ふるさと – the hometown-

昨日、一昨日は愛知県豊橋市に行きました。偶然、別々の用件で、それぞれ会ってくださる方々があり、一昨日の朝、豊橋市を訪問し、名古屋に移動し、昨日の夕方豊橋市を再度訪問。朝は渥美線の南栄駅まで、母校の現役学生たちと同じ電車。制服は変わっていましたが、バッチは変わっていません。母校の横を通り過ぎます。卒業したのは1994年。23年前です。私は3月31日生まれなので、卒業当時は17歳。今は41歳。高校のときって、ほんとに未熟だったよな、と思いながら、きっとまた20年くらいたってまたここを訪れることがあれば、41歳の時って、ほんとに未熟だったよな、と思うんだろうなと思いました。

昨日は、同じ母校出身の方々と豊橋で食事です。大先輩は60歳。名古屋で普段からお世話になっている大先輩ですが、お互い故郷でお会いすると全くの別人です。仕事上のおつきあいよりも、同じ高校出身であるという事実の方がはるかに大事だということを、それが正しいのか間違っているかわかりませんが、そう感じてしまいました。話も弾み、気がつけば4時間近くが経過。東京に帰る電車がありません。夜行バスに飛び込んでみましたが、さすがゴールデンウィークで満席です。そこで豊橋駅前のサウナで仮眠し、始発の新幹線で東京に帰ってきました。サウナのオーナーもまた、高校の大先輩。ふるさとってほんとうに素晴らしい。

豊橋駅6時40分発のひかりは、指定席が空いているはずもなく、自由席で立って帰ってきました。東京駅のホームに降りるとホームは人でいっぱいで動けません。東京駅についたときのアナウンスで、新幹線の中を移動するように言われたことを思い出し、戻ろうと思ったら戻ることもできず。このままホームで過ごすことになるかと思ったら、隣にのぞみが到着。そこで、同じ境遇の方々と一緒にのぞみに乗り込み、のぞみの中を通路として移動。通路であるのぞみ号の中も、なかなか進みません。これがゴールデンウィークかと、おかげさまで貴重な経験ができました。

以前にも地元を仕事で訪れることはありましたが、その時は母校のつながりを意識することはありませんでした。昨日も一昨日は母校のつながりを意識するご縁があり、はじめて「ふるさと」って逃げられないところだな、と感じました。逆に言えば、今までの自分は逃げ続けて来たということ。ふるさで仕事をしていると、嫌が応でも、出身の小中高とその年代が自分のアイデンティティとしてついて来ます。小中高を一緒に過ごした友達たちが今もそこでがんばっています。父が会社を経営していたので、父の会社で働いてくださっていた方やそのお子さんのお話も聞いたりします。弟も会社を経営しているので、そのご縁もあったりします。はじめましてでも、どこかで繋がっていたりする。そういった状況で、私が中途半端なことをすると、父や弟達、そしてお世話をしてくれた大事な方々の名前も汚してしまうことになります。

高校出てから、一度も地元に根をおろしたことがありませんが、地元で働いている人たちは、ずっとこの逃げられない状況で働いているんだなと、初めて、そのすごさを感じました。きっと私は、これからも逃げ続けるでしょう。逃げて逃げて、逃げ続けて、どこにも行き先が亡くなった時、唯一戻ってこれるのが、きっとふるさとじゃないかなって思いました。そして、ふるさとに戻って来たら、もう逃げるわけにはいかない。

18歳で金沢に行き、就職していろんなところに行ったあと、今東京にいます。そのうちフランスに行くことになるでしょう。そしてその後はアフリカに行くと決めています。アフリカに行って、逃げずに、予定しているとおり、そのままアフリカで一生を過ごすことができれば、ようやく最初からふるさとで頑張っている人たちと並ぶことができるような気がします。それならば我が人生に悔いなし。

アフリカに行ってもまた、いつもと同じように逃げたくなったら、ふるさとに戻って、18歳の気持ちで、最初からやり直そうと思いました。

そんな、すてきなすてきな、ふるさとでの時間でした。

 

2017-05-03 | Posted in BlogNo Comments » 

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