使い道 – what to do with-

株や為替の値動きの幅が大きくなり、日銀が購入する国債の金額の規模も大きくなっています。値動きの幅が大きくなれば大きくなるほど、それによって大きな儲けを手にする人もいれば、大きな損害を被る人も出てきます。お金を投入して、お金を得るか、お金を投入してお金を失うかの勝負。だからマネーゲームと呼ばれます。経済が順調に伸び続ければ、長期投資により安定的に収益を得ることができます。しかし世界恐慌のような事態が起きれば、資産から得られる安定的な収入が無になるばかりか、資産そのものまで失うリスクがあります。経済の金融への依存度が高まれば高まるほど、そのリスクが高まります。資産しか持っていない人は、ハラハラです。

お金は労働の対価。労働によって対価を得て、そのお金を使って、物品を購入します。だから貨幣は流通する。流通は、労働と物品との交換の役割を果たして初めて成り立ちます。お金とお金の間にお金が介在しても流通は起こりません。無からは無しか生まれません。

先行きが不透明な時代になると、人はなぜか、労働の対価としてのお金を得ることよりも、今持っているお金を増やすという発想になってしまいます。たとえお金が増えなくても、使うのをやめようと気持ちになってきます。資産しか持っていない人は、ハラハラするから、より資産を増やそうとする。無からは無しか生まれないのに、無を求め続けます。本来は、先行きが不透明な時代は、お金を使うべき。たくさん働いて、たくさんお金を使えば、たくさんの物の交換、すなわち流通が生まれ活性化しますが、お金を使わなくなれば流通が生まれず、その結果働くための仕事もなくなります。つまり、金融の規模が大きくなればなるほど、経済は活性化しなくなるという構造になっているにも関わらず、人々はどんどん逆の動きをしてしまっているような気がします。

そもそも、投資は、お金を増やすことが一義的な目的ではなく、生産活動を創出することが一義的な目的のはずです。生産活動を創出した結果、お金の流通量が増える。それによって暮らしが豊かになる。最近は、投資と生活の豊かさの間にある、この「生産活動を創出する」ということが飛んでしまっているような気がします。その理由は、いつの間にか、お金を持っている人がお金を持っていないという人を動かすという勘違いが発生したことにあると思います。かつては士農工商と呼ばれ、お金を持っている人は一番下でしたが、今ではお金を持っている人が一番上になっています。この逆転現象が、生産活動を停滞させている原因であると感じます。

人はみな、使命を持って生まれています。私は生まれつき手先が不器用で何をやってもダメでしたが、今でも収入をいただいて1日三食食べていくことができているのは、何かしらの存在価値があるからだと思います。たとえ周りからはちっぽけな人間だと思われているとしても、自分ではそうは思っていない。すべての人にそのことが当てはまると思います。それぞれの人が、それぞれの使命を持って生まれてきている。

それぞれの人が持って生まれてきた使命の内容によっては、それを全うするために一人ではできないことがあります。それが、使命の大きさ。そんな大きな使命を持って生まれてきた人は、いや、もともと誰もが持って生まれてきているその大きな使命に気がついてしまった人は、損な役回りかもしれませんが、それは大きな器を持って受け入れるしかありません。人は潜在意識で繋がっているので、想いを同じくする人はやがて何かしらの縁で結ばれます。その時に、大きな使命を持った人が、人々をとりまとめなければなりません。そこで初めて、初めて、お金のただしい使い道が明確になると思います。

大きな使命をもって、人々を動かす人は、おそらくお金の管理をするまでの能力もないでしょうし、ましてやお金をかせぐまでの能力もないでしょう。でも幸いなことに、お金を管理する能力を持つ人も、お金をかせぐ能力を持つ人もいる。だから、総力で取り組めば、大きなことを成し遂げることができます。人を正しい方向に導くことができます。

わかりやすいのは芸術。芸術はたくさんの人に「感動」を提供します。人に与える影響が大きければ大きいほど、たくさんのお金が動きます。でもお金を持っている人が、芸術を生み出すことができるわけではありません。お金があれば、なんでも手に入れることができるという発想は完全な間違い。お金があれば、人を動かすことができるということも完全な間違い。お金は、究極的には、人と人をつなげるために使われるものです。

お金の間違った使い道。それは「所有」だと思います。お金が個人の所有のために使われるようになった時、世の中は変な方向に向かいます。お金持ちが芸術を買い占めるようになると、人々は芸術から得られる「感動」という本来の価値に触れる機会が減ります。これは絶対的な損失です。

最近の世の中には、様々な希望が出ています。クラウドファンディングとか、シェアリングエコノミーとか。資本が秩序ではなく、社会性が秩序になりつつあります。これは大いに歓迎すべきだな、と思います。

2017-03-26 | Posted in BlogNo Comments » 

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