歴史のしがらみ -origin-
私の牧野好和という名前は祖父がつけてくださいました。
好和は、中国読みで「和を好む」からとってくださったとのこと。
英訳すると”Love & peace”だとおっしゃってました。
私は、この名前の意味を知って、自分の名前が大好きになりました。
だから、いつも子供達にも、子供達それぞれの名前の意味を、しつこいくらいに言っています。
さて、祖父は戦前、東京で事業を行っていたそうですが、戦後、
先祖代々牧野のいる愛知県豊川市に戻り、「牧野屋」を開きます。
旧制中学を出てから、横浜の大学に行き、東京で就職。
その後東京で事業を営んでいましたが、戦争の影響で、地元に戻ることになります。
「牧野屋」は末っ子だった父が、
祖父自身や兄達の反対を押し切って、閉店するまで、
細々と続けられました。
祖父に限らず、明治生まれの人は、先祖代々の歴史を重んじます。
祖父は、よく、鎌倉時代からの「牧野」の歴史を詳細に話してくださいました。
そして、私自身、40歳になって、自分の人生を振り返ってみると、
知らず知らずのうちに、「牧野」に守られていることに気がつきました。
そして祖父がよく話をしてくれた「牧野」の歴史は、今も私の中でも
繰り返しています。
「牧野」の歴史に背くことは、私自身、なんども試みているものの、一つもうまくいっていない。
何か強い力が働いて、踏ん張っていないと、「牧野」のルーツに引き戻されてしまう。
これが、歴史のしがらみか、ということを、毎回思います。
さて、印象派は、18世紀に従来の絵画の技法を大きく変え、激しい批判にさらされました。
しかし、印象派は、そもそも歴史を背負った人たちから生まれたと思います。
従来の技法に縛られない、もっとすばらしい「色」を追求すること、
肖像画ではなく風景画を重視すること。
これらは、歴史が背負ったものとの対比があって成り立つ考え方だと思います。
歴史があって生まれた新しい、すばらしい芸術。
そして、印象派の技術は、いつしか主流となり、歴史の一つとなり、次の時代に受け継がれ、
次の新しい芸術は、これらの歴史を背負って、生み出されていきます。
一方、アメリカにはヨーロッパのような強いしがらみを持った歴史がありませんでした。
芸術もインディアンの伝統と広大な荒野から生まれます。
しかし、そこから生まれた新しい芸術が、ヨーロッパの歴史を背負った芸術と融合し、
また新しい歴史を背負った芸術を生み出します。
新しいものは、常にどこかしら歴史に縛られており、
そして世の中に誕生した以上は、歴史を背負っています。
だから、すばらしいものは、世界共通で、常に、すばらしい。
新しい、すばらしいものは、それがたとえどこで誕生しようとも、国境を超えます。
日本で歴史をもった企業の一つ、三菱。
ゼロ戦を製造した三菱が、半世紀以上のブランクを経て、まもなく民間航空機を実用化します。
その一方で、航空機とルーツを同じくする三菱自動車が、経営危機で日産自動車の傘下へ。
自動車業界から三菱のブランドがなくなってしまう可能性も、皆無ではありません。
さて、韓国の現代自動車やマレーシアのプロトンなど、もともとは三菱自動車の技術であることは広く知られています。
さらに、スウェーデンのボルボを買収した中国の吉利自動車をはじめとした、ほとんどの中国の民族系自動車メーカーは、三菱自動車のエンジンを購入して車体を製造するところから事業を開始しました。
アジア各国の販売台数で三菱自動車の名前が上位にあがることはありませんが、
アジア各国での自動車市場の形成において三菱自動車の果たした役割はとても大きいと言えます。
多くの自動車OEMが、まず自社の組み立て工場を設立し、ノックダウンで部品調達をして自社ブランド品の現地生産を始め、徐々に現地調達に切り替えていきながら、現地でサプライチェーンを確立した一方で、三菱自動車は、自社の技術で、アジアで、現地資本の、世界で戦える自動車ブランドの誕生を助けてきました。
これは、トヨタやホンダのような戦後誕生した自動車OEMと違い、三菱という歴史を背負った自動車OEMとしてのしがらみなのでしょう。
日本には、三菱以外にも、歴史を背負った企業がたくさん存在しています。三菱以上の歴史を背負った企業もたくさん存在しており、多くの韓国企業の技術が、戦後、こういった歴史のしがらみを背負った日本企業の技術を起源として誕生してきたことはよく知られています。
数年前は、豊富な資金力を背景にした中国、韓国、台湾の企業が、日本の技術者をヘッドハンティングして技術が流出することが問題となりましたが、最近は以前ほど問題視されなくなりました。
世界に誇る技術をもつ日本企業シャープを台湾企業が買収する時代。
クローズドであることよりもオープンであることの方が今は競争力があるとされます。
もしかしたら、他の国の企業の自立を、積極的に支援した方が、日本の競争力は上がるかも知れません。
世界との交易を確立し、世界中に土着した拠点をもつ三菱商事。三菱商事の現地法人で現地採用されて、政府高官になった人などもいます。三菱商事が果たした役割は、決して日本との貿易だけではありません。
そして、日本で唯一の外為銀行だった横浜正金銀行の流れをくむ東京銀行と合併した三菱東京UFJ銀行。タイのアユタヤ銀行を買収して世間を驚かせました。
もしかしたら、三菱という歴史のしがらみを、今の三菱自動車は体現しているのではないかと思います。
自動車が今後自動運転になっていくことはさけられないでしょう。
自動運転車の意味における、「自動に運転する」という役割は、ほんの一つでしかありません。
自動運転車はつまり、IOT。IOTということは、動くプラットフォームということです。
プラットフォームには、様々なコンテンツが動きます。
運転は、一つのコンテンツに過ぎません。
常にインターネットにつながっている世界が、自動車の中と外で実現し、その動く巨大なプラットフォームにコンテンツを提供する資格は、オープンに与えられるでしょう。
クリス・アンダーソンのメーカーズの世界がいよいよ本格的に実現します。
もしかしたら、音楽とか、地図とか、電話とか、そういった既存のコンテンツ以外のコンテンツが、車という動く居住空間の中で新しく誕生するかも知れません。
そこで、フォードやトヨタなどの歴史と、テスラなど電気自動車の歴史と、
そして電話という通信機器をIoTとしてプラットフォーム化したアップルの歴史と、
グーグルやフェースブックなどのオープンプラットフォームの覇者達の歴史。
これらの歴史が融合して、新しいイノベーションが起こります。それぞれのプレイヤーをみると、このイノベーションの主役はアメリカの企業。主役として市場の形成に参画できる日本企業はごく一部だと思います。
三菱自動車の果たした役割は、大きいと思います。
エンジンの技術を使って、欧米が作った新しい秩序であるIoTとは違う、何か新しい技術が、アジア生まれた時に、ようやく私たちは、歴史のしがらみに気がつくのだと思います。