穴 - a gap –
養老孟司さんの『超バカの壁』にこういう一節があります。
「仕事というのは社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分にあった穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。」
私も社会人になって、17年がたちました。振り返って思うのは、がんばったって心から言えるのは、目の前の仕事から逃げなかった時だなって思います。
誰もが目標があります。そして培ってきた努力に基づく自信もあります。だから、自分の目の前に空いている穴を埋めることを、「自分の仕事じゃない」といってやらない言い訳はたくさんあります。
でも、実は、その穴が見えているは、自分だけ。その穴は、社会が自分に対して、埋めることを求めている穴です。そして、自分で埋めて初めて、その先の道が開けます。
私は商社からコンサルティング会社へ、コンサルティング会社からIT企業へ転職しましたが、いずれの転職も、まずやるべきことは、掃除とか、言われたことを徹底的にやることとか、電話をとることとか、誰でもできること。
しかし、社会人を17年も経験していると、その誰でもできることの中にも、自分しか見えない穴が見えてきます。だから見えた穴をせっせと埋める。そうすると、転職した立場とはいえ、ずっとそこで働いている人には見えない穴が見えてきます。
その穴をどうやって埋めるかは、それまで培ってきた自分の考え方だと思います。「世界には、服を着ることもできない人がいる」、という穴を発見した人達がいるとします。
ある人は、募金を募って、服を持たない人に服を送ろう、と考えます。
ある人は、服がかえるようになるように、その地に産業を根付かせよう、と考えます。
ある人は、その人たちでも買えるくらいの安いを服を作ろう、と考えます。
アプローチは様々ですが、自分にできることしかできません。大きな穴が見えていても、埋められないかもしれません。だから、人は、自分が埋めることができる、見えている穴を埋めるために、毎日仕事をする。努力する。
穴を埋め続けた結果、実は、自分にできることは、これだったんだ、とわかります。その時、大きな穴も埋めることができる。大きな穴から目をそらさない限りは。
最初から大きな穴だけを見て、長い道のりで大きな穴を埋め続けてくれている人たちもたくさんいます。
科学技術の進歩はそういう人たちによって成し遂げられてきたと思います。
今、私の前には、社会に存在している穴もあるし、自分がお世話になっている会社の中に存在している穴もある。
まずは、自分ができることから初めて、一つ一つの穴を埋めていきたいな、と思います。
大好きな吉川英治さんの『宮本武蔵』の中で、弟子の伊織の一節
「自分を捨てて、大勢のために考えれば、食物はひとりでに、誰かが与えてくれるのだということを覚えた」