弘道館 (Koudoukan) / 水戸 (Mito)

弘道館は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭(1800〜1860年)によって創立された藩校です。天保10年(1839年)城内三の丸の地に学校の敷地が決まり、翌年から建設工事が開始され、天保12年(1841年)7月に落成しました。

正庁は学校御殿ともいい、藩校が臨席して文武の試験を行ったところで、至善堂は藩主の御座所(休憩所)でした。

それぞれ床、棚を備え、面取角柱、長押をまわした書院造で、長廊下によって結ばれています。正庁には付書院もあります。

弘道館見学の精神は、天保9年(1838年)に斉昭のなで公表された「弘道館記」に「神儒一致」「忠考一致」「文武一致」「学問事業一致」「治教一致」の5項目として示されています。

弘道館では藩士とその子弟が学び、入学年齢は15歳で卒業はありませんでした。学問と武芸の双方が重視され、学問では儒学・礼儀・歴史・天文・数学・地図・和歌・音楽など、武芸では剣術・槍・柔術・兵学・鉄砲・馬術・水泳など多様な科目が教えられていました。

武術の試験などが行われた対試場

正庁諸役会所に掲げられています。

厳冬の中いち早く咲く蝋梅や斉昭が愛した幾種もの梅、鮮黄色の小花を集めてつける山茱萸、斉昭夫人ゆかりの左近の桜、夏の日差しに生える百日紅など、四季折々の樹木と出会えます。

種梅記碑

正庁正席の間に掲げられています。

至善堂に掲げられています。

学生警鐘

孔子廟

八卦堂

幕末の動乱期を経て、明治5年(1972年)の「学制」発布により弘道館は閉鎖され、県庁舎や学校の仮校舎として使用されました。幾度の戦火を逃れた正門、正庁及び至善堂は、昭和39年(1964年)に国の重要文化財に指定され、往時の姿を今に伝えています。

2017-03-20 | Posted in IbarakiNo Comments » 

Related article