Power & Authority

人は力を求めます。

「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という言葉が重たいのは、人は常に人の上に立とうと思ってしまう習性がある故と思います。人の上に立つためには力。権力は統治のために不可欠。法治国家が成り立つのは、権力を持つ者が、自らの力を行使するのではなく法の秩序に自らの力を委ねることができる場合だけであると思います。

では、力とは何か?人間に限らず、力とは人を攻撃することができるもの、人を傷つけるものができるものだと思います。愛と死が人間にとってもっとも重要で、そして逃げられないテーマである以上、力が力たる所以は、自分以外の対象がいて、その対象を傷つける力を持ち、その力を行使しない代わりに人の上に立つことができること。

だからBalance of Powerだったり、冷戦だったり、核抑止力だったりする。

 

さて、人間は誰もが力を求めるという本質に戻ると、すなわち人間は誰もが何かしらの力を持っているということになります。その力を結集することで大きな力になる。その結集された大きな力は、秩序を変革するほどの力を持つことになります。フランス革命も独立戦争もそう。中国はその歴史を繰り返していると思います。

 

それぞれの人間がバラバラに持っている力を結集させるには、大きな方向性、大きな目的、共通の利害関係が必要です。3つの異なる表現を用いましたが、全て意味は同じと思います。捉え方が違うだけ。フランス革命の時は、「パンを食べたい」だったかも知れません。一人一人の構成員が同じ方向を見たときに力は結集します。サッカーや野球の試合はわかりやすい。勝つという目的のために、一人一人の役割をもった力が結集して、同じ構成の相手と戦います。勝つために。スポーツの場合はルール、スポーツ独自の倫理が、見事に「力」は人を傷つけるものであるという本質に蓋をしています。一方、スポーツの世界で生きる場合はそれが生活に直結することになるので、勝ち続ける者が「力」を持つことになる。だからプロとアマという2つの世界があり、アマはたとえスポーツがうまくても、趣味の世界を脱することはない。愛と死こそ、永遠のテーマです。

プロという観点では、企業という組織も力を結集させる方向性が明確だと思います。方向性は企業の利益でしょう。その利益の結果、構成員のサラリーが決まる。企業には小さな組織も大きな組織もあると思いますが、その構成員となった瞬間に、その組織なでの力関係が重要になる。その力関係は企業が結集している力を疑似していますが、実際には同じ組織の構成員を攻撃する力だったりする。人事の話題が好きな人というのはその力に対してより敏感な人でしょうし、どの組織にいようと結果にこだわる人は組織内部の構成員を攻撃する力には無関心で、むしろ組織が結集している力に関心が高い人だと思います。いずれにしても愛と死こそ、永遠のテーマです。性格の問題なので、力の内容に大きな意味はないと思います。重要なのは組織を構成する一員として幸せかどうかということ。

科学は、これまでの歴史の蓄積によって構築されてきました。過去の発明なしには、未来の発明はないでしょう。しかしこれまでの科学は愛と死に対しては何一つ答えていません。愛と死という永遠のテーマを持つ人たちが、自分なりの力を求めた結果、生まれてきた発明の結集が科学であり、科学は人を攻撃する武器として強大になり続けると思いますが、どこまでいっても愛と死というテーマに向きあうことは有りません。大切な人を失ったときに、心を癒してくれる科学があるか?

宗教は、常に愛と死に向きあってきました。愛と死に向き合う限りは、人を傷つける武器を求めることはないでしょう。しかし宗教が続けるためには組織が必要。組織が誕生すると、力を求める人たちが出てきます。いや、すべての人が何かしらの力を求めるようになります。人間だから。だから、愛と死が大義名分となって、人を傷つけるための武器を持つようになる。科学を駆使するようになる。愛と死に向き合っている組織だからこそ、行使する力は凄まじい。自爆テロという凄まじいことが行われます。だから政教分離を進めている統治形態が多い。

科学は、すでに一瞬で人類を滅ぼす力を、人間に与えました。一部の人は、見えている結末を回避するために、地球の外に目を向けます。また他の一部の人は、愛と死に向きあって、自分なりの考え方でその結末を回避しようとしています。それは一人の人間としてかも知れなし、一つの企業としてもかも知れないし、一つの国家としてかも知れない。それが人類全体の力を結集する方向性として固まれば、最悪の結末を避けることができるでしょう。70億の人類を同じ方向性に向けさせるためには宇宙人の存在が必要かも知れません。でも宇宙人がいて、人類が同じ方向性に向いて、最悪の結末を避けることができたとしても、その結集した組織の中でやはり一人一人の人間は力を求めます。

世の中に正しいことがあるのか、勝つ者が正義か?科学はこの問いにも答えていません。この問いと向き合っていたら、原子力爆弾など生まれません。正しいことがないならば、みんなで何が正しいかを決めよう。これが民主主義。それを文書にしたのが法律。その頂点にあるのが憲法。日本には憲法9条がある。憲法9条は、愛と死というテーマに向き合っている。

人に、人を攻撃する力を求める限り、科学が生まれます。科学が蓄積されて、発展していく限り、結末が見えています。その結末を回避するための方法はないのか?日本国憲法の中には、その答えがあるような気がします。

2017-10-07 | Posted in BlogNo Comments » 

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