青髭 - Barber Blue –

シャルル・ペローの童話「青髭」。愛する妻を試して殺し続ける悲劇の貴族の話です。青髭の男は見た目は醜くいがとても裕福。しかし結婚する女性がことごとく帰らぬ人となるので、恐れられています。実はまっすぐで繊細な男性。妻と約束をして、妻を試すたびに、妻が約束を破り、そして殺してしまうということを繰り返しています。

この物語は、青髭の妻となるある娘が金持ちになることを望むとこから始まり、最後、その娘を殺そうとした青髭が殺されて娘がその財産を引き継ぐところで終わります。

 

いつの時代も、人々は富に従い、自ら富を得ようとする一方で、富を得た者は常に孤独。いつの時代でも、富む者は許されても、そうでない者は許されないことがある。そして、いつの時代も、過ちを犯した者は必ず滅びる。

 

お金は労働の対価です。労働という形のないものに形を与える手段でした。だから、最初は、金という限られた貴重な資源がお金の役割を果たしてきました。しかし、アメリカのニクソン大統領が金・ドル交換停止をしてから、お金の上限がなくなりました。お金の上限がなくなっても、人々がお金を求める気持ちは変わりません。だから、お金はどんどん膨らみます。労働の量とは関係なしに。お金を生み出すところに、人は集まり、お金を持つものが力を得る。そして力を持つものが、さらなるお金を得る。お金の上限がなくなったので、特定の人に集まるお金もどんどん大きくなり、そして富はどんどん集中していきます。

 

さて、柳生新陰流は、相手の力を真正面から受け止めるのではなく、流して打ちます。力を流された相手は、無防備になります。一方、流した方は、無防備な相手に対して、いつでも打ち込める構えが出来ています。だから、美しく、強い。しかしその原点は、相手と同じ条件であること。刀と刀だから、相手の力を流すことができます。これが、相手が鉄砲だと、いくら美しくて強くても、その力を流すことはできません。

長篠の戦いで、武田の最強の騎馬隊は、織田の鉄砲に敗れました。そして太平の世の後、幕府はペリーの黒船の力を恐れます。そして原爆。いくら柳生新陰流の達人でも、黒船を真っ二つに切ることはできませんし、原爆の力を流すこともできません。つまり、テクノロジーで先に行ったものが、強く、そして、テクノロジーで先に行ったものが、富を手にします。これは資本主義でなくとも同じことでしょう。そして、金・ドル交換停止となってから、テクノロジーで先に行ったものは、グローバルに際限なく富を集める力をもつことになりました。

 

さて、今の時代にテクノロジーで一歩先に行き、富を集めた人と青髭の違いは?きっと、テクノロジー競争に勝って、富を得た人もまた、元来、まっすぐで繊細でしょう。じゃなければ、偉大な発明などできるわけがない。まっすぐで繊細な人が最も恐れるものが裏切り。その逆に、富を得た人の周りには妬みと欲望。いくら信頼できる部下でも、裏切らない保証は一切ありません。そして、その中で生きることもまた、際限ない孤独。

 

コップ1杯の核爆弾で、カリフォルニア州の面積を破壊できる時代。そして、核が最強の破壊テクノロジーである限り、必ずその核を盗み出して取引をしようとする人は現れ、また絶対にいなくなりません。そのうち、世界中が核を持つでしょう。どれだけ軍事力を強化しても、核の力にはかないません。みんなで核開発やめよーよーって行ったところで、一度開発された最強の兵器はなくなりません。人が富を得ることを目的とする限りは。

 

さて、青髭と結婚した娘は、幸せになったでしょうか?なぜ、娘は富を求めたのでしょうか?娘にとって、大事だったのは、幸せをくれる青髭その人だったのか、それとも青髭のお金だったのか?青髭は、青髭その人を求めてくれる妻が欲しかった。娘もきっと、お金よりも、青髭その人が大事だった。でも青髭は、富を持っているがために、その大事な妻を信じることができず、試すことになった。

 

持つ者は、必ず孤独。持つ者は、いつか必ず、失う側になる。そう、青髭のように。何がそうさせるか?それは青髭自身にある、疑いの心です。核を持つものは、自分だけが核を持ちたいと思う。その結果、多くの国が核を持つことになる。そして、自分もますます核を手放せなくなる。そうやって、自らが滅びる方向に向かっていく。

 

青髭は、娘を殺そうとします。でも、絶対に殺したくないはず。そして、逆に、娘を助けにきた銃士たちに殺されます。青髭は、きっと、そこで、何かから、解放されるのでしょう。そして、青髭が背負ってきた重荷を、今度は娘が背負うのでしょう。これが、人間。

人を幸せにするには、お金が必要。でも、お金を持つものは、背負う責務を負い、そして孤独と戦い続けなければならない。自分が幸せになるためには、全てを手放し、そして求めない心が必要でしょう。

 

青髭は、どうすれば、殺さずに、または、死なずに幸せになれたか?この物語での答えは、たった一つだと思います。

 

「信じること」

 

法律とか、契約とか、条約とか、そういった約束で秩序を作ったのが法治国家。でも法は必ず破られる。青髭との約束を娘が破ったように。核開発の合意が常に破られ続けるように。そして、法を破ったものを放置しておくと、法治国家は維持できません。青髭が妻を殺し続けたのと、法治国家による法の執行は、全く異なるとはいえ、根本的となる概念は同じです。

お互い、幸せになるためには、「法」だけでなく「信」が必要です。コンパッションこそが、法の基盤にある信。法は仕組み化されましたが、コンパッションは仕組み化されていません。コンパッションを仕組み化することこそが、世界中が幸せになる鍵だと思います。

 

その仕組み化の大きなヒントが、美しくて強い、柳生新陰流にあるような気がします。

2017-02-05 | Posted in BlogNo Comments » 

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