人間と市民の権利の宣言-Déclaration des Droits de l’Homme et du Citoyen-

三権分立は絶対王政の時代に生まれました。モンテスキューはイギリスに渡り、ルソーの社会契約論の影響を受けたと言われています。ルソーの社会契約論はフランス革命の思想の根底を形成したと言われています。自由と平等は社会契約によって成り立つ。つまり、力によって与えられるものではありません。

核の抑止力というすべてを無にするほどの力は、権利や自由を生んでいるでしょうか?少なくとも、日本がアメリカの核の傘に守られているということは異論はないでしょう。その点では、核の力が我々日本人の権利や自由を与えてくれていると言えます。では、核の力は権利と自由を生み出しているか?

北朝鮮の人々は、権利と自由が欲しいのだと思います。毎日を平和に生きるための権利と自由。それは国民一人一人もそうだし、国の中枢にいる人々もそうでしょう。マララ・ユフズサイさんのわたしはマララを読んでも、求めているものは、平和に生きるための権利と自由だと思います。今、マララ・ユフズサイさんは、かつてよりも権利と自由があると思います。それは何によってか?

一つの力に権力が集中しないようにしたのが権力分立。我が国も司法・立法・行政は分立しています。しかしそれは平和だから。ひとたび、ミサイルが飛んできたら、日本が侵略されそうになったら、三権分立と言っていられないでしょう。それが、核の傘の本当の意味だと思います。

核は最強の今のところ、最強の兵器です。核の傘に守られた権利と自由を与えられた人々は、絶対王政の時代に、王に守られていた人々と同じだと思います。外には、パンを食べられない人がたくさんいるのに、パンがないならばケーキを食べればいいのにといって、テレビ画面を見て、つぶやいています。

核の傘の外側にいて、激しい暴風雨にさらされてきた国が、核を持ちました。さあ、怖がっているのは核の傘の中側の人たち。怖がっている人はまだマシかもしれません。誰かがなんとかしてくれると思っている人は、激しい暴風雨にさらされてきた、覚悟も団結力も強い人たちと向かい合った時どうするでしょうか?

フランス革命による民政はわずか10年で終わりました。しかし「人間と市民の権利の宣言」を残しました。国民主権と機会均等を定めています。その後王政が復活しましたが、この宣言があったからこそ、その後再び共和政が実現したのだと思います。

世界の平和は、力の委譲によってしか、成り立たないと思います。大政奉還だって同じ。今、核を持つ国が、その世界最強の兵器の力を委譲することなしに、世界の平和は実現しません。世界には、国際連合があり、国連憲章があり、人権規約があり、社会権規約がありますが、これはあくまで第二次世界大戦の戦勝国によって作られたもの。特定の国に力が留保されています。だから「俺は従わねー」っていうのは北朝鮮だけではないでしょう。まだ世界には、本当の意味では「人間と市民の権利の宣言」がありません。国家主権ではなく、人間一人一人がクローバルで主権をもち、どの国の国民であっても、平等な機会が与えられて初めて、グローバルに民主的な社会が実現するはずです。

資本主義は答えではないかもしれませんが、民主主義は答えであと思います。民主主義ではない国が悪だといっている民主主義の国ばかりでは、グローバルな民主主義は実現しないと思います。

どうやったら、グローバルな国民主権が実現できるかな?

2017-04-23 | Posted in BlogNo Comments » 

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