Gain and Pain

私の祖父は引退後小さな商店を営んでいました。小さな店舗の狭い一方通行の廊下をぐるぐると回っていくと、祖父がいて、そこでお勘定です。大きな大きなそろばんで、祖父が計算をします。

祖父は最後までそろばんを使い続けました。当時の祖父は80歳前と思います。パチン、パチンとゆっくちとそろばんを叩く音は、私の記憶に今もまだ深く刻まれています。当時はまだ小学生に入る前。私の目はあまり見えていなかったので、生活を音で感じていました。当時の私には、いい音と、悪い音があって、そろばんの音はいい音でした。

祖父の店には駐車場もありません。サイズの足りない靴とか、農業資材とか、子供用のお菓子とか売っていましたが、祖父の店にお客さんが来たことはあまりありません。お客さんが入り口のドアを開けると、家の中でチリンチリンと音がする。それもいい音で、私や弟は急いで店に行くのですが、回覧板を持って来た隣の人だったり。近所の人たちは、たまに父に連れられて祖父の家にくる私たち兄弟のことを、会うたびに「みっちゃんの子」と呼んでくれました。みっちゃんというのが私の父のようです。

その狭い廊下を通ると、祖父がいる。入り口には看板を持って来てくれた隣の家の人がいる。祖父の家の隣にはドブ川が流れていて、蛇やネズミがいる。祖父の家には駐車場がないので、父はパチンコに行く。勝って帰って来た父はチョコレートをくれる。パチンコに行っている私たち子供たちにはとても怖い存在である父のことを、隣の家の人は「みっちゃん」と呼ぶ。それが、私の心に刻まれた、祖父と父の本当の姿。

その後、父のおかげで、私の目は、メガネを通じてよく見えるようになります。

やがて父は、一族の地に戻ります。会社を興します。大きなみかん畑からみかんの木を抜いて、大きな家を建てました。祖父の店は父が無理やり閉店しました。祖父と私たちは、その大きな家に一緒に住むことになりました。家の中の部屋の一つも事務所になっていました。毎日大きなトラックが来て、荷物を降ろしたり、積んだりしていきます。父の会社は小さいですが儲かっていて、恵まれた家庭で育ててもらいました。でも祖父と引っ越してからの父はよく喧嘩をしました。祖父が小さな店を営んでいたときは、喧嘩するなんて信じられなかったのに。

父は、祖父よりも大きなお金を動かしていました。父はそろばんを使ったことがありません。その代わりいつも最新のコンピュータを入れていました。高校生の時に、父の会社のオフコンでアルバイトをさせてもらいました。記録に刻まれた祖父のそろばんの音と、父の会社のオフコンの音は大きな違い。オフコンは使っていて楽しかったですが、やっぱりそろばんの方が心地よい音です。

今、祖父の店も父の会社もなくなりました。祖父も父もいなくなりました。将来私が会社を興したとしても、子供たちに繼ぐことはありえません。しかし子供たちの記憶には、私の生き様が刻み込まれています。だから子供たちは子供たちで、思ったことを始めると思います。これもまた、祖父や父から教わったこと。私の弟たちも同じことを祖父や父から、文字どおり体で教わっています。その起源が、私の場合、パチン、パチンというそろばんの音です。父も祖父もいませんが、あの音を覚えている限り、祖父や父から教わったことを忘れないでしょう。あの時、目が弱くて、記録がそろばんの音だけでよかった。

さて、世の中の店頭からそろばんがなくなり、電卓に変わりました。そろばんができなくても計算ができる。その結果、たくさんのことが便利になったと思います。便利になった結果、何が起こったか?店頭の値段が下がりました。商品にバーコードがつき、電卓に数字を入れなくても自動的に計算してくれるようになりました。その結果、たくさんのことが便利になったと思います。商品の先入れ先出しの手間も減り、在庫の最適化された。便利になった結果、何が起こったか?店頭の値段が下がりました。それが競争原理。価格競争のもとでは、最新の取り組みをしていかなければ存続ができません。

では、便利になった結果、業務量は減ったか?働く人の給料はあがったか?それは、果てしなくクエスチョンマークです。むしろ業務量は増えていないか?給料は下がっていないか?どんどん人は疲れ、心は貧しくなって行っていないか?

昨日のラジオで「テスラは泣かない。」の方々が出演していました。とてもいい話でした。アルバムのタイトル「永遠について語るとき、私達の語ること」。タイトルがとてもいい。ラジオで流れていた曲もとてもいい。若い力は無限大です。

競争社会では、勝つ必要があるのか?そんなことはないと思います。どれだけ怖い父でも、隣の人からすれば「みっちゃん」であることの方が、勝つことよりもはるかに大事。そろばんを間違えて、たまに損したとしても、そろばんが同じ音を鳴らし続けていることの方が大事です。生きていける限りは。

勝つためには、攻撃も必要かもしれません。相手を陥れるための策略も必要かもしれません。でもそんなことばかりしていたら、誰も「みっちゃんの子供」と、呼んでくれなくなってしまうと思います。自分のルーツがなくなったら、存在できません。

「永遠について語るとき、私たちの語ること」。私はアイフォーンもアイポッドを持っていないのでレコードショップに買いに行こうと思います。

2017-07-09 | Posted in BlogNo Comments » 

Related article