妻沼聖天山(Menuma Shoden san) / 熊谷(Kumagaya)
妻沼聖天山は斎藤別当実盛公が、庄司として、祖先伝来の御本尊聖天さまを治承三年(1179年)にお祀りしました。実盛公は平家物語、源平盛衰記や謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などに、武勇に優れ、義理人情に厚い人柄が称えられています。
次いで実盛公の次男斎藤六実長が出家して阿請房良応となり、建久八年(1197年)に本坊の歓喜院を開創したとのことです。
御本尊聖天さまは、正しくは大聖歓喜天と称せられ、弘法大師が唐より密教とともに仏法守護神として請来されたから、日本でも祀られ、福運厄除の神として信仰されています。
妻沼聖天さまの御本尊は由緒の正しさでは日本最古の聖天尊像として知られており、特に縁結びの霊験あらたかで、夫婦の縁はもちろんのこと、家内安全・商売繁盛・厄除け開運・交通安全・学業進学などのあらゆる良縁を結んでいただけるので、祈願を篭める人々が後をたたないとのことです。
御本殿は奥殿、相の間、拝殿よりなる廟型式権現造りで、奥殿は八棟づくりです。建造物の各部材、各壁面をすべて彫刻で装飾し、華麗な色彩が施されています。
以下、『国宝 妻沼聖天山「本殿」彫刻解説シリーズ3』より引用
弁財天さまでしょうか、吉祥天さまでしょうか。今まさにさいころの入った壺を振り下ろそうとしています。そばで毘沙門天(多聞天)さまが片肘ついて勝負の行方を見守っています。
毘沙門天さまはいつも天邪鬼を踏みつけているのですが、すごろくの勝負に夢中になってしまい、天邪鬼を踏むのを忘れています。天邪鬼はひさしぶりに解放されてのびのびとしています。
手には主人の毘沙門天さまの持ち物である矛を持っています。そして隣の場面の女神さまにおいでおいでと手を振っています。なんともユーモラスな場面です。』
この御本殿の建築は、幕府作事方棟梁として活躍した平内政信の子孫で妻沼の工匠林兵庫正清の設計によって施工され、その子正信に引き継がれ、宝暦十年に仮屋根・安永八年に完成したものです。
当時の庶民・農民が永年にわたって浄財を出し続け、四十四年かかって完成したとのことです。