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正しいことを続けていれば報われて、間違ったことをすれば罰せられるのは世の中の真理です。だから誰もが、正しいことだけをしていればいいのです。でも、正しいことだけするっていうことほど、難しいことはありません。
Aさんが困っているとします。困っているAさんを助けることを間違いなく正しいことでしょう。
しかし、Aさんを助けることによって、今度はBさんが困ることになるかも知れません。そうすると、Aさんを助けるべきか、どうすべきか?さらに、もしかしたら、Aさんが困っているというのは事実ではないかも知れません。間違った情報に基づいて行動することは、正しいことにはならないでしょう。さらにAさんが本当に困っていたとしても、Aさんは自分で間違った行いをした結果、困っているかも知れません。だったら困っているAさんを助けることは、Aさん自身のためにならないかも知れません。それはやっぱり、正しいことではない。
Aさんが困っている、という一つの事象だけでも、何が正しいのか判断することは難しい。それが今では人類70億人がネットワークで繋がる時代。いくら自分の気持ちの中で、正しいことだけを続けようと思っていたとしても、正しいことを判断することは、日々、難しくなるばかり。
昔は家畜を殺すオオカミを殺すことは正しいことでしたが、今ではオオカミを殺すことは生物多様性を失わせるために、間違ったことです。ただ総論ではオオカミを殺すことを間違っていても、現実にオオカミの脅威にさらされている村の人々にとっては、今も、オオカミを殺すことは正しいことでしょう。TPOに合わせて判断をするしかありません。
仕事とは、人の役に立つ行いをして、その代わりに対価を得るものです。だから、人の役に立たないものは仕事ではありません。しかし人は生存のために働くのではなく、相対的に優位に立つために働くようになると、競争を蹴落とすことが仕事になる場合もあります。むしろ今、人類全体のための仕事っていうのは本当に少なくなっていて、自分の所属する組織のための仕事が大半になっていると思います。組織に所属する人は、組織の行いが間違っていると分かっている時、組織の指示通りに行動することが正しいことなのか、それとも勇気を出して「間違っている」ということが正しいことなのか、とても難しい判断を迫られることになります。戦争は、こうやって起こるものであり、戦争がなくならないのは、やはり正しい判断が難しいからだと思います。
「これが正しい判断だ」という答えがないから、みんな、自分の頭で考えるしかありません。限られた情報を組み合わせて、限られた時間の中で、決断をしなければなりません。自分で物事を決めなければならない時に、唯一、頼りになるのが、知恵と知識と経験、そして仲間の参考意見です。
地球上に存在している知恵と知識と経験の一体何%を自分は身につけることができているでしょうか?地球上に存在している知恵と知識と経験が宇宙空間くらいあるとしたら、自分の身に着けている知識は、石コロくらい分くらいでしょう。だったら、正しい判断なんて、絶対にできるはずがない。限られた人生の時間で、石コロの大きさから宇宙空間の大きさになることなんて不可能です。
でも仲間がいれば、仲間も石コロくらいの分の知恵と知識と経験がある。仲間が2人いれば、自分と合わせて石コロ3つ分。力を合わせて、みんなで努力すれば、すごい力になります。
世の中で必要とされるすべての知恵と知識と経験を身に着けている人は絶対にいません。多少の大小はあるかも知れませんが、100%じゃないのはみんな同じ。だから、そのことを知って、学び続けようとしている人、仲間のアドバイスに真剣に耳を傾ける人が、一番正解に近い判断をすると思います。
人はなぜ学ぶか?それは迷った時に正しい方を選ぶためです。みんなが、正しい判断をしようとして、一生懸命勉強して、一生懸命生きている。正しい方を選んだ結果、報われなくなる結果だったとしても、それでいいと思います。正しい方を導いてくれる仲間を失わないことの方が、報われることよりも、ずっと大事だと思います。