粕壁宿 (Kasukabe-Juku) / 春日部 (Kasukabe)

粕壁宿は、江戸日本橋から千住、草加、越谷に続く日光道中四番目の宿場町でした。江戸からの距離は9里2町(約35.6km)、宿場内の通りの長さは24町35間(約2.7km)、道幅4間(約7.3m)でした。

通りに沿って南北10町25間(約1.1km)にわたり、天保14年(1843年)頃には家数773軒、人口3,701人を数えました。

宿場は公用の出張者が利用する馬や人足を、乗り継いで交代するための場所として、諸街道に設けられた町です。また、大名や日光門主が利用できる宿泊施設が整っており、公的な書類の飛脚業務も行っていました。粕壁宿には人馬の手配などを行う問屋馬が1カ所あり、宿泊施設である本陣と脇本陣が各1カ所ありました。一般旅客も泊まることができる旅籠は45軒でした。

粕壁宿から日光・奥州方面へ向かうと、杉戸・幸手・栗橋と宿場町が続き、房川渡中田関所(栗橋関所)を渡って利根川を渡り、対岸の中田宿(茨城県古河市)へ渡ります。

東陽寺前には曽良の随行日記の一節が刻まれた記念碑があります。

永嶋庄兵衛商店の屋根の上には、守り神の鍾馗様がいます。

浜島家住宅土蔵。

最勝院山門。三代将軍家光の遺骸を一時安置していました。明治26年〜30年千住馬車道鉄道の終点でした。

成就院

玉蔵院

郷土資料館では、春日部の歴史を知ることができます。

江戸時代、間口が狭く奥行きが長い地割に沿って、土蔵が連なっていました。

春日部駅の東口周辺や古利根公園橋、市民文化会館周辺や西口周辺など、駅から歩いて行ける距離に日本屈指の彫刻家たちによる作品20点以上が集まっています。

2017-11-26 | Posted in SaitamaNo Comments » 

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