History in pictures

先週末、恵比寿ガーデンプレイスで開催された「写真家 チェ・ゲバラが見た世界」を見に行きました。

チェ・ゲバラがファインダー越しに見た世界は、どこか無機質。躍動感を感じるのは、産業の写真くらいしかありません。遺跡の写真はどこか哀愁を感じます。しかしこの写真展を見て感じたのは人への希望。

歴史は常に人が行ってきた過ちの履歴だと思います。遺跡とは、使われなくなったもの。使われなくなったものの背景には、時間という普遍的なものによる必然によるものと、人という存在が犯した罪によるものの両方があると思います。だから、遺跡は、人の過ちの履歴を思い起こさせてくれる。それが歴史だと思います。

チェ・ゲバラもまた、自分自身が行ってきたことを歴史に重ねて行きてきたように感じます。チェ・ゲバラがなくなったのが39歳。41歳の私は当時のチェ・ゲバラよりも長い期間、歴史の中を生きています。しかしその39年の時間と41年の時間は全く比較の対象にならないと思います。重要なのは、今生きているか、それとも何かを残したか、ということ。

チェ・ゲバラは、カストロ兄弟と一緒に革命を起こしました。革命によってキューバという独立国ができました。これはチェ・ゲバラが残したものか?国家もまた、時間という普遍的なものによる必然の一つです。政治もまた、人が変われば変わります。チェ・ゲバラは、写真を残しました。これは残したものでしょう。そしてその写真には、思想があります。革命は、チェ・ゲバラの思想の表現であり、チェ・ゲバラは革命によってその名前を高め、世に自分の思想を広めることになりました。その思想は対外的に発信することを目的としていたのか、それとも、内に閉じ込めようとしていたものなのか、写真展を見ると、わからなくなります。暗い自撮りの写真を見ると、内に閉じ込めようとしていたものなのではないかと思います。

経済はグローバリゼーションを進めました。世界中から富を吸い尽くすという欲が、超えられない海を越えさせてくれました。経済は罪か?経済は思想か?経済は歴史か?チェ・ゲバラを見て感じたのは、経済は希望。だからこそ、経済は、手段だと思います。何の手段かというと、思想の交流のための手段だと思います。

究極の目的は、思想の交流。それを体現しているのが、文化。だから経済が発展すればするほど文化交流が進まなければなりません。じゃないと、目的と手段がミスマッチすることになります。今のグローバリゼーションは必然。AIとか、産業の役割に期待ができます。これからは人はより思想に集中できるようになると思います。思想を表現する媒体は様々。普遍的な思想を残したければ、芸術作品で思想を表現できるかも知れません。絵画・写真・音楽。それらはすべて、人の犯してきた罪を表現してくれるでしょう。それが恐ければ、料理でもガーデニングでも、会話でもメールでも、思想は表現できると思います。交流は、世界を一つにします。一つの建物が、モスクと協会と神棚を備えることだって、不可能ではないと思います。

アルゼンチンで生まれ、キューバ革命を起こし、アジアを旅し、ボリビアで没した、チェ・ゲバラのファインダー越しに見た世界から、そんなことを感じました。

2017-09-03 | Posted in BlogNo Comments » 

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