蔵の街 (Warehouse Town) / 栃木(Tochigi)

1617年、家康の霊柩が日光山へ改葬され、その後朝廷からの勅使が日光東照宮へ毎年参向するようになりました。その勅使を例幣使ということから、通る道例幣使街道と呼ばれました。栃木はこの街道の宿場町となり、人が集まり、物が集まるようになりました。これが商都としての発展のきっかけになったと言われます。

さらなる発展の原動力となったのは、巴波川の舟運での江戸との交易であったと言われます。江戸から日光御用の荷や塩などが運ばれ、栃木からは木材や農産物などが運ばれました。舟運は江戸の初めから利用され、次第に交易が盛んになり、江戸の終わり頃には栃木の商人達は隆盛を極めたと言われます。その豪商達が白壁土蔵を巴波川の両岸に沿って建てていきました。

栃木市は明治16年まで栃木県庁の所在地でした。

栃木市郷土資料館。質商を営んでいた坂倉家の土蔵と母屋からなる約200年前の建物です。二階部分の松の一本通しの梁など、当時の土蔵の構造を伺い知ることができます。

とちぎ蔵の街観光館。かつての荒物問屋の見世蔵と土蔵群からなり、土蔵群は戦後になり「蔵のアパート」として利用されてきました。現在大通りに面した見世蔵では、観光案内と土産品販売、奥の土蔵群はお食事処と土産品販売を行う蔵の街観光施設として活用されています。

とちぎ山車会館。隔年開催の「とちぎ秋まつり」がデジタル技術を駆使した演出と実物の山車3台で再現され、まつりの迫力と山車のすばらしさを満喫することができます。

とちぎ蔵の街美術館。およそ200年前に建てられた土蔵三棟を改修し、美術館として現代によみがえらせ、栃木市ゆかりの作家の作品を中心に収蔵しています。

塚田歴史伝説館。塚田家は江戸後期から巴波川の舟運を生かし、木材回漕問屋を営んできた豪商で、巴波川沿いに120mに及び巡らされた土塀と白壁土蔵は栃木市を代表する景観となっています。

2016-12-17 | Posted in TochigiNo Comments » 

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