Be relieved
3年ほど前にエジプトに行ったとき、エジプトで知名度がある日本のブランドを大恩人の方に質問しました。その中の一つに、東芝の名前がありました。東芝はエジプトで街の販売店を増やしており、昭和時代の日本のように街の電気屋さんが東芝ブランドの家電製品の販売だけでなく、故障した時の対応などを行なっているとのこと。
ほぼ、同時期に南アフリカに行ったとき、偶然訪問した会社が電気工具のマキタの代理店をしていました。マキタブランドの工具がずらりと並んでいます。そこにはショールームはありません。膨大な在庫が管理されている倉庫のみ。その会社にとって重要なのはマキタの工具が必要な顧客に必要なタイミングで届けられることと、もし工具が壊れたときに、自社のエンジニアが確実に対応すること。
東芝にしても、マキタにしても、アフリカという遠い世界でビジネスをしています。そこで行なっているビジネスは何か?それは、安心感の提供だと思います。エアコンにしても冷蔵庫にしても洗濯機にしても、アフリカという市場にはGEもあればシーメンスもあればLGもある。なぜ東芝が選ばれるか?それはそこに街の電気屋があるからだと思います。アフリカという市場にはボッシュもあれば日立もあればブラック・アンド・デッカーもある。なぜマキタが選ばれるか?それはそこに豊富な在庫と専門知識をもったエンジニアがいる代理店がいるからだと思います。
昔は家電製品は高かった。だからこそ大事に使った。そして壊れたら一大事で、迷惑かもしれないけど遅い時間に近所の電気屋さんに助けてもらいました。しかし家電製品は高いからこそ、価格競争を招きます。家電量販店で、「他店より高かったら安くします」、といったことが言われるようになります。そのうち価格を比較するウェブサイトができます。そこには街の電気屋さんが提供していた安心感はありません。あるのは価格が安いという客観的な事実だけ。
地域があり、ご近所さんがいる。私が子供の頃、いたずらをしたらご近所さんが叱ってくれました。これも安心感。近所の会社に社長がいて、社長の息子がいる。息子がいるから、会社は簡単には潰れないだろう。うちの息子は社長の息子と年が近いから、あの会社にお世話になろうか?これも安心感。しかし核家族化でいつのまにかご近所さんと挨拶すらしないしても過ごせる地域社会が形成されてきました。企業の本社が大都市に集中し、知らない会社に就職して、自分で試行錯誤しながらプレッシャーに耐えながら仕事をすることが当たり前になりました。
今、社会で欠如しているのは安心感。もしかしたら、留守の間に泥棒に入られるかも知れないからといって、ホーム・セキュリティーといったサービスが拡大します。我が家を見守ってくれるのは、持ちつ持たれつのご近所さんではなく、顔も知らないプロフェッショナルです。見守ってくれる代わりに、お礼の言葉とともにお土産を渡すのではなく、お金を支払います。世の中、今も昔も危険がいっぱい。安心が必要だけど、近所付き合いをしていなかったら、ホームセキュリティに頼まなければなりません。そのうち、近所の人たちは、守ってくれる人たちではなく、危険の対象と感じるようになります。創業者が株主に解雇されるといったことも起こりうるようになってきます。社員が突然中国の会社に転職して、機密情報をリークしたりします。株主が経営者を信じられなくなり、経営者が社員を信じられなくなり、社員が会社を信じられなくなったりします。どれもこれも、地域で信頼しあって、顔見知りの関係で助け合って社会を形成していたときにはなかった心配事でした。
今、海で、海水浴中にサメが来ていないかを監視するドローンがあるそうです。確かにサメは怖い。私もウンドサーフィンで海から落ちた時、足をバタバタさせながらサメが寄ってこないか恐怖を感じていました。しかし、怖い、だから安心感が欲しい、だからテクノロジーだ、テクノロジーの対価はお金だ、という理論構成は間違っていると思います。怖い、だから気をつけよう、だから助け合おう、そのために声をかけあおう。これが本来の形です。
自動車が電気製品になり自動運転になります。大量の電気を消費することになり、今のシリコンを基盤とした半導体ではパワーをまかないきれないため、SiCとかGaNの半導体が今後主流になってくるでしょう。SiCもGaNもシリコンよりもはるかに価格が高いため、そこでもさらにコストダウンが進められ、一定水準まで価格が下がってマーケットのバランスが取れたときに、自動運転車が本格的に普及すると思います。自動運転車は雪道の走行は苦手かも知れません。人は安心感を求めます。そうすると、ドローンがサメを監視したように、今度はテクノロジーが雪を監視するかも知れません。そのときに優先するのは、雪なのかそれとも自動運転車の安定的な走行か?いずれにしても、人は安心感の対価としてお金を払うでしょう。
安心感を解決するのはお金ではありません。いくらお金があっても絶対に安心というのはありません。安心のために必要なのは隣人愛。挨拶と信頼と感謝です。それには勇気もいるし手間もいるし、もしかしたら経験もいる。どれもお金では買えません。
安心感というニーズのために間違った形で、テクノロジーがビジネスという大義名分のもとで活用されないことを願っています。