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最近の日本の政治を見ていると、何が正しくて、何が間違っているのか分からなくなります。
正しいとか、正しくないとかは、人が決めることなので、そもそも本質的に正しいという答えはないと思います。
行政の長に従うことが正しいと考えるのか、それとも法に従うことが正しいと考えるのか?そういった難しい立場に置かれるのは、誰よりも優秀な人であることは間違いありませんが、ただその誰よりも優秀な人が、正しい判断をするかどうかは、それは分かりません。正しい判断をする人が優秀なのか、それとも優秀な人がした判断が、正しい判断とされるのか?
今の世の中は、権力をもった人の判断が、正しい判断とされるように作られています。誰かが、どこかで決めている。その人に出会っていれば、結論に近づくことができますが、大抵の場合はその人に出会うことはまずありません。そういった判断をする人がどこにいるのかもわかりません。どこかにいることだけは確か。
その、どこかで、何かを決めている人がぶっ飛んだ発想を持った人であれば、世の中は予測不能になります。どこかで、何かを決めている人が、周りの人の意見を聴きながら、自分の主観を押し殺して全体最適を目指す人であれば、限りなく枠にハマった判断が下されるでしょう。その場合は、世の中は限りなく予測可能になります。ただし、予測可能というのは、それだけ進化がないということも意味します。
ぶっ飛んだ発想がなければ、モネの「印象、日の出」は生まれておらず、画家は風景ではなく、最高の肖像画を描くことを目指し続けていたかも知れません。
ぶっ飛んだ発想がなければ、ゴダールは、ビデオカメラをスタジオの外に持ち出すことはなく、映画といえばスタジオの中で高額な費用をかけて制作するものであり続けていたかも知れません。誰もカメラに向かって話しかけず、ニュースキャスターは手元の原稿を読み続けていたかも知れません。
ぶっ飛んだ発想は、芸術の世界では、大きな進歩をもたらしてきました。それは紛れもなく、人類に幸せを与える方向に向かってきました。医療の世界でも、同じと思います。レントゲンを照射すると、局地的にがん細胞を取り除くことができるといった放射線治療や、化学物質によってがんを治療する化学療法は、ぶっとんだ発想がなければ生まれないでしょう。いや、その前の、がんの発生した部位を切除するという発想もよく考えるとぶっ飛んでいます。やはり、いずれも、人類に幸せを与える方向の大発明です。再生医療にしても、遺伝子医療にしても、やはり過去の常識を覆すアプローチです。
そもそも、旧石器時代に、一つの石から一つの石器をつくるという常識を、一つの石を砕くことで一つの石から複数の石器を作るということも、どこかの誰かが、ぶっ飛んだ発想で思いついたと思います。そういった発想を持つ人がいたからこそ、その後世界では、印刷や、電話や、蒸気機関車や、T型フォードや、カラーテレビが生まれたのでしょう。
さて、世界中でぶっ飛んだ政治家が活躍している2018年。彼らは世界をどんな幸せな方向に導いてくれるでしょうか?「地球環境を保護しよー!」だけでは、地球環境は保護できません。どこかぶっ飛んだ発想がなければ、地球は破壊される方向に向かっていきます。そのうち、食べるものもなくなっていきます。地球を、人類を救うために、「法を守る」という常識にとらわれない、「民主主義」という常識にとらわれない、ぶっとんだ政治家が、新しい解決策を見出してくれることを、期待しております。もちろん、平和が最優先であることを願います。