Altruism
電車に乗って、ある人がご老人に席を譲ります。
この光景はとても美しい。
そして見ている人も気持ちいい。
この行為は伝染します。
その光景を見た、同じように座っていた人は、次は自分の番だとなぜか思います。
なぜか?
それは、恐れを避けるためかも知れません。
自分が「道徳がない人間と思われる」ことに対しての。
それは、喜びを得るためかも知れません。
自分自身が「良いことをした」という喜び。
見ていた人に「道徳がある人」と思われることに対する喜び。
しかし、これは本質ではないと思います。
なぜなら良い行いは、自分自身だけでなく、見ている人まで幸せにするからです。
座っている人が、次は、同じように自分が席を譲ろうと思うのは、
その光景を見ていて気持ち良かったから、その光景を見せてくれた人にありがとうというかわりに、
次は自分も同じことをするように心がけよう、
というのが、本来人間に備わっている本能ではないでしょうか?
大人が子供に「席を譲りなさい」と教えるのは、
席を譲ってもらうべき人のためにそうするのではなく、
席を譲ることによって感じる気持ち良さを子供に教えるため。
自分が気持ちよくなると、相手も気持ちよくなるのは、
あらゆるシーンに共通だと思います。
席を譲った人が、「ありがとう」と言われた時に、
「席を譲った代わりに、○○をください」とか、
「私は××と言います、よく覚えておいてください」とか、
そんな無駄なことは言いません。
でも損をしたとはおもわず、得をしたと思います。
どこで得をしているのでしょうか?
自分の心の中で得をしています。
自分自身がなぜか幸せな気持ちになるという、
めったに得られない形のないものを感じる機会を得たという、
生きている上での最大の得をしています。
かつては、形のないものを、見える人は一部の人の特権でした。
しかし最近は、様々な情報が、人々に形のないものを見せてくれます。
典型的なのは、Facebookのシェア。
こんないいことがあったよ、と発見した人がシェアすると、
実際にその場にいなかった人も、そのシェアを見て気持ちよくなります。
そして、Likeボタンを押して、自分も共感したメンバーの仲間入り。
ついでに、自分もシェアして友人に紹介。
それが、幸せの連鎖反応を起こします。
SNSのSは、Siawase(幸せ)のSでしょう。
幸せと幸せの間にあるNetwork。
ツールは正しい使い方をすれば人を幸せにします。
間違った使い方をすれば人を不幸にします。
どんな人にも、嫉妬とか恨みとか、マイナスの感情があります。
幸せばぼやっとしていて捉えにくいのに対して、
嫉妬や恨みはくっきりしていてわかりやすい。
人は感情に左右される生物だから、幸せな気持ちにも動かされるし、
憎しみの気持ちにも動かされます。
幸せな気持ちに動かされる人が、ある日を境に憎しみに動かされる人に変わります。
憎しみに動かされる人が、ある日を境に幸せに動かされる人に変わります。
この変化をもたらすのは、自分の力だけでなく、他人の力であることも多い。
そもそも人間は一人では生きられない。
だから、幸せな気持ちは、どんどん伝えるべきです。
SelfishとSelfishをつなげるNetworkではなく、
SiawaseとSiawaseをつなげるNetworkが、
ネットでもリアルでも、どんどん広がっていくのが、Compassionだと思います。
Compassionで実現する幸せは、Happiness でもFortuneでもなく、思いやりから生まれる自分自身のSiawaseの連鎖です。