Sensitivity
人は大都市に集まります。大都市は確かに便利。大都市に人が集まると、消費規模が拡大します。大きな消費市場はビジネスチャンスです。ビジネスチャンスが拡大すると人材が必要になります。大都市には職があります。職を求めて、働き手は大都市に集まります。優秀な人材を獲得するためには大都市が有利。大都市はどんどん上に高く、下に深くなっていきます。
世界中の大都市で、同じことが起こっていると思います。
地方の上空には、様々な鳥が飛んでいます。雁の編隊飛行は、空気の抵抗を改めて感じさせてくれます。仲間の必要性も。でも大都市は、編隊飛行をするためにはあまりにも障害物が多すぎます。代わりに飛行機が頻繁に訪れます。飛行機はちゃんと決まった場所を飛び、決まったところに降り立ちます。
雨が降ると、土の上は水たまり。でも雨降って地固まる。でもまた雨降って、水たまりができる。そしてまた固まる。土は土のまんまで、水は水のまんまですが、草が生えて、成長して、花を咲かせたりします。変わるものがあれば、変わらないものがある。変わらないものも、よく見ると変わっている。でも大都市はアスファルトです。水たまりは改善の対象です。大都市における水たまりはあまり役割を期待されていないようです。大都市の地上は、人間様が歩くところ。そもそも変化は期待されていません。
日本は四季が豊かと言われます。それには2つの意味があると思います。一つは、季節の移り変わりが大きく、気候の変化を感じやすいということ。確かに諸外国にも四季はありますが、日本の気候の変化は際立っていると思います。その気候の変化は四季の彩りを与えてくれます。花・新緑・紅葉・雪。これこそ豊かそのもの。もう一つの意味は、四季を感じる心。イギリスのような豊かなガーデニングを季節に応じて作り出すのではなく、枯山水のような質素な庭をあえて作ることで、四季による色の変化を心で感じることに重きを置いています。侘び寂び。
大都市では、四季の豊かさや侘び寂びを発見することが難しいです。地方では歩いていれば気がつく十五夜の美しさすら気がつかないこともある。自分で気をつけていないと見つかりません。気がつくのは暑さと寒さと匂いくらいか?
都市は便利を増やしてくれますが、その代わりに感性を得る機会を減らしてしまいます。人が便利を求める動物で有る限りは、都市化は止まらないでしょう。ということは、感性を得る機会は減り続けてしまうかも知れません。地方創生に一生懸命取り組んでも、テレワークを導入しても、なかなか都市化の波は止められないでしょう。だからといって大都市で感性を得る機会を増やそうとしても、高層ビルの合間を雁が隊列を組んで飛ぶことは不可能ですし、アスファルトの上に草が根をはることもできません。
一方で山登りがブームになっています。美術館はどこも満員。都市に住む人の、感性を得ようとする気持ちは決してなくなっていないと思います。と、いうことは、都市化が進めば進むほど、人に感性を与える機会を提供するというニーズは高まり続けるような気がします。
日本の都市が、世界一魅力的な都市になるために重要なのは利便性か、それとも日本らしさか?日本らしさには、四季があるからこその美しさがあると思います。冬は寒いけど美しい。夏は暑いけど美しい。冬の厳しさを乗り越えた春の美しさ。冬の厳しさを迎える前の秋の美しさ。
日本の大都市が、世界一不便な大都市になった時、世界一美しい都市になるんじゃないかな、と思います。東京や大阪はもはや無理だと思いますが、そうなれる大都市が、日本にはたくさんあると思います。鳥の道を塞ぎ、草木が生えるのを防ぐ大都市ではなく、雁が編隊飛行をして、雨が降れば靴が泥だらけになる大都市に、人が集まるような、そんな日本であり続けるといいな、と思います。