必要 – I’m here-

GEがジャック・ウェルチ氏の出身母体であるプラスチック部門を売却し、その後、最大の利益頭である金融部門を売却し、そしてとうとう今度は、創業者エジソンの電球部門まで切り放そうという話が出ています。人々の生活で電球は不可欠ですし、人口が増えているから電球の数は増えているのでしょうが、照明部門がGEの事業全体の中で占める売り上げの比率はごくわずかとのこと。もちろん創業事業は特別な価値があることは否めませんが、時代の変遷には誰も逆らえないと改めて感じます。GEが電球を製造しなくなったとしても、今のところ、世の中から電球そのものがなくなるわけではありません。エジソンの発明は社会に引き継がれています。照明事業は、エジソンのつくったGEという箱の中ではなく、全く別の箱の中で成長していくのだと思います。

さて、エジソンの有名な言葉「天才とは1%のひらめきと99%の努力」。この言葉については、幼少時代から知っていた人がほとんどでしょう。そもそも、成功したビジネスモデルは、すべてこの大原則に基づいていると思います。これをやりたい、これをやらなければならない、というコンセプトを固め、そのコンセプトからひらめきによって何かしらの形を形成する。そして市場の声を聞きながら、改善を繰り返していく。コンセプトが形になるまでのプロセスと、形になってから成長をしていくプロセスは全く異なります。それぞれのプロセスの途上で消えて無くなってしまうコンセプトが多く、最後までやり抜いかれたコンセプトのみが社会に認知されることになります。社会に認知されると、そこからは生産性の向上とか、コストの削減とか、市場が受け入れられるようになるためのプロセスが重要になり、そこで分業が必要となります。分業の結果、当初のコンセプトは発案者の手を離れ、様々な人によって、様々な方向に成長していきます。

自動車を発明したのは誰か?ということに明確に応えることができる人は少ないでしょう。蒸気機関で走る自動車、電気で走る自動車、ガソリンで走る自動車。何を自動車と定義するかによって変わってきます。結果として今世の中で走っている自動車は、どこかのタイミングで何かしらの形で認知されて、分業によって市場に受け入れられるようになった結果だと思います。それぞれのプロセスでエンジンの発明があったり、ステアリングの発明があったり、空気を入れるタイヤの発明があったりします。自動車という大きなコンセプトが、部品といういうコンセプトに別れ、それぞれがまた分業のプロセスを辿りながら、一つ一つが完成してきました。たくさんのひらめきと、そのそれぞれのひらめきの99倍の努力の結果、今の自動車が形作られていると思います。

自動車に限らず、あらゆるものがそうでしょう。雨が降るから屋根が必要だ。屋根の木材を雨から守るために瓦が必要だと。「必要は発明の母」と言われ、必要から、たくさんのコンセプトが生まれます。屋根を雨から守るためには、鉄がいいぞ、と鉄で屋根を作ろうとすると、重いし、加工ができない。じゃあ銅がいいぞ、と銅で屋根を作ろうとすると、高くて買えない。じゃあ、陶器に作ろう。陶器で屋根を作るならば、土掘る人と、形を作る人と、瓦焼く人が必要だ、と分業が誕生する。

日々生活するのに精一杯の時代。そんな時代は、こんなことをしたいということが大きなコンセプトを作り出し、ひらめきを生み出し、それに共感する99倍の人々と結びつけてきました。でも、豊かになった今、「必要」の中身は「生きるために」よりも、「生きていることを実感するために」、という方向に大きく変わってきています。もちろん、ゲームも必要、チャットも必要。でも、それらは「必要」という意味では代替手段がある中で、社会に何かしらの変革を起こしたいということを根源的な発想としたコンセプトから誕生しています。

今ビジネスとして成立しているコンセプトの多くは、20年前ならば、途中で消えてしまったコンセプトでしょう。しかしグローバル化が進み、インターネットによってシームレスにつながるようになった結果、誰でも世界中で分業できるようになりました。コンセプトに共感する人を世界中から集めることができ、世界中から資金を調達できるようになりました。その結果、そういった新しいコンセプトが大きな力を持つようになっています。こうやって、日々、世界中で新しい分野でコンセプトが生まれ、そしてそれぞれに共感する人たちの間で分業が実現し、市場の中で存在価値を持つようになっています。貧富の差が拡大し、分断が進んでいるのも頷ける気がします。

「古き良き時代」とか、「昔はよかった」とか、「最近の若者は・・・」とか、いつまでたってもこういった言葉はなくなりません。昔感じて、今感じなくなくなってきているもの。それは「生きるために必要」。人は「必要」によって、自らの存在価値を感じています。だから、たくさんの「生きるために必要」があった時代は、自分の存在価値が高かった。人は、「必要」を感じられなくなると、「必要」を感じるために何かを探す。

でも、本当は、「必要」のネタを世界中から探す必要などありません。私たち一人一人は大きな「生きるために必要」の中に存在しています。今人々は、「地球環境の保護」という大きな目標を達成するためにたくさんのコンセプトとたくさんのひらめきとたくさんの分業が必要です。そしてそこには、私たちが存在している価値があります。

自動車という大きな必要を達成するためにたくさんのコンセプトとたくさんのひらめきとたくさんの分業が生まれました。飛行機もロケットも。地球環境の保護もきっとできます。

2017-04-09 | Posted in BlogNo Comments » 

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