How it looks like
職場に韓国からの仲間ができたので、最近韓国語の勉強を始めました。と、いっても語学学校まで行くのは難しいので、まずは本屋で入門書とNHKラジオのテキストを購入し、日曜日に1週間分を聞きながら録音して、復習したり、ということから始めました。
韓国語、タイ語、アラビア語は文字が違うので相当苦戦するな、と思っていたのですが、韓国語の勉強を始めてみると想像した以上にとっつきやすく、ビックリしています。むしろ、どこかはるか昔の先祖の時代でDNAに記録されているような感覚を覚えました。日本語に非常によく似ています。
これまでに仕事で韓国にいったことは数知れず。いつも大恩人の通訳の方に甘えており、自分で勉強しようという姿勢が全くなかったことを大変恥ずかしく思いました。一番近い隣人なのに。
むかし、ザンビアのタクシー運転手に教わったいくつかの中に、「輝いて見えるものには手を伸ばすな」がありました。輝いて見えるものには手を伸ばさないことについてはその後徹底してきたつもりでしたが、その逆もまた真なりと思いました。難しく見えるものに積極的に手を伸ばして見ると、実は意外と身近なものだったりする。
現在、ある大先生のコンサルティングを受けています。最初の段階で、ビジネスモデル・キャンバスの紹介を受けました。そのビジネスモデル・キャンバスの書籍をパラパラっとめくって、私は、う〜ん、分からない、と思い、その後一切、手を伸ばさないばかりか、意味のないフレームワークだと散々言い訳をして、避けてきました。
そしてプロジェクトが終盤に差し掛かった現在、真の結果を追い求める中で、このビジネスモデル・キャンバスが不可欠となり、今、必死になって勉強しています。そのきっかけは、前回の私のプレゼンのレベルがあまりにも低すぎて涙が出るほど悔しい思いをしたこと。そしていざビジネスモデル・キャンバスを勉強しながら、自分のビジネスモデルを検討して見ると、こんなところが足りないとか、自分のモデルはこういうところをもっと深く考えるべきだ、とか、この部分をもっと調べようとか、いろんな論点が明確になります。確かに、ぐうの音も出ないほど、ボロボロに叩かれた結果は必然だったと今になって分かります。
中身に踏み込まず、見た目だけで判断するということは大きな損をしていると思います。見た目の段階では、固定観念。その固定観念を作っているのは、自分自身の過去の成功体験だったり、人から見聞きした先入観だったり、あるいは本能的に困難から逃げるための言い訳だったり。つまり、見た目で判断している時に、見えているものは、自分自身の「無知」だと思います。そう考えると、世の中にあるあらゆることは、困難なものということになります。困難に立ち向かって、ようやくそれが自分のものになる。当たり前のことなのですが、その当たり前のことが、これまで実践できていなかったな、と思います。ということは、「輝いて見えるものには手をだすな」ということは、その「輝いて見えるもの」も「無知」であり、「真実」ではないということ。真実は、困難に立ち向かってこそ手に入れることができる。
まずは、韓国語と、ビジネスモデル・キャンバスを頑張ろうと思います。