の会場は寂しいものになるような気がします。酔っ払って、十分楽しんだから、うっかり気遣いを忘れてしまう。公園を片付けてくれているボランティアの方々の願いは、たくさんの人たちに来ていただいて、楽しんでいただくこと。そしてたくさんの人が集まれば、そこには屋台が出ます。屋台が出れば、訪れた人は、その屋台でまた楽しむことができます。きっと、ボランティアの方々は、それが嬉しい。訪れた人は、屋台で買って、またお酒を飲みます。そうすると、またゴミが出る。
つまり、ゴミがたくさんでるということは、そこで楽しんでいる人がたくさんいるということであり、そしてゴミは誰かが片付けなければならない、ということだと思います。何が良くて、何が悪いのか分かりませんが、みんながハッピーなのは良いことです。
ゴミは出ないに越したことはない。ところが、人が集まらなくなるのは寂しい。つまり、どう転んでもハッピーになるためには、ゴミは出るということです。ゴミをそのままにしておくわけには行かないから、ボランティアの人ががんばって片付けてくださっています。
自分が楽しんでハッピーな人と、人に楽しんでもらってハッピーな人は、心の持ちようが全然違うな、と思いました。
年度末、システムの入れ替え作業に徹夜で対応しているIT企業のエンジニアの方がたくさんいらっしゃるそうです。IT業界に来て、そういった事実を初めて知りました。そのIT企業は、お客様が年度の切り替えの対応をするのは大変だから、その仕事を請け負っているのだと思います。もちろんそれを請け負うことで、そのIT企業は収益を得ているはずです。しかし、その収益がすべて、徹夜で作業をしているエンジニアの方のところに行くわけではありません。きっと、その「請け負うことで収益を得る」というアイデアを考えた経営者の方に、最も収益が分配されるはずです。でも自らも、一緒に、徹夜で作業をしている経営者の方はわずかでしょう。
エンジニアの方は、その仕事を徹夜で行うことで、サラリーを得て、生活ができているはずです。だから、エンジニアの方はハッピー。お客様は、IT企業が頑張って年度末の入れ替え作業をしてくれるから、ハッピー。経営者は儲かるからハッピー。これもある意味、みんなハッピーです。でも、手を動かしている人と、お金を払っている人と、お金をもらっている人それぞれ心の持ちようが全然違うな、と思いました。
経済は、お金で回っています。いくら嫌われていても、スーパーにいけば、お金を払えば食べ物が帰る。いくら嫌われていても、ユニクロにいけば、お金を払えば、服が帰る。いくら嫌われていても、住宅会社におけば、お金を払えば、家をたててくれる。
だから、みんな必死になって働いて、お金を稼ぐ。生きるために。これが、いわゆる、経済というものだと思います。
でも、心の持ちようは、一人一人全然違います。それは、経済とは関係ありません。
「働けど働けど我が暮らし楽にならず、じっと手を見る」
こんな感じの詩を小学生の頃習いました。たぶん石川啄木だったと思いますが、石川啄木はじっと手を見て、何を思っていたのでしょうか?
朝早く起きてゴミを片付ける方々、徹夜で働いて、ギリギリ生きていけるだけの報酬を得ている方々、のような心を持ち続けるようにしたいな、と思いました。決して、人を働かせて、収益を得て、自分だけが美味しいものを食べるような経営者にだけには、なりたくないな、と思いました。
そのためには、誘惑に負けない、強い心が必要です。改めて、一生修行だと思いました。