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café

子供の頃、喫茶店が大好きでした。家族みんなで行く喫茶店。

名古屋の祖父母の家に行くと、いとこも一緒に大家族で近くの喫茶店です。名古屋の金山駅から一駅移動した、日比野駅の近くに祖父母の家があり、いつも近くの「たんぽぽ」という喫茶店に行っていました。35年以上も前のことなのに、店のイメージはよく覚えています。

そんな名古屋も、今ではスターバックスなどのチェーン店が多数展開しています。私はスターバックスはあまり好きではありません。喫茶店で入れてもらったコーヒーが一番美味しい。

この前、名古屋出張の際、金山駅から日比野駅の反対側に一駅移動した、東別院の駅に、すてきなスターバックスがありました。

ある雨の日。滅多に行くことのない場所にある、滅多に行くことのない、スターバックス。

なぜか、昔祖父母によく連れて行ってもらった「たんぽぽ」を思い出しました。

美味しい酒は、大好きな仲間と一緒に飲む酒。おいしいコーヒーは、昔の楽しい思い出と飲むコーヒーかもしれないな、と、ふと、思いました。

今回は、急いでいたので、立ち寄ることができませんでした。東別院のスターバックスで飲むコーヒーは、きっと美味しいに違いありません。何時できたのか、何時まであるのか、知りませんが、次近くに行くことがあったら、絶対に立ち寄りたいな、と思いました。

2019-12-08 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Working hours

働くことは、お金を稼ぐことか、成長することか、自己実現をすることか、出会うことか、我慢することか?

マズローの5段階の欲求はこのことに適切な答えを与えてくれます。毎日毎日を、その日に食べるもののために一生懸命働いている方に、理想論は通じません。そして私も含め、ほとんどの人が、食べるために、生きていくために働いていると思います。ほんのわずかの人だけが、社会的欲求とか、承認要求とか、自己実現欲求を持つことができるのだと思います。

しかし、貧しくても、毎日生きるために働いていても、ところどころで、働く喜びを感じます。いや、むしろ、働く喜びはどこにでも存在しています。そしてその、働く喜びは、物事の常とは違って、働く辛さとは裏表の関係にありません。むしろ、働く喜びは、働く辛さを乗り越えた先にやってきて、働く辛さがない場合は、働く喜びはないように思います。つまり、働くことは辛いという土台があって、その上でに働く喜びがある。

毎日、会社に行くのが楽しみという人がいます。それはとても幸せなこと。でも本当に毎日会社に行くのが楽しみならば、それはコンフォータブルということで、あまり働く辛さがないのかも知れません。たまに憂鬱な、いやむしろ常に憂鬱で、自分自身で毎日乗り越えることの先に、本当の意味で楽しいがあるのではないかと思います。

最近、会社に行くのが楽しみです。コンフォータブルになってきているなあ、と思います。環境をかえなければ、働く喜びを得れなくなってしまうような気がします。そんなもったいないことはしたくないと思います。

2019-11-27 | Posted in BlogNo Comments » 

 

sewage

物事には表と裏があります。今、表、と入力しようとしたらパソコンは面と表示しようとします。なるほどな、と思いました。

羊たちの沈黙の話のレクター博士には実在のモデルとなる人がいるという話を昔誰かから教えてもらいました。社会的に尊敬される立場の人で、善い行いをたくさんしている方で、実は裏の顔を持っていた。

それって、誰にでもあることだと思います。100%善人っていうことはあり得ないと思います。毎日罪の意識と戦うのが、生きるってことだと思います。罪の意識を克服することは決してできないと思います。

どんな立派なビルにも、地下があります。地上はきれいでも、地下はきれいではないと思います。むしろ、地上をきれいに保つためには、地下はきたいないと思います。重要なのは、毎日地上で働いている方と、毎日地下で働いている方がいるということ。地上で働いている方は、地下で働いている方のことをご存知でしょうか?見ようとしているでしょうか?地下で働いている方は、地上で働いている方のために働いています。

ヨーロッパでのコレラの大流行は、汚水が原因でした。家庭の排水を、集落から遠くに持っていくことで、コレラの大流行は治りました。その後、汚水は処理されて、害のない水になって川や海に流されるようになりました。まさに技術っていうのは、こういうもののためにあるんだと思います。

毎日、何も考えずに、水をじゃぶじゃぶ流す方もいれば、毎日汚水を処理して、地球環境の破壊からも、病原菌の流行からも守ってくれている方もいます。おそらくどちらも善人。汚水処理は、あらゆる物事のごく一部でしかないと思います。すべての物事には、かならず、表側で働いている人と、裏側で働いている人がいて、裏側で働く人がいないと、表側で働いている人は、働くことができなくなります。

そう考えると、便所掃除は一生続けないといけないな、と思います。

2019-11-26 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Populism

小学校の5年生か、6年生の頃。大変素晴らしい先生が担任の先生でした。個性を尊重してくれます。

宿題は、何をやってもよいというのが宿題でした。そしてその宿題にはかならずすごいボリュームのコメントを手書きで返してくれました。毎週だったか、毎月だったか、クラス新聞を発行してくれます。走るのが苦手だった私と、毎日マラソンを一緒に走ってくれて、その結果私は走るのがすごく得意になりました。テストは100点満点ではなく、場合によっては120点といった点がつきます。記述式で期待以上の答えを記入した場合はボーナスポイントです。

当時の先生は30代でしたが、今43歳の私が同じことをやろうと思っても、絶対出来ないな、と思います。

その先生が重視されていたことは「自発性」。言われてやるのではなく、自分でやりたいと思って取り組め、という教えでした。それまでは、級長はクラスで優秀な子が推薦されるという方式だったのですが、その先生は立候補しか認めません。ある時、誰も立候補しませんでした。そうしたら先生は、くじ引きで級長を決めると言います。くじに当たった子は、クラスでとても大人しい子。でも先生はその子の自発性を特に育てて、半年後には素晴らしい級長になっていました。

そんなクラスだったから、みんな仲良しです。振り返ってみれば、運動も勉強もすごくよく出来たクラスだったんじゃないかな、と思います。でも誰もそんなことを気にするクラスではありませんでした。笑いにあふれたクラスでした。

そして、よく喧嘩がありました。何をやっても喧嘩があったような気がします。私が当事者だった喧嘩だけでも数知れず。でも私は他のクラスメートよりも喧嘩は少ない方だったように思います。みんな、個性を主張するから、衝突が起こるのは必須だったと思います。

クラス会は開かれていません。誰が同じクラスか、あまり記憶にありません。IQが高すぎて政府からみで途中からスイスに行ってしまった女の子が一人いました。遺跡を見るのが好きで、教育委員会から評判になっている友人もいました。モテモテの友人もいました。運動も勉強も抜群で、高校行ってからも野球部のレギュラーで、何やってもかなわない友人もいました。超一流大学いって、都銀入って海外駐在している友人もいました。でも、誰だろうと、みんな対等で、みんなお互いを尊重し合っていたなって思います。

ポピュリズムが今、一つのキーワードとなっています。大衆迎合という言葉からは悪い印象は受けませんが、不寛容とか、排他的な雰囲気があります。そして実際に分断が生まれています。ポピュリズムから、私が感じるのは没個性。自発的に主張することが出来ません。

フランス映画 Le SecretをDVDを借りてみました。近代化の過程で生まれた秘密。発展には犠牲がつきものだったのかも知れません。

でも、自発性と、個性を尊重していれば、喧嘩は怒っても分断は怒らないんじゃないかな、と思います。子供にできるなら、大人にもできるはず。

と、思います。

2019-11-24 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Democracy

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。

生まれた時の身分で人生が決まるのではなく、法の下での平等、機会の平等が実現するようになるまで、人類は長い歴史を必要としました。

努力した者が報われる。素晴らしい響きです。

実際に平等を勝ち取るまでの歴史を知っている人はこの重みを知っています。

エリートと呼ばれる人たちは全体の1%くらいです。だから、1%に選ばれた人たちは、残りの99%の人たちを正しい方向に導くために必死になって勉強し、そして働きました。まさに全体の奉仕者。

努力した者が報われる。その内容に、ほんのちょっとだけ、ニュアンスが変わった内容が含まれるようになりました。完璧な人間がいない以上、こうなるのは避けられないと思います。

誰だって、最低限の生活は維持したいものです。エリートの人も同様です。エリートに選ばれた以上、身を粉にして、自分に犠牲にしてまで、全体のために尽くさなければならないと言うことは決してありません。

努力した者が報われる。かつては、この意味は、努力することによって様々な障壁を乗り越えられるということだったと思います。でも、ほんのちょっとの、とても小さな、「努力した者が得をする」、というニュアンスが、かつての歴史を体験していない人たちの頭をよぎるようになったのだと思います。

1%のエリートは、99%の人のために尽くしているのだから、ほんのちょっとだけ、1%の人が得してもいいんじゃないかと思います。誰もそのことに意義は唱えないでしょう。社会の秩序はそうやって守られる。

むしろ、1%のエリートの方々が、豊かでないと、そもそも誰もエリートに憧れないと思います。そうなると、社会の成長は見込めなくなります。だから1%のエリートの方々には、かっこいいスーツを着ていただいて、美味しいものを食べていただいて、飛行機にはビジネスクラスに乗っていただきたいと思います。それが、結果として、全員がハッピーになることを導くと思います。

でも、1%のエリートが、1%の人のためだけに尽くすようになったら、99%の人にとっては全くいいことがありません。1%の人たちは99%の人たちにとって妬みの対象になり、社会はどんどん分断されていくでしょう。

努力した者が報われる。でも努力しなかった者は報われない。残念ながら、社会は、ほんのちょっとずつ、しかし確実に、その方向に向かっていると思います。

デモクラシーは最悪の政治形態らしい。ただしこれまでに存在した他の形態を除けば。といった発言をチャーチル首相がしていたと思います。第二次世界大戦の時には、おそらく、いつか、このような結果を導くことになるということが、分かっていたのだと思います。

人を正しい方向に導くことができるのは、選ばれた人だけです。選ばれるためには努力をしなければならない。努力をする中で、競争に勝ち続けなければならない。競争に勝者がいれば、必ず敗者がいる。

「努力した者が報われる」と「努力した者だけが報われる」では、意味は100%異なります。努力した者が報われる社会は、過去の歴史の中で高い理想をもった人が勝ち取った成果です。そのこと忘れて、恵まれた環境にあぐらをかいていると、社会は間違った方向に行ってしまいます。

人を正しい方向に導くことができるのは、選ばれた人だけです。社会に矛盾が起こると、選ばれる人の種類が変わってくると思います。ただ、競争に勝つ人が選ばれるのではなく、競争に負けた人が選ばれると、競争に勝った人は、素直に導かれないでしょう。そうすると、対立という結果しか起こりません。過去の歴史を繰り返すのはあまりお利口とは言えません。

競争しないで選ばれた1%の人が、競争をしている99%の人に対して、勝とうと負けようと、正しい方向を教えてあげることが重要だと思います。実際にそれは「対話」という枠組みで実現してきました。その一番大きな組織が、国連。でも国連のような枠組みではそれは実現できませんでした。

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。この動きは、上からではなく、下から起こったのだと思います。戦勝国によって作られたのが国連。国連の考え方は正しいのだと思いますが、上からではエボリューションにもならないと思います。エボリューションもレボリューションも、既存の秩序ではないところから起こるのだと思います。

1%のエリートが残りの99%の人を正しい方向に導くことができなくなったとき、もう1回、昔のような、理想の姿に戻るための仕組みができるのか、それとも、これまでと全く違ったレボリューションが起こるのか?

既存の秩序がズタズタに破壊される前に、そのどちらかが実現するといいなと思います。でもきっと、沖合にまで泳ぎすぎて、もといた海岸に戻る方法はもう、誰も知らないんじゃないかな、と思います。

2019-07-21 | Posted in BlogNo Comments » 

 

incomplete

高校に入ると、日本史と世界史の授業がありました。確か、どちからを選択したような気もしますが、どちらの授業の記憶もあります。世界史の先生はとてもわかりやすく教えてくれて、日本史の先生はとても細かく教えてくれたことを覚えています。

世界史の授業はエジプト文明やメソポタミア文明などから始まり、途中から、ローマ帝国やフランク王国などヨーロッパの歴史と、殷王朝や秦の始皇帝など中国の歴史に分かれて行きました。コロンブスのあたりでヨーロッパと中国以外の歴史が出てきて、マルコポーロのあたりで日本の歴史が世界史に出てきたりしました。

中国史やヨーロッパ史ではなく、世界史という科目だったことに、多くの友達が不思議に思っていたことを覚えています。このあたりで、世界史を追求し出す友達もいて、結局そうやって楽しんでいた友達はいい大学に入って行きました。

社会人になっていろんな国に行くと、世界史の授業で学んだ知識が役に立ちます。そして、各国の博物館に行くと、またちょっと知っていることがあったりして、感動をします。

その一方で、これまでに習ったことっていうのは、ほんの一部だけだったということに気がつきます。大英博物館とか故宮博物館に行けば知っていることに出会うことも多いですが、それでも1日ずっと回っていても、知らないことだらけです。

日本史だって、知らないことだらけなのだから、当たり前と言えば当たり前です。世界史をきちんと学ぼうと思ったら、人生が1万回あっても足りないだろうと思ってしまいます。

なぜ歴史が面白いか?それは様々な人生のロマンを学ぶことができるからだと思います。

紫式部が源氏物語を書いたのは夫の死後。フェルメールも生前は借金に苦しみましたし、ゴッホも夏目漱石も精神的な病に苦しみました。後世に残る偉大な作品を生み出した人は、生前つらい人生を送っている人が多いような気がします。

英雄と呼ばれる人は、ナポレオン・ボナパルトのように、ジェットコースターのような人生を送っている人が多いような気がします。

巨万の富を築いても、ロバート・マクスウェルのように不審な最後を遂げ、死後その名声を失ってしまう方も多いような気がします。

いずれにしても、今、生きているということは、歴史を作っています。日本で生きていれば、日本史の一部を作っているし、日本は世界の中の一つの国である以上は、世界史の一部を作っていることになります。

歴史は、たくさんの人生があつまってできる物語だから、誰一人の人生が欠けても、完全ではありません。そして人類が生きている限り、いつまでったても完成しないのが歴史。歴史という物語には、ハッピーエンドはあり得ないので、ずっと未完成であり続けて欲しいなと思うところです。

歴史が完成しない限りは、何が正しくて、何が間違っているかなんて、過去も現在も未来も、分かるはずがありません。ましてや人様に対して、これが正しいとか、これが間違っているなんて、言うことができるはずがありません。

ただただ、自分の歴史だけは、正しくあろうと、歴史を学び続けるしかないのだと思います。

2019-06-29 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Casual

昨日、社会人になって最初にお世話になった商社の時に同期でかつ、同じ部署だった友人と偶然すれ違いました。

同じ会社の時は、何をやっても絶対勝てなくて、そして、いつも面倒を見てもらっていました。それでも奢ることなく、いつも楽しく、仲間として付き合ってもらっていました。

長い間中国に駐在員として行っていたのですが、もう1年以上前に帰国していたようです。こんな、偶然すれ違うようなシチュエーションをもともと期待していたのですが、やはり、再開してみると、以前よりもさらに巨大な存在に感じました。

お互い用事があり急いでいたので、交わした言葉はほんの一言ずつ。しかし、何年ぶりであっても、わずか数秒、言葉を交わしただけでお互いのことがよく分かるんだなと、感じました。相変わらず先方は巨大で、私はしょぼかったのですが、そんなことは先方は全く気にかけていない様子。「またみんなで集まろうよ」と言われて別れた時、あまりにも嬉しくて、駅まで着くまでの間、泣きっぱなしでした。ばれなかったのが幸いです。

長い間、やる気がでない、腐った気持ちの状態が続いていたのですが、今、パワーがみなぎっています。この5年間の空白を、何としても取り戻してやるぞ、と。5年間サボっていましたが、何も得ていないわけではありません。偉大な人だって、何年も牢屋の中で過ごした中、牢屋の中で過ごした時間を取り戻しています。少なくとも私は牢屋の中でなく、世間の空気を吸って過ごしてきました。すべては気持ち次第。偶然の数秒のすれ違いでスイッチを入れてくれた友人に感謝です。

いつか、偶然のすれ違いで、一人にでもいいから、よい影響を与えられる人間になってやる、と強く思いました。

2019-06-23 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Dent de Lion

たんぽぽの花が咲くと、やがて枯れます。枯れた花には種子が実ります。

風が吹くと、種子は飛び立ちます。ふわふわふわと風にのって飛び立ちます。

そして、降りるべき土地に辿り着き、根を下ろし、再び花を咲かせます。

すべての種子が飛び立つのでしょうか?

おそらく、飛び立たず、咲いていた場所におちて、そこで再び花を咲かせるたんぽぽもあると思います。

たんぽぽの種は、どこに行っても、たんぽぽにしかなりません。でも、きっと、もともとの土地で咲いたたんぽぽはもともとのたんぽぽとそっくりで、違う土地で咲いたたんぽぽは、その土地の土壌の影響を受けて、少し変わるのではないかと思います。

そうやって、たんぽぽは、いろんな土地で生き抜いて、子孫を残していくんだと思います。

たんぽぽが一番幸せな時はいつでしょうか?

飛び立つ時か、それとも、それぞれ違う土地から来た仲間たちと、新しい土地で仲良くたんぽぽの花を咲かせた時か?

きっと、それもそれぞれのたんぽぽによって違うのだと思います。

たんぽぽは、成長する時と、花を咲かせる時はエネルギーを使っていますが、飛び立つ時は他力本願です。風にまかせて、ゆーらゆら。

人にも岐路があります。右に行くか、左に行くか、止まるか、まっすぐ行くか、後ろにさがるか。自分で決める時もあれば、風にまかせて、ゆーらゆらの時もあると思います。自分に決めなければならないという理由はありません。飛び立たなければならない理由もありません。

根を下ろし、花を咲かせること。それが役割ならば、きっと、そうするのだと思います。

そうやって、風にまかせて、たくさんの人に出会って、仲間に囲まれて賑やかな花を咲かせるのも、風にまかせて、一人っきりで、厳しい土地で、ひっそりと、小さいけど、でもたくましい花を咲かせるのも、どっちも素敵だなと思います。

2019-06-15 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Tipping Point

「いつか、ティッピングポイントが来る」と信じて頑張っている人がたくさんいらっしゃると思います。

もしかしたら、そのティッピングポイントは、自社の製品が突然売れ出すティッピングポイントかも知れませんし、芸術作品が評価されるティッピングポイントかも知れませんし、地球温暖化が止まるティッピングポイントかも知れませんし、もしかしたら、シンギュラリティかも知れません。

タバコについては、この10年でたくさんのティッピングポイントがあったと思います。飛行機が禁煙になり、オフィスが禁煙になり、そして今ではなんと、飲食店が禁煙です。どこがティッピングポイントなのかわかりませんが、あっという間に喫煙者が少数派になりました。

ティッピングポイントを目指す上で、広告宣伝の力は強いと思います。広告宣伝の世界では、製品そのものの付加価値よりも話題性の方が影響力があると思います。広告宣伝の力で一斉に普及したとしても、その中身が伴っていなければ、一過性のブームで終わってしまうのだと思います。

「思いやり」のティッピングポイントが世の中に溢れたら素敵だなと思います。最初は落ちているゴミを拾うのは、近所のおばあさんだけだったとしても、そのうちおじいさんが拾い、おばさんが拾い、おじさんが拾い、子供もひろって、みんな拾う。最初はあいさつが一人だけだったとしても、だんだんみんなが引き込まれて、元気よくあいさつするようになる。

体が不自由な人が電車にのったとたん、座っている人全員が一斉に席を譲ろうとする。どこかで地震が起こったら、日本全国から助けに行く。

本当にこんなティッピングポイントがあったら、すごく不思議です。でも、実際に落ちているゴミを拾っている人を毎朝見ますし、大きな声で知らない人でも挨拶している人も毎朝見ますし、席を譲っている人もかなりの頻度でみます。災害ボランティアに仕事を休んで行く人もたくさんいらっしゃいます。実際に、こういった思いやりで溢れた人たちはたくさんいます。

きっと、実際に行動している人は、ティッピングポイントのことなんか考えていないと思います。何かの見返りを求めているわけではなく、誰に認められることを求めているわけでなく、正しいと思うからやっている。そして、自分以外の人が、ゴミを拾ってくれたり、挨拶をしてくれたり、席を譲ってくれたり、ボランティアをしてくれたりしたら、もうそれはとても嬉しいと思います。

人は、社会のティッピングポイントなど関係なしに、その人なりのティッピングポイントを常に超えていれば、幸せな人生を送ることができると思います。

ティピングポイントは目指すものではなく、振り返るものかも知れません。そして、振り返って、幸せだなあと思うことができれば、それが、一番幸せなのだと思います。

2019-06-10 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Censorship

表現の自由は憲法で保障されていて、検閲は禁止されています。誰もが自由に表現活動を行う権利があります。

表現することは個人の尊厳でもあると思います。表現を規制することは、鳥から翼を奪うようなもの。

しかしながら、SNS等での匿名での投稿が過度に個人を攻撃したりします。この攻撃は、間違いなく人を傷つけています。しかも匿名だがら、誰の表現か分からない。攻撃された方は我慢するしかないのでしょうか?

テロリストが、SNSでテロ活動を勧誘します。これは明らかな犯罪行為。このあたりの法律の構成はよくわかりませんが、こういった投稿は、SNSの運営側によって削除されているようです。これは、誰がどう考えても、削除すべきです。直ちに。

SNSの投稿が運営側に削除されるというのは、例えば、ジャーナリストの取材記事が、新聞社に採用されず、翌朝の新聞に掲載されないといったようなものと同じ位置付けなのでしょうか?メディアの媒体は、メディアの運営側なので、運営側が自社の媒体に掲載を認めるかどうかの決定権限を持つのはもっとものような気がします。だから、これは検閲にあたらないと思うので、大いに権限を行使していただき、個人が傷つかないようにして欲しいです。

そのように考えると、SNSの運営側は、人を誹謗中傷するような記事を削除することもできるはずです。むしろ、そういった心無い記事を掲載し続けると、自分たちのメディア媒体としての評判を落とすことになるはずです。しかし、実際はそうはならない。おそらく、SNSの場合は、新聞やテレビとは違って、誰でも自由に表現できることがメリットと思われるので、運営側の主観的な判断で、自由な表現活動を削除してしまうと、逆にSNSの運営側の評判を落とすことになるでしょう。

フェイクニュースは昔から存在していると思いますが、あらゆるニュースが運営側のフィルタを一度通ってから伝わっていた時と、運営側のフィルタを通らずに何でも自由に伝わる今とでは、フェイクニュースの規模が違います。まさに今は、何が本当で何がうそか、インターネットで見ていても全くわかりません。

でも、検閲は禁止されています。運営側も、主観的な判断で、投稿を削除することは簡単にはしないと思います。

どこかで、何かしらのルールが定まるか?それとも、一人ひとりがフェイクニュースに惑わされないように気をつけるか?

とても難しい問題だと思います。

昔から、難しい問題はたくさんありますが、最近はあらゆる問題が難しく、あらゆる問題が規模が大きく、本当に大変だと思います。

2019-06-09 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Be Giver

年間1億円の収入を得ている人が、年間100万円の収入を得ている人の100倍働いているか?というと決してそうではないと思います。むしろ、主婦のような収入を得ていない人こそが、掃除に洗濯に料理にと一番たくさん働いていると思います。

働いた量と収入は必ずしも比例しません。だから世間では仕事は量ではなく質だといいます。

でも、それは果たして本当でしょうか?

実際のところは、「質」というのは不公平さを取り繕うための大義名分のような気がします。

単価の高い仕事も単価の低い仕事もどちらも重要。むしろ単価の低い仕事の方が、世の中にはなくてはならない仕事であることが多いと思います。

よく、2:6:2ということが言われます。上位2割は優秀、真ん中6割は普通、そして下位2割は役立たずみたいな解釈があるようですが、そんなことは絶対ありません。生きている以上はみんな価値があり、働いている以上は誰もが貢献しています。

これもまた、不公平さを取り繕うための大義名分だと思います。

どんな組織にも、この人は10人分働いているな、と思われている人がいます。逆に、この人は、0.1人分しか働いていないな、と思われれている人もいます。しかし、実は10人分働いていると思われている人は、PRがうまい人で、実際はそんな働いていない人かも知れません。0.1人分しか働いていないと思われている人は、実は自分の仕事をすべて人の手柄にしている人かも知れません。

人が頑張った成果を、自分の成果だとPRしている人には、自分の手柄を人の手柄にすることはできないでしょう。また、自分が頑張った成果を、人の手柄にしている人は、人が頑張った成果を、自分の手柄だとPRすることはできないでしょう。そう考えると、どっちもどっちです。

ただ、偏見かも知れませんが、欧米の考え方ではPRが重要。昔の日本の考え方では、PRをするのはあまり望ましいこととはされていなかったように思います。正直言って、べつにどちらでもいいですが。

ただ、人の手柄を自分の手柄にしている人は、単純に成長する機会を失っていると思います。逆に、自分の手柄を人の手柄にしている人は、手柄よりも自分が成長する機会を求めているからそのような行動をとるのだと思います。

同じ環境で、その二人が、何年も一緒に仕事をしたら、一方は高く評価され、一方は低く評価されますが、一方は大きく成長して、一方は全く成長しないんじゃないかなと思います。

昔は、見る人がみたら、過度なPRをしても必ずバレました。でも今は業務が細分化されて専門特化しているので、全くわかりません。というか忙しいのでそこまで手が回らない。

だから、こんな時代だからこそ、楽な方に流れずに、貪欲に成長を求めることが必要だと思います。

人は、食うために学ぶにあらず、学ぶために食うべし。

高野長英は偉大だと思います。

2019-06-08 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Education

子供の頃、道徳の授業がありました。テレビで中学生日記という番組がありました。確か、日曜日のNHKだったと思います。

この二つから本当にたくさんのことを学んだと思います。中学生日記は、たまに見たくなくて目を背ける時がありましたが、その時は母親にすごく怒られました。今は母にそのことを大変感謝しています。

大学を卒業して会社に入ったら、毎日飲み会でした。しかも全部先輩が奢ってくれます。先輩との会話で本当にたくさんのことを学びました。決して説教されていたわけではありません。楽しくお酒を飲んでいただけですが、美術の話とか、歴史の話とか、料理の話とか、遊びの話とか、本当にたくさんの学びと刺激を受けました。

子供の頃の教育で、国語、数学、理科、社会、英語、美術、体育、音楽などありましたが、どれも完全に受け身でした。学校でやったことを覚える。自分から、もっと学びたいと思ったことは一度もありませんでした。テストでいい点をとるために覚える。

でも、道徳の授業では、結構毎回感動して、いろいろ考えました。先輩との飲み会でも、毎回刺激を受けて、教わったことを後でこっそり実践してみたりしました。最初は受け身だったかもしれませんが、まさに学んだことが血となり、肉となりでした。

大学のゼミは受け身ではありませんでした。毎回自分の意見を述べます。今も先生が東京にいらっしゃるスケジュールに合わせて、同窓会が開催されていますが、そこでは自分の意見を述べる人ばかりです。そして、皆さん、大学時代のゼミの経験が、人生に大きな影響を与えています。

国語とか、数学とか、英語とか、理科とか、社会の教育のおかげで、今社会で生きるための最低限の教養を身に着けることができています。すばらしい教育に感謝です。しかし、そこから、能動的に考えることができるようになったのは、道徳とか、大学のゼミとか、社会人になってからの先輩との飲み会のおかげです。

能動的に考えることができるようになったきっかけってすべて、点数がつくものでありません。そして、すべて、教科書があるものでもありません。

すばらしい教育者っていうのは、本に書いてあることを教えるのではなく、自分から学ぼうという姿勢を身につけさせてくれる人なんだろうと思います。私の場合は、家族、大学のゼミの先生、大学卒業して最初に入った会社の先輩。

決して優等生ではありませんが、素晴らしい教育者の方々に出会うことができて、最高の幸せ者だと思います。

さて、そろそろ、今度は自分が教育者にならなければいけない年齢です。本に書いてあること以外に、ちゃんと教えることができるかな。

どれかで考えても、どれだけ頑張っても、まだまだ、大先輩たちにはかないません。当分修行です。

2019-05-26 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Face to Face

昨日はある専門小売業の株主総会に参加させていただきました。

全国区の小売業ですが、発祥の愛知県で株主総会を開催されています。千人近く、株主の方が参加されていたのではないかと感じました。

株主の方は、同時に、店舗を利用している顧客の方でもあります。株主総会では、そういった「顧客」の立場からの意見がほとんどでした。

驚いたのは、創業者である会長が議長を務め、ずっと立ちっぱなしで、「顧客」としてのすべての質問に一つ一つ、大変誠実に回答されていたことです。その姿勢からは、誠心誠意を超えた、一つひとつの意見、それもクレームに近い意見を、普段から本当に大切にしているという姿勢で、大変丁寧に回答されていることを感じました。

もし、これが演技だったら、アカデミー賞の俳優も顔負けです。絶対に演技ではなく、地域の一人ひとりの顧客がいて初めて400億を超える売り上げがあるということに対して、心のそこから敬意を払っていることがわかりました。

そして、子会社の社長と常務を務められている、私よりも若い二人の息子さんたちの大変立派な応答を見て、いったい私は今までどれだけ楽な人生を送ってきたのだろうと感じざるを得ませんでした。息子さんたちのどちらかがいる限りは、この企業は絶対に成長し続けると感じました。

何も知らない、始めて参加した株主総会でここまで強烈な印象を覚えました。やはり、テレビ等でみるのとは全然違うな、と思いました。

経験っていうのは、いろいろありますが、総じて、どれだけFace to Faceで人と向き合ったか、ということだと思います。文章を書く上で、語彙力とか想像力も重要ですが、それに加えて、やはり取材とインタビューがないと、生きた文章にならないと思います。

プログラミングを極めるっていうのも経験ですが、そのプログラミングを生かすためには、そのプログラミングを必要としている人の意見が必要。超一流の知識や技術を持っていても、Face to Faceで向き合った時に、相手の目指している内容がわからないと、その超一流の技術や知識を生かすことができないと思います。

きっと、この小売業の創業者の方にとって、株主総会の場は、わざわざ会場まで熱心に足を運んでくださる株主そして顧客の方と、Face to Faceで向き合う、貴重な場なのでしょう。

私の場合、はお金とか、地位とか、成功に興味ない、経済的にはいわゆる弱者や敗者という立場ですが、姿勢として、将来、あんな素晴らしい人になりたいな、と心のそこから思いました。あの創業社長の方は、今の私の年齢と同じ年齢の時にはすでに事業で成功され、そして株主総会の議長をされていたと思うので、まあ、率直に言って一生たどり着けない領域ですが、その領域を見ることができたのは大変貴重でした。少なくとも、明日から、一つひとつのFace to Faceを、本当に大事にしていこうと、心の底から思いました。

ありがとうございました。

2019-05-25 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Influence People

昨日は勉強会に参加しました。行政、大学教授、医師、民間のパネラーの方々から大変な刺激を受けました。

世の中で働いている中で、圧倒的に多いのは民間企業で働いている人です。民間企業が動けば、世の中が動きますが、民間企業が動かなければ世の中は動きません。

そういった中で、行政の方はどうすれば民間が動くかを必死になって日々考えていると思いますし、大学は正しい方向に進むための知識の裏付けをしてくれていると思いますし、医師や弁護士など専門家の方は、弱者を守る、助けるために専門領域を磨き、追求し、もし間違った方向にあったら、現場でそれを正す方向を導いてくれていると思います。

そして動くのは民間企業。民間企業が追求しているのは利益。行政や大学や専門家と向いている方向が若干違うような気がしますが、でも利益を追求することで、社会は回る。今お金が世界の共通言語だからそうなるのだと思います。

その一方で、お金だけで動いても、うまくはいかない。お金で始まれば、お金で終わるので結局何も残りません。

人を動かすのは、理念、信念、情熱、希望。あるいは恐怖や危機感。いずれにしても、こういったことをきちんと伝えるという行政さらには立法の役割は果てしなく重要です。そして日本は、正義感の強い人々が行政を担っているので成り立っています。

企業が100あれば、100とおりの理念、信念、情熱、希望、あるいは恐怖や危機感があります。それが一つの方向を見ないと、世の中は動きません。

一度破壊して、まっさらにしてしまうとそれができるという考え方も、世界の主流の経済学の一つにはあるようですが、それはたしかにそうですが、それで幸せになる人よりも犠牲になる人の方が多いと思います。

みんなが幸せになるためには、議論、議論、議論。人が動くためには、議論を尽くした末に、お互いの利害を一致させることだと思います。

最近、議論する機会が少なくなってきたな、と思います。議論する機会が少なくなってきたということは、誰かが、どこかで我慢をして、誰かが、どこかで、無理を通しているのだと思います。それをやっていると、右と左の距離がどんどん離れていってしまいます。

2019-05-24 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Sincerity

ピンチはチャンスという方がいます。クレームは神様という人がいます。いろいろとその理由はあるようです。

ピンチをチャンスにできる人は限られていると思います。クレームをきっかけに信頼関係を築ける人は限られていると思います。なぜならば、多くの人はピンチになると尻込みしてしまうし、クレームになると気持ちが逃げてしまうからです。

逆に、ピンチをチャンスにできる人は、毎回、ピンチだろうとなんだろうと、チャンスに変えると思います。クレームをきっかけに信頼関係を築ける人は、クレームがなくても、信頼関係を築くと思います。

その人たちは、何が違うのか?

私はその答えは「誠意」だと思います。ピンチになっても、しっかりとそのピンチを向き合う誠意。クレームを受けても、しっかりとそのクレームに向き合う誠意。とても大変なことですが、チャンスに変える人は、絶対に楽な方に流れません。

誠意には、信念が必要です。例えば、クレームを受けてお詫びに行って、でもあまりにも相手の方が怒っていて会ってくれないこともあると思います。それを、10回でも20回でも、会ってくれるまで足を運ぶことができるか?

人間には、たくさんの言い訳があるので、なかなかできないと思います。でも、チャンスに変える人っていうのは、会ってくれるまで頑張ると思います。なぜならば、誠意は伝えるものだから。

誠実も、誠意も、貫くのは本当に難しいです。でも、どちらも、命がけで貫く価値があると思います。

2019-05-22 | Posted in BlogNo Comments » 

 

To be treated

温暖化が進んでいます。暖かくなれば、水分は蒸発します。蒸発した水分は、いつか雨となって落ちてきます。当然の理屈ですが、その落ち方が、最近は激しいです。

きっと、上空で保持できる水分のキャパを超えているのでしょう。だから無理が生じて、ゲリラ豪雨になったり、強烈な台風になったりする。

体調を崩したら休む必要がありますが、地球は人間がどんどんいじめるので休むことができません。休むためには、ちょっと人間の活動を休止してもらう必要があります。じゃないと、本当に地球が壊れてしまう。

人間は、もっと、もっと、地球を気遣う必要があります。そんなことはみんな、とっくにわかっています。でも、人間が70億人もいると、なかなか足並みが揃いません。既得権益を持っている人はなかなか手放せないので簡単には地球に休んでもらうことができません。

そうすると、地球は、なんとかして休もうとするだろうな、と思います。私もお腹が痛くなったら、お腹をさすります。きっとお腹をさすることで、お腹の中は動いています。水分をたっぷりとります。きっと水分をたっぷりとることで、いろんなものを流してくれます。その時に、もしかしらお腹に住んでいるたくさんの微生物はつらい思いをしているかも知れませんが、ごめんなさいです。私はお腹がいたいのを直さなければならないので。

地球だって、お腹がいたくなったら、さすったり、流したりすると思います。地球に住んでいるたくさんの人間はつらい思いをするかも知れませんが、ごめんなさいです。地球はお腹がいたいのを直さなければならないので。

人間が地球をいじめるのをやめない限りは、地球は自分の身を守るために、ゲリラ豪雨や強烈な台風を続けざるを得ないでしょう。ゲリラ豪雨がなくなるためには、人間の方が、まず変わらなければなりません。

必ず変わることができます。そのためには、今できることを少しずつです。

2019-05-21 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Artificial Intelligence

今、空前のAIブームです。レイ・カーツワイル氏が提唱したシンギュラリティは本当にあるのか、あるとしたら何時訪れるのか?そんなワクワクしつつも、恐怖でありつつも、といった議論が、お茶の間も飲み会の席も賑わしてくれています。

AIについて語るとき、いろんな立場の人がいます。AIのライブラリを使ってAIのアプリケーションをプログラミングしている人もいれば、AIのライブラリを作ってしまう人もいます。AIとは何か?をよく知らないまま、AIだったらこんなことができると論じる人もいれば、AIについて全く関心がないという人もいます。

こういったことは何事においても同じだと思いますが、でもこれらをすべて一括りにして、AIのアルファベット二文字で片付けてしまうのも少し乱暴な気がします。

AIがこれだけ注目されるのは、人間の欲望と結びついているからだと思います。欲望の一つは富。それ以外は支配。このあたりはわかりやすいです。太古の時代より、常に人は支配する側と支配される側に別れていました。織田信長の鉄砲が無敵の武田信玄の騎馬隊を破ったように、最新の道具を使いこなした方が勝ちます。新しい道具が誕生するたびに、人々は支配する側に回るために、必死になってそれを使いこなそうとするのでしょう。

しかし今回のAIブーム。ライブラリを作っているのはグーグルなど大手企業の人達が多いですが、限りなく自由に、のびのびと発明をしているように感じます。そして、全く儲けることを考えていないようなフリーの方が、すごいライブラリを発表していたりします。純粋な好奇心。こういった方々のことをイノベーターと呼ぶのだと思います。

思えば、世の中のあらゆる偉大な発見は、最初は儲けとは違うところから生まれていました。「知への欲求」というのが正しいのでしょうか?だからAIにしても、すごい発見をする人と、そのすごい発見を使って世の中を変える人とは、別々のような気がします。

怖いのは、AIの「知への欲求」を飲み込む力は無限大と思えるほと大きいこと。AIに終わりはないので、イノベーターの方々は、どんどん画期的な発明をしていくような気がします。まだ活用されていない良質なデータがたくさんあります。データがある限りは、無限に新しい技術が生まれそうで、その周りには儲けることを考える賢い方々が群がっていくことになると思います。

AIは、人間の学習によって判断の精度を高めていきます。AIが能動的に判断するならば、それはもはや道具ではありません。

シンギュラリティは起こるか?その答えはわかりませんが、人間に「知への欲求」がある限りは、シンギュラリティが起こるまで、AIの研究開発は続けられるのだと思います。

2019-05-20 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Virtual Reality

鏡を覗くと、正反対の世界があります。鏡の隅っこから斜めに鏡を眺めると、鏡の奥に広い世界があります。

鏡でなくても水面にもいろんなものが映ります。水面に映った逆さ富士などは大変美しい。そう、映るってことは、幻想的です。

映るためには表面が平らでなければなりません。しかし人の目は平らでないのに、人を移すことができます。目の中で反射して立体的に画像を捉えています。そして目が二つあることで、距離感をはかることができています。

鏡は平らですが、奥行きを感じます。つまり、鏡は、立体を捉えることができてないのでしょう。水の表面も平らです。水の表面も立体を捉えることができていないでしょう。鏡の奥行きを立体感をもって捉えることができるのも、目の凄さ。目ってすごい。

しかし人間は、技術によって奥行きのある世界を作り出しました。Virtual Reality。この世界では、平滑性のある鏡も水面もなくても、いや、鏡や水面に映る、被写体すらなくても、幻想の世界を存在させることができます。

幻想の世界は誕生と同時に、ネットワークに伝わる力を与えられています。ネットワークとは、知り合いの知り合いは、知り合いだという意味です。知り合いも、そのまた知り合いも幻想の世界に参加する資格を与えられます。気がつけば、地球の反対側で、幻想の世界でつながっていることもあります。地球の中心を境に、頭の位置は逆になっている人同士が、瞬時に、幻想の世界では同じ方向を向いてコミュニケーションをとることができます。

この世界は、作った世界。でも、その作られた世界の中で、コミュニケーションが発生しています。人と人が愛し合うのも、人と人が憎み合うのもすべてコミュニケーションが必要です。コミュニケーションからは、妬みや嫉妬や欺瞞も生まれますし、コミュニケーションからは、奉仕や慈悲や思いやりや感謝も生まれます。これらの感情は、現実の世界も幻想の世界も同じレベルで存在します。

考えることと現実に存在することは別です。私の理解では、考えることを追求するのが哲学だと思います。だから、我思う、故に我ありなのだと思います。現実に存在することを追求するのが物理学だと思います。だから量子が発見でき、さらにはブラックホールまで撮影できてしまうのだと思います。

幻想の世界では、考えることと現実に存在することが合わせてできてしまいます。その世界では量子は必要なく、重力も必要なく、だからブラックホールも存在しない。必要なのは、ゼロとイチとアイデアです。

幻想の世界の存在感がとても大きくなっています。確かに便利。でも、哲学も物理学もない世界は、なんか物足りないな、と感じます。

2019-05-19 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Competition

昔、新宿に家電量販店がいくつもあることを不思議に思ったことがありました。似たような店が二つもあっても、両方行く客は少ないんじゃないかと。その後、店舗が集積していた方が集客力があることがわかりました。その時の私なりの理解は、新宿に家電量販店が集積するようになったら、今は秋葉原に行っている客もたまには新宿に行くようになるのだろうな、という感じでした。東京の各街の莫大な商圏人口など知る由もなかったし、旗艦店の考え方も知りませんでしたので、どうしても競争を前提で考えるしかありませんでした。

一方で、いまだに、すでにコンビニがあるところに新たなコンビニを出店することについては競争としか思えません。確かに、店舗数が増えればフランチャイザーの売り上げとしては伸びますし、陳列する商品の全体量も増え、配送効率も上がります。しかしすでにファミリーマートが出店しているところにセブンイレブンが出店して、コンビニが2店舗になったところで、地域の顧客の数が倍になるわけではありません。現場ではコンビニ同士での客の奪い合いとなって消耗戦になってしまいます。資本主義的社会の強者と弱者の論理を感じます。

競争とは何か?家電量販店の競合同士が隣り合って立地すること、コンビニが隣り合って立地することの違いは何か?

競争によって、進歩が生まれます。競合相手に負けまいと知恵をしぼることで新たな技術やアイデアが生まれます。大型捕食動物に襲われるリクスがなくなった草食動物がゆっくりと草を食べると、草の根まで食べ尽くして次の草が生えず、草原は砂漠になってしまいます。ビジネスの世界においても、ビジネス環境を維持するためには外部の脅威は不可欠と言えます。そう考えると競争は必然。

ITの技術については、ハッカーとの競争という新たな脅威があります。外部からの侵入を防ぐために二要素認証として顔認証の研究が行われていますが、顔認証の研究が進めば進むほど、それを破る技術もどんどん進んでいきます。これは終わりのない競争。ただ、顔認証技術が発展するためには、それを破る技術の発展も不可欠です。終わりがない競争だからこそ、技術はどんどん発展する。喜ばしいことかもしれません。

核の傘も競争です。すでに地球を何回でも破壊できるだけの核が配備されているにも関わらず、新たな脅威がある限りは、核開発を止めることができません。これも終わりの競争ですが、決して喜ばしいことではありません。

競争は、必要です。競争しないことも必要です。競争をしながら、競争をしないこと。そのためには、循環を受け入れるしかないと思います。栄枯盛衰、盛者必衰の理、形あるものいつか滅びる、戦争と平和。

競争っていうのは結局、プラスマイナスがゼロっていうことだろうな、と思います。

2019-05-18 | Posted in BlogNo Comments » 

 

installment sale

大学に入った時、先輩が車に乗っていました。すごく驚きました。なんと、学生が車に乗ることができるのか?と。大学に行くと、学生用の駐車場があります。大学が山の中なので、車通学が当たり前でした。

そのうち、先輩達が乗っている車の多くが、知り合いから安く譲り受けた中古車であることがわかりました。みんながんばってバイトしてためたお金で車を買っています。

当時は軽自動車、シビック、スターレットといった車に乗っている友人が多かったです。みんな自分の車を愛して大事に乗っていました。海に行ったり、山にいったり、最高に楽しかったなと思います。

社会人になって、新車を買いました。200万円もする車で、とてもそんなお金はありません。しかし、全額ローンで購入することができました。新車は最高です。一度、いい車に乗ると、学生の時のように、車に乗るだけで大満足というわけにはいかず、もっといい車が欲しいと思うようになってしまいます。そして、お金がなくても、借金すれば買うことができてしまう。最高です。

当たり前ですが、借りたお金は返さなければなりません。200万円も借りれば、毎月何万円も返すことになります。新車を買ったときは嬉しいですが、借金が残っている間に、もう次の車が欲しいな、と考えてしまいます。

そして、毎月何万円も返しているということは、その分、生活の質を落とさざるを得ません。高額な車を買ったのだから当たり前です。でも、そうやって、高い買い物をすればするほど、他のところで財布の紐を締めることになります。

車のローンが終わったら、今度は家を買いました。こんどは何千万円という借金です。毎月の返済は何万円ではなく、十万円を超えることになります。その分、生活の質を落とさざるを得ません。給料は上がっていないのに、毎月返済する金額は増えているので、前よりももっと生活の質を落とすことになります。

借金のお金で、夢を買いました。銀行様には大変感謝。60歳すぎても、借金はたっぷり残っていますが、若いうちに家を持てたのは嬉しい。もし借金ができなかったら、今だに自分の家は絶対に持てていません。

銀行は、将来の自分と現在の自分を仲介してくれるのだと思います。そして、保険は、将来の自分を担保してくれる。

でも、先に手に入れてしまうと、既得権になってしまいます。だからどんどん、将来の自分を苦しめることになる。将来の自分にお金を借りていることは、忘れてはいけないな、と思います。

日本は豊かな国です。でもその豊かさの一部は、将来への借金によって成り立っています。MMTといったことが言われていますが、何が真実であったとしても、今、豊かなのは、将来の豊かさを犠牲にしているということは間違いありません。

既得権を主張することよりも、お金を貸してくれている将来の人々への感謝の気持ちを忘れないことの方が、大事だな、と思います。

そのためには、何ができるかな?

少なくとも、木を植えると、木が育ち、二酸化炭素を吸収してくれて、さらに木材として建設資材や紙の原料になってくれるような気がします。今、お金を将来から借りざるを得ないならば、将来のための投資を怠ってはいけないと思います。

2019-05-17 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Fear

新しい国に行くとき、ワクワクします。どんな冒険が待っているだろうと思います。そして、よほどのことがない限りは、楽しい思い出とともに帰ってくることになります。

まだそんなに海外出張をしていないとき、まさか海外で体を壊すなんて考えもしませんでした。しかし、2回目くらいの中国出張で、福州で美味しい海産物を日本と同じ感覚で食べていたら、翌朝大変激しく体調を壊しました。

そのまま病院で入院。予定していたミーティングには当然行けず、しかも顧客が病院にまでお見舞いに来てくれるという、大変なさけない経験をしました。

そこで相当懲りたのですが、これまでの人生、合計3回、海外で体を壊しました。今では相当慎重になっています。

人間、どうしても甘えが出てきます。甘えは身を滅ぼします。

そこで重要なのは恐怖だと思います。例えば、南アフリカとかモザンビークに行くときは、相当脅されました。洪水のタイに行くときも、紛争中のエジプトに行くときも、覚悟を決めていきました。そういう時っていうのは、大抵、何事もありません。体を壊したり、怪我をしたりするのは、むしろ恐怖心がないとき。

もちろん、進んで危ないところに行く必要はないですが、海外に行く場合は、危険なところに覚悟して相当慎重になっていくのと、あまり危険と思われていないところに油断していくのとでは、後者の方が危険だと思います。

恐怖。

この感覚を忘れると、人は怪我をしたり病気になったりしやすくなるのだと思います。

2019-05-14 | Posted in BlogNo Comments » 

 

GAFA

サニブラウン選手が100mで10秒を切りました。桐生選手一人9秒台の場合と、9秒台が二人いる場合では、全然意味が違うと思います。追う方と追われる方。凡人には思いもよらない、とんでもない世界で刺激し合っていくのだと思います。日本の100mは大変楽しみです。いや、100mだけでなく、その他の種目に対する影響も大きいのではないかなと思います。

テニスも、フェデラー選手、ナダル選手、ジョコビッチ選手が黄金時代を築いています。最強の選手がいるときは、必ず最強のライバルがいる。

日本の自動車産業がグローバル市場で高いプレゼンスを発揮しているのは、トヨタだけがすごいのではなく、日産、ホンダ、三菱、マツダの存在が大きいと思います。それだけでなく、デンソーやジャトコやアイシンやパイオニアの存在も大きい。ヤマハの存在も大きい。

開国後日本経済が急速に成長したのも、三井、三菱、住友、安田を中心とした財閥があったからだと思います。

最近言われているGAFAとBATH。アメリカにはグーグル、アップル、フェイスブック、アマゾンがあり、中国には百度、阿里巴巴、騰訊、華為がある。最強の企業には、最強のライバルがある。

日本にとってGAFAやBATHがないということが言われていますが、果たして必要でしょうか?

モビリティは賛成ですが、モビリティには最強のライバルは生まれるでしょうか?あるいはトヨタとソフトバンクはライバルになり得るでしょうか?

GAFAもBATHもIBMもマイクロソフトも、意識しなくていいんじゃないかなと思います。

日本は国土が狭いけど、四季が豊かです。資源はないけど技術があります。その技術はとてつもない発想で、とてつもないアルゴリズムをつくって、全世界をパクッと飲み込むような技術ではなく、豊かな自然とともに生き、そして様々なすり合わせを行なって仕上げるような技術です。

私はその答えは、電池じゃないかなと思います。プラットフォームはビジネスとして美味しいかもしれませんが、それならば美味しいビジネスに興味がある人がやればいいと思います。もし日本に、そういった美味しいビジネスに興味がある人がたくさんになったら、日本の将来は衰退するでしょう。

民間でロケットを飛ばしてしまうすごい人たちがいます。

常に誠実に、人と人との繋がり、感謝と感謝の連鎖でビジネスを作っている人たちがいます。

世界中に困っている人たちがいます。その人たちが気がつかないところで、隠れて誰かがそれを解決していたりします。そういったところで日本の技術は使われています。

GAFAもBATHも、すごいと思いますが、コツコツと頑張っている企業もすごいと思います。日本には最強のコツコツ頑張っている企業があります。そしてコツコツ頑張っているライバルだらけです。間違いなく世界で最強のコツコツ軍団。第2位のドイツを大きく引き離しています。

日本でもし、GAFAに匹敵する企業が生まれたとしても1社か2社。でもコツコツやっている企業は何万とあります。このコツコツやっている企業が電池とかのものづくりで競争を始めたら、それはそれはすごいなと思います。自然に循環する茅葺屋根とかの建築資材で競争を始めたら、それはそれはすごいなと思います。

ユニコーンとかGAFAとかはとりあえずそちらの世界で頑張ってもらって、私たちはみんなでコツコツコツコツと頑張っていたら、きっといいことがあるんじゃないかな、と思います。例え、美味しいところは全部GAFAかBATHに持って行かれたとしても。

2019-05-13 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Honesty

納期が来週の月曜日だったとします。リーダーがメンバーに納期に対応してもらう際に、本当の納期を伝えずに、納期は今週の金曜日と伝えたとします。

これは誠実でしょうか?それとも不誠実でしょうか?

メンバーが最大限努力した結果、金曜日までに仕上がらなかったとします。メンバーは徹夜覚悟でなんとしても土曜日朝までに仕上げると言っています。でもそこまでしなくても、月曜日中には必ず仕上がることがわかっているとします。リーダーは最後まで、納期が本当は月曜日だと言わず、メンバーはがんばって土曜日の朝に仕上げたとします。

これは誠実でしょうか?それとも不誠実でしょうか?

メンバーが本当の納期は月曜日ということが、最後まで分からなければリーダーのとった行動が咎められることはないと思います。メンバーがたとえ、本当の納期が金曜日ではなくて月曜日だと知ったとしても、メンバーは金曜日納期だったら自分たちは間に合っていなかったので、納期を早めに伝えたのはリーダーの一つのマネジメント手法であると、おそらく受け止めると思います。

おそらく、韓非子に従うと、このリーダーのとる行動は正しいのでしょう。メンバーはあくまで権力に従っているだけなので、そのメンバーを刑罰と恩賞によってマネジメントをしていくという考え方にたち、納期を守ることを最優先とした考え方だと思います。

しかし、リーダーが正しい情報を伝えていないという事実は間違いありません。メンバーは、常に正しい情報を伝えるリーダーと、一度でも意図的に間違った情報を伝えたことがあるリーダーのどちらを信頼するのでしょうか?

常に正しい情報を伝えるリーダーは、信じる力を持っている、強いリーダーだと思います。

信じる力を持っているリーダーは、誠実。誠実なリーダーは、メンバーに対してだけでなく、ユーザーに対しても誠実であるはずなので最初から、メンバーに対して「納期は月曜日」と伝えた上で、確実に納期を守るはずです。

信じる力を持っているリーダーが最強と思います。しかし、世の中細分化されて、専門家されて、自分の力も考えも及ばないことがたくさんあり過ぎます。こんな時代に、信じる力を持って、メンバーにもユーザーにも誠実であり続けるのは大変難しい。仕事は常に新しいことへの挑戦であると考えると、すべて誠実であるっていうのは不可能ではないかな、と思います。

だからこそ、人は、誠実を追求するのだと思います。誠実でない自分の弱さを知り、人を信じられない自分の弱さを知り、それを克服しようと、あえて信じて、そして一緒になって汗をかき、一生懸命、誠実であり続けようとするのだと思います。

2019-05-12 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Growth

人は常に成長するか?

答えはイエスであり、ノーだと思います。

体の成長は止まります。おそらく、記憶力とかそういった脳の成長も止まっているのだと思います。

しかし遺伝子は子孫に引き継がれますし、概念や技術は成長を続けます。世の中に文字が生まれた限りは、理論上、事象を文章化することが可能であり、長い時間をかけて作られた歴史は、後世の人は、歴史という勝手な表現で短時間で学ぶことができます。

しかしこれは、人間が勝手に時間という横軸をずっと右に伸ばし続けている結果生まれている考え方だと思います。

現実は、左から右へと時間は進んでいません。人は生まれ、年を取り、最後は天国にいくか、地獄にいくか知りませんが、いずれにしてもいなくなります。永遠の命はあり得ない。地球上のあらゆる生命は、死ぬことによって土に帰り、次の命の源になります。すべては循環している。

左から右へとグラフを伸ばすと、どうしても右肩上がりにしたくなります。これもまた人間が勝手に作った成長という概念のため。成長という考え方からすると、右肩上がりはポジティブで右肩下がりはネガティブです。でもこの考え方自体が、循環型ではありません。

太陽系の図を見ると、大抵、太陽が一番左に描かれていて、地球の左側に金星、右側に火星が描かれています。これを人間の成長という勝手な概念で描くと、地球は太陽からだんだん右側にずれていって、火星の上側を通り抜けて、さらにがんばってその次の木星の上側も通り抜けるのでしょう。

でもそれでは困ります。ちゃんと四季が必要であり、地球も他の惑星と同じように、いや、地球は地球なりの時間で太陽の周りをぐるっと一周しなければなりません。ぐるっと一周することで、地球上の草木は枯れて、次に生まれる命の栄養となります。

いつまでも成長していると、本人が疲れるだけでなく、次の命も生まれません。右肩下がりをネガティブに考えないようにすることも大事じゃないかな、と思います。

私の年収は32歳をピークに右肩下がり、社会的な評価も右肩下がりですが、なんとか生きていますし、途上国の人よりも十分豊かです。たくさんの方に嫌われていますので、存在価値はないと考えてしまいがちですが、道にゴミが落ちていたら拾うようにしているので、少なからず社会の役に立っていると思います。すくなくとも、そう思おうとしています。そう考えたら、貧乏になることは幸せですし、ゴミを拾うことも、自分自身を肯定するうえでは金銭的な対価を得るための労働に匹敵するほど重要なことです。

今日は頑張ったと思って、高級ワインを飲むのも、今日は頑張ったと思って、たこ焼きを買うのも、どっちも幸福です。自分自身がスーパースターになるのも、スーパースターと友達になるのも、スーパースターを遠くから眺めるのもすべて幸福の一つです。

一つひとつの気持ち、一つひとつの出会い、一つひとつの喜びを大事にしていれば、右肩上がりでも右肩下がりでも、幸福はいっぱいあると思います。

成長を目指すのではなく、ぐるぐるっと回っている間に、たくさんの幸せがあることに気がつくことが大切だと思います。

2019-05-11 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Population

マルサスは人口論で、人口の増加に土地が追いつかず食糧が不足することを主張しています。

元アメリカ駐日大使で日本研究家のライシャワー氏「ライシャワーの見た日本」(1967年徳間書店)の第二部の冒頭に『今後数十年間の日本の運命は、農業ではささえきれない人口増加という重荷を、日本の工業が引き続き負担できるかどうか、その能力にかかっている。』と記載されています。

人口の増加は「重荷」。今もグローバル社会では急激に伸びている世界の人口が問題となっています。

しかし今、日本が直面しているのは少子高齢化。人口の減少が大きな課題で移民の方々の力を借りようとしています。

かつては人口の増加を大きな問題として、海外への移民を奨励した国が、依然としてその当時よりもはるかに多い人口がいながらも、人口減少を問題としています。

なぜこうも、正反対になったのか?

その質問に対しては、普通は社会保障の問題だと考えると思います。人口が増える条件で構築した社会保障制度が、人口が減少すると成り立たなくなること、そしてそれが政府の財政を大きく圧迫すること。

しかし、すべての根底に、日本がかつては想定していなかったほどの人口を抱えられるほど社会が発展したということが言えます。

例えば農業一つとっても、化学肥料の発展で1平米あたりの生産性は有機肥料しかなかった時代と比べて飛躍的に向上しました。

プラスチックパッケージの開発、冷凍保存の開発、電子レンジの開発など、鮮度を失わずに美味しい食材を食べることができるようになりました。

グローバリゼーションが進み、発展した工業で外貨を稼ぎ、そして大豆やトウモロコシなどの穀物、さらには肉や魚も安価に輸入できるようになりました。

人口増加に耐えられるようになり、豊かになり、人口が増加。

人口増加している間に化学物質で地球を汚染。

少子高齢化で人口減少。

SDGsが唱えられ、リデュース、リスース、リサイクルの3Rや循環型社会の必要性が誰もが認識し、再生可能エネルギーが普及し、有機農業が見直される。

今、必要なのは、移民を増やして経済水準を保つことなのか、それとも経済水準が下がったとしても、人口増加を問題としていた頃のように自然と共生するか?

あらゆることが、必要必然で、望ましい方向で決まっていくものだと思います。

2019-05-10 | Posted in BlogNo Comments » 

 

The Thucydides Trap

ナイフを磨くのが仕事の人がいたとします。その人は、朝から晩までナイフを磨き続けて50年。果たして、その人よりも、うまくナイフを磨くことができる人はいるでしょうか?きっといないと思います。

50年もナイフを磨き続けるということは、いくらナイフ磨きが好きでも、何回か、「もうやめよう」と思うはずです。でもやめなかった。

50年もナイフを磨き続けたならば、その間に、自分が磨いたナイフよりもさらによく磨かれているナイフに何回も出会っているはずです。その度に、それを越えようと努力をされているはずです。

上記は、勝手な作り話ですが、何事も、一つのことをやり続けるということは、たくさんの壁を乗り越えることだと思います。一つのことをやり続けた人には、必ず、やり続けたそのことだけでなく、たくさんの壁を乗り越えてきたという強みがある。だから一つのことをやり続けた人は、人格者であり実力者であり、尊敬されます。

では、一つのことをやり続けず、様々のことができる人はどうでしょうか?その人は、一つのことをやり続けた人と同じ壁は乗り越えていません。でも、様々なことに挑戦をして、挑戦をするたびにその壁を乗り越えてきたはずです。だから、様々なことに挑戦してきた人は、魅力があり、頼りになります。

では、何をやっても中途半端な人はどうでしょうか?その人は、一つのことをやり続けた人と同じ壁は乗り越えていませんし、様々なことに挑戦してできるようになった人とも同じ壁は乗り越えていません。でも、必ずいろんな壁にはぶち当たってきたと思います。だから、何をやっても中途半端な人は、思いやりが、一緒にいて安らぎを与えてくれます。

これもまた作り話です。でも、人間生きていれば大変だし、誰もが人に必要とされる特性、人に愛される特性を持っています。だから人間に優劣はありません。

しかし、人間には生と死があります。生がある以上、男同士の争いは絶えません。争わなくてよくなるためには、優劣をつけるしかありません。

しかし、優劣をつけると、上に立った人は下に立った人よりいい思いをします。そうすると下に立った人は、必ずいつか上に行こうとします。それを繰り返していると、やはりいつまで立っても競争。

昔も今も、争いだらけです。はじめは石投げだったかも知れませんが、今は核の力の競争です。昔は米俵の数だったかも知れませんが、今は石油とかデータとか通貨とかの競争です。

生と死がある限りは、争いはなくなりません。

でも、争わずに誰に対しても優位に立たずとも、尊敬されている人もたくさんいます。イエス・キリストやブッダもそうだと思います。一休さんもそうだと思います。歌手や画家も、勝手に回りが優劣をつけているだけで、ご本人は自分自身を表現しているときは、他の人に勝つといったことは考えていないと思います。

文化そして思想を交わす交流は、あらゆる人を尊敬する心を醸成します。

相手をよく知り、お互いを尊重すること。隣人を愛すること。それは競争で勝つよりもはるかに尊いことです。

今は、情報が一瞬で伝わる時代。これが、分断の方向に残念ながら向かっていますが、本当は、隣人を愛する方向に向かえるのではないかなと思います。争いのない、本当に平和な世界が作れるのではないかな、と思います。

2019-05-09 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Be proud of

1月に渋谷のBunkamuraに行くと、板東俘虜収容所の世界展がやっていました。

偶然、息子と2人で入ることになりました。娘と一緒に美術館に行ったときは、ペラペラ喋りすぎて娘に嫌がられましたが、息子と一緒に入ったこの展示は、お互い無言。

まず、板東って何だ?と思いました。よく見ると、日本に外国人が捕虜になっているようです。でも捕虜ではなく俘虜と書かれています。しかも、その外国人はドイツ人でたくさんいます。写真に写っている姿は捕虜のイメージとは程遠い。

板東俘虜収容所は第一次世界大戦の時のもののようです。日本がドイツに宣戦布告し、中国の青島要塞に攻撃をしたとのこと。なぜドイツと戦争で青島を攻撃したのかと思ったら、青島はそもそもドイツが清から租借した租借地で、そこでドイツの艦隊が配備されていたようです。

そういえば、初めて中国行ったときは、ビールといえば青島ビールでした。車といえばフォルックスワーゲンというのは、別のストーリーがありますが、青島ビールに関しては、ドイツの植民地だったことと深い関係がありそうです。

さて、この板東俘虜収容所の世界展、ドイツ兵の捕虜と日本人が友達のように仲良く写っている写真だけでなく、すてきな絵葉書や芸術作品も併せて展示されています。いかにも、ドイツ人によって描かれたものというイメージです。それだけでなく、スポーツや、音楽活動も活発に行われていたとのこと。

ドイツ人と、日本人が、楽しそうに写真に写っている理由は、「コレだ」と思いました。お互いの文化交流が、友情を育んだのだと思います。

これができた背景は単純ではないと思います。まずは人。徳島俘虜収容所と板東俘虜収容所の所長を務められていた松江豊壽氏は、『「捕虜に甘い」という警告や非難を陸軍軍部から受けていたが、常に敗者をいたわることを信念として貫いた』とのことです。こういう方がトップだったからこそ、文化交流が実現したと思います。

そして、多数派が日本人、少数派がドイツ人だったこと、ドイツ人の方が捕虜として、敗者側の立場だったことも、重要ではないかと思います。日本人がドイツの捕虜となった場合、同じような形での文化交流は実現しないと思います。もちろん、全く別の形での交流が生まれて、友情が育まれることはあると思いますが、すくなくとも日本のスポーツや日本の音楽をドイツで日本の捕虜が普及するということは、イメージがつきません。

日本にも、世界中の人が学びたいと思う独自の文化がたくさんあります。でも日本人は、これまで学ぶことは熱心でしたが、発信することにはあまり熱心ではありませんでした。

少し前の日経産業新聞に掲載されていましたが、今はやりの、ビィジュアルで学ぶ語学学習アプリで、世界中で一番たくさん学習されているのは日本語だそうです。

板東俘虜収容所は、ユネスコ世界の記録への登録に向けて取り組んでいるとのことです。日本の過去、日本の今、日本の未来に、誇りを持つためにも、そして、世界に、こういった日本の素晴らしい側面を知ってもらうためにも、ぜひ、登録されてほしいと思います。

同じときに、同じ時間に一緒に展示室に入った息子は何を思ったか?

私と全く違うことを思ったかも知れませんが、いずれにしても何かプラスになることを感じたはずです。そしてそれが、教養として、これから生きていく上での糧となってくれるはずです。

こういったことを知る機会があれば、それを学んだ人がまた何かしらの新たな歴史を作ります。偶然立ち入ったBunkamuraで、大変よい展示との出会いでした。

2019-05-07 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Improve

ヨハネスブルグのO.R.Tambo空港に行くと、書店にはネルソン・マンデラ氏に関する書籍がたくさん販売されています。アパルトヘイトの廃止を訴え続けて国家反逆罪で捕らわれの身となり、27年間獄中生活を送り、その後アパルトヘイト撤廃を導き、南アフリカの大統領になりました。

まさに英雄。

では、ネルソン・マンデラ氏が投獄されている間と、出獄した後で、南アフリカの経済はどちらが良かったかというと、投獄されている間の方がよかったようです。そして、その後、南アフリカの経済が持ち直したのは、少なからず欧米の資本の力があるように思います。

歴史は変わります。今の世の中が資本主義である限りは、この先、ずっとネルソン・マンデラ氏が英雄であり続けるかどうかは、誰もわからないと思います。

差別がない時代に生まれ育った人たちは、昔の方々が受けた屈辱を知りません。むしろ、明日食べるものを考えた時、豊かさをもたらしてくれる人を支持することになると思います。それはそれで重要なこと。

でも、同じ過ちを繰り返すことは避けなければなりません。

ネルソン・マンデラ氏、そして南アフリカの黒人の方々が、誰のために、何のために戦ったのか、それを、黒人も、白人も、黄色人種も、みんなきちんと勉強をしておくことが、悲劇を繰り返さないために重要だと思います。

歴史は変わります。正義が悪になり、悪が正義になります。幕末の歴史がいろいろと話題になることが多いです。レーガノミクスは成功か失敗か?歴史からは、真実はなかなかわかりません。明らかなのは歴史に「もしも」はないということ。

個人のレベルもそうだと思います。常に今を受け入れ、同じ過ちを繰り返さないこと以外に、答えはないと思います。

明日のご飯が食べられるのも、厳しい上司や、厳しいお客様のおかげです。アパルトヘイトほど迫害されていないし、27年間も牢屋にはいっていないことを考えると、超幸せ者です。その状況で、信念を貫いた、ネルソン・マンデラ氏は、本当にすごいなあと思います。

歴史は変わります。勝った者が歴史を作ります。それは仕方がないこと。でも、生きている時代を知っている人は、自分の力で、真実を学びます。それが、大切なこと。

未来は変わります。どんな未来であっても、それは、自分自身で作ります。歴史を学び、自分の力で真実を学び、自分自身をKeep Improving していきたいな、と思います。

2019-05-06 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Green

今日の天気は最高でした。朝は肌寒く、昼は暑く、でもカラッとしていて心地よく。ただその気持ち良さを何倍もにしてくれるのが、新緑と花。ツツジは今が満開なのでしょうか?競うように、あちらこちらのツツジの木が街を彩ってくれています。

芸術は人に安らぎを与えてくれます。私の勝手な趣味ですが、芸術の中でも絵と文学が得に好きです。絵を見たときの感動、そしてまた見たいと思う強い気持ち。これはどこから来るのでしょうか?文学を読みだしたら、止まることができないこの衝動。何が、そうさせているのでしょうか?

絵は、画家の魂そのものを表していると思います。魂だから、見た瞬間に引き込まれてしまうのだと思います。文学は、作者の人生そのものを表していると思います。人生そのものだから、止まらないのだと思います。

今日の天気が最高なのはなぜか?きっと、今日だけだから、今だけだからだと思います。今日の新緑は、今日だけ。今日のツツジも今日だけ。一瞬の輝き、いろんな場所で生まれて、最高のハーモニーを奏でていたのが、今日という1日だったと思います。

こんな素晴らしい日があるから、厳しい冬があっても、人は我慢できるのだと思います。素晴らしい絵をもう一回見るために、人は、限界よりも、もう少しだけ頑張ろうと思うのだと思います。そうやって、毎日を一生懸命過ごしてきた人の中から、素晴らしい文学が生まれているのだと思います。

新緑は、すべての原点だな。と思います。



2019-05-05 | Posted in BlogNo Comments » 

 

café

高校時代、一人で各地に旅行することが好きな友人がいました。どこに行ったと言っていたのか、全く記憶にありませんが、目的地にいくたびに、喫茶店に行くと言っていたことだけは覚えています。

その時に、「一人で喫茶店に行くなんて、勇気があるな」と思った記憶があります。

コンサルタントをしている時、急ぎでよく喫茶店で仕事をさせていただきました。何も考えずに、喫茶店に入って、パソコンを広げて、たまに店員さんに怒られました。その時は仕事のことしか考えていないので、他のお客さんのこととか全く考えていなくて、なぜ店員さんに怒られるのかもわからず、嫌な思いをしました。今思えば、店員さんはもっと嫌な思いをしていたと思いますし、他のお客さんも嫌な思いをしていたと思うので、申し訳なく思いますし、勇気のある店員さんだなあと思います。申し訳ございません。

今は、喫茶店が素敵なところだということがわかります。遅すぎですが。

喫茶店にはたくさんのドラマがあります。店員さんが地域のことを教えてくれることもあります。一緒に入った人と、何気なくゆっくり話をすることもあるし、しっかりと仕事の話をすることもあるし、急いでコーヒーを飲むこともあるし、どんな時でも、喫茶店の時間は楽しい。

そういえば、子供の頃、よく家族で喫茶店に連れて行ってもらいました。たまに父親が喫茶店行くぞと誘ってくれて、行ったら長時間説教されて、という辛い思い出もありますが、でも家族でいった喫茶店は楽しい思い出です。

今朝、NHKラジオをつけたら、高知県の喫茶店の話をされていました。とても素敵な話でした。

喫茶店は日本全国にあって、日本全国の喫茶店でそれぞれの時間が流れていて、それぞれのドラマが生まれています。とても素敵だな、と思います。

43歳にして、ようやく、高校時代の友人が、なぜ喫茶店によく行っていたのか、分かりました。彼は映画監督になるのが夢でした。きっと、素敵なドラマを作ってくれていると思います。

2019-05-04 | Posted in BlogNo Comments » 

 

petit à petit

ローマは1日して成らずと言われます。栄華を極めたローマ帝国。その繁栄までに何百年という歳月を要しました。このことわざは、大きなことを成し遂げるには時間がかかるということを意味していると思います。

全く逆の観点からは、ローマが繁栄したのは、何百年という歳月をかけて作り上げてきたからとも言えます。もしローマが1日で帝国になっていたら、もし繁栄しても一発屋で、あっという間に滅んでしまったでしょう。

それほど繁栄したローマ帝国も、いつかは滅びます。滅んだ原因は、後からいろいろと理由を見つけることができるのでしょうが、結局、それらの理由がすべてなかったとしても、いつかは滅びると思います。永遠の繁栄はあり得ません。

ただし、こんな勝手なことを言っていると、人類もいつか滅びるということになってしまいます。石器時代と比べると現代は間違いなく繁栄しています。永遠の繁栄はあり得ません。だからいつか滅びる。いやいやちょっと待ってください、子供や孫たちはどうなる?という話になってしまいます。

だからこそ、なぜローマが滅びたのかを、後からいろいろと理由を見つけることが大切だと思います。現代の繁栄を、核戦争で一瞬で終わらせるのか、それとも繁栄しすぎた反省から、少しずつ昔のような自然と共生していた時代に戻るのか、それともまだまだ道半ばとして、さらなる繁栄を目指し続けて、地球環境を破壊しまくって、手遅れになってから気がつくのか?

おそらく、歴史には、たくさんの答えがあると思います。

破壊の後に再生があるのも確か。ノアの箱船のような考え方を持ってしまう人もいるかも知れません。しかし70億人も人口がいるのだから、箱船に乗る人を選別するのは簡単ではありません。箱船に乗るべき人ほど、箱船に乗らないのだろうなと思います。

「ローマは1日にして成らず」。

その教訓は、最後まで繁栄しないのが一番よい。ということなんじゃないかな、と思います。腹が減っていれば、腹を満たしたいと思いますが、腹が膨らむと、次の欲望が芽生えます。人間は食べることと子孫を残すこと以外にも、様々な欲求を持っているので、欲求を満たせば、どうせ次の欲求が生まれます。

一歩進んで三歩下がって、また一歩進めたことを感謝する。

これが、「ローマは1日にして成らず」の経験から、私たちが実践しなければならないことなのではないかな、と思います。

2019-05-03 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Succeed

Succeedという言葉には、成功するという意味とあとを継ぐという意味があります。

英語には、日本語のように文字自体が意味を持つことはありませんが、この言葉を見ていると、CCと二つ、EEと二つ、それぞれ続いていて、なんとなく後ろに引き継がれていくような感覚を持ちます。もっともそんなことを考えるのは中国人と日本人くらいでしょうが。

日経コンピュータの1年くらい前の記事に、これまでに一人の人物が世界一の大富豪と、時価総額最大企業のCEOを兼ねることは困難で、何年もの間世界一の大富豪だったビル・ゲイツ氏でさえも、CEO在任中はマイクロソフトを時価総額世界一にすることはできなかったことが記載されています。そしてジェフ・ベソス氏が、それを実現するということも。

Successになると、eが一つ減り、sが二つつきます。なんとなく、ssでキュキュっと止まろうとしているようなイメージを持ってしまうのは私だけでしょうか?Sucessiveとか、successorには、連続するとか、後継者とか、引き継いでいくことを意味としてもっていますが、sucessだけになると、どうしても成功の意味合いが強くなり、それも、結果としての成功でなんとなく終わってしまった感じを受けます。

今年、アマゾンが時価総額世界一になり、実際にジェフ・ベソス氏は世界一の大富豪と世界一の大企業のCEOを兼ねることを実現しました。Sucessなのが、それともSucceedingなのか?

ジェフ・ベソス氏を見ていると、全くSuccessとは思っていないように感じます。きっと次の挑戦の一つに過ぎないと思います。では、ジェフ・ベソス氏の後継者は誰か?

誰もが誰かから、何かを学んでいます。誰もが誰かに、何かを教えています。私は父と母から学んだことを息子と娘に教えています。私も弟たちも父の会社を継ぎませんでしたが、父の教えを継いでいます。父は祖父の会社を継ぎませんでしたが、きっと祖父の教えを継いでいたはずです。弟たちはそれぞれ独立していますが、弟たちの子供たちも、それぞれ弟たちの教えを継いでいくと思います。この流れからすると、それぞれが立ち上げた会社はいつまでたっても大きくならないけど、教えだけは、網の目のように、子供たち、孫たち、ひ孫たちへと幅広く広がって、引き継がれていくのだろうなと思います。

弟家族と一緒に食事をしました。弟の子供たちも全員立派な大人です。親からだけでなく、ジェフ・ベソス氏のような人からも自らの感性で、それぞれなりに教えを引き継いでいくのだろうなと感じました。

私には、人様に偉そうなことを言えるような経験も実績も、財産も一切ありませんが、Succeedできることは何かしらあるはずですので、しっかりとSucceedしていかなければならないな、と、故郷で地域社会で、地域文化のSucceedにも取り組んでいる弟の話を聞いて、思いました。

2019-05-02 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Attraction

「盆と正月が一度にやってきた」という言葉があります。これはとても幸せな出来事があった時に使うと思います。

なぜ盆が幸せか?正月が幸せか? みんなが集まるからだと思います。みんなが集まって、騒いで楽しむことほど、幸せなことはありません。

移動が便利になった今ならば、自分の住む街で、盆や正月を訪れるのを、じっと待つよりも、エキサイティングな場所に出かけていけば、そこには人がいて、飲んで、歌って、踊ることができます。

だったら、最初から、大都市に住んだら、毎日が盆と正月です。ただ、毎日が盆と正月だと、これは当たり前になってしまい、ありがたみが薄れてしまいます。

大都市集中とか、地方の衰退とか言われていますが、衰退しているのはもしかしたら都市ではなく、私たちの心なのではないかと思います。盆や正月にみんなで集まって騒ぐために、日々頑張る。これをしていれば、心は豊かだと思います。

地元に住んで、地元の人々と触れ合って、地元の産物を食べる。昔の人にとって当たり前だったかもしれませんが、私には全くできていないなと思います。

地元の魅力、今、住んでいるところの魅力、かつて住んでいたところの魅力。探せばいっぱいあると思います。

まだまだ行ってないところもたくさんあって、もっともっといろんな所にも行きたいし、いろんなものを食べて、いろんな人にあって、毎日エキサイティングな経験もしたいですが、まずは目の前にあるものをしっかりと見つめて、感謝して、一つ一つの魅力を大事にしないと、いつまでたっても心が豊かになれないな、と思いました。

2019-05-01 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Due Date

仕事をする上で、誰もが向き合うことになる期限。それは敵です。偉大なる敵。守ることができなければ仕事を失うことになるかも知れません。

Deliveryにしても、Paymentにしても、私の場合、期日からスタートです。期日がゴールであることはあまりありません。執筆も催促されてからネタを考えます。住宅ローンも家を買うと決めてからすべて決まりました。原稿がすでにできているから期日前に提出とか、キャッシュがあるから家を買おうっていうことができる人は本当に羨ましい。

私のように、期日がゴールではなくスタートの人間は、必ず誰かに迷惑をかけています。自分も毎回、期日に間に合うかどうか、ハラハラします。だったら、執筆なんかしなければ良いのに、家なんか買わなければよいのに。

そう考えると、自分は期日がなければ何もしない人間だということがよくわかります。だったら、期日を設定しまくって、自分を追い込んで行けば、どんどん新しいことに挑戦して、成長ができるかも知れません。

実際に、昔は誰もがそうだったと思います。翌日宿題を提出しないと先生に怒られるから家で勉強する。中間テストとか期末テストがあるから家で勉強する。大学受験があるから家で勉強する。

社会人になると、この期日が個人によってバラバラになります。長期にわたる大型プロジェクトで数年先の期日に挑んでいる方もいれば、毎日毎日が小さな期日の繰り返しの方もいらっしゃると思います。

期日とは、挑戦。

期日とは、約束。そして信頼を得る大いなるチャンス。

もし、期日がないものに取り組んでいたら、期日を自ら設定していきたいと思います。それが、自分が成長する唯一の方法のような気がします。

だから、健康と、体力と、精神力を鍛えることがとても大切だな、と思います。

2019-04-30 | Posted in BlogNo Comments » 

 

climb

山に登ってきました。山を下る際、岩ですべって転びました。久しぶりに怪我をしました。

山を登るときは必死。結構つらいです。でも、ゴールがあるから頑張れる。ゴールを目指し頑張っているときは、いろんなものに気がつきます。他にも頑張って登っている人がいること、綺麗な花が咲いていることとか。

一方、下るときにはあまり「頑張る」という感情はありません。感情としては帰り道。明らかに登りよりも油断しています。山は下るときほど、気を引き締めなければならないということを思い知りました。

ビジネスも同じかなと思います。ずっと成長し続けるなんていうことはあり得ません。山もあれば、谷もある。谷のときほど、気をつけなければなりません。下りで怪我をすると、2度と登れないかも知れません。

ずっと登り続ける企業っていうのは、相当高い山をのぼっているんだろうなと思います。相当高い山は誰でも登れるものではありません。まず「登ろう」と思う人も少ない。「登ろう」と決めて、登り始められるほど簡単でもありません。登る前に入念な準備とプランが必要です。そして一旦登ったら、下るのも大変。

高い山に登るためには、小さい山を登って下ってを練習することが必要だと思います。登る前の恐怖との戦いと下る際の油断との戦いを繰り返し、高い山に登れるようになるのだと思います。大企業になるのも、まずは中小企業から。中小企業として自らを鍛えた企業が、大企業への高い山を登ることができると思います。そうやって鍛えた企業は、高い山から下る際の方法も知っている。下った後で、次の山に登る際、また高い山を目指せるのだと思います。

テクノロジーの発展で、ロープウェイのように簡単に高い山に登れる企業が出てくるかも知れません。そういう企業は、高い山でいい景色を見た後、どうするのでしょうか?慎重に、慎重に、山から降りないと、怪我します。21世紀に入ってから誕生して、急成長した企業は、山からの降り方をあまり知らないんじゃないかな、と思います。でも、降りなければ、次の山には絶対に登れません。

これからどんな人生を送るにしても、山の降り方をちゃんと勉強しようと、怪我をしたことで思い知りました。

2019-04-29 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Sales

営業とは、製品を売ることです。

かつては、訪問販売とか、飛び込み営業とかそういった形態があり、営業といえば、戦士のようなイメージでした。将棋でいえば最前線で戦う「歩」。営業が仕事を取ってこなければ、会社は回りません。

しかし今、訪問販売や飛び込み営業といったことはメッキリ減りました。その代わりに「マーケティング」というアメリカ型の考え方が普及して、営業は飛び込むよりもクロージングすることが役割となり、そのために顧客との関係を創造することが重要なテクニックとなりました。

形は変わっても、戦士としての営業に求められるのは常に数字です。そしてその数字が収入に跳ね返ってきます。営業は休みなく結果を追求する。

売れる営業マンの特徴は、数字をあげていること。そのことは共通していると思います。一方で、売れる営業マンがガムシャラに働いているかというと、必ずしもそうではないと思います。

営業マンにとってはトークが武器。でも売れる営業マンが話がうまいかというと、必ずしもそうではありません。売れる営業マンがよくしゃべるかというと、必ずしもそうではありません。

営業マンにとっては製品を買ってくれるお客様は神様。でも、売れる営業マンが、客にところにせっせと足を運んでいるかというとそうではありません。売れる営業マンが顧客の接待をしたり、必死になっておべんちゃらを言っているかというとそうではありません。むしろその逆。

売れる営業マンは、何をしているでしょうか?何を考えているでしょうか?

それはたった一つのこと。

顧客が何をしたいか?を考え、その顧客が何をしたいか?を、自分の商品で実現する方法を追求しています。

売れる営業マンは、自分のことはあまり喋りません。その代わり、よく聞きます。顧客から情報を引き出します。なぜならば、その情報に、自分が探す答えのヒントがあるからです。

売れる営業マンは、引き出した情報の中に、「顧客がこうしたい」という情報が含まれていても、その通りにはしません。見えているものを実現するのは営業の仕事ではありません。顧客自身が気が付いていないことを、顧客の代わりに発見して、それを実現するのが営業の仕事。顧客自身が分かっているニーズを実現することは、自分以外でもできると思っています。

AIがどれだけ普及しても、営業の仕事はなくならないのではないかな、と思います。AIは、「顧客がこれをしたい」と、教えてくれるようになるかもしれませんが、顧客の潜在ニーズを気づかせて、それを実現するような、全体のプロデュースはできないと思います。

優秀な営業マンがAIを使いこなすようになったら、売れる営業マンと売れない営業マンとの差はものすごく大きくなるな、と思います。


2019-04-28 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Social Security System

今の日本の社会保障制度は人口が増加する時代に作られたものです。人口が増加する中、多数派の働く世代が、少数派の高齢者を支える仕組み。

しかしながら2010年頃をピークに今後日本の人口は減少する時代になっています。

昭和に高度成長期を迎え、団塊世代、団塊ジュニア世代と人口増加を支えてきました。人口右肩上がりが昭和。そして平成の間にピークを迎え、令和は人口右肩下がりとなります。

人口右肩上がりの時代、人口ピラミッドがきれいな形の時に作られた社会保障制度が、人口右肩下がりの時代、人口ピラミッドが逆さまの方になっている時代に適応できるはずがありません。

人口右肩あがりの時代は、権力を中央に集権させて、中央から配分することが理想でした。保険と年金は国によって担われてきました。人口右肩下がりの時代では、権力を地方に分散させて、地方で自律的に運営させることが必要となるでしょう。

地方に分散させることで、地方行政と、地域企業が密接に連携しながら、地域社会を支える仕組みが実現できます。地域住民の健康と、地域社会の環境保護、エネルギー調達を含むインフラ整備を、地域の企業のサービスを活用しながら地域の行政がサポートしていきます。

地域の格差が広がるでしょう。地域サービスが潤うようになるために、地方はさらに観光に力を入れるようになるでしょう。

そういった時代では、都市部の魅力だけでなく、頑張っている地方行政の魅力が発信されるようになります。

戦国時代に近くなるかもしれません。江戸で実現した中央集権が、明治、大正、昭和、平成を経て、令和で変化を遂げるかもしれません。しかしそれでは政治は成り立ちません。諸外国の軍事的脅威に対抗するためには中央の主権を強化することが重要です。

地方分権と参勤交代による中央の指導力。そんな江戸時代の仕組みも参考になるかもしれません。変わらなければならないことだけは確か。どう変わればよいのか、答えがありません。令和で、政府がどのような社会を実現していくのか、大変楽しみです。

2019-04-27 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Vice Versa

AI技術がすごい勢いで発展しています。私たちが身近に感じるのAIの経済的な活用ですが、AIは軍事面でも当然活用ができ、見えないところでもAIを活用した開発競争が繰り広げられています。

シンギュラリティという言葉があり、現実にそれが訪れるか否かといった議論もありますが、旧石器時代より人間は道具を使う生き物であり、道具を使いこなした人間が他の人間を支配してきたことを考えると、シンギュラリティを考える前に、悪い人間がAIを使いこなすことに対する対策を考えた方が良さそうです。

多くの技術が、軍事的に使われることで発展をしてきました。火薬も原子力もそもそもは人々の生活を豊かにするために開発されたにもかかわらず、多くの人の命を奪う兵器として活用されてきました。

AIもきっと、そうなります。悪いAIと、良いAIと、AIを使いこなす良い人間と、AIを使いこなす悪い人間。おそらく最初の脅威は、AIを使いこなす悪い人間だと思います。

スティーブン・キング著の「スタンド」では、良い人間と悪い人間が分かれて戦います。正しいものが勝つのではなく、勝つものが正しい。歴史は繰り返します。

裕福な人の暮らしは、貧しい人の労働によって支えられています。裕福な国の経済は、貧しい国の人の生産活動によって支えられています。人ができる生産は限られている。それにもかかわらず、富む人と貧しい人が存在するのは、善意の顔をした搾取の構造が構築されているからです。でも搾取の構造は長くは続きません。努力は必ず報われる。

搾取があまりにも長く続くと、いずれ恨みが生まれます。AIの技術は既存の秩序を覆すほどの可能性を秘めています。

「スタンド」では、悪の支配をかろうじて神が救います。

AIの技術が進めば進むほど、支配的な力を持つのは、AIを活用する「悪い人間」でしょう。AIを活用する「良い人間」は、AIの力を自分の力として使うのではなく、地球環境の保護や格差の是正など、人類全体の繁栄のための力として使うので、私利私欲を目的とした搾取構造を作るために、AIを使う「悪い人間」に対して、「力」で勝てるはずがありません。

「力」で勝てないとわかっていても、AIの力を「善」のために使い、決して「悪」のために使わないと言い切れるかどうか?

「善人」であり続けるためには、神を信じる他ありません。信じ続けたいと思います。

2019-04-26 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Construction

すてきな喫茶店にあった机です。

立ったり座ったり、高さを自由に調整できるようです。木の色もすてきです。

新らしい雰囲気で仕事をすると新しいアイデアも生まれます。

さて、文章を作っていると、最初に書こうとした内容とは全く違う内容で完成することがよくあります。メールを描く場合はほとんどそういったことはないのですが、コラムや物語を書く場合はに、全く違う内容になることが多いと思います。

出来上がっているものを文書にする場合と、文字を作って何かを作り上げる場合では、脳の仕組みが違うのではないかなと感じます。特に、コラムや物語を書くときは、自分以外の何かが、「こう書け」と言っているような気がします。

これは仕事も同じだと思います。一人でやる仕事には限界がある。ただし、人数が増えれば、仕事がうまくいくというわけではありません。もちろん、できあがった仕事は分業によって効率が上がりますが、新しい仕事を一つ立ち上げるには、一人でやり切らなければならないと思います。

でも、最初から最後まで、一人で完遂することと、たった一人で全部やることは違う。一人で完遂したとしても、多くの人のアドバイスをもらってやる場合と、最初から最後まで誰のアドバイスも聞かずにやる場合では、全然結果が異なります。手を動かすのは一人でも、その完成までに多くの人が関われば関わるほど、うまく行く確率は高くなると思います。

「こう書け」という声に、素直に従うと、自分が思っていた内容と全く違う内容になりますが、それでも結果としてよい物語になる。「こうやれ」という声に、素直に従うと、自分が思っていた内容と全く違う内容になりますが、それでも結果としてよい仕事いなる。

物語をつくるのも、仕事を立ち上げるのも、魂を吹き込むということだと思います。生まれた時には誰もが一つの細胞です。その細胞が、分裂を繰り返して、人間の体になります。一つの細胞から分裂していくのに、ある細胞は髪の毛になり、ある細胞は心臓になります。偶然ではなく、人間は皆同じ。でも髪の毛の質も心臓の大きさも、千差万別です。

DNAには、髪になったり、心臓になったりというプログラムと、髪の毛の質や心臓の大きさを決めたりという遺伝子が組み込まれています。プログラムは正確に実行されますが、どのような人生を過ごすのかはDNAには組み込まれていません。きっと、青い鳥が運んできてくれた魂が、どのような人生を過ごすかを決めてくれます。

物語にしても、仕事にしても、構図とか、モデルとか、仕組みは存在します。でも出来上がったものに、どんな魂が吹き込まれているかどうかが一番重要。魂を鍛えてくれるのが、経験・知識、そして仲間だと思います。

何をやるにしても、しっかりと魂を吹き込んでいきたいものです。

2019-01-14 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Theory

シャノンがブール代数の真・偽をスイッチのオン・オフに対応させ、チューリングがほぼ同時期にその原理を用いた計算機を開発しました。その後戦後になって、ノイマンが、その機能を入力、記憶、制御、演算、出力といった形で構造化して、コンピュータの基礎を築きました。

間違っているかもしれませんが、0と1からなる2進数を用いて大量のデータを瞬時に処理することができるようになったのは、19世紀のブール代数という理論が基礎になっています。

昨日の朝日新聞の折々のことばで取り上げられた坂口安吾氏の「限度。学問とは限度の発見にあるのだよ。」という内容。『原子爆弾という、人間の制御を超える装置を発明をするのは学問ではない。「子供の遊び」だと作家は言う。」とあります。

誰かが理論を考えて、様々な人がその理論を応用して実践する。そして世紀をまたいで、誰かが実用化する。実用化の最初の段階は市場と結びついていませんが、いつかどこかの段階で、画期的な技術が誕生し、消費者のニーズを作り出し、需要を創出する。誕生してしまった技術が、危険なものであれば、規制しなければならなくなる。人類は石器を使いはじめたころからこんな感じで広がってきたのではないかと思います。

世の中にある、形のあるものの基盤には必ず理論があります。ろくろを回すことによって食器が作られます。回転の理論は、扇風機も洗濯機も誕生させましたし、タービンも誕生させました。

今、理論の先にあるものが多すぎて、大変です。なんでもデータ。「データを支配するものが世界を制する」みたいな、石油の世紀をそのままデータに置き換えようという標語もたくさん存在します。

こういった言葉は、富を追求しようという人たちの言葉であり、データを支配しても、人々の生活はよくならないと思います。こんな時代だからこそ、理論にしっかりと向き合うことが重要だなと感じます。

2019-01-08 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Local Community

子供達が小さい頃、学校の先生を定年退職した先生方が、善意で子供いきいきサタデースクールを開催してくれました。

週休2日間になって、子供達は小学校から土曜日は休み。その土曜日に地域で自由参加の学校を公民館で開いてくれました。

夏にはキャンプがあったり、私と同い年の市長さんがきてくれて挨拶してくれたり、消防士さんがきてくれて消化活動の体験をさせてくれたり、山で植林したり、バーベキューをしたり、親である私たちにとってもかけがえのない経験をさせてくださいました。おかげで近くの子供も含めて、挨拶がしっかりとできる、素直な子供達がたくさん育ったと思います。

息子は小学校一年生から六年生までずっとサタデースクールのお世話になったのですが、娘が六年生になる前に、サタデースクールは無くなってしまいました。ボランティアだったので、善意の方々の資金提供によって成り立っていて、親はお世話になるだけだったので、本当に後悔をしています。また定年退職をしたお年の先生方だったので、後継者の方がいらっしゃないという問題もありました。

今、地域には子供も少なくなっています。その少ない子供も、親が共働きのため、家でゲームをして過ごすことが多くなっていると思います。サタデースクールの先生方のおかげで、私たちの子供達は、外で遊んで育つことができ本当に感謝しています。

仕事は生産性を上げるという考え方ができます。でも地域社会は生産性を上げるという考え方ではなく、地域で寄り添い合う、支え合うっていったことが本当に大切です。地域社会を大事にすることは、人の尊厳や人の道徳、思いやりといった、生きていく上で本当に必要なことを大事にするということだと思います。

地域社会に貢献することでは、給料はもらえないかもしれません。地域社会のために働く時間を、他のことに費やしたらお金がもらえるかもしれません。でも地域社会からは、お金では得られない貴重なことを学べます。地域社会は、大事なことに気づかせてくれます。

今は、地域から離れてしまいましたが、早く戻りたいな、と思います。

2019-01-07 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Allergy

社会人になって最初に大変お世話になった商社には、世界で通用する一流大学卒の理系の方がたくさんいらっしゃいました。同期も含めて、そういった超一流大学の大学院で専門分野を研究した方と一緒に飲んだり、ゴルフをしたりという、貴重な経験を10年近くさせていただきました。

地方大学の文系卒の私にとっては、そういった超一流の方々のバックグラウンドも仕事の内容も憧れとともに、どれだけがんばっても手が届かない存在でした。そして、大変光栄なことに、入社1年目で社宅に入った私は、なんとその超一流の大先輩たちに公私にわたって直接大変お世話になる機会をいただきました。人生において、これ以上ないと思われる貴重な経験をさせていただきました。

日本の有名大学の教授の先生と、ノルウェーとの間で、ある先進的な研究をされている超優秀な憧れの先輩と一緒に、タクシーで社宅に帰るときに、その先輩に「私も先輩のような仕事がしたいけど、文系の私には無理ですよね」とポロっと言ってしまったことがあります。

その時、超一流大学の大学院卒の大先輩が、「そんなことは全く関係ない。私にとって、学生時代の6年間が、今の仕事に何か役たっていることがあるとしたら、それは新規の研究分野に対してアレルギーをもたないで取り組んでいこうという姿勢を持てることだけだ」とおっしゃいました。

私はその先輩が、大学の研究の延長線上で、当時の専門分野の第一線で仕事をされているのだと勝手に勘違いしていましたが、大学の専門分野と当時の仕事の分野とは全く違い、その違いはタンパク質の研究と高分子の研究くらい、大きく分野が離れていたようです。また、先輩によると、大学時代の研究と商社の仕事は全く違って、商社マンである以上ビジネスを作り出すことが仕事であるとのこと。研究の難しさと、商社マンの仕事の難しさは全く違うとのことでした。

当時の私は、この時にいただいた人生において変えがたいお話を、1割も理解できていなかったなと思います。今の私は、当時よりも大分理解できます。

ただ、当時の私の心の中で、響いたのは「アレルギー」という言葉。免疫について今よりもさらに知識がなかった当時の私は、花粉症の人がマスクをして花粉を遮るようなイメージで捉えました。

その先輩のようにかっこよくなりたいと思うのが、男の子のDNAです。その時から、未知の分野にアレルギーを持たないようにということを心がけてきました。

今、自分の専門分野は何か?と聞かれると、悩んでしまいます。40代にもなって専門分野がないと、きっと人材としての市場価値はないのでしょう。でも未知の分野にアレルギーを持たないということだけは心がけてきました。

商社を10年でやめてしまったので、それ以来、その憧れの大先輩にはお会いできていません。お会いした時に、恥ずかしくないようになるためには、まだまだ当分の間修行が必要だな、と思います。いつか、何かの専門に特化しなければ生きていけないだろうとは思いますが、その時になっても、未知の分野に対してアレルギーを持たないようにように取り組んでいきたいと思います。

できるかな?

2019-01-06 | Posted in BlogNo Comments » 

 

spécialité

中学から高校に入っただけで、突然勉強が難しくなりました。それぞれの勉強内容が中学からの延長でなく、全く新しいものになった感じでした。中学までは、英語も数学も理科も社会も別の科目と思ったことがありませんでしたが、高校になると、英語とはこういうものだよ、数学とはこういうものだよといった感じで、それぞれの科目が明確に別れました。さらに社会に関しては世界史と日本史といった形で、理科に関しては生物と物理と化学といった形で選択制になりました。

世界史とか日本史とか、生物とか化学とか、選択になる前の、高校理科、高校社会の段階からさっぱり理解できておらず、毎回赤点でしたが、それでも選択制になった段階でどれか一つを選択することはできなかったので、日本史も世界史も、生物も物理も化学も、全部選択しました。きっと先生には大変な迷惑をかけたと思います。最後まで、どれ一つとしてまともな点数を取ることができないまま、高校3年間を過ごしました。幸いにも大学は小論文で入学することができました。

最近、これらの科目の大切さをようやく痛感して、あらためて勉強しなおしています。やらされるのではなく自分からやる勉強って本当に楽しい。

それぞれを勉強すればするほど、文系とか理系とかの区別はないな、と思います。生物も物理も区別はないと思います。ただ、分業をするためには区別が必要。専門を分けて、細かく細分化された専門分野の中で専門性を追求することで、世の中の謎を解明することができます。結果として、中東戦争の専門家と量子力学の専門家では、全く違う分野とみなされることになります。本質的に追求している部分は、どの分野だろうと同じですが。

専門性を追求することで、電気が発見されました。電気を発見することにより、電圧や電流や抵抗の発見につながり、人類はそれを回路として活用することで、デジタルの世界を作り出しました。発見のためにも、活用のためにも専門性は大変重要。

発見は保護にもつながります。生態系、食物連鎖の発見によって、人類は生物多様性の重要性に気がつきました。大型捕食動物は脅威ではなく、生態系維持のために不可欠な存在として保護の対象となりました。

人間の体の仕組みを知ることで、病気を治す方法を知りました。地球の仕組みを知ることで、地球環境保護の重要性にようやく気がつきました。絶滅の危機にあるメダカを保護する活動自体が、メダカの生態系を崩していることに気がつきました。牛のゲップが、地球温暖化の原因になっているメタンガスを大量に発生していることに気がつきました。

専門の分野もどんどん細分化され、特化された専門分野という枝の先っぽで、新たな発見がなされ、人類に大切なことを気づかせてくれています。

専門特化すればするほど、幹にたどりつくのが遠くなります。高校の勉強って、将来、いずれかの専門分野に身を置いた時に、幹を見失わないようにするためのものだったんだと、ようやく気がつきました。

2019-01-05 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Centralization

18世紀のオーストリア・ハンガリー帝国の繁栄を支えたハプスブルク家の女帝 、そして、マリー・アントワネットの母親として有名な、マリア・テレジア。フランスのブルボン王朝と同盟を結ぶなど、外交に長けていたことが知られています。

江村洋『ハプスブルク家』(講談社現代新書1990年)には、マリア・テレジアが行なったオーストリアの大改革が説明されています。

そのうちの一部の引用。

『あらゆる都市、町村、教区で男・女・子供の数が調査された。いや人間ばかりか、牛や馬など家畜まで調べあげられた。そして、それによって正確な数字が定まり、租税の額が決定された。』

『医療制度にも刷新の手が加えられた。』

『教育制度でも大きな改革が断行された』

・・・

一連の改革によって、オーストリアは中央集権体制を確立します。おそらく18世紀と現代とでは改革の中身は全く違うとは思いますが、改革のテーマは同じなんだなと、感じました。特に、現在、我が国が行なっている、マイナンバーを中心とした情報の体系的な管理は、マリア・テレジアが行なった改革に通じるものがあると思います。

その一方で、今では、情報の伝達対象も、伝達量も、伝達スピードも、日々加速度的に高まっています。日経フォーラム世界経営者会議で韓国SKグループの崔泰源(チェ・テウォン)会長は「デジタル技術は企業や個人間の取引コストを限りなくゼロに近づける」と指摘したとのこと。

情報を瞬時に整理し、管理できる組織に、集権的な力が与えられます。今、その力を国境を超えて、GAFAと一括りに呼ばれる、一部の民間企業が持つようになっています。確かに、各国・地域が、焦るのも無理ないな、と思います。GAFAが国を超える、中央集権的な権力を手にしないとは言い切れません。

ハプスブルク家は700年間もの長い間、ヨーロッパを広範囲に渡って統治しました。日本の徳川幕府よりも長い政権です。そして、江戸時代同様に、ハプスブルク家によって繁栄を享受した神聖ローマ帝国、そしてオーストリア・ハンガリー帝国は、いくつかの紛争・戦争がありながらも、安定した平和をもたらしました。

20年前、1日100件メールが届く人のことを、「すごいなあ」と思っていました。先日、会社で研修を受けたら、部長クラスの人には、1日300件くらいメールが来ているらしいです。読むだけで大変。私は大体1日5〜20件。私の能力では、20件でもかなり大変。メールが届く日と届かない日があった20年前は、100件もメールが届く人のことを「すごいなあ」と思いましたが、今、私自身が20件のメールで相当な苦労をしていると、300件メールが届く部長の人々に対して、「すごいなあ」と思うよりも、「大変だなあ」という気持ちがまさってしまいます。

きっと大企業の偉い人は、1日1000件くらいメールがくるのでしょう。スピードが勝敗を決定する時代、きっと誰よりも早く、誰よりも正確に、誰よりも大量に情報を処理した人が、かつてのハプスブルク家や徳川家のように、最終的に統治する側になって、繁栄をもたらしてくれるのだと思います。ただ、統治する側は、18世紀の時よりもずっと忙しくて、大変だろうな、と思います。

いじめられてもいいから、貧乏でもいいから、太陽と風と色と匂いを、楽しんで、たまにお腹いっぱいご飯が食べれたら幸せだな、と思います。きっと、誰もがそう望んでいるのだと思いますが、性格が悪い人が統治する側になると、きっと一生綺麗な景色すら楽しむことができない世の中になってしまうから、そうならないように、みんながんばって、1日1000件といったメールを処理することになるのだと思います。

優秀な人が統治する、勝つ人が統治する、ということになると、いつになっても、優秀な人、選ばれた人、統治する側の人は、競争に勝ち続けなければなりません。性格が悪い人に統治されないように。しかし、時代が進むにつれて、世の中複雑になり、技術も進展するので、優秀な人はますます大変になるばかりです。

小学校の時、学級委員長に立候補する人がいなくて、学級委員長がくじ引きで決まった時がありました。くじ引きで決まった学級委員長は、とてもすばらしい働きをしました。

中央集権は安定した世の中のために必要だと思います。でも、その中央集権のトップに立つ人は、そろそろ、競争で勝った人ではなく、優秀でかつ道徳的にも優れた人々の中から、くじ引きで決めてはどうかな、と思います。

2019-01-04 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Common Sense

今更ながら、D.カネーギー著の『道は開ける』と『人を動かす』を読みました。さすが、名著と呼ばれているだけあって、すばらしい内容がたくさん詰まっていて、飽きることなく一気に読みました。

しかし、これらの本に書いてある一つ一つのことは、実はいわゆる「常識」だと思います。様々な事例をあげて、わかりやすく書いてありますが、その本質は、特別なことというよりもむしろ当たり前のこと。当たり前のことの大切さを気づかせてくれるから名著なのだと思います。

何をもって成功と言うかは分かりませんが、成功のために必要なのは、能力よりも常識だなあと改めて感じました。

では、常識はどうやって身につけるか?ほとんどのことは、小学校で教わったような気がします。友達を大事にする。感謝をする。相手の気持ちになって考える。挨拶をする。

逆に、こういったことは社会に出てから、教えてもらう機会は非常に少ないなあと思います。もちろん、尊敬する大先輩の背中を見て、一生懸命学んだ中に、こういった常識は多数含まれていますし、常識に通じる教えをいただいたこともありますが、尊敬する大先輩から「感謝しなさい」とか「挨拶しなさい」と言われたシーンを思い浮かべてみると、取引先が対象だったり、何かしら事業との利害関係が関わっていたような気がします。

そもそも、大先輩とのご縁も、事業という利害関係を通じて得ていることが多く、そう考えると、社会人になってからは常識力は仕事を遂行するための能力の後ろ側に隠れてしまっていることが多いのではないかと思います。

仕事を一生懸命頑張る間に、自分の体をいたわることを忘れたり、仕事で成果を出すために、相手の立場を考えることを忘れてしまったりすることがあります。気をつけていても、そういったことがあります。

社会に出てから、常識を見失ってしまうことが多いからこそ、常識はますます重要とも言えます。通勤電車で疲れている中、お年寄りを労わることができるか?高層ビルの一階で、毎朝挨拶をしてくれている警備員の方に、笑顔で大きな声で挨拶を返すことができているか?メンバーと仕事を遂行する中で、メンバーが求めること、メンバーが言われては困ることをきちんと把握できているか?こういったことの積み重ねが、社会に出てから常識力を失わないでいるために必要だと思います。

デジタル技術で効率化して、価格が下がり、給料も下がり、競争に勝つためにさらに効率化が追求されて、毎日がますます忙しくなっています。

メールでのコミュニケーションが当たり前になり、五感でコミュニケーションをする機会が減りました。人の温もりも感じにくくなっています。

だからこそ、小学生の気持ちにもどって、新鮮な気持ちで、毎日感謝して、毎日を楽しく生きることが大事だなと思いました。

2019年の、とっても大きな、とっても大切な目標です。

2019-01-03 | Posted in BlogNo Comments » 

 

What I wand to do

昨年9月、偶然昔の恩人の方にお会いできました。今、キャンピングカーをレンタルするフランチャイズを展開されているそうです。

ドイツのビジネスモデルを日本に持ってこられたとのこと。欧米と日本とでは休暇に対する考え方が違うから、日本向けにビジネスモデルを合わせなければならないとおっしゃってしました。

キャンピングカーをレンタルするというビジネスモデルを輸入されたのかと思いきや、日本でキャンピングカーを使いこなすシーンを作り出す工夫をされているように感じました。一週間といったまとまった休暇がとれないため、長くても2泊から3泊の旅行が中心となる日本で、あえて、キャンピングカーをレンタルしたいと思うシーンとして、何が考えられるか?

その説明をお伺いしている間、その大恩人の方の楽しそうなことといったら、まさに天職と思わざるを得ないほどでした。50歳を過ぎてからの起業。心は青春そのもの。うらやましいな、と思いました。

幕張メッセのキャンピングカーのイベントにお邪魔しました。

そこには、その大恩人の方と同じく、何歳になっても青春をされている方がたくさんいました。

特に好きだったのは、フォルクスワーゲンのコーナー。

小さなフォルクスワーゲンのワゴンを活用した様々なモデルが展示されていました。

移動型コーヒーショップに変身。

おしゃれな店舗にもなります。

楽しみを作り出すのは、道具ではなく、心だな、と思いました。

やりたいことがあれば、楽しめる。目の前の楽しみを、しっかりと捕まえることが大事だと思いました。

2019-01-02 | Posted in BlogNo Comments » 

 

25 years history

18歳で初めてイギリスのリヴァプールに行きました。

その時に、出会った香港の友人が、24年以上経った今もずっと親友です。彼はリヴァプールの大学で建築を勉強。イギリスを離れてからも香港で3回、日本で7回くらい会っています。

友人の親戚や恩人が日本に来るときには教えてくれて、また私の同僚が香港に行ったときにはお世話してくれました。

私の子供達がまだ小さい時、来日時に自宅に遊びに来て、子供達と遊んでくれました。そのときに友人がくれたプレゼントを、息子は長い間ずっと大事にしていました。

学生時代、共に夢を語り合いました。彼は夢の実現まであと一歩。私はまだまだです。でも、そんなことは関係なく、お互い元気で出会えることが幸せです。

今は私の息子が18歳になりました。16歳の娘は、今年、留学したいと言っています。どちらにも、こんな素敵な出会いがあるといいなと心から思います。

12月には、ご両親と奥さんとお子さん達と6人で来日。神戸まで会いに行きました。奥さんも同じリヴァプールの大学で勉強。そのため、奥さんとも長い縁です。神戸では、家族水入らずにお邪魔したのですが、家族の一員のように仲間に入れてくれました。お互い40過ぎても、会うときは、学生時代のままです。

出会いがあって、別れがあって、得るものが会って、失うものがあります。一生のうちの出会いの数は限られています。一つ一つの出会いを大事にすることが、生きている意味だと思います。

2019年も、素敵な出会いがあるといいなと思います。

2019-01-01 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Culture

ロシュディ・ゼム監督のショコラ。実在した黒人道化師をモデルにした映画です。

 

白人パートナーとのコンビでブレイク。

白人に蹴られたり、罵られたりする役柄と、人間としてのプライドとの間の葛藤がストレートに表現されています。時は20世紀初頭。奴隷制度は当然なくなっていたと思いますが、人種差別は根強く残っていた時だと思います。主人公のショコラ以外にも、数え切れない方々が、人種差別で辛い思いをされてきたと思います。

私が子供の時はまだ南アフリカではアパルトヘイトが行われていました。今も、世界で人種差別は100%なくなったかというと決してそんなことはありません。ロヒンギャの方々のように、現実に今、故郷に帰ることができないという大変つらい現実に直面している方々もいらっしゃいます。

 

人には、排他的に振る舞うことで、自分を守ろうとする習性があると思います。常に多数派に身を置くことによって安全を選ぼうとする習性があると思います。日本人が日本以外の国に行けば少数派。外国人が日本に来れば少数派。こういったシンプルなことに起因する差別が、日常的に行われていると思います。

大変難しい話だな、と感じます。自分の家に他人が入ってくるのはみんな嫌だと思います。願わくは、自分の近所には、お互いを理解しあえる人たちが住んでほしいと思います。それがどんどん広がって行けば、結局どこかで、境目ができて、こっから先は、部外者は入っては行けないよ、という話になります。

これが、民族問題の根本にあると思います。

 

ショコラの葛藤は、さらに深いです。

白人たちは、自分を同じ人種として、同じ文化として受け入れなかった一方で、黒人として、白人に蹴られるという立場で、人気者として受け入れました。

一方で、自分の国で、白人は少数派であるにも関わらず、ショコラの父親は白人に使われる立場にありました。多数派と少数派ということでは解決されません。その根底には支配の歴史があります。

 

この映画の最後、ショコラの最後はサーカスです。サーカスの名前はフランス座。

何を伝えたいのか?

 

フランスやドイツは、自分たちのしてきた過ちを、償うだけでなく、文化的にも発信し、後世に残そうとします。二度と同じ過ちをしないようにと。

 

過去の人たちの苦しみによって、様々な問題が解決されています。その人たちの犠牲を絶対に無駄にしては行けないと思います。

 

日本に、従軍慰安婦問題の反省を後世に残すための映画があるでしょうか? アメリカに、原爆の惨さを後世に残すための映画があるでしょうか?

 

 

今、再び移民問題で葛藤するヨーロッパ。

Zero Tolerance政策で、今度は強制送還の話が出てきたアメリカ。そして、基本的人権は、アメリカ人のためのものであるという排他的な考え方。

アメリカが貿易戦争に突入する中で、海外生産に踏み切って政治と経済とは別であることを示したハーレーダビットソン。

1ヶ月に3回も中国を訪問した北朝鮮のトップ。

中立な国としてプレゼンスを発揮したシンガポールとフィンランド。

リークされるパナマ文書。

 

 

世界は、今、正しい方向に向かうのか、間違った方向に行くのか、とても重要なタイミングだと思います。

 

二度と、悲劇が繰り返されないようにするために、文化の力も重要だと思います。

 

2018-07-01 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Unsung Hero

シーナ・アイエンガー著「選択の科学」を読みました。

「日本人は背景を見る、アメリカ人は個人」を見る、という内容がありました。

私がカナダに留学させていただいた時、ちょうどW杯のフランス大会が開催されていて、ジダン選手の頭突き問題が休憩時間中に話題になりました。クラスメート達は、そのことについて自分の意見を述べます。別に授業ではないのですが、みんな率先して自分はこう思うという主張をしていて、私一人黙っていたことを思い出します。

私一人黙っていたので、何も考えていない奴、と思われたと思います。実際に、そのことについて、何も考えていませんでしたので、それはそれで正しいことなのですが、なんとなく敗北感を感じました。

自分はこう思う、だからこう行動するということを、向こうの人たちは実践できていて、かっこいいなあと思いました。

 

一方で東日本大震災の後、どの国に言っても、「日本人は勇敢だ」と言われました。生きるのに精一杯な時に、ちゃんと周りを尊重して助け合っていると。そして今回のロシアW杯でも、日本のサポーターがゴミを片付ける姿が賞賛されています。

 

「選択の科学」の個人主義と集団主義は、これらのことを見事に説明していて、集団主義を重んじる日本人が日本国内および世界中でとっている行動に、素晴らしい、と思われる内容が確かにたくさんあるのではないかな、と思いました。

 

縁の下の力持ちという言葉があります。英語にすると、unsung heroというそうであり、同じ概念があるようです。でも、日本人には、自らすすんで縁の下の力持ちになることを美徳とする人たちがいます。私も、Heroになるのと、Unsung Heroになるのと、どちらかを選ぶならば、絶対にUnsung Heroになりたいです。しかし、一般的に、他の国には自らUnsung Heroの方がいいという人はあまりいないんじゃないかな、と思います。決して、偏見とかではなく、日本人が自ら進んでで縁の下の力持ちになりたいと思うことの美徳は、日本人特有のものであるように思うからです。

 

最近の国会を見ていると、文書改ざんなどで責められている官僚の方は、むしろ、Unsung Heroの美徳を持った方のようにも感じます。自分が正しいと思うことは置いておいて、国の将来への希望をかけて、自らを犠牲にする。そこまでして、今の政権を守らなければならないという覚悟を感じてしまいます。「今の世界情勢で、日本の元首がコロコロ変わっている場合じゃないぞ」と。

 

アメリカの大学で、もしこの文書改ざんの問題をディスカッションをしたら、個人にスポットが当たると思います。日本のマスコミも個人にスポットを当てた方がわかりやすいので、個人にスポットを当てていると思います。でも、この問題は個人にスポットを当てて考えている限りは、延々と問題として続くと思います。イデオロギーならば、右と左に分かれて、ずっと議論すべき問題かもしれませんが、この問題はイデオロギーでも何でもなく、一つの出来事なので、国政の運営を考えた場合は、本来はさっさと終結させるべき問題です。

 

日本人は、集団の中での自分の役割を優先してしまいます。官僚の役割は、日本の未来を素晴らしいものにすること。そのために、自分が正しいと思うことと、逆のことをしなければならないことはいくらでもあるのではないかと思います。

 

文書改ざんを指示した方は、「辻褄を合わせた」とか「リスクをとった」とかではなく、ようやく生まれた長期政権のもので、日本の政治機能を安定化させることに期待して、自ら悪者になることを買って出ていらっしゃるように思います。

そして、今、実際に悪者になっていたとしても、それは最初からきっと覚悟してのことであると思います。さらに、最後どういう結果になったとしても、自ら悪者になるという判断をしたことが、正しかったのか、間違っていたのかさえもご本人にとっては重要ではないと思います。それが自分で選択したものである限り。でも、こんな考え方は、なかなか日本以外では受け入れられないように思います。

 

大変残念なのは、自分で選択する機会を与えられなかった方、自らの善意と戦って、組織の指揮命令を優先せざるを得なかった方が何人もいらっしゃることだと思います。これこそが本当の日本の問題点。

 

個人主義がいいとか、集団主義がいいとか、そういうことはわかりません。それぞれいいところがあり、どちらも重要だと思います。ただ、自ら選択することができず、犠牲になってしまうことは、無くしていかなければならないと、「選択の科学」を読んで、改めて思いました。

 

 

 

2018-06-23 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Electron

電子は一つの分子の中で移動するだけでなく、ある分子から別の分子に飛び移って移動します。いや、正確には、移動させられます。

電子が移動させられる時に、エネルギーが生まれます。石炭を燃やせば、石炭の炭素が空気中の酸素と結合して二酸化炭素が発生しますが、現実には石炭が燃やされることによって、石炭の中の電子がとび移らされています。その飛び移らされている電子こそがエネルギー。

子供のころ、電子は元気に原子の周りをビュンビュン回っているものだと教わった記憶があります。止まることなく移動し続けるのが電子。電子が分子の中でビュンビュン回っている限りは、その分子は安定しているのでしょう。

外から力を加えられると、電子は移動させられるのだと思います。そして、人の体は細胞からできていて、細胞もまた物質である以上、原子と電子があります。当たり前ですが、人の体も原子と電子でできている。

そう考えると、エネルギッシュな人は、電子をどんどん飛ばしている人だと思います。おとなしい人は、電子が分子のなかでビュンビュン回っている状態。きっと、電子は、人から人にも移動するのではないでしょうか?なんの科学的根拠もないですが、そうだったら素敵だなと思います。

電子をどんどん飛ばしている人は、人に与える影響も大きいと思います。でも電子を飛ばしていない人も、実は同じだけのエネルギーを持っています。ただ、飛ばしていないだけ。これがすなわち、内に秘めたものだと思います。内に秘めた電子が解き放たれた時、それはすごいエネルギーを誕生させるのでしょう。これがまた、そのすごいエネルギーを受け止められる人と、受け止められない人がいると思います。

電子は原子の周りを回っています。規則正しく回っているかもしれませんが、一直線ではありません。思いを伝えたい時に、ストレートに言ってもなかなか伝わらないのと同じだと思います。自分の電子が相手に飛び移った時に、思いが伝わるような気がします。人の細胞は千差万別。数も膨大。だから、自分の電子が、誰か別の人に飛び移ることなんて、予測はできないし、運命に逆らうこともできないと思います。

 

科学も結局、すべては自分次第であるということを、教えてくれます。

2018-06-21 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Silicon Valley

10年前、USA TODAYなどのアメリカの新聞のWEB版を見て、テクノロジーのメニューをクリックすると、ITの記事ばかりでびっくりしました。当時の私にとって、テクノロジーと言えば技術開発。ITのどこがテクノロジーなのか、記事を見てもさっぱりわかりませんでした。

 

その後、スマートフォンが急速に普及しはじめます。ITもいつの間にかICTとCommunicationがInformationとTechnologyの間に入るようになりました。今では、10年前の自分がなぜテクノロジーのメニューにITの記事ばかりだったことを不思議に思ったのか、そちらの方が不思議です。

 

10年ひと昔と言いますが、この10年のICT技術の進展は凄まじいと思います。そしてその進展におけるシリコンバレーが果たした役割は大きいと思います。パロアルトとかクパチーノとか、ちょっと変わった地名に世界中の頭脳が集まり、とんでもない発想のテクノロジーが誕生しました。

 

なぜ、とんでもない発想のテクノロジーが誕生したのか?それは、マーケットを探す人と、ソリューションをつくる人、実際に使う人がその地に集まったからだと思います。

 

こんなことができるかも。

いやそれよりもこっちの方がすごいよ。

それができたら、すぐ使うよ。

だったら私がお金出すよ。

 

っていうスピード感の会話が、おそらくその辺のカフェで繰り広げられてきたはずです。

 

かたや、私がかつてイメージしていたテクノロジーは、研究室で試験管を振って誕生するイメージでした。すばらしい発見でも、それが市場に出るまでには長い、長いプロセスを経なければ行けません。

試験管を振る開発ではなくて、ICTの開発でも、シリコンバレーで開発するのと、日本で開発するのではスピードが全然違うと思います。日本で開発したら、シリコンバレーで開発するよりも、デビューのスピードが遅くなるのではないかと思います。

 

グローバル化した社会においてはスピードの価値が高まっています。だったら、早いところで開発した方がよい。そうなると、ますますシリコンバレーにICT関連企業は集まることになると思います。

 

2018年の今、日本でもテクノロジーの記事はICTであふれています。ICTが盛り上がれば盛り上がるほど、シリコンバレーの産業的な競争力は高まります。

 

マーケットを探す人、ソリューションをつくる人、実際に使う人。これは別にICT技術に限った話ではありません。ボストンはシリコンバレーとまた違った、ロボティクスなどの分野で新たな新技術の集積地を形成しています。

 

日本はアメリカの後ろをおっかけて、ICTを追求するよりも、シリコンバレーとは違う産業で、マーケットを探す人、ソリューションをつくる人、実際に使う人が集まる場所をつくった方がいいのではないかな、と思います。

 

例えば、アニメなどのコンテンツ産業とか。

例えば、農業とか。

例えば、医療とか。

 

IT企業で働いているので、ICTが嫌いなわけではないですが、何でもかんでもICTよりも、ICT以外の分野で新産業の集積が日本にできた方が、ワクワクします。

2018-06-20 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Data

情報を発信する人に、情報が集まる。

社会人になったばかりの時に、大先輩に教わりました。

今も、その普遍的な法則は変わらないと思います。

質の高い情報を発信することが重要で、質の高い情報の発信をするためには、自分自身の考えを持たなければなりません。

正しい情報か、間違った情報か、その理由はなぜか、自分はどう思うか、

たったこれだけを考えるだけでも、自分の能力の低さを痛感してしまいます。

だからこそ、情報を発信し続けることは、とてもよいトレーニングであると言えます。

 

情報を発信する人に、情報が集まる。

これは、情報は流れるものであるという前提だと思います。

お金を同じ原理だと思います。投資をすればリターンがある。

投資にはリスクがあるから、正しい投資をすることは難しい。

情報もお金も、手に入れるよりも使う方が難しいと言えます。

 

一方で、情報の加工の仕方は、どんどん技術革新していきます。

データベースに蓄積されたデータは、テクノロジーによって大きな価値を生み出す可能性のある金の卵。

今、情報は使うよりも、獲得することと、加工することに、みんな注力しています。

おそらくその貯まった情報と、加工された情報は、画期的なソリューションを提供するのでしょうが、

果たして人々は、それを使いこなすことができるのか?

 

使いこなすことができなくても、安心です。

ちゃんとマニュアルが使い方を教えてくれます。

おそらく、AIが音声つきですごく丁寧に教えてくれるでしょう。

でもそれは本当に、人の役に立つのでしょうか?

人々は十分豊かになった今、きっとその、画期的なソリューションは、

そのソリューションを使う側でなく、ソリューションを提供する側の役に立つだけのような気がします。

 

情報を発信する人に、情報が集まる。

これは普遍的な原則なのか、それとも技術革新の結果、情報の定義そのものが変われば、原則も変わるのか?

 

私は、普遍的な原則だと思っています。

2018-06-19 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Curiosity

Institue Français に通って丸4年が経ちました。英語は中学3年間、高校3年間、さらに大学や社会人になってからも学んだので、それと比べるとかなり短い期間です。

しかし、学校で習った英語と全く学習のプロセスが違います。Institue Francais では、最初からフランス語をしゃべっています。まだ何も知らないうちから、フランス語で会話。昔だったら、そんなことができるのか、と思っていたでしょうが、今になってみれば、考えてみれば当たり前です。赤ちゃんだって、喋りながら言葉を覚えていきます。そう考えると、そもそもフランス語を勉強するのにフランス語以外の言語でするのはおかしいと逆に思うようになりました。

実際、クラスではずっとフランス語でしゃべっています。きっと今のレベルは、フランス人からすれば、赤ちゃんがバブバブ行っているのと変わらないレベルと思いますが、このまま続けていれば、いつか、ペラペラになる自信ありです。そうなったら、いつからフランス語がペラペラだったのか、振り返ると、思い出せないと思います。いつから日本語がペラペラになったのか、思い出せないのと同じように。

 

人は、気がつかないうちに、出来なかったことが出来るようになることがあります。一方で、何かきっかけがないと、どれだけ頑張ってもいつまでたってもできるようにならないこともある。

 

なぜか?

 

それは、能力の差ではなく、好奇心の差だと思います。中学3年間、高校3年間と6年勉強しても、英語が喋れなかったのは、好奇心がなかったから。受験のために勉強していると、なかなか好奇心は湧きません。

でも、好奇心があれば、赤ちゃんのように目をキラキラさせて、自分のものにしていくことができます。同じ時間、勉強するんだったら、好奇心を持って勉強した方がいいに決まっています。

Institue Francais では、好奇心を持ち続けることができます。それはテキストが取り上げる題材だとか、先生との雑談とか、クラスメートとの雑談だとか、教室の建築だとかデザインとか、授業後見に行く映画だとか、いろんな要素があって、好奇心がなくなることはありません。そのあたりが教育をプロデュースするっていうことなんだなと思います。

 

仕事にしても同じだと思います。好奇心を持ち続けることができるのが、天職なんだと思います。好奇心がなくなったら、それはしんどいだけのこと。だったらさっさと仕事を変わった方がよい。今の仕事に好奇心を持つことができるか、できないか、その巡り会いも、運であり、縁だと思います。

 

世の中、便利になればなるほど、好奇心を持つことができるものとの出会いも難しくなるような気がします。不便な時の方が、助け合うし、喜びも分かち合うので、物事に取り組む好奇心もわきやすい。

体が元気な限りは、不便な方を選択して、自分の中のたくさんの好奇心を発見したいなあと思います。

2018-06-18 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Space

私はコンタクトレンズをはめていますが、たまに調子が悪くて片方のコンタクトレンズを外すことがあります。コンタクトレンズを外した方の視力は0.1以下ですので、コンタクトレンズが片方しか入っていない状態になると、途端に空間が把握できなくなります。近くにあるものに手を伸ばしても、少しずれますし、道を歩いていると、気づかないうちに人にぶつかりそうになっています。人は目が二つあって、それぞれの目で自然と距離を計算しているから、空間が把握できるのだということを気づかせてくれます。

人には目が2つありますし、耳も二つあります。さらには鼻の穴も2つあります。きっと、視覚だけでなく、聴覚も臭覚も、空間を捉える上で役に立っているのだと思います。

人間のセンサーは、脳みそと直結していて、感覚を察知すると脳みそが直ちに計算します。熱いものを触ったら、熱いという感覚を触覚が覚えて、次からは火傷しないように、警戒するようになります。でも生まれて初めて熱いものを触った時から、熱いと思ったら手を引くように、条件反射の本能を持っています。

本能と経験の二つもまた空間を作っていると思います。その二つがこれもまた自動的に計算して、右に行くか、左に行くかを決めてくれる。本能も経験も磨き続ければ、判断は研ぎ澄まされていきます。

 

この2つの対になるものが作り出す空間を把握する力というのが、昔から重んじられてきたと思います。陰陽道とか、光と陰とか。常に2つの対があるから空間ができる。そして、どちらか一方の力が弱くなると、とたんにバランスが崩れて空間が把握できなくなる。

 

資本主義と共産主義もかつては対でした。しかしデタント、そしてベルリンの壁崩壊により冷戦が終結。世界は資本主義が支配する世の中になりました。そうなると世界は空間が把握できなくなり、金融が拡大し、環境が破壊されていきます。

そして、今急速に仮想の世界が拡大しています。今度は、現実と仮想の二つが対になろうとしています。そこできっと新たな空間が生まれるのでしょう。

 

新たな空間でどう生きるか?それはわかりませんが、どんな空間であっても把握する力を身につけていないといけないと思います。

 

視覚を失っても、聴覚を研ぎ澄まして補っている人もいます。人間の五感には無限の可能性がある。たとえ世の中が便利になっても、感性だけは、常に大事に、そして鍛え続けていきたいなと思います。

 

2018-06-15 | Posted in BlogNo Comments » 

 

innovation

イノベーションは常識の延長線上ではないところから生まれます。偉大なる発明は何度も常識的な試行錯誤が繰り返された後で、一つの非常識な偶然から誕生することが多い。

ビジネスの世界では、イノベーションによって既存の常識を打ち破り、新しい秩序を作り上げた企業が莫大な利益を手にすることになります。一方で政治の世界では秩序の変化はイノベーションではなく革命、つまりレボリューションによって起こってきました。

レボリューションは突然は起こりません。また、一人が起こすものでもありません。蓄積されたパワーが爆発するのがレボリューション。

 

米朝首脳会談。果たしてデタントのように世界の秩序を変える程の結果をもたらすことになるのか?ビジネスマンであるトランプ大統領はディールという表現を使います。トランプ劇場と言われるように、軸はぶれていませんが一見破天荒と思われる行動をとります。米朝首脳会談はもしかしたらある意味、イノベーションなのではないかと思います。外交努力を積み重ねて、落とし所に誘導するシナリオを作るのではなく、信頼し合う相手と腹を割って話し、その場で決める。その2人が世界の運命を握っている。

政治家がツイッターを駆使したり、すでに政治の世界でもイノベーションが始まっています。米朝首脳会談の中身も重要ですが、ここに至ったプロセスと、そこで行われたパフォーマンスもまた重要だと思います。

紛争は常に境界の上で行われます。38度線が境界でなくなる日がくると、次の境界は、朝鮮と中国の国境になるのか、それとも韓国と日本との国境になるのか?

今も、境界線の人々の犠牲の上で世界の平和が保たれています。境界線の上に住んでいる人々は、豊かな国々の利害の間に挟まれています。残念ながら、これが世界が今平和な理由。そんなことがずっと続いていいはずがありません。

世界が一つになるためには、政治も経済も両方必要です。政治のイノベーションもある意味必要だったんじゃないかなと思います。これから、大変になるかもしれません。日本が境界線になったら、今度は日本が自らを犠牲にして、世界の平和を守る立場です。誰もがそれは御免こうむりたいところですが、現実にその役割を担っている国が、人が、子供がいます。

もし、大変なことになったとしても、それを乗り越えて、そしてその先に世界が一つになって、誰かの犠牲の上になりたつ平和ではなく、本当の平和がやってくると信じたいと思います。

2018-06-14 | Posted in BlogNo Comments » 

 

semiconductor

地球上にまだ空気が存在していなかった時に、海中で単細胞生物が生まれました。単細胞生物は光合成によって地表に酸素を排出します。やがて大気は酸素で覆われ、その上空にはオゾン層が作られました。

一方で、その酸素と反応した海水中の鉄分は、酸化して海底に沈みます。海底に沈んだ酸化鉄は、何億年とかかって鉄鉱石となります。

 

オゾン層が誕生したおかげで紫外線は遮断され、地上にも樹木が生息できるようになります。

 

海中のプランクトンは、今も光合成を続けています。地上の樹木も今も光合成を続けています。光合成によって、有機物が誕生します。有機物の死骸は何億年とかかって化石となり、石油、天然ガス、石炭のような炭化水素となります。

 

地球上には、導電性の物質と絶縁性の物質があります。その両方の性質を持つことができるのが半導体です。半導体としてはシリコンやガリウムなどがあります。半導体にりん、ヒ素、ホウ素などの不純物を添加することにより、ドナーの役割を果たすN型半導体とアクセプタの役割を果たすP型半導体をつくりだし、電気的な性質を制御することができます。

 

土は電気を通しません。土からできたセラミックスは電気を通しません。炭化水素からできたプラスチックも電気を通しません。

水は電気を通します。金、銀、銅、鉄などの金属も電気を通します。

 

電気を通す水と、電気を通さない土を持つ地球を一つの物質としてみた場合、地球は半導体だと思います。地球は、導電性の物質も、絶縁性の物質も作り出します。

 

地球が作り出した有機物は生命の源。堆積した有機物の死骸はエネルギーの源。有機物と無機物はお互いに作用し合っていて、無機物がなければ有機物は存在できません。命あるものは魂が宿ります。人間も、動物も、魚も、感情を持っています。少なくとも、痛いという感情はもっているはず。きっと植物も。果たして無機物にも、魂は宿るのか?宿らないとは言い切れないと思います。

 

生命誕生の40億年の歴史の中で、人類が生まれたのは最近の話です。地球は昔も今も、半導体。

 

良い人がいれば悪い人もいる。

良い行動を行うこともあれば、悪い行動を行ってしまうこともあります。

痛みがあるから、喜びがある。

100%ってことは絶対ありません。

 

電気を通しても、電気を通さなくても、絶縁があるから導電がある。

有機物でも、無機物でも、お互いがあるから存在している。

魂が宿っていても、宿っていなくても、行きていくためには不可欠。

人間が人間の都合で、いろんなものを定義すればするほど、全部半々になると思います。

 

半導体っていうのは、無限の普遍性を持つ物質だな、と思います。

 

2018-04-30 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Border

太平洋戦争で日本が負けて、日本に占領されていた朝鮮半島は国連の保護のもと独立国家としてのスタートを切る予定でした。

しかしそこで東と西のイデオロギーの対立が起こります。ソ連と中国の支援を受けた北の朝鮮民族と、アメリカの支援を受けた南の朝鮮民族が、同じ民族同士で戦うことになります。一度は釜山に追いやられた南の朝鮮民族ですが、北の隙をついてソウルを奪還したことで北緯三十八度線を境に勢力が均衡します。北朝鮮と韓国という二つの国が誕生しました。

 

明智光秀を討った豊臣秀吉は天下人となります。天下人に逆らうことなく、したたかに東への勢力を広げる徳川家康。そして、関ヶ原の戦いで西の勢力を破った徳川家康は天下人となります。同じ民族で東と西で戦った日本。戦いは、どちらかが勝ち、どちらかが負けることによって、解決されていきました。

 

戦いは、どちらかが勝ち、どちらかが負ける。戦いは悲惨ゆえに、戦いの後には平和が訪れる。しかし、朝鮮半島の戦いは、なかなかそうはいっていません。

 

朝鮮民族は全く何も悪くないにも関わらず、国際社会の都合で、北朝鮮と韓国という二つの国家が生まれ、同じ民族で対立せざるを得なくなりました。家族が北と南に別れて暮らさなければならない人もいました。もともとは日本が侵略したのが原因です。侵略した日本が負け、南にはアメリカの境界ができた。侵略した日本が負け、北にはソ連の境界ができた。朝鮮半島内の対立ならば、関ヶ原の戦いのようにどちらかが勝って、どちらかが負ければ解決ですが、朝鮮半島で対立しているのはそこに住んでいない東と西の人たちの都合なので話が常にややこしいです。

北朝鮮がミサイルを飛ばすと、制裁を受けるのは北朝鮮。でも制裁をする側が見ているのはロシアと中国です。そのバランスをとりながら、北朝鮮を非難する。その矛盾に気がついていた北朝鮮の3代のトップ達は、北朝鮮という一つの国としてのプレゼンスを高めるためにしたたかに軍事力を強化。兄は海外を旅してしたたかに情報を収集。何者かに兄が殺されたタイミングで、自らの力で開発した兵器の実力を証明したとたん、それまで形だけの非難で、実態については全くスルーして、「悪の枢軸国」とかいって勝手に言いたい放題言っていた大国達が、北朝鮮を一つの国として見るようになりました。それに敏感に反応したのが韓国。朝鮮半島で生じている、朝鮮半島以外の国々の人たちの問題を、朝鮮半島の人たちで解決しようとし始めました。それにのっかったのが、北朝鮮の今のトップ。なんとアメリカと首脳会談をやるところまで持って行きました。

と、勝手に空想して見ました。何が事実で、何が空想なのかはわかりませんが、限りなく空想です。

ただ一つ、事実だろうと空想だろうと、はっきりしているのは、境界線が重要だということ。戦いは常に、境界線上で起こっています。

核の傘で平和が守られる時代は終わりつつあります。アメリカも世界の警察としての役割を担うことが難しくなっています。アメリカ、ロシア、EU、中国という4つの大国。朝鮮半島、台湾、そしてイランやシリアといった境界線。それらと接していて、バランスをとっている次の大国のインド。

 

日本は、紛れもなく、境界にいます。それもギリギリの境界です。もし、ポーンと、何かが破裂したら、家族を守ることすら難しい時代に簡単に突入すると思います。少しづつ、そういった脅威が出ていて、そして少しづつ、そういったことにならないようにという動きも出ている。戦う側に回る人と、戦うことを食い止める側に回る人の間にも、境界が生まれそうです。

 

情報が氾濫して、たくさんの空想ができるようになればなるほど、いろんなものの境界が生まれます。境界がある以上は、その境界から、右にいくか、左にいくか、決めなければならなくなります。境界線上に立っていると、右からも左からも、攻撃されます。境界なんか、ない方がいいな、と思います。

2018-04-15 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Contrast

桜もすっかり散って、新緑の季節がやってきます。新緑の季節は一番好きです。新しいことが始まる。そんなエネルギーに満ち溢れています。

 

3月末に、公園を歩いていた時、独り言を仰りながら歩いていらっしゃる方がいました。私もよく独り言を言います。だから特に、何も気にせずに、横を通り過ぎました。

すると、独り言ではなく、明らかに誰かと喋っています。それも、心の中にいる誰かと。盗み聞きするつもりはなかったのですが、聞こえてしまいました。おそらく、悲しい別れがあって、そしてその悲しい別れがあった人とのすてきな思い出がある。そんなことを感じる独り言でした。そしてその思い出は、その公園のその道を、桜を見ながら歩いたものであると感じました。

 

出会いがあり、愛があり、別れがあり、思い出がある。

 

自分のことではないのですが、私にもたくさんの出会いと別れがあるし、私がその方と同じくらいの年齢になった時には、今よりももっとたくさんの思い出があると思います。

そしてその思い出は全部良いものなのでしょうが、それを思い出すということは、別れがあるということ。これから、たくさんのつらい別れを迎えることになるということを、その言葉を聞いて重く感じてしまいました。

 

今年の桜はわずか一週間で散ってしまいました。来年咲いてくれます。毎年、ほぼ同じ時期に桜は咲いてくれて、その後、エネルギーのみなぎる新緑の季節がやってきます。桜は、すてきな思い出を思い出させてくれる。そして桜は、散ってくれる。

 

思い出は忘れてはいけませんが、しがみついていると、前に進めません。とてもつらいことですが、桜は毎年咲いて、毎年散ることで、そのつらいことを後押ししてくれているように感じます。新緑は、そのつらいことを乗り越えて、前に進んだ人を包み込んでくれていると感じます。

 

桜が散るから、若葉が出ます。出会いがあるから、別れがあります。桜の花は、ピンクですが、葉っぱは緑です。四季のコントラストは、心のようです。季節の変化は、常に、心を動かしてくれます。

 

過去と未来もコントラスト。

正義と悪もコントラスト。

生と死もコントラスト。

勝ちと負けもコントラスト。

愛と憎しみもコントラスト。

右と左もコントラスト。

 

どちらか一方だけを選ぶことはできないと思います。

一方があるから、もう一方が存在する。

だから、両方受け入れるしかありません。

 

四季に合わせて心を流していくことしか、人にはできないんだったら、思い出を綺麗に作って、大切に守って、桜が咲く時に毎年思い出して、桜が散る時に毎年忘れて、そんな日々を送り続けたいな、と思います。

2018-04-08 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Economy

今朝、6時前に花見に行ってきました。早朝にも関わらず、駐車場は開いていて、誘導している方が何人もいらっしゃいます。そして、公園を掃除している方もたくさんいらっしゃいます。朝早いのに、お互い「おはようございます」といっていて、とても清々しい。

そのままトイレに入ると、トイレにはビールの缶や弁当の容器が、からの状態でたくさん置いてあります。ゴミを持ち帰らずに、トイレに置いて行ったんだと思います。昨晩の宴会の方々と思います。そして、先ほど清々しく挨拶をされていた公園を掃除されているボランティアの方々が、それを一生懸命片付けてくださっているのでしょう。

なんか、光と陰を見た気がしました。ゴミをおいて行った人は、酔っ払っているので、いろんな気遣いが欠如していると思います。ゴミを片付けている人は、そういった人たちに花見を楽しんでもらおうと、朝早くから一生懸命、掃除をしていると思います。心の中ではいろいろと思っているかもしれませんが、とても健やかな笑顔です。

 

そのシーンだけ見ていると、ゴミはちゃんと片付けなければ、と思いますが、本質的には、そういう問題ではないと思います。おそらく、酔っ払いの人が来ないと、花見の会場は寂しいものになるような気がします。酔っ払って、十分楽しんだから、うっかり気遣いを忘れてしまう。公園を片付けてくれているボランティアの方々の願いは、たくさんの人たちに来ていただいて、楽しんでいただくこと。そしてたくさんの人が集まれば、そこには屋台が出ます。屋台が出れば、訪れた人は、その屋台でまた楽しむことができます。きっと、ボランティアの方々は、それが嬉しい。訪れた人は、屋台で買って、またお酒を飲みます。そうすると、またゴミが出る。

つまり、ゴミがたくさんでるということは、そこで楽しんでいる人がたくさんいるということであり、そしてゴミは誰かが片付けなければならない、ということだと思います。何が良くて、何が悪いのか分かりませんが、みんながハッピーなのは良いことです。

ゴミは出ないに越したことはない。ところが、人が集まらなくなるのは寂しい。つまり、どう転んでもハッピーになるためには、ゴミは出るということです。ゴミをそのままにしておくわけには行かないから、ボランティアの人ががんばって片付けてくださっています。

 

自分が楽しんでハッピーな人と、人に楽しんでもらってハッピーな人は、心の持ちようが全然違うな、と思いました。

 

年度末、システムの入れ替え作業に徹夜で対応しているIT企業のエンジニアの方がたくさんいらっしゃるそうです。IT業界に来て、そういった事実を初めて知りました。そのIT企業は、お客様が年度の切り替えの対応をするのは大変だから、その仕事を請け負っているのだと思います。もちろんそれを請け負うことで、そのIT企業は収益を得ているはずです。しかし、その収益がすべて、徹夜で作業をしているエンジニアの方のところに行くわけではありません。きっと、その「請け負うことで収益を得る」というアイデアを考えた経営者の方に、最も収益が分配されるはずです。でも自らも、一緒に、徹夜で作業をしている経営者の方はわずかでしょう。

エンジニアの方は、その仕事を徹夜で行うことで、サラリーを得て、生活ができているはずです。だから、エンジニアの方はハッピー。お客様は、IT企業が頑張って年度末の入れ替え作業をしてくれるから、ハッピー。経営者は儲かるからハッピー。これもある意味、みんなハッピーです。でも、手を動かしている人と、お金を払っている人と、お金をもらっている人それぞれ心の持ちようが全然違うな、と思いました。

 

経済は、お金で回っています。いくら嫌われていても、スーパーにいけば、お金を払えば食べ物が帰る。いくら嫌われていても、ユニクロにいけば、お金を払えば、服が帰る。いくら嫌われていても、住宅会社におけば、お金を払えば、家をたててくれる。

 

だから、みんな必死になって働いて、お金を稼ぐ。生きるために。これが、いわゆる、経済というものだと思います。

 

でも、心の持ちようは、一人一人全然違います。それは、経済とは関係ありません。

 

「働けど働けど我が暮らし楽にならず、じっと手を見る」

 

こんな感じの詩を小学生の頃習いました。たぶん石川啄木だったと思いますが、石川啄木はじっと手を見て、何を思っていたのでしょうか?

 

朝早く起きてゴミを片付ける方々、徹夜で働いて、ギリギリ生きていけるだけの報酬を得ている方々、のような心を持ち続けるようにしたいな、と思いました。決して、人を働かせて、収益を得て、自分だけが美味しいものを食べるような経営者にだけには、なりたくないな、と思いました。

そのためには、誘惑に負けない、強い心が必要です。改めて、一生修行だと思いました。

2018-04-01 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Senders

マス・コミュニケーションは、不特定多数の人に対して情報を発信する力を持っていますが、不特定多数の人っていうのは、つまりは誰かだと思います。情報が目の前を通り過ぎた時に、その情報をキャッチする人とキャッチしない人がいる。不特定多数の人に情報を発信するということは、誰かは特定できていないけれども、その情報をキャッチするだろう人に向けて情報を発信するということだと思います。

政治家にもジャーナリスト含めた論客にも、保守とリベラルという分類があります。同じ情報に基づく判断でも右に行く結論になる人と、左に行く結論になる人がいる。そうすると、情報を発信する側にも、同じ情報でも右に行かせようとする人と、左に行かせようとする人がいる。

こう考えると、マス・コミュニケーションというのは、情報を発信する側も受け取る側も主観的になる傾向があると思います。だからマスコミュニケーションは政治的に利用されてきたし、その反省から日本国憲法13条は表現の自由を定めている。

 

確固たる真実、そして誰も気がつかない真実に気がついた人がいるとします。例えば歴史的な大発見といえる研究結果が出た時とか、あるいは犯罪を目撃したときとか。

そういう時に、人はいきなり、不特定多数の人に向けて情報を発信しようとするでしょうか?おそらく、しないでしょう。まず最初に、最も信頼できる特定の人だけに発信すると思います。でも、それだけでなく、きっと、その真実をもっとたくさんの人に知ってもらいたいと思うに違いありません。

一方で、情報を発信したことによって、自分自身が窮地に立たされるようなことは避けなければなりません。情報が婉曲されることも避けなければなりません。またその情報を他人の情報として奪われることもないようにしなければなりません。

情報は、価値が高ければ高いほど、取り扱うことが難しい。また、時間が経てば価値が変わるかも知れませんので、発信するタイミングが重要になることもあります。

結果として、情報を取り扱うためには信頼が大事だと思います。誰に対して情報を発信するか?情報を持ってしまった自分を保護することが最優先ならば、最初に情報を発信する先は弁護士の先生かも知れません。自分を守ってもらいたいけど、その一方で、情報を広めたい場合は、最初に情報を発信する先は、取材源を秘匿してくれて、真実の情報をきちんと発信してくれるジャーナリストかもしれません。

 

正しい情報を発信している人には、正しい情報が集まり、間違った情報を発信している人には、間違った情報が集まる。

すべてのコミュニケーションに当てはまると思います。

 

正しい発言を続けること。難しいけど、とても重要なことだと思います。

2018-03-25 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Common

最近の日本の政治を見ていると、何が正しくて、何が間違っているのか分からなくなります。

正しいとか、正しくないとかは、人が決めることなので、そもそも本質的に正しいという答えはないと思います。

行政の長に従うことが正しいと考えるのか、それとも法に従うことが正しいと考えるのか?そういった難しい立場に置かれるのは、誰よりも優秀な人であることは間違いありませんが、ただその誰よりも優秀な人が、正しい判断をするかどうかは、それは分かりません。正しい判断をする人が優秀なのか、それとも優秀な人がした判断が、正しい判断とされるのか?

今の世の中は、権力をもった人の判断が、正しい判断とされるように作られています。誰かが、どこかで決めている。その人に出会っていれば、結論に近づくことができますが、大抵の場合はその人に出会うことはまずありません。そういった判断をする人がどこにいるのかもわかりません。どこかにいることだけは確か。

 

その、どこかで、何かを決めている人がぶっ飛んだ発想を持った人であれば、世の中は予測不能になります。どこかで、何かを決めている人が、周りの人の意見を聴きながら、自分の主観を押し殺して全体最適を目指す人であれば、限りなく枠にハマった判断が下されるでしょう。その場合は、世の中は限りなく予測可能になります。ただし、予測可能というのは、それだけ進化がないということも意味します。

 

ぶっ飛んだ発想がなければ、モネの「印象、日の出」は生まれておらず、画家は風景ではなく、最高の肖像画を描くことを目指し続けていたかも知れません。

ぶっ飛んだ発想がなければ、ゴダールは、ビデオカメラをスタジオの外に持ち出すことはなく、映画といえばスタジオの中で高額な費用をかけて制作するものであり続けていたかも知れません。誰もカメラに向かって話しかけず、ニュースキャスターは手元の原稿を読み続けていたかも知れません。

 

ぶっ飛んだ発想は、芸術の世界では、大きな進歩をもたらしてきました。それは紛れもなく、人類に幸せを与える方向に向かってきました。医療の世界でも、同じと思います。レントゲンを照射すると、局地的にがん細胞を取り除くことができるといった放射線治療や、化学物質によってがんを治療する化学療法は、ぶっとんだ発想がなければ生まれないでしょう。いや、その前の、がんの発生した部位を切除するという発想もよく考えるとぶっ飛んでいます。やはり、いずれも、人類に幸せを与える方向の大発明です。再生医療にしても、遺伝子医療にしても、やはり過去の常識を覆すアプローチです。

そもそも、旧石器時代に、一つの石から一つの石器をつくるという常識を、一つの石を砕くことで一つの石から複数の石器を作るということも、どこかの誰かが、ぶっ飛んだ発想で思いついたと思います。そういった発想を持つ人がいたからこそ、その後世界では、印刷や、電話や、蒸気機関車や、T型フォードや、カラーテレビが生まれたのでしょう。

 

さて、世界中でぶっ飛んだ政治家が活躍している2018年。彼らは世界をどんな幸せな方向に導いてくれるでしょうか?「地球環境を保護しよー!」だけでは、地球環境は保護できません。どこかぶっ飛んだ発想がなければ、地球は破壊される方向に向かっていきます。そのうち、食べるものもなくなっていきます。地球を、人類を救うために、「法を守る」という常識にとらわれない、「民主主義」という常識にとらわれない、ぶっとんだ政治家が、新しい解決策を見出してくれることを、期待しております。もちろん、平和が最優先であることを願います。

2018-03-20 | Posted in BlogNo Comments » 

 

You learn

正しいことを続けていれば報われて、間違ったことをすれば罰せられるのは世の中の真理です。だから誰もが、正しいことだけをしていればいいのです。でも、正しいことだけするっていうことほど、難しいことはありません。

Aさんが困っているとします。困っているAさんを助けることを間違いなく正しいことでしょう。

しかし、Aさんを助けることによって、今度はBさんが困ることになるかも知れません。そうすると、Aさんを助けるべきか、どうすべきか?さらに、もしかしたら、Aさんが困っているというのは事実ではないかも知れません。間違った情報に基づいて行動することは、正しいことにはならないでしょう。さらにAさんが本当に困っていたとしても、Aさんは自分で間違った行いをした結果、困っているかも知れません。だったら困っているAさんを助けることは、Aさん自身のためにならないかも知れません。それはやっぱり、正しいことではない。

Aさんが困っている、という一つの事象だけでも、何が正しいのか判断することは難しい。それが今では人類70億人がネットワークで繋がる時代。いくら自分の気持ちの中で、正しいことだけを続けようと思っていたとしても、正しいことを判断することは、日々、難しくなるばかり。

昔は家畜を殺すオオカミを殺すことは正しいことでしたが、今ではオオカミを殺すことは生物多様性を失わせるために、間違ったことです。ただ総論ではオオカミを殺すことを間違っていても、現実にオオカミの脅威にさらされている村の人々にとっては、今も、オオカミを殺すことは正しいことでしょう。TPOに合わせて判断をするしかありません。

仕事とは、人の役に立つ行いをして、その代わりに対価を得るものです。だから、人の役に立たないものは仕事ではありません。しかし人は生存のために働くのではなく、相対的に優位に立つために働くようになると、競争を蹴落とすことが仕事になる場合もあります。むしろ今、人類全体のための仕事っていうのは本当に少なくなっていて、自分の所属する組織のための仕事が大半になっていると思います。組織に所属する人は、組織の行いが間違っていると分かっている時、組織の指示通りに行動することが正しいことなのか、それとも勇気を出して「間違っている」ということが正しいことなのか、とても難しい判断を迫られることになります。戦争は、こうやって起こるものであり、戦争がなくならないのは、やはり正しい判断が難しいからだと思います。

「これが正しい判断だ」という答えがないから、みんな、自分の頭で考えるしかありません。限られた情報を組み合わせて、限られた時間の中で、決断をしなければなりません。自分で物事を決めなければならない時に、唯一、頼りになるのが、知恵と知識と経験、そして仲間の参考意見です。

地球上に存在している知恵と知識と経験の一体何%を自分は身につけることができているでしょうか?地球上に存在している知恵と知識と経験が宇宙空間くらいあるとしたら、自分の身に着けている知識は、石コロくらい分くらいでしょう。だったら、正しい判断なんて、絶対にできるはずがない。限られた人生の時間で、石コロの大きさから宇宙空間の大きさになることなんて不可能です。

でも仲間がいれば、仲間も石コロくらいの分の知恵と知識と経験がある。仲間が2人いれば、自分と合わせて石コロ3つ分。力を合わせて、みんなで努力すれば、すごい力になります。

世の中で必要とされるすべての知恵と知識と経験を身に着けている人は絶対にいません。多少の大小はあるかも知れませんが、100%じゃないのはみんな同じ。だから、そのことを知って、学び続けようとしている人、仲間のアドバイスに真剣に耳を傾ける人が、一番正解に近い判断をすると思います。

人はなぜ学ぶか?それは迷った時に正しい方を選ぶためです。みんなが、正しい判断をしようとして、一生懸命勉強して、一生懸命生きている。正しい方を選んだ結果、報われなくなる結果だったとしても、それでいいと思います。正しい方を導いてくれる仲間を失わないことの方が、報われることよりも、ずっと大事だと思います。

2018-01-28 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Material

生態系はエコシステムと呼ばれる通り、再生のための仕組みです。草食動物が草を食べ、大型捕食動物が草食動物を食べ、大型捕食動物の糞から微生物は光合成のために不可欠な無機物に分解する。海中に堆積したプランクトンの死骸は、火山活動により再び地上に現れる。これらはすべて普遍的なサイクルです。

すべての生物、そしてもしかしたら無機物も、このサイクルの中に位置付けられます。人間ももちろん位置付けられます。ところが、人間は野菜も食べれば、肉も食べれば、魚も食べる。逆に、野菜を栽培することもできれば、動物を育てることもできる。さらには、地球上の無機物に様々な役割を与えることもできます。

堆積した化石は地中で炭化水素に変わります。石炭、石油、ガスなどの炭化水素を燃やすことで安定したエネルギーを得ることができるようになり、人類は、炭化水素の力を用いて、発電その他機械という人類の力をはるかに超える力をコントロールできるようになりました。化石は噴火ではなく、人類に掘り起こされることによって地上に出てくるようになりました。

光の反射という性質は、生物に色という形でその反射の角度を教えてくれます。その反射の角度によって、光には様々な力があるということを知った人類は、光によって発生する熱により物質をコントロールする技術を身につけました。人類は色素を色として楽しむものだけでなく、記録するもの、さらには発光するものとして活用することができるようになりました。化学的に合成された色素は量産され、反射したり、透過したりしながら樹木を伐採してパルプから紙を作らなくても、記録と伝達の利便性を飛躍的に向上させました。

物質には絶縁性の物質と導電性の物質があります。人類は、特定の物質については、リンのようなP型の分子とホウ素のようなN型の分子の受け渡しにより、絶縁と導電の両方の性質を持たせるということを発明しました。そこから、電力を光や熱などのエネルギーに変えたり、逆に光を熱のようなエネルギーに変えたりする能力を身につけました。

人類は、エコシステムの中にありながらも、エコシステムに大きな影響を与えています。育成して捕獲する。タネをまいて、耕して、刈り取る。人類独自のエコシステム。大きな目で見れば、化石燃料の消費だって、一つの人類独自のエコシステムかも知れません。一つ一つの生物、一つ一つの物質に役割があります。人間だれもが必要な存在であるのと同じで、生物も物質も、何一つ不必要なものはありません。人類が、あらゆる生物の中で他の生物や物質を「活用する」という役割を与えられたことを考えると、人類の今の姿は、人類本来の役割から大きく外れはないのではないかなと思います。でも、今の人類の活動は明らかに「やりすぎ」です。この「やりすぎ」は、必ず、何かしらのエコシステムのよって調節されることになるのではないかな、と思います。この調整は、個々ではなく、全体で起こると思います。かつて氷河期がなんども地球の生命を調節してきたように。

エコシステムには誰もあがらうことはできないと思います。だったら、早く本来のエコシステムに戻るべき。つまり「やりすぎ」を見直すべき。これが今世界が取り組んでいる環境保護や生物多様性維持のための活動だと思います。そしてこの活動は常に、前進か後退か?、拡大か縮小か?などの相反する利害関係にぶつかります。これまで人類は、地球を破壊してきただけではありません。地球のために役に立つ活動もたくさん行ってきました。ちょっとやりすぎているだけです。

資本主義は、前進と拡大でした。でもこれからは、相反する利害関係ではない、分かち合うという関係が重視されると思います。すでにシェアリングエコノミーはそうなっています。コンパッションは理想ではなく、秩序になると思います。

2018-01-14 | Posted in BlogNo Comments » 

 

AI Governance

コンピュータで出来ることは、人間ができることのごく一部だと思います。ただそのごく一部については、とんでもない能力を発揮して、人間の英知を集めても勝つことが出来ない。AIによって、その分野は応用されるようになり、そしてコンピュータが自ら学んで、その適用範囲を拡大させていく。ビッグデータをAIに提供することにより、情報の精度が高くなるとともに、今まで人の頭で考えつかなかったようなアウトプットが生み出される。

そのため、AIは単なる便利なツールという位置付けだけではなく、行動経済学やヘルスケアの領域における新たな役割が期待されるようになっています。まるで人類の課題を解決する救世主。これは人間の感情、さらには身体の領域に関わることであり、開発・生産・売買・金融といった経済活動の領域をすでに超えています。AIの活用により、これまでの経済活動を基盤としてきた資本主義が何かしらの影響を受けることは避けられないでしょう。

資本主義が影響を受けても、新しい秩序が構成されて、人類が幸せに永続できるならばそれはむしろ望ましいことです。AIは、物事をより効率に、より最適にしていくという意味で人間の知能よりも優れていると思うので、おそらく社会は望ましい方向に向かって行くのだと思います。

「太陽の王ラムセス」で、ラムセスの父セティ王は、ラムセスに対して、統治とはファラオによる支配でありファラオの役割とは法に委ねることであることを教えます。王がいるから法が守られ、王になることは、自らよりも法を優先しなければならないという、孤独との戦いを続けるということを意味します。しかしエジプト文明は崩壊します。モンテスキューが法の精神で三権分立を唱えます。絶対的な王ではなく、権力のバランスと相互監視が、法の秩序を維持するようになります。

AIができることは、人間のごく一部ですが、そのごく一部は、法による統治のかなりの部分をカバーしています。例えば、法典を正確に覚えること、新しい法律を更新すること、などは従来のコンピュータの機能の領域でカバーできる内容でしたが、過去の判例というビッグデータを手にいれたAIは、新しい係争における法の解釈において、人間よりも優れた解釈をする可能性があります。

しかしAIによる法の解釈が人間による法の解釈よりも優位に立った時点でそれは法による支配ではなくなります。AIはファラオにはなりません。ファラオは恋もするし、絶望もするし、嫉妬もする一人の人間だからこそ、法による統治が安定します。

法律がAIの活用に適しているというのは誰でも考えつくことです。そしてその開発は、膨大な工数との勝負だけなので、必ず誰かがやるでしょう。そして出来上がったAIは、法治国家の下ですばらしいツールになるでしょう。その技術は国境を超え、夢のような世界を見せてくれるに違いありません。そのツールをコントロールするのが人間。しかし、人間が従うのは法。ここで大きな矛盾に直面することになります。だから今、国連でAIの倫理が議論されている。一方で、世界は分断され始め、保たれていたバランスは崩れつつあります。バランスが保てなくなると、人はよりかかるための拠り所を求めます。エジプト文明には、ファラオという強力な拠り所がありました。ファラオがなき世の中で、AIが客観的なツールとして拠り所にならないか、心配です。AIの脅威に対抗するために、AIを拠り所とする。人間のバランスが崩れると、なんだかんだでAIからは逃れられなくなります。司法、立法、行政、AIの四権分立は有り得ません。そもそもバランスがとれていない。

新しいツールの開発は、富をもたらしますが、誰から新しい富を手にするということは、誰か、または何かが、古いものを失っているということを意味します。AIがこれから活躍するフィールドは、これまで未開拓の分野だったので、それだけもたらす富も巨大です。すなわち、失うものも巨大。だからこそ世界は、こういった新しい危機に対処できるバランスが必要です。今の世界にはファラオがいません。徳川家康のように世界各国の首脳に参勤交代をさせることもできません。法による秩序がAIによる秩序と混同しないように、一人一人が、愛と死を忘れないように、日々の恵みに感謝しながら生きることを、これまで以上に、心がけていかないと、本当に映画のマトリックスの世界になってしまうと思います。

2018-01-07 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Occasion

旅に出ると、旅をしている人に会います。今住んでいるところにも、旅でやって来られている方もいるかも知れませんが、日常ではそういった方にはなかなかお会いすることはありません。しかしわずか1日でも、旅に出ると、やはりそこには、旅に来ている人がいて、偶然旅先で出会うことになる。

旅の目的は人それぞれです。同じ目的地でも、やっと休みが取れて、3年も前から計画していた旅で、何百キロ離れたところから何日もの旅程で来る人もいれば、ちょっと暇だったので、ブラッと日帰りで旅に来た人もいる。しかし、出発地や旅の理由は違っても、旅先で出会う人は、何かしらの共通点がある人です。例えば、鉄道が好きだったりとか、子供が高校生になって相手をしてくれなくなったとか、間接的に仕事で付き合いがあったりとか。

もしかしたら、人は引き寄せ合う力を持っていて、その引き寄せ合う力っていうのは、旅に出た時に高まるんじゃないかな?あるいはその逆で、旅に出ることで好奇心が高まり、日常ではまったく関わりあうことがない人同士でも、旅先では、なんとか関わろうとする努力を無意識のうちにしているのか?

でも、これって結局、同じことだと思います。それなりの年齢になれば、いろんな経験もしているし、いろんな趣味も関心もあります。だから、たまたま出会った人と、共通の話題がゼロってことはまずないと思います。つまり旅の力は、誰もがもっている「心のスイッチ」をオンにしているだけのこと。心のスイッチをオンにしている人同士が、引き寄せ合うのは当然のことで、旅っていうのはつまり、そのきっかけ作りのように思います。

Occasionは、出来事というニュアンス、理由というニュアンス、きっかけとか、たまたまといったニュアンスを含んでいます。Occasionっていう表現が使われると、常に日常繰り返されていることではない、っていう意味合いが伝わります。日本語で、これに相当する言葉はなかなか見つからないな、と思います。

英語圏の人も、アジア圏の人も、同じように旅をします。どちらも一人旅をする場合もあれば、団体旅行をすることもある。ただ、アジア人の場合は、団体旅行が多いと思います。団体旅行の場合は、プロの旅行会社がパーフェクトなプランニングをしてくれるから、なかなか大きなOccasionは起こりません。例えば電車が止まるといった大きなOccasionが起こったとしても、プロの力で最終的には最適な方法を取ってくれます。もちろんそれでも、たくさんの小さなOccasionが必ずありますが、団体旅行だったりするとOccasionはただの旅の話のネタで終わってしまい、自分の栄養にはなかなかならないこともあります。やっぱり心のスイッチをオンにしてOccasionを楽しむには少人数の方がよいと思います。

Occasionは、不自然な介入をすると台無しになってしまいます。一人になりたいときは一人になり、誰かと関わり合いたい時には、普段は見せない能動的なアクションが必要になります。旅の恥はかき捨てと言いますが、一人旅はまさに、人との出会いというOccasionを求める上で最適な機会と言えると思います。

人との出会いだけでなく、物との出会いもOccasionです。特に本との出会いは際立っています。目的としていた本が書店になくて、そのまま帰るという経験はあまりなく、大抵は別の本を買って帰ると思います。この時に買った本が、自分の考え方に大きな影響を及ぼすことが多々あります。別に欲しくなくても買ってしまったものもOccasion。家とか、車とか、大きな買い物をするのも、計画的な人だけでなく、Occasionの人はかなりいるのではないかな、と思います。人や物との出会いもOccasion、別れもOccasion。

一歩家から出ると、そこにはOccasionがあります。日常も重要ですが、それがためにせっかく得たOccasionを失ってしまうのも勿体無い。旅に出て、旅先で旅人と出会って、刺激を受けて、家に帰ってきて、日常に戻ってから、「一つ一つのOccasionを大事にしていきたいな」と、思いました。

 

2018-01-04 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Equivalent

感動的にうまい食事に出会うことがあります。どうやったら、こんなうまい料理を考えつくのか?料理人の方は天才です。では、この天才、一流の大学を出ているかというと、実は高校にも行っていなかったりする。中学出てから日本の料亭で修行をして、その後イタリアンとかフレンチとか渡り歩きながら、修行に修行を重ねて、ようやく夢がかなって自分の店を持っているようです。

うまいのは料理だけではありません。接客も一流。店内の内装もすごいセンス。マーケティングやプロモーションも一流です。

では、この料理人の方、中学生の頃から優等生だったかというと、きっと必ずしもそうではないでしょう。もしかしたら、落ちこぼれだったかも知れません。でも中学の時から、料理人になると決めていたそうです。40歳過ぎても、何になるか決めていない私とは雲泥の差。これではどれだけ背伸びをしても同じ目線の高さにたどりつけません。

いつの間に、こんなに大きな差がついたのか?私だって、それなりに頑張って来ました。でも、例えば同じ絵を見ても、明日の天気の話をしても、その料理人の方のセリフは常に私を驚かせます。きっと私のセリフはその料理人には、驚きを与えることは出来ていません。これこそが、同じ年月を歩んで来た中で出来てしまった圧倒的な差。

決して人のせいにするつもりはありませんが、若い頃にチヤホヤされて、優等生扱いをされると、人は、自分をその優等生という枠組みに当てはめようとすると思います。引き立てられれば、成長も加速しますが、奢りも生まれます。そしてその成長の方向はその枠組みの中であり、そして奢りは、その枠の中にあるモノサシではかることによる優越感に繋がります。自分がどんなに気をつけていても、「他の人よりも優位」という感情は少なからず生まれてしまうと思います。これは地位とか名誉とか、所得も一緒。特に、お金は、お金で買えるものがたくさんあるために、一番この「優位」という錯覚を引き起こしやすいです。

ヒトは、二足歩行するようになったことにより、森から、草原へと世界を広げました。大型の捕食動物に襲われた時に、逃げるための木がなくなったので、戦うための知恵を身につけました。そして、知恵よりも強力な仲間も持つようになりました。そうやって、強力な敵と戦うために、ヒトには「助け合う」という遺伝子が組み込まれました。知恵を持ったヒトが数人集まれば、ライオンにだって、オオカミの群れにだって勝つことができます。いつ襲われるかわからない状況の中で、そうやってヒトが自分たちよりも強く、早く、大きい動物に、常に勝つための戦略として作り上げたのが秩序。

ヒトの群れは秩序ができた故に、他のヒト群れと出会った時に、ぶつかります。同じヒトなのに、秩序が違うと、秩序を守るために、戦います。これが戦争。戦争に勝った方が、戦争に負けた方に、自分たちの秩序を押し付けます。世界は二度の世界大戦を経験することにより、戦勝国によって大きな秩序が作られました。冷戦が集結し、資本主義と民主主義からなる、大きな秩序が形成されました。

優等生だって、金持ちだって、偉い人だって、みんな、この作られた秩序の中でだけ、優位に立っているだけであり、人間として優れているという意味にはなりません。でも生まれたときからこの作られた秩序の中で生きている、戦後生まれの私たちは、自然とその秩序をあるものとして受け入れてしまう。

 

結局、人間ってすべて公平だと思います。優劣の差はあくまで作られた秩序における判断基準でしかありません。自分が優秀だと勘違いして、その居心地のいい秩序の中でだけ取り組んでいると、その秩序に縛られない人が、気がつけば自分よりはるかに高いところもピョンピョンと飛び跳ねながら、あっという間に追い越してしまうことになります。だから、チヤホヤされて、自分を見失うと、必ず人は衰退の方向に向かうことになります。

2018年。世界の秩序は大きな変化を遂げようとしています。ノーベル平和賞のICANのペアトリス・フィン事務局長のスピーチは、地球と人間の存続が、核の傘という作られた秩序と対立構造にあることを感じさせてくれました。命よりも大事なものはないにもかかわらず、それを一瞬にして失わせることができる核兵器がすでに1万5千個も配備されており、しかも増え続けている。そんなシンプルなことを訴えただけであるにも関わらず、批判が集まる。その批判をしている人たちが正しいかどうかは、頭の悪い私には分かりませんが、その批判をしている人たち、核の傘という秩序の中にいる人たちであることは間違いないような気がします。秩序の外にいる人たちからすれば、核がなければ平和を守れない秩序を作った人たちが、自分たちの都合で「核がないと平和を維持できないぞ!」と言っているように感じると思います。だったら、自分達も核をもったら、その秩序はどうなるかな?と考えるのは、当たり前と思いますが、実際に秩序の外にいる北朝鮮がそのとおり核を持つと、秩序の中にいる人たちの口からは、平和ではなく戦争がチラつくようになってしまいます。少なくとも、「核」は平和だけのためのものではないようです。

秩序の中にいる人が、秩序の外に出るってことは、自分の帰属を失うことだと思います。それは誰でも辛いこと。地位も名誉もお金も失っても、帰る家は失いたくない。できる限り、秩序の中にいたいでしょう。だったら、他の秩序も尊重すべきだと思います。

秩序の中にいる人たちの中で、秩序の外にいる人を敵だと考えずに、ヒトが二足歩行を初めて、捕食動物からの危機に立ち向かった時を思い出し、秩序の中にいる人も、外にいる人も、生態系の崩壊と地球環境の破壊という今ある最大の課題のために、みんなで助け合いの遺伝子でつながりあって、取り組むべきだと思います。

自分が秩序の支配者として君臨しようという気持ちがヒトの中からなくなり、助け合いの精神が一番優先となり、そして、その大前提の中で、贅沢でなくてもいいから、盆と正月くらいは、うまいものを食べたいな、と全世界のヒトが、それぞれおもった時、一流のシェフが、全世界の人に対して共通に、自然の食材をつかった、とんでもなくうまい飯を、これもまた助け合いの精神で、作ってくれると思います。

2018-01-01 | Posted in BlogNo Comments » 

 

An Encounter

出会いは必要必然です。どの会社に入るか、どの部署に配属になるか?目に見えない様々な必然の結果、あるべきところに収まるように出来ていると思います。目に見えない様々な必然とは何か?基本的には五感だと思います。この音楽が好きだ、この風景が好きだ、この感触が好きだ、といった、個人が元来もつものと、さらに、自分を見つめ直して、音楽とはこうあるべきだ、風景とはこうあるべきだ、感触とはこうあるべきだ、という未来への変化に対する期待、それに少しだけの過去の経験が重なって必然が形成されると思います。

サザエさんの漫画、声優、主題歌。これだけ普遍的な出会いはなかなかないと思います。そして日曜日の夕方とサザエさんとの出会いもまた普遍的。月曜日の朝のサザエさんは想像もつきません。

スタンダールの赤と黒。赤と黒の意味するところは分かりませんが、「生まれる時と場所を間違えた」という言葉に運命を感じます。存在するのは愛と死のみ。誰との出会いも求めていなくても、出会い、愛し、そして死ぬ。愛と死が普遍だから、出会いもまた必然にならなざるを得ないと思います。出会いが必然で、そしてそこに必ず愛と死が介在する以上は、戦いはなくならないと思います。

少年漫画のワンピースには、世界政府が存在します。世界政府が存在していることと、戦いが続いていることの組み合わせは必然だと思います。法治国家は、人の支配ではなく、法の支配に委ねるから存在します。人が、法に、支配に委ねられるのは、異なる文化を受け入れる許容性が前提です。出会いが、五感によって必然ならば、世界が小さくなればなるほど、戦いの場が増えるに違いありません。世界がテクノロジーによって、どれだけ小さくなっても、愛と死に答えられるのは宗教だけ。人は愛のために生きて、愛のために死ぬならば、宗教は最後まで一つになりません。対立は大きくなるばかり。

トランプ大統領は、喧嘩の天才だと思います。喧嘩の天才は、絶対に人を殺しません。愛の手前にあるのは死。死に至らずに愛を手にいれるのは難題ですが、喧嘩の天才はその術を知っています。しかし、今の世界の指導者達に喧嘩の天才が何人いるでしょうか?安倍首相、習国家主席、モディ首相、マクロン大統領などは、喧嘩の天才だと思いますが、全世界を見渡すと、こういった平和という幻想の中で、平和は作られたものであるということを知った上で、喧嘩という形で偽装の戦いを繰り広げることができる喧嘩の天才は、世界の中でも一握り。相手を誤ると、喧嘩をしているつもりが、いつのまにか殺し合いになってしまいます。土俵からはみ出てしまっている場外で戦ったら、そこでの出会いは無制限になってしまいます。出会いが無制限ということは、愛と死も無制限ってこと。

出会いは必要必然。魚を箸で食べる日本では、器用に小さな骨を取りそぞいて美味しく食する経験が、精密部品を作り上げる技術の基盤となっているような気がします。日本の技術力もまた、必要必然の出会いから生まれていると感じざるを得ません。北方領土も沖縄も、東と西が出会った時に起きる強烈な衝撃を緩衝するための不可欠な役割を果たしています。米軍が北方領土に基地を作る可能性がある限りは絶対に北方領土は返還されません。だから沖縄に米軍基地が集中する。宜野湾基地の隣の学校に窓が落ちて来たのは、単なる一つの事件としてではなく、五感を前提とした必要必然の出会いとして、真剣にその理由を全員で議論すべきだと思います。

土俵の外では、どんな出会いが生まれるのか、誰にも分かりません。ただ、世界一の大国が、「エルサレムをイスラエルの首都だ」とやってしまった以上は、これからは誰もが土俵の外を意識せざるを得なくなりました。そこにはもう、作られた平和はありません。あるのは必要必然の出会いのみ。その出会いとは愛と死です。

平和の中に使っていると、平和を維持することの大変さが分からなくなります。これだけ変化が早く、複雑で多様な世の中では、昔よりも平和を維持することは難しいはず。だから、五感を鍛えないといけないと思います。イスラエルで生まれ、ドイツに住むイスラム教シーア派の家族をもつスンニ派のサザエさんの物語があって、その主題歌を、ヒスパニック系アメリカ人が作曲し、インドネシアの華僑が作詞するような、そんな普遍的な、必要必然の出会いを、信じています。

2017-12-24 | Posted in BlogNo Comments » 

 

make, use and then

お金を稼ぐのと使うのはどちらの方が難しいか?

稼ぐのが簡単な人もいれば使うのが簡単な人もいると思いますが、簡単に稼げると思っていると、そのうち稼げなくなりますし、簡単に使えると思うと、そのうちお金がなくなります。結局答えは、どちらも難しい。

一般的に、若いうちはお金の稼ぎ方を一生懸命勉強して、歳を取るにつれてお金の使い方を一生懸命勉強することになると思います。問題は、お金の稼ぎ方とお金の使い方は全く異なること。お金を稼ぐための方法がたくさんあるのと同じように、お金を使う方法もたくさんあります。お金を増やすために使う方法もあるし、困っている人を助けるために使う方法もあるし、自分自身を成長させるために使う方法もあります。お金を稼ぐことに天賦の才能がある人もいれば、お金を使うことに天賦の才能がある人もいます。その両方を天賦の才能として最初から兼ね備えている人はおそらくいないのではないかなと思います。どちらかに秀でていても、必ずどちらかが劣っている。人間は公平にできています。重要なのはバランスだと思います。

道具についても、作る人もいれば、使う人もいます。作る人は使う人がいるから作ります。だから、使う人が使いやすいように道具を作ります。名刀正宗は、なぜ名刀かと言えば、よく切れるからです。よく切れる名刀を、どうやって使うかは、使う人次第。刀工である正宗氏は、たくさんの人を殺してほしいという願いを込めて、名刀を作り続けたのではないはずです。その一方で、自分の名刀が人を傷づける道具になるということも十分知っていた。そのジレンマと戦うことができたからこそ、名刀を生み出したと思います。

原子力爆弾を生み出したマンハッタン・プロジェクト。たくさんの人を殺すためではなく、戦争をやめさせるために、一流の頭脳達が必死になって発明したはずです。しかしそのジレンマは、名刀正宗とは違ったはずです。刀を作ることが人生である職人は作るのは自分だけ。作ると決めるのも自分だけ。すべて自分の責任。国家のプロジェクトに参画した頭脳達は、作るのは自分だけではありません。共同作業です。また、作ると決めるのは自分ではなく、他人です。もしかしたら作りたくない人もいっぱいいたかもしれません。そして、こうやって完成した道具は、職人の魂が伝わりにくいので、誤った方向で使われる可能性が高いと思います。だから、使う方が、ちゃんと使い方を知っている人でなければいけない。

ドローン、AI、ロボット。今たくさんの道具が生み出されています。それを作った人は、使う人のことを考えて作っています。でもそれを使う人たち、つまり我々は、その使い方をちゃんと知っているでしょうか?ドローン、AI、ロボット。いずれも一人の職人が、自分の魂を込めて作ったものではありません。資本主義の原理に基づいて、競争社会の中で生まれて来たものです。だれが作ると決めたのか、作ってしまったものに、誰が責任を負うのか?

サッカーボールは、サッカーをするためのものです。卓球をするためのものではありません。卓球をするためには、卓球のボールがある。こんな当たり前のことが、新しいテクノロジーでは当たり前ではなくなります。誰かが作って、誰かが使う。もしかしたら使う人がいなくても作る。もしかしたら、できてから、使い方を考える。それが間違って使われた場合に、誰が責任を負うのか?

誰も責任を負いたくありません。そして、誰にも責任を負わせることはできないでしょう。今社会はそういった方向に向かっていると思います。このスピードに追いつく法規範が必要です。一瞬で国境を越えることができる時代、その法規範は国際的なものでなければなりません。未だ国際的な憲法が存在していない中、条約だけがその規範を作ることができます。

まずはみんなで、使い方をちゃんと決めるべきじゃないかな、と思います。リオのセヴァン・カリス=スズキさんの伝説のスピーチ「どうやって直したらいいか分からないものを壊すのはもうやめてください」は1992年。みんな感動して、COPは今も続いているけど、我々はまだ、直し方がわからない地球環境を壊し続けています。使い方がわからないものを作り続けると、もっとたくさん壊すことになると思います。

分かっていても、止められないか?そんなことは、決してないと思います。パリ協定、そしてタラノア合意みたいな素晴らしい合意をする力を、人間は持っています。テクノロジーの使い方だって、きっと合意できるはずです。

2017-11-26 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Reset

朝街を歩いていると、まだ開いていない店舗の中で、開店準備をしている人たちをガラス越しにみることができます。どの店も開店準備の時間はとても忙しそう。開店前の店舗にはエネルギーが溢れていると思います。開店前に店の前で並んで待っている人もいます。それぞれ来店の目的は様々でしょうが、早く店が開いてほしいと思っている気持ちは、一緒だと思います。

開店前の店舗って、素敵だな、と思います。毎日、準備をする。その準備は来てくれるお客様のためです。そしてそのお客様が買い物をして帰って、満足したお客様はまた来てくれる。満足したお客様でも、もっと満足した店が他にあれば、次からはそっちに行ってしまうでしょうから、お店は毎日一生懸命です。

小学校とか中学校の時のクラス替えを思い出しました。誰と同じクラスになるかな?と、クラス替えの時はワクワクです。でも次第に慣れます。1年経つと、またクラス替えにワクワク。そして41歳になった今、小学校や中学校の時の友達と会うことはほとんどありません。年賀状を交換するだけ。でもすごく久しぶりに会った時、これはまたワクワクです。

開店前の店舗にエネルギーが溢れているように感じるのは、このワクワクが原因ではないでしょうか?今日は誰が来てくれるかな?今日は忙しくなるかな?

そして1日が終わり、疲れきる。でも翌朝にはまたワクワクです。朝エネルギーに溢れ、1日で使い切って、ヘトヘトになって寝る。起きた時はまたエネルギーに溢れている。生きていれば、いいことも嫌なことあるけど、朝起きた時に何かしらのワクワクが待っているというのは、全員に共通だと思います。1日をリセットするのが夜の間。朝はワクワクする。クラスをリセットするのがクラス替え。クラス替えはワクワクする。1週間をリセットするのが週末。月曜にはワクワクする。1年をリセットするのが大晦日。正月にはワクワクする。これからやってくる未来に対して、みんな毎日、毎週、毎月、毎年、ワクワクしています。

ワクワクを感じなくなったらつらいなと思います。毎日同じ道を通って、毎日同じ服を着て、毎日同じ人に会い、毎日同じ話をして、毎日同じものを食べる。嫌なこともないかも知れませんが、いいことがあるかもっていうワクワクもありません。

24時間開いているコンビニエンスストアは、ワクワクを持つのが大変だと思います。自分の都合のよい時間に送ることができるメールを多用していると、素敵なコミュニケーションがあるかもというワクワクを持つのも大変になると思います。見たい時に、みたい番組をみることができるようになると、映画館にいく時のようなワクワクを持つのも大変になると思います。

みんなが気持ち良く協調して生きていくには、ある程度のリセットが必要なんじゃないかな?国連の安全保障理事会も、IMFの議決権もリセットしたらいいんじゃないかな?全部リセットしたら、国際社会は機能不全になると思いますが、意図的に一部、リセットしてみることも大切なんじゃないかな、と思います。

一旦リセットして、みんなでワクワク。世界が一つになった時に、みんなが同じことをするのではなく、みんなが違うことして、それぞれがワクワクしていると素敵だなと思います。

 

2017-11-12 | Posted in BlogNo Comments » 

 

One Hand

先週、コンサルタント時代の大先輩と食事に行きました。年齢は私よりも5歳程下ですが、私にコンサルタントとは何たるかを教えてくださった大師匠です。

今回もたくさんの学びをいただきましたが、一つ反論したことがありました。その大先輩は私同様コンサル会社を退職してサラリーマンをしています。当然、自分で受注して自分で実行して自分で回収するコンサル時代とは違って、仕組みの中の一つとして動く日々に変わっています。そのことをその大先輩は、「片手で仕事をしている」と表現していました。

私が反論したのは、「だったら、両手で仕事するようにしなければいけませんね。」という内容。その時点で、その大先輩は一言も返事をせず、自然と別の話題に移りました。その日は楽しい飲み会で終わったのですが、翌日になって考えてみると、「深い」と思いました。

今、副業を奨励する企業が増えています。副業によって様々な経験を積み、それが自社に戻って来ればイノベーションが起こるということが目的だと思います。そもそも組織内部の取引コストが下がっているので、従来のようなピラミッド型の雇用形態は崩壊し、様々なバックグラウンドを持つメンバーをプロジェクト毎にマネジメントするプロジェクトマネジメントが重要なスキルになり、従来のような部長とか課長とかそういった役職はそのうちなくなると思います。組織内部の取引コストが下がっているのはICT技術のためです。情報はオープンになり、スピードは早くなり、今や課長がハンコを押して、部長がハンコを押して、担当役員がハンコを押して、社長がハンコを押してなんていう無意味な意思決定は成り立ちません。これはすでに世の中で起こっている明らかな事実。

「片手で仕事をする」ということは、このことを意味していると思います。組織内部の仕事を片手で、組織外部の仕事をもう一方の手ですることによって、バランスを保つことができます。組織内部の仕事を両手でしていると、組織の枠を超えた仕事など一つもできず、それは結果として組織にとってマイナスになると思います。

人には、右脳があり、左脳がある。どんな美しい顔であっても、右側を隠した場合と左側を隠した場合は全く別の顔です。どんなに素晴らしい人格者でも必ず内面には悪の心がある。バカと天才は紙一重と言われます。成功と失敗には常に一つのターニングポイントがあります。ICT化が進み、情報の量と取引のスピードが早まり、世の中がどんどん「効率化」という一つの方向に向かって、いろんなものを飲み込みながら突き進んでいる時代だからこそ、みんなが片手を外に出すことが重要ではないかな?と思いました。

私も今はサラリーマン。少なくとも今は、両手で仕事をしていますが、毎月の雑誌の連載やフランス語など、コンサル時代から何年も続けていることはたくさんあり、確かに片手を出そうと思えば、出せる要素はたくさんあります。少し私も、片手で仕事をすることを考えていかなければならないな、と改めて感じました。

サラリーマンである以上、片手で仕事をしたとしても、両手以上の成果を出せるようにならないといけません。でも片手で仕事をした方が、両手で仕事する以上の成果が出せるような気もします。

2017-11-05 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Infrastructure

台風が続いています。自然の脅威に対しては、いくら準備しても万全ということはないと思います。

一方で、日本の災害に備える姿勢はすごいと改めて感じます。日本のインフラを重視するという姿勢は世界各国を見ても際立っていると思います。あらゆる物事に共通だと思いますが、これは過去の歴史でリーダーシップを発揮してくださった方々のおかげで、今の環境があると思います。

2005年ころ、北京にあるハイテクパークにある企業に技術ミーティングに行ったのですが、そこにたどり着くまでにデコボコの道を水たまりの中で進んで行ったことをよく覚えています。前日に空港からタクシーで市街に向かう際に見通しが悪く、気がついたら目の前にどんと摩天楼が現れたことを覚えています。そして、そこで働いている、英語を流暢に話し、技術も歴史も文化をよく知っている自分よりもはるかに優秀な中国の人々に驚きました。そういった超優秀な人たちによって、デコボコの道はあっという間に整備された道路網になり、北京の空気は綺麗になって見通しがよくなりました。

2010年から2014年までは月1回中国に行っていました。毎回、たった1月でこんなに変わるんだと思いました。今も中国はすごいスピードで変化し続けており、すでにデジタルの分野ではとっくに日本を追い抜いています。市場の大きさを考えれば、変化のスピードの差はどんどん広がっていくと思います。

中国が10%を超える高い経済成長率を続けたのは世界の工場として世界中に安価な製品を提供したところからだと思います。その生産は、多くの外国資本によって担われてきました。外資に対して厳しい規制があり、また出資比率も当初は100%が認められた業種はほとんどありませんでしたが、それでも多くの外資が安価な人件費と優秀な人材を目指して世界の工場である中国への投資を進めました。

私が知っているのは、それくらいです。しかしそのもっと前に、外資を迎え入れるためのインフラを整備している時代があったはずです。電気や水道がなければ外資は生産ができません。鉄や石油化学などの素材産業がなければ原材料の調達もできません。インフラがあって初めてその上に産業が形成されます。そして、そのインフラの構築のために、日本のODAは少なからぬ貢献をしていたと思います。製鉄産業ももともとは新日鉄からの技術支援です。火力発電の技術ももともとは日本の重工業からの技術支援です。インフラ構築のために、日本の民間企業も少なからぬ貢献をしていたと思います。

2010年から2014年の間は、様々な国を訪問させていただきました。ミャンマーではダウェイ、チャオビュー、ティラワの3つのプロジェクトが進んでいて、タイ資本、中国資本、日本資本がそれぞれ開発を主導していました。モザンビークでは新たなエネルギー資源開発のために新たな資本を呼び込むところでした。ベトナムのホーチミンには日本のODAによる技術供与で鉄道の駅が建設中でした。インドネシアはバイクの年間販売台数が1000万台を超えるという見込みが立っており、そのほとんどが日本メーカーでした。アジア各国にはイオンができていました。

ODAの金額は減っていますが、技術供与という形では各国への支援は今も続いています。十分な経済発展を遂げたタイなどでもまだJICAの支援枠組みは残っています。世界中の途上国で、インフラを作り、外資を呼び込み、そして自立を支援するために、今も日本の税金、そして技術が、少なからぬ貢献をしています。

資本主義は根源的には搾取の構造だと思います。強者は搾取してますます富み、弱者は搾取されてますます貧しくなる。技術と資本がある国の企業が、技術と資本がない、人件費の安い国に行って、安い賃金で過酷な環境で現地の人材を使って、富を得ることはある意味、資本主義の勝ちパターンです。日本は資本主義の国。少なからず、結果としてそういった構造の一部を形成していることは、否めません。でも、いろんな国のいろんな日系企業を訪問させていただきましたが、搾取を目的としている企業は、一切ありませんでした。断言できます。むしろ、ベトナムに行けば、ベトナムの日系企業の社長は、ベトナムのためにという発言をします。タイでも、中国でもそう。

そしてそういった企業は、洪水が起こっても、人件費が上がっても、反日感情が高ぶっても、今も事業を継続しています。現地のインフラを作るところから、自立するまでを、いろんな立場の人たちがそれぞれ、役割を果たしながら、各国の発展を応援しています。心から。

中国は今や日本の経済規模をはるかに凌いでいます。そしてその差はどんどん拡大しています。そのことを、妬む日本人はいるでしょうか?絶対にいません。むしろ、それを支援した人たち、何かしら関わってきた人たちは、喜んでいると思います。その成長を応援できたことに。

政治と経済。このテーマには、常に、利害の衝突があります。当然、どちらかが勝ち、どちらかが負けることもあります。日本は敗戦国です。利害を考えたら、復讐という言葉が出てきてもおかしくありません。でも、誰もそんなこと言わないし、考えたことすらありません。これは洗脳ではありません。日本人は、世界の人々が、自分たちと同じような生活環境で、充実した人生を送れるようになってほしいと思っています。そのために、税金を出すのは当然だし、使命感ある方は自らの手と足も動かす。これを日本はずっと続けています。世界中のインフラが整うまでは続けるでしょう。

世界中のインフラが整うのは、いつか?どうすれば、世界中のインフラが整ったことになるのか?それはわかりませんが、せっかく、大先輩たちが作ってくださった歴史を、引き継いでいくことが、私たちの役割だと思います。もともと豊かな環境で育つことができた私たち。

世界は一つになるでしょうか?そのためには、たくさんの利害を調整しないといけないと思います。道路を作った時と同じように、誰かがリーダーシップを発揮しないといけないと思います。時間がかかるから、それは何世代にも渡って行われると思います。世界中のインフラが整うことと、世界が一つになることは、同じではないかなと思います。

歴史は、インフラであり、インフラは歴史だと思います。どちらも、一人一人の当事者の心が作ってきたものです。台風が来て、自然災害の脅威を感じる時に、そのことを思い出します。そして、ずっと忘れないようにしないといけないな、と思います。

2017-10-29 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Why, What if

勉強が楽しいか?本来は楽しいものです。生きることは成長すること。成長するためには栄養が不可欠。教養は栄養の重要な一つの要素です。

しかし勉強が嫌いになることがあります。なぜ、本来は楽しい勉強が嫌いになるか?

一つの理由として、そこに競争という要素が加わるということがあります。人は誰も比べられたくない。もし比べられるならば、優位に立つ必要があります。プライドとか自尊心が、人よりも劣っているということを簡単には認めさせてくれません。だから、受験勉強とか、資格試験とか、勝つための勉強は楽しくなく、苦しいものです。

もう一つの理由は、どんなに頭が良くても、「できない」という現実に直面せざるを得ないことがあります。私も算数の時はよくできましたが、数学になった瞬間、できなくなりました。だから今でも、足し算、引き算、掛け算、割り算以外はできません。

そして嫌いになった勉強が、大人になると、また好きになります。なぜ嫌いな勉強が好きになるか?それは働いたり、家庭を持ったりしながら、必要なことを学ぶうちに、自分の得意・不得意がわかるようになって、自然と自分の好きなことにどんどんのめり込んでいくからだと思います。だから人は、どんどん専門特化していく。算数しかわからなくても生きていけますが、生きていくためには自分の専門領域は勉強し続けなければなりません。その勉強が好きになれないと、日々苦しいことになります。早い段階で文系と理系を区別してくれる日本の教育制度に感謝です。

さて、好きな勉強と嫌いな勉強の差は、自発的に学ぶか、強制的に学ばされるかの、差だと言えます。料理のレシピならば覚えられるけど、円周率の3.14以降はなかなか覚えられません。円周率の3.14以降を覚えられる人は、それ自体に面白さを感じるコツを手に入れた人だと思います。

そのコツとは何か?それは、何故?と思うことだと思います。そして、何故からさらに、もしこうっだったら、どうなるだろう?と思うことだと思います。みりんの代わりにワインを使って見たらどうだろうと。カレーにトマトを入れて見たらどうだろうといった楽しさは、すべての勉強に通じると思います。

問題はすでに、みりんの代わりにワインを使うレシピが存在していること。カレーにトマトを入れることはすでに特に珍しいことではないこと。だんだん、何故?とか、もしこうだったらどうだろう?と思うことが難しくなっています。

なぜ、イスラム国は、イギリスとフランスを狙うのか?人には歴史的に積み重ねられてきた感情があるからだと思います。イランが隣国イラクの状況を見て、核開発をしたのは、日本がエネルギー資源の供給をストップされて太平洋戦争に踏み切った時と同じ数の選択肢しかなかったからだと思います。リビアのカダフィ大佐が殺されたのは、石油メジャーが独占していた石油価格の決定権を、OPECにも与えたからだと思います。経済が不安定なのは、農業や工業のように各国の規制が働かない金融というテーマの存在感が大きくなっているからだと思います。でも、真実はわかりません。わかるのは神のみだと思います。何故?を繰り返すしかないでしょう。

明確な真実もあります。英仏の百年戦争がなぜ終わったか?結婚のためです。王の結婚は、個人の感情を克服できる。

人は、本来、勉強が好きです。宗教も勉強。科学も勉強。歴史も勉強。宗教が政治的に利用されないように、政教分離が行われており、公立学校のカリキュラムでは宗教の科目はありません。それはそれでよいこと。

宗教も哲学も、科学も、常に、何故から生まれています。その何故は、生と死という永遠のテーマに起因しています。その何故に唯一答えるのが愛。

勉強するボリュームは時代とともに多くなります。専門の数はどんどん増えます。競争もますます激しくなります。情報もますます溢れることになります。だからこそ、本質を忘れないために、何故?を忘れないようにしなければならないと思います。物事を解決するのは、専門という名の下に枝分かれした先っぽではなく、本質だと思います。本質は、常に愛。

2017-10-22 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Sensitivity

人は大都市に集まります。大都市は確かに便利。大都市に人が集まると、消費規模が拡大します。大きな消費市場はビジネスチャンスです。ビジネスチャンスが拡大すると人材が必要になります。大都市には職があります。職を求めて、働き手は大都市に集まります。優秀な人材を獲得するためには大都市が有利。大都市はどんどん上に高く、下に深くなっていきます。

世界中の大都市で、同じことが起こっていると思います。

 

地方の上空には、様々な鳥が飛んでいます。雁の編隊飛行は、空気の抵抗を改めて感じさせてくれます。仲間の必要性も。でも大都市は、編隊飛行をするためにはあまりにも障害物が多すぎます。代わりに飛行機が頻繁に訪れます。飛行機はちゃんと決まった場所を飛び、決まったところに降り立ちます。

雨が降ると、土の上は水たまり。でも雨降って地固まる。でもまた雨降って、水たまりができる。そしてまた固まる。土は土のまんまで、水は水のまんまですが、草が生えて、成長して、花を咲かせたりします。変わるものがあれば、変わらないものがある。変わらないものも、よく見ると変わっている。でも大都市はアスファルトです。水たまりは改善の対象です。大都市における水たまりはあまり役割を期待されていないようです。大都市の地上は、人間様が歩くところ。そもそも変化は期待されていません。

 

日本は四季が豊かと言われます。それには2つの意味があると思います。一つは、季節の移り変わりが大きく、気候の変化を感じやすいということ。確かに諸外国にも四季はありますが、日本の気候の変化は際立っていると思います。その気候の変化は四季の彩りを与えてくれます。花・新緑・紅葉・雪。これこそ豊かそのもの。もう一つの意味は、四季を感じる心。イギリスのような豊かなガーデニングを季節に応じて作り出すのではなく、枯山水のような質素な庭をあえて作ることで、四季による色の変化を心で感じることに重きを置いています。侘び寂び。

 

大都市では、四季の豊かさや侘び寂びを発見することが難しいです。地方では歩いていれば気がつく十五夜の美しさすら気がつかないこともある。自分で気をつけていないと見つかりません。気がつくのは暑さと寒さと匂いくらいか?

 

都市は便利を増やしてくれますが、その代わりに感性を得る機会を減らしてしまいます。人が便利を求める動物で有る限りは、都市化は止まらないでしょう。ということは、感性を得る機会は減り続けてしまうかも知れません。地方創生に一生懸命取り組んでも、テレワークを導入しても、なかなか都市化の波は止められないでしょう。だからといって大都市で感性を得る機会を増やそうとしても、高層ビルの合間を雁が隊列を組んで飛ぶことは不可能ですし、アスファルトの上に草が根をはることもできません。

 

一方で山登りがブームになっています。美術館はどこも満員。都市に住む人の、感性を得ようとする気持ちは決してなくなっていないと思います。と、いうことは、都市化が進めば進むほど、人に感性を与える機会を提供するというニーズは高まり続けるような気がします。

 

日本の都市が、世界一魅力的な都市になるために重要なのは利便性か、それとも日本らしさか?日本らしさには、四季があるからこその美しさがあると思います。冬は寒いけど美しい。夏は暑いけど美しい。冬の厳しさを乗り越えた春の美しさ。冬の厳しさを迎える前の秋の美しさ。

 

日本の大都市が、世界一不便な大都市になった時、世界一美しい都市になるんじゃないかな、と思います。東京や大阪はもはや無理だと思いますが、そうなれる大都市が、日本にはたくさんあると思います。鳥の道を塞ぎ、草木が生えるのを防ぐ大都市ではなく、雁が編隊飛行をして、雨が降れば靴が泥だらけになる大都市に、人が集まるような、そんな日本であり続けるといいな、と思います。

2017-10-15 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Power & Authority

人は力を求めます。

「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」という言葉が重たいのは、人は常に人の上に立とうと思ってしまう習性がある故と思います。人の上に立つためには力。権力は統治のために不可欠。法治国家が成り立つのは、権力を持つ者が、自らの力を行使するのではなく法の秩序に自らの力を委ねることができる場合だけであると思います。

では、力とは何か?人間に限らず、力とは人を攻撃することができるもの、人を傷つけるものができるものだと思います。愛と死が人間にとってもっとも重要で、そして逃げられないテーマである以上、力が力たる所以は、自分以外の対象がいて、その対象を傷つける力を持ち、その力を行使しない代わりに人の上に立つことができること。

だからBalance of Powerだったり、冷戦だったり、核抑止力だったりする。

 

さて、人間は誰もが力を求めるという本質に戻ると、すなわち人間は誰もが何かしらの力を持っているということになります。その力を結集することで大きな力になる。その結集された大きな力は、秩序を変革するほどの力を持つことになります。フランス革命も独立戦争もそう。中国はその歴史を繰り返していると思います。

 

それぞれの人間がバラバラに持っている力を結集させるには、大きな方向性、大きな目的、共通の利害関係が必要です。3つの異なる表現を用いましたが、全て意味は同じと思います。捉え方が違うだけ。フランス革命の時は、「パンを食べたい」だったかも知れません。一人一人の構成員が同じ方向を見たときに力は結集します。サッカーや野球の試合はわかりやすい。勝つという目的のために、一人一人の役割をもった力が結集して、同じ構成の相手と戦います。勝つために。スポーツの場合はルール、スポーツ独自の倫理が、見事に「力」は人を傷つけるものであるという本質に蓋をしています。一方、スポーツの世界で生きる場合はそれが生活に直結することになるので、勝ち続ける者が「力」を持つことになる。だからプロとアマという2つの世界があり、アマはたとえスポーツがうまくても、趣味の世界を脱することはない。愛と死こそ、永遠のテーマです。

プロという観点では、企業という組織も力を結集させる方向性が明確だと思います。方向性は企業の利益でしょう。その利益の結果、構成員のサラリーが決まる。企業には小さな組織も大きな組織もあると思いますが、その構成員となった瞬間に、その組織なでの力関係が重要になる。その力関係は企業が結集している力を疑似していますが、実際には同じ組織の構成員を攻撃する力だったりする。人事の話題が好きな人というのはその力に対してより敏感な人でしょうし、どの組織にいようと結果にこだわる人は組織内部の構成員を攻撃する力には無関心で、むしろ組織が結集している力に関心が高い人だと思います。いずれにしても愛と死こそ、永遠のテーマです。性格の問題なので、力の内容に大きな意味はないと思います。重要なのは組織を構成する一員として幸せかどうかということ。

科学は、これまでの歴史の蓄積によって構築されてきました。過去の発明なしには、未来の発明はないでしょう。しかしこれまでの科学は愛と死に対しては何一つ答えていません。愛と死という永遠のテーマを持つ人たちが、自分なりの力を求めた結果、生まれてきた発明の結集が科学であり、科学は人を攻撃する武器として強大になり続けると思いますが、どこまでいっても愛と死というテーマに向きあうことは有りません。大切な人を失ったときに、心を癒してくれる科学があるか?

宗教は、常に愛と死に向きあってきました。愛と死に向き合う限りは、人を傷つける武器を求めることはないでしょう。しかし宗教が続けるためには組織が必要。組織が誕生すると、力を求める人たちが出てきます。いや、すべての人が何かしらの力を求めるようになります。人間だから。だから、愛と死が大義名分となって、人を傷つけるための武器を持つようになる。科学を駆使するようになる。愛と死に向き合っている組織だからこそ、行使する力は凄まじい。自爆テロという凄まじいことが行われます。だから政教分離を進めている統治形態が多い。

科学は、すでに一瞬で人類を滅ぼす力を、人間に与えました。一部の人は、見えている結末を回避するために、地球の外に目を向けます。また他の一部の人は、愛と死に向きあって、自分なりの考え方でその結末を回避しようとしています。それは一人の人間としてかも知れなし、一つの企業としてもかも知れないし、一つの国家としてかも知れない。それが人類全体の力を結集する方向性として固まれば、最悪の結末を避けることができるでしょう。70億の人類を同じ方向性に向けさせるためには宇宙人の存在が必要かも知れません。でも宇宙人がいて、人類が同じ方向性に向いて、最悪の結末を避けることができたとしても、その結集した組織の中でやはり一人一人の人間は力を求めます。

世の中に正しいことがあるのか、勝つ者が正義か?科学はこの問いにも答えていません。この問いと向き合っていたら、原子力爆弾など生まれません。正しいことがないならば、みんなで何が正しいかを決めよう。これが民主主義。それを文書にしたのが法律。その頂点にあるのが憲法。日本には憲法9条がある。憲法9条は、愛と死というテーマに向き合っている。

人に、人を攻撃する力を求める限り、科学が生まれます。科学が蓄積されて、発展していく限り、結末が見えています。その結末を回避するための方法はないのか?日本国憲法の中には、その答えがあるような気がします。

2017-10-07 | Posted in BlogNo Comments » 

 

A Slump

何もかもうまく行くということは有りえないと思います。世の中に完璧な人間はいません。だから人は常に挑戦をして、壁にぶち当たり、その度に成長していく。

世の中に完璧な人間がいないのと同じく、一人一人全く同じ能力というのは有りません。だから人は比べることが好き。優劣をつけるのが好きです。そして、劣の側になるよりも優の側に立つことが好きです。その結果、人は努力をする。生まれ持った才能の差を、努力で埋めることができる場合もあればそうでない場合もある。だから才能がないと言ってやめることは悪ではないし、逆に才能がなくても努力を続けることも悪ではありません。

全ての面で、人より優れた能力を発揮する人がいます。それは英才教育の成果かも知れないし、実は影で常に支えている人がいるということがあるかも知れない。そういった人は、壁にぶち当たる経験が少ないかも知れません。それはそれで、不幸かも知れません。そういった人は、本人でそのことが不幸だと思っても、周りにはそのことに気がつく人がいないので、常に孤独だと思います。

陸上競技の場合、すべて自分の記録なので明確だと思います。100mを11秒台で走れるかどうか?その壁を越えられるかどうか、常にそれだけのためにトレーニングを続け、その結果、越えることができる人もいれば、越えられない人もいると思います。もしかしたら最初から簡単に越えてしまう人もいるかも知れません。でも11秒の壁を簡単に越えた人にも、次には10秒の壁が立ちはだかります。

重要なのは、どんな人にも、挑戦を続ける限り壁があるということ。そしてその壁を越えることができるかどうかわかりませんが、壁を越えようとする中でスランプがあるということ。完璧な人間が世の中存在していないということは、今地球上にいるすべての人類は、すべて、何かしらの形でスランプの状態にあると思います。

さて、自分の上司がスランプの状態にあります。上司のためを思うならば、部下はその上司のサポートをするでしょう。上司がスランプの状態を抜けられれば、組織としてより強固になるはずです。それは組織全体にとってもよいこと。でもそれは、上司のためによいことでしょうか?みんなが何かしらの形でスランプの中挑戦を続けている状況の中、自分だけが知らない内に、他の人の力で壁を乗り越えてしまう。

新聞とかニュースで話題になった「そんたく」っていう言葉は、このことではないかなと思います。

自分の子供が受験を頑張っている。自分の子供が志望校に行くために勉強を続けている中、親が裏で力を使って、志望校に合格する。子供はそのことを知らずに、自分の力で合格したと思う。もしそういったことがあったら、それは間違いなく、子供のためにはなりません。親だったら、そう思うはずです。でもビジネスの世界では、この「そんたく」が普通に行われている。

世の中、「そんたく」で出来ています。上司のため、客のため、組織のため、日本のため、地球のため。しかしみんなが、与えられたそれぞれの能力の範囲で一生懸命がんばっているのに、「そんたく」は入りません。「そんたく」は誰のためか。誰のためでも有りません。

このことが、言葉になっている日本ってすごいなあと思います。

そして政界のトップが、気がつかないうちに「そんたく」を受けたことを、きちんと批判できるメディアがあるというもすごいなあと思います。

 

世の中、矛盾で出来ています。北方領土とか、沖縄とか、北朝鮮とか、イランとか。著作権とか検索とか。こういった矛盾をきちんと壁と考えることができるかどうか?解決できない状態をスランプとして捉えることができるかどうか?挑戦を続けることができるかどうか?

それが、とても大事なことだと思います。

壁を乗り越えることは成長。スランプは成長のために不可欠なこと。壁を取っ払うために自分の力ではなく武器の力を使うことは、避けてほしいなあと、心から思います。みんな人間だから。

 

2017-09-24 | Posted in BlogNo Comments » 

 

History in pictures

先週末、恵比寿ガーデンプレイスで開催された「写真家 チェ・ゲバラが見た世界」を見に行きました。

チェ・ゲバラがファインダー越しに見た世界は、どこか無機質。躍動感を感じるのは、産業の写真くらいしかありません。遺跡の写真はどこか哀愁を感じます。しかしこの写真展を見て感じたのは人への希望。

歴史は常に人が行ってきた過ちの履歴だと思います。遺跡とは、使われなくなったもの。使われなくなったものの背景には、時間という普遍的なものによる必然によるものと、人という存在が犯した罪によるものの両方があると思います。だから、遺跡は、人の過ちの履歴を思い起こさせてくれる。それが歴史だと思います。

チェ・ゲバラもまた、自分自身が行ってきたことを歴史に重ねて行きてきたように感じます。チェ・ゲバラがなくなったのが39歳。41歳の私は当時のチェ・ゲバラよりも長い期間、歴史の中を生きています。しかしその39年の時間と41年の時間は全く比較の対象にならないと思います。重要なのは、今生きているか、それとも何かを残したか、ということ。

チェ・ゲバラは、カストロ兄弟と一緒に革命を起こしました。革命によってキューバという独立国ができました。これはチェ・ゲバラが残したものか?国家もまた、時間という普遍的なものによる必然の一つです。政治もまた、人が変われば変わります。チェ・ゲバラは、写真を残しました。これは残したものでしょう。そしてその写真には、思想があります。革命は、チェ・ゲバラの思想の表現であり、チェ・ゲバラは革命によってその名前を高め、世に自分の思想を広めることになりました。その思想は対外的に発信することを目的としていたのか、それとも、内に閉じ込めようとしていたものなのか、写真展を見ると、わからなくなります。暗い自撮りの写真を見ると、内に閉じ込めようとしていたものなのではないかと思います。

経済はグローバリゼーションを進めました。世界中から富を吸い尽くすという欲が、超えられない海を越えさせてくれました。経済は罪か?経済は思想か?経済は歴史か?チェ・ゲバラを見て感じたのは、経済は希望。だからこそ、経済は、手段だと思います。何の手段かというと、思想の交流のための手段だと思います。

究極の目的は、思想の交流。それを体現しているのが、文化。だから経済が発展すればするほど文化交流が進まなければなりません。じゃないと、目的と手段がミスマッチすることになります。今のグローバリゼーションは必然。AIとか、産業の役割に期待ができます。これからは人はより思想に集中できるようになると思います。思想を表現する媒体は様々。普遍的な思想を残したければ、芸術作品で思想を表現できるかも知れません。絵画・写真・音楽。それらはすべて、人の犯してきた罪を表現してくれるでしょう。それが恐ければ、料理でもガーデニングでも、会話でもメールでも、思想は表現できると思います。交流は、世界を一つにします。一つの建物が、モスクと協会と神棚を備えることだって、不可能ではないと思います。

アルゼンチンで生まれ、キューバ革命を起こし、アジアを旅し、ボリビアで没した、チェ・ゲバラのファインダー越しに見た世界から、そんなことを感じました。

2017-09-03 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Be relieved

3年ほど前にエジプトに行ったとき、エジプトで知名度がある日本のブランドを大恩人の方に質問しました。その中の一つに、東芝の名前がありました。東芝はエジプトで街の販売店を増やしており、昭和時代の日本のように街の電気屋さんが東芝ブランドの家電製品の販売だけでなく、故障した時の対応などを行なっているとのこと。

ほぼ、同時期に南アフリカに行ったとき、偶然訪問した会社が電気工具のマキタの代理店をしていました。マキタブランドの工具がずらりと並んでいます。そこにはショールームはありません。膨大な在庫が管理されている倉庫のみ。その会社にとって重要なのはマキタの工具が必要な顧客に必要なタイミングで届けられることと、もし工具が壊れたときに、自社のエンジニアが確実に対応すること。

東芝にしても、マキタにしても、アフリカという遠い世界でビジネスをしています。そこで行なっているビジネスは何か?それは、安心感の提供だと思います。エアコンにしても冷蔵庫にしても洗濯機にしても、アフリカという市場にはGEもあればシーメンスもあればLGもある。なぜ東芝が選ばれるか?それはそこに街の電気屋があるからだと思います。アフリカという市場にはボッシュもあれば日立もあればブラック・アンド・デッカーもある。なぜマキタが選ばれるか?それはそこに豊富な在庫と専門知識をもったエンジニアがいる代理店がいるからだと思います。

昔は家電製品は高かった。だからこそ大事に使った。そして壊れたら一大事で、迷惑かもしれないけど遅い時間に近所の電気屋さんに助けてもらいました。しかし家電製品は高いからこそ、価格競争を招きます。家電量販店で、「他店より高かったら安くします」、といったことが言われるようになります。そのうち価格を比較するウェブサイトができます。そこには街の電気屋さんが提供していた安心感はありません。あるのは価格が安いという客観的な事実だけ。

地域があり、ご近所さんがいる。私が子供の頃、いたずらをしたらご近所さんが叱ってくれました。これも安心感。近所の会社に社長がいて、社長の息子がいる。息子がいるから、会社は簡単には潰れないだろう。うちの息子は社長の息子と年が近いから、あの会社にお世話になろうか?これも安心感。しかし核家族化でいつのまにかご近所さんと挨拶すらしないしても過ごせる地域社会が形成されてきました。企業の本社が大都市に集中し、知らない会社に就職して、自分で試行錯誤しながらプレッシャーに耐えながら仕事をすることが当たり前になりました。

今、社会で欠如しているのは安心感。もしかしたら、留守の間に泥棒に入られるかも知れないからといって、ホーム・セキュリティーといったサービスが拡大します。我が家を見守ってくれるのは、持ちつ持たれつのご近所さんではなく、顔も知らないプロフェッショナルです。見守ってくれる代わりに、お礼の言葉とともにお土産を渡すのではなく、お金を支払います。世の中、今も昔も危険がいっぱい。安心が必要だけど、近所付き合いをしていなかったら、ホームセキュリティに頼まなければなりません。そのうち、近所の人たちは、守ってくれる人たちではなく、危険の対象と感じるようになります。創業者が株主に解雇されるといったことも起こりうるようになってきます。社員が突然中国の会社に転職して、機密情報をリークしたりします。株主が経営者を信じられなくなり、経営者が社員を信じられなくなり、社員が会社を信じられなくなったりします。どれもこれも、地域で信頼しあって、顔見知りの関係で助け合って社会を形成していたときにはなかった心配事でした。

今、海で、海水浴中にサメが来ていないかを監視するドローンがあるそうです。確かにサメは怖い。私もウンドサーフィンで海から落ちた時、足をバタバタさせながらサメが寄ってこないか恐怖を感じていました。しかし、怖い、だから安心感が欲しい、だからテクノロジーだ、テクノロジーの対価はお金だ、という理論構成は間違っていると思います。怖い、だから気をつけよう、だから助け合おう、そのために声をかけあおう。これが本来の形です。

自動車が電気製品になり自動運転になります。大量の電気を消費することになり、今のシリコンを基盤とした半導体ではパワーをまかないきれないため、SiCとかGaNの半導体が今後主流になってくるでしょう。SiCもGaNもシリコンよりもはるかに価格が高いため、そこでもさらにコストダウンが進められ、一定水準まで価格が下がってマーケットのバランスが取れたときに、自動運転車が本格的に普及すると思います。自動運転車は雪道の走行は苦手かも知れません。人は安心感を求めます。そうすると、ドローンがサメを監視したように、今度はテクノロジーが雪を監視するかも知れません。そのときに優先するのは、雪なのかそれとも自動運転車の安定的な走行か?いずれにしても、人は安心感の対価としてお金を払うでしょう。

安心感を解決するのはお金ではありません。いくらお金があっても絶対に安心というのはありません。安心のために必要なのは隣人愛。挨拶と信頼と感謝です。それには勇気もいるし手間もいるし、もしかしたら経験もいる。どれもお金では買えません。

安心感というニーズのために間違った形で、テクノロジーがビジネスという大義名分のもとで活用されないことを願っています。

 

2017-07-30 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Paradox

テスラ・モーターズの株価が、1時的にせよGMの株価を上回りました。2018年に生産台数を50万台にするといっている創業後10年に満たない会社が、生産台数1000万台近い、創業後100年を超える会社よりも株式市場で高く評価されていることになります。

今はどっしりと体力があっても、この先誕生する会社にあっという間に抜かれてしまう程変化のスピードが早い時代。その変化のスピードを支えているのが新しいテクノロジー。だから新しいテクノロジーを確立した企業は、今は生産台数が20分の1以下、歴史が10分の1以下でも、将来性が評価されて、資産価値が高くなります。

昔トービンのq理論というのを習いました。トービンのqは株式の時価総額を資本で割った値であり、トービンのqが上昇すると投資が上昇し、qが下落すると投資が減少します。テスラ・モーターズのトービンのqは極めて高いことが想像できます。じゃあ、何がこれだけ時価総額を高めているのか?

資産価値はよく分かります。PLの積み重ねでBSに蓄積された資産なので、財務諸表で明確に現れています。一方、株価は何の積み重ねか?株は、価値が何倍になる可能性もあるし、ゼロになる可能性もあるものです。人は、自分の資産を、資産がゼロになる可能性があるものに投資をします。つまり、自分の財産を捨てるだけのリスクをとってでも賭けるだけの価値がある企業に対して投資するための手段が「株」だと思います。大企業がいつのまにか倒産の危機になってしまう時代。小が大を買収する時代。もはや確実に配当をもたらす株への安定投資というのは成り立たない一方で、将来性への判断基準も財務諸表からはわからなくなってきています。

自分で働いて得たお金を捨てる覚悟で投資するのだから、結局のところ、好き嫌いで判断するしかないんじゃないかな。

社会人になったばかりの時、京阪沿線にすみました。古川橋のダイエーによく行きました。その後引っ越した場所には、関東であっても関西であっても必ず近くにダイエーがありました。だから、ダイエーの株を買いました。どれだけダイエーにお世話になったことか、計り知れません。ダイエーの株を買っても、株価の変動には全く関心がありません。しかし、ある日、ダイエーの株がイオンの株に変わりました。イオンの株は安定していて、定期的に配当金が入りますが、イオンには何も思い入れもないので、配当金もそのまま溜まっていて、その金額にも興味がありません。

おそらくイオンへの思い入れが大きいのは子供たちの世代でしょう。子供たちとはよく一緒にダイエーに行きましたが、子供たちが、自分たちだけで、自分の足で行ったのはイオン。ダイエーには思い入れはないけどイオンは好きだと思います。

損得関係なしで、好きな会社に投資しても、いつのまにか、興味のない会社が買収してしまう。でもその買収した側の、私にとっては興味のない会社は、子供たちが好きな会社だったりする。時代が流れているからこそ、どこかに簡単に収まるってことはないんだと感じます。

さて、コンサルを辞めるときに、大先輩に、過去のクライアントを回るように言われました。自分は一生懸命取り組んで、クライアントも喜んでその対価を払ってくれたかもしれないけど、本当にクライアントのためになったかどうか、最後までよく確認するといいと。実は怖くて、まだそれが出来ていません。プロジェクトに取り組んでいた時は一生懸命、精一杯やったけど、数年経って振り返って、その効果を問われることほど、怖いことはありません。

それは、役に立たなかったという、自分の中で確信めいたものがどこかにあるやましさ、一言で言えば、卑怯ということだと思います。

でも、言い訳ではないですが、このことはすべてに共通するのではないかと思います。人々に明るさをもたらした電球は、きれいな星空を奪いました。数日かけなければいけないところに1日でいけるようにした自動車は、大気を汚染しました。過去多大な社会貢献をしてきた企業でも、100%無実というのはないと思います。むしろ、人類に貢献した技術程、人類の存続にとってはマイナス面も大きいかも知れません。かつては必要は発明の母でしたが、人々は十分豊かになった結果、不必要なものをどんどん発明しています。この不必要なものの責任を問われるのは数年後。それが何をもたらすのか、今は誰も分かりません。わかるのは、ただ一生懸命なこと。

国家が形成され、王による統治から法による統治に変わります。三権分立で法を作る側と法を守る側と法を執行する側が相互に牽制することで、法の統治が守られます。では法は国民のために作られるのか、それとも国家のために作られるのか?法は国民のために執行されるのか、国家のために執行されるのか?国家は国民のために存在しているのか?組織の単位が大きくなればなるほど、組織で大きなことができますが、一人一人はなおざりにされて行きます。絶対というものはなく、普遍的な事実などなく、普遍性とは、すなわちパラドックスだと思います。

先日、高校時代のテニス部の恩師を囲む会が開催され、先生がテニス部顧問をされていた10年間の間に教わった37歳〜47歳の年代のたくさんの人が、70歳を超えた先生に会うために、全国から豊橋に集まりました。私も関東から向かいました。

私はテニスが下手だったから、先生の記憶にないかも知れない、とか、たくさんの小さな悪さをしたので、先生に嫌われているかも知れないとか、そんなことばっかり考えて豊橋に向かいました。たくさんの人がいたので、私のことを覚えているかどうかとか、そんなことは結局分かりません。でも、先生に一言だけ、「ありがとうございました。」と言えたことが、とても嬉しかったです。そして、その場に集まったたくさんの人たちが全員、同じ気持ちだったんじゃないかな。先生が覚えていようといまいと、自分がいただいた恩を忘れていなければ、「ありがとうございました。」と一言、言えただけでとても幸せな気分になれます。

すべてはパラドックス。求めても得ることはできないかも知れないし、求めて得たものを一瞬で失うかも知れないし、もともと得ない方がよかったかも知れない。毎日、毎日、目の前にあることに感謝しつづけることが、不確実なことのスピードが増している時代を、ハッピーに生き抜くための最大の秘訣じゃないかな?と思います。

 

 

2017-07-23 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Gain and Pain

私の祖父は引退後小さな商店を営んでいました。小さな店舗の狭い一方通行の廊下をぐるぐると回っていくと、祖父がいて、そこでお勘定です。大きな大きなそろばんで、祖父が計算をします。

祖父は最後までそろばんを使い続けました。当時の祖父は80歳前と思います。パチン、パチンとゆっくちとそろばんを叩く音は、私の記憶に今もまだ深く刻まれています。当時はまだ小学生に入る前。私の目はあまり見えていなかったので、生活を音で感じていました。当時の私には、いい音と、悪い音があって、そろばんの音はいい音でした。

祖父の店には駐車場もありません。サイズの足りない靴とか、農業資材とか、子供用のお菓子とか売っていましたが、祖父の店にお客さんが来たことはあまりありません。お客さんが入り口のドアを開けると、家の中でチリンチリンと音がする。それもいい音で、私や弟は急いで店に行くのですが、回覧板を持って来た隣の人だったり。近所の人たちは、たまに父に連れられて祖父の家にくる私たち兄弟のことを、会うたびに「みっちゃんの子」と呼んでくれました。みっちゃんというのが私の父のようです。

その狭い廊下を通ると、祖父がいる。入り口には看板を持って来てくれた隣の家の人がいる。祖父の家の隣にはドブ川が流れていて、蛇やネズミがいる。祖父の家には駐車場がないので、父はパチンコに行く。勝って帰って来た父はチョコレートをくれる。パチンコに行っている私たち子供たちにはとても怖い存在である父のことを、隣の家の人は「みっちゃん」と呼ぶ。それが、私の心に刻まれた、祖父と父の本当の姿。

その後、父のおかげで、私の目は、メガネを通じてよく見えるようになります。

やがて父は、一族の地に戻ります。会社を興します。大きなみかん畑からみかんの木を抜いて、大きな家を建てました。祖父の店は父が無理やり閉店しました。祖父と私たちは、その大きな家に一緒に住むことになりました。家の中の部屋の一つも事務所になっていました。毎日大きなトラックが来て、荷物を降ろしたり、積んだりしていきます。父の会社は小さいですが儲かっていて、恵まれた家庭で育ててもらいました。でも祖父と引っ越してからの父はよく喧嘩をしました。祖父が小さな店を営んでいたときは、喧嘩するなんて信じられなかったのに。

父は、祖父よりも大きなお金を動かしていました。父はそろばんを使ったことがありません。その代わりいつも最新のコンピュータを入れていました。高校生の時に、父の会社のオフコンでアルバイトをさせてもらいました。記録に刻まれた祖父のそろばんの音と、父の会社のオフコンの音は大きな違い。オフコンは使っていて楽しかったですが、やっぱりそろばんの方が心地よい音です。

今、祖父の店も父の会社もなくなりました。祖父も父もいなくなりました。将来私が会社を興したとしても、子供たちに繼ぐことはありえません。しかし子供たちの記憶には、私の生き様が刻み込まれています。だから子供たちは子供たちで、思ったことを始めると思います。これもまた、祖父や父から教わったこと。私の弟たちも同じことを祖父や父から、文字どおり体で教わっています。その起源が、私の場合、パチン、パチンというそろばんの音です。父も祖父もいませんが、あの音を覚えている限り、祖父や父から教わったことを忘れないでしょう。あの時、目が弱くて、記録がそろばんの音だけでよかった。

さて、世の中の店頭からそろばんがなくなり、電卓に変わりました。そろばんができなくても計算ができる。その結果、たくさんのことが便利になったと思います。便利になった結果、何が起こったか?店頭の値段が下がりました。商品にバーコードがつき、電卓に数字を入れなくても自動的に計算してくれるようになりました。その結果、たくさんのことが便利になったと思います。商品の先入れ先出しの手間も減り、在庫の最適化された。便利になった結果、何が起こったか?店頭の値段が下がりました。それが競争原理。価格競争のもとでは、最新の取り組みをしていかなければ存続ができません。

では、便利になった結果、業務量は減ったか?働く人の給料はあがったか?それは、果てしなくクエスチョンマークです。むしろ業務量は増えていないか?給料は下がっていないか?どんどん人は疲れ、心は貧しくなって行っていないか?

昨日のラジオで「テスラは泣かない。」の方々が出演していました。とてもいい話でした。アルバムのタイトル「永遠について語るとき、私達の語ること」。タイトルがとてもいい。ラジオで流れていた曲もとてもいい。若い力は無限大です。

競争社会では、勝つ必要があるのか?そんなことはないと思います。どれだけ怖い父でも、隣の人からすれば「みっちゃん」であることの方が、勝つことよりもはるかに大事。そろばんを間違えて、たまに損したとしても、そろばんが同じ音を鳴らし続けていることの方が大事です。生きていける限りは。

勝つためには、攻撃も必要かもしれません。相手を陥れるための策略も必要かもしれません。でもそんなことばかりしていたら、誰も「みっちゃんの子供」と、呼んでくれなくなってしまうと思います。自分のルーツがなくなったら、存在できません。

「永遠について語るとき、私たちの語ること」。私はアイフォーンもアイポッドを持っていないのでレコードショップに買いに行こうと思います。

2017-07-09 | Posted in BlogNo Comments » 

 

How it looks like

職場に韓国からの仲間ができたので、最近韓国語の勉強を始めました。と、いっても語学学校まで行くのは難しいので、まずは本屋で入門書とNHKラジオのテキストを購入し、日曜日に1週間分を聞きながら録音して、復習したり、ということから始めました。

韓国語、タイ語、アラビア語は文字が違うので相当苦戦するな、と思っていたのですが、韓国語の勉強を始めてみると想像した以上にとっつきやすく、ビックリしています。むしろ、どこかはるか昔の先祖の時代でDNAに記録されているような感覚を覚えました。日本語に非常によく似ています。

これまでに仕事で韓国にいったことは数知れず。いつも大恩人の通訳の方に甘えており、自分で勉強しようという姿勢が全くなかったことを大変恥ずかしく思いました。一番近い隣人なのに。

むかし、ザンビアのタクシー運転手に教わったいくつかの中に、「輝いて見えるものには手を伸ばすな」がありました。輝いて見えるものには手を伸ばさないことについてはその後徹底してきたつもりでしたが、その逆もまた真なりと思いました。難しく見えるものに積極的に手を伸ばして見ると、実は意外と身近なものだったりする。

現在、ある大先生のコンサルティングを受けています。最初の段階で、ビジネスモデル・キャンバスの紹介を受けました。そのビジネスモデル・キャンバスの書籍をパラパラっとめくって、私は、う〜ん、分からない、と思い、その後一切、手を伸ばさないばかりか、意味のないフレームワークだと散々言い訳をして、避けてきました。

そしてプロジェクトが終盤に差し掛かった現在、真の結果を追い求める中で、このビジネスモデル・キャンバスが不可欠となり、今、必死になって勉強しています。そのきっかけは、前回の私のプレゼンのレベルがあまりにも低すぎて涙が出るほど悔しい思いをしたこと。そしていざビジネスモデル・キャンバスを勉強しながら、自分のビジネスモデルを検討して見ると、こんなところが足りないとか、自分のモデルはこういうところをもっと深く考えるべきだ、とか、この部分をもっと調べようとか、いろんな論点が明確になります。確かに、ぐうの音も出ないほど、ボロボロに叩かれた結果は必然だったと今になって分かります。

中身に踏み込まず、見た目だけで判断するということは大きな損をしていると思います。見た目の段階では、固定観念。その固定観念を作っているのは、自分自身の過去の成功体験だったり、人から見聞きした先入観だったり、あるいは本能的に困難から逃げるための言い訳だったり。つまり、見た目で判断している時に、見えているものは、自分自身の「無知」だと思います。そう考えると、世の中にあるあらゆることは、困難なものということになります。困難に立ち向かって、ようやくそれが自分のものになる。当たり前のことなのですが、その当たり前のことが、これまで実践できていなかったな、と思います。ということは、「輝いて見えるものには手をだすな」ということは、その「輝いて見えるもの」も「無知」であり、「真実」ではないということ。真実は、困難に立ち向かってこそ手に入れることができる。

まずは、韓国語と、ビジネスモデル・キャンバスを頑張ろうと思います。

 

2017-07-02 | Posted in BlogNo Comments » 

 

freedom of expression

中学生の時、一人でテレビを見ていました。リモコンでパチパチでチャンネルを変えていると、インドの貧しい子供達の特集が。ボロボロと涙を流して、俺は何をやっているんだ、とすごくショックを受けました。その時から、私の心は海外に向きました。ここ二年ほど、IT企業にお世話になって国内にいますが、多感な中学時代にその番組から受けたショックはそのままなので、きっとまた、望むと望まざるとにかかわらず、何らかの形で海外関連の仕事に戻ることは間違いありません。ITで学んだことが、グローバルの問題を解決することに必ず役に立つと確信しています。

中学生の時に偶然みたあるテレビ番組が、私の人生を決めたと言えます。それまではただ喧嘩が強くなりたいだけでしたが、それからは海外で貢献できる人間になるために勉強を始めました。そのテレビ番組がなければ、少なくとも今、英語は喋っていないな、と思います。

国連の特別報告者が、日本の報道の自由に懸念を表明したというニュースがありました。報道は人々に大きな影響を与えます。ペンは剣よりも強し。表現の自由は基本的人権の中でも最も尊重しなければならない権利です。日本の報道はすでに東日本大震災の時にはもうおかしかったですが、最近になって安倍政権一強に対する世論の懸念の風潮もあってクローズアップされるようになっています。読売新聞のことなど、ずっと前から既成事実として教えられてきたことが、今になって、「なんかオカシイぞ」と世間で騒がれるようになっています。

単純に、既得権益が表現の自由を恐怖に感じ始めていると思います。表現の自由を定めた憲法21条まで改正の対象になりつつあります。法治国家という体制を維持するためには、国家権力の存在が不可欠なのですが、情報の拡散するスピードが速すぎて、人々がニュースを求めるようになりすぎて、いつのまにか人々が国家権力そのものにクエスチョンマークをつけるようになってきている。

まさにパラドックスです。答えがないから常にパラドックスなのですが、歴史は常に扇動がきっかけで変化します。今世の中に溢れるニュースには扇動者がいます。大統領選挙だって、イスラム国だってそう。不確実な時代、人々は確実なものを探して、確実と思えるものに寄りかかろうとします。中学生の時に見たテレビが私の人生に大きな影響を与えたように、これから様々な人々による表現が様々な人々に対して、様々な影響を与えることになるでしょう。それもまた、重要なことであり、そして危険なことです。

目の前に道が二つあった時、どっちの道を選ぶか、正しい決断を下すことはとても難しい。だから勉強が必要です。人の意見を聞くことも大事です。しかし、最後は自分で選ばなければならないし、自分で選んだ道は自分で責任を持たなければなりません。しかし、表現の自由がなく、全員、右の道を行けと命令されて左の道を選ぶことができなくなってしまったら、その選択に対して自分で責任を取ることができなくなります。これが一番の問題。責任を取ることができなくなると、後悔もできないです。自責がなくなると、残るのは他責のみ。100%うまくいくなんてことはないから、右の道を全員選んで全員ハッピーなんて絶対ありえないです。結局自分で選べなくなると、他責がはびこることになります。だんだん思いやりの心も持てなくなっていくし、ボランティア精神もなくなっていくでしょう。それは人としてもっともつらいことです。だれも、そんな自分を客観視したくないでしょう。だから心の中の善意の気持ちが、さらに他責に拍車をかけ続けることになります。

表現の自由は国家権力にとって脅威か?もちろんYESです。では表現の自由があることと、表現の自由がないことと、どちらが国家権力にとって脅威か?表現の自由がない方が脅威です。他責は自分も相手もすべて滅ぼします。

少なからず、今、いろんな国の国家権力がメディアの力を脅威に思い、メディアの力を利用したり抑圧したりしようとしています。表現の自由に対する危機。でももしかしたら、メディアの方々は、そんな抑圧はほっておいたよいのではないでしょうか?法治国家だから、法の権利の下に、表現の自由を守ろうという気持ちはよく分かります。しかし、反発すればさらに抑圧されるのが世の常です。だからほっておいたら、そのうち抑圧しなくなるのではないでしょうか?私が素人だから、こう思うのでしょうか?もしかしたらそうかも知れません。

ただ、報道には、発信する人もいれば、見る人もいます。表現の自由は確かに大切ですが、見る側の立場からすれば、どうでもいい過去の話は、どうでもいいです。王様の耳はロバの耳です。すべて自分の責任で行動しているのだから、もし悪いことをしたら必ず自分に返ってきてきます。人のどうでもいい過去の、言ったとか、言わなかったとか、あっとかなかっとかの話についてのニュースを見ていても参ってしまいます。

若者の可能性は無限大。今私は41歳ですが、若者だと思っています。中学の時に見たようなすばらしい報道にもっと触れて、そういった報道から、もっともっと刺激を受けて、あと60年以上、自分自身が生まれてきた意味を追求し続けていきたいな、と思います。

2017-06-25 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Universal ー P and N ー

どんどん新しいことが誕生しています。最初はたぶん「ボタン一つで火がつく」などから始まり、そのうちボタン一つで洗濯ができるようになり、やがてボタン一つで料理ができるようになり、今はスマートフォン上のボタン一つでいろんなことができます。そのうちボタン一つで地球の裏側まで行けるようになり、ボタン一つで宇宙に行けるようになるかも知れません。いや、もうなっているか。

競争社会では、人に新しい付加価値を提供することで、対価を得るケースが多いです。だからビジネスマンは日々新しい情報を求めて大忙し。情報を求める人が多いと、それもまたニーズなので情報の発信量も多くなります。情報の発信量が多くなるとまたそれを見るのも大変。だから今度は情報を捨てることも大事になる。やることの量が多くなればなるほど、やらないことの量も多くなり、どんどん専門特化していきます。

そういった時代の中では、大きなインパクトを与える方が、人々に大きな変化をもたらします。だからなんとかバズーカとか、なんとかノミクスとか、なんとか改革とかインパクトのある表現も生まれてきます。

しかし、どれだけ新しいことが生まれても、どれだけみんなが右にならえでそっちを向いても、人間が守ってきた普遍的なことは変わりません。人を大事にする、自然の恵に感謝する、たまに気を緩めたり羽目を外したりする、物を大事に使う、1日3食バランスよく栄養をとる、家族を大事にする、旅をする。普遍的なことを否定しなかった場合のみ、人類の役に立つことができると思います。産業革命は人類の発展に大いに役に立ちましたが、残念ながら、我々人類が古来より大事にしてきた普遍性の一部を犯してしまいました。これから人類はそのツケを払わなければならないでしょう。自業自得もまた普遍性の一つです。

さて、人が呼吸して、飯食って、夜寝るというサイクルも普遍性。草を食べた動物を、動物が食べて、死骸を微生物が分解して、リンや窒素を生成するという食物連鎖もまた普遍性。吸収した二酸化炭素とリンや窒素などの無機物から有機物を生成する光合成もまた普遍性。ここで気になったのはリンと窒素。これは太陽電池の原理であるP型とN型だと思います。地球上の物質に、有機と無機があるのも普遍性。そして絶縁性の物質と導電性の物質があるのもまた普遍性。そうすると、半導体もまた普遍性であるような気がします。普遍的な恵みである太陽の力を利用して、P型とN型の半導体から電気を生み出す太陽電池の仕組みは、光合成と同じ普遍性の力を借りているな、と感じます。

もちろん、火力発電だって、地中深くに堆積した有機物である化石燃料という普遍性を利用していますが、これは地球の何億年というサイクルを人類が先取りすることで地球をいじめています。こういった普遍性を犯していると必ず逆襲にあうことになります。太陽の恵みとリンと窒素という光合成の普遍性と同じ仕組みを使う太陽光発電も、行きすぎると、植物の光合成の機会を奪ってしまいまた同じ結果を導くことになるかもしれません。だから、森林を破壊して太陽電池を敷き詰めるのは、普遍性を犯していることになるでしょう。しかし砂漠に太陽電池を敷き詰めるならば、普遍性は犯していません。

職業性のストレスが高くなり、うつ病が発症する事例が増えています。私だって、いつうつ病になってもおかしくありません。以前より意識して山に行ったり、意識して睡眠時間を増やすことが増えました。ストレスを抱えにくい性格でも、ストレスを意識するにようになっているということは、もしストレスを抱えやすい性格だったら、うつ病にかかっているということだと思います。

そろそろ、みんな疲れてきていると思います。もっと、普遍的なことに取り組んで行った方が、いいんじゃないかな、と思います。砂漠に太陽光発電を敷き詰めることはとても難しいですが、地球ともコンパッションだし、北も南も、民族もみんなコンパションだと思います。重要なのはバランス。ストレスのマネジメントのコツも、栄養摂取のコツも、人付き合いのコツも、異性にモテる秘訣も、子育てのポイントも、みんな、バランスじゃないかなと思います。

ダーっと走ったら、休憩する。むかしはみんなゆっくりゆっくり着実に走っていましたが、今世界は明らかに猛ダッシュしています。そろそろ、休憩しないと、みんな筋肉痛になるか、うつ病になるか、呼吸困難になるか、いずれにしても医師の先生は大忙しになるでしょう。

世の中便利なったので、そろそろ不便を覚悟して、砂漠に太陽光発電を敷きつめるプロジェクトを始めてもいいんじゃないかな?スンニ派もシーア派も一緒に、その太陽光発電から電力の供給を受ける。その電力で、海水淡水化プラントのためのポンプを動かす。貴重な水資源を分かち合う。その水資源から得た農産物もわかり合う。分かち合うことコンパッション。

生があり、愛があることが、人間にとっての普遍性。死があり、欲望があり、憎しみがあるのもまた普遍性。だからバランスが必要。バランスを意識するためには、コンパッションが必要です。

2017-06-18 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Life Style

昨日は東京ビックサイトのみらい市にお伺いしました。清水英雄事務所様が作成されたみらいハンドブック含めて、大変たくさんの学びをいただきました。

強く感じたのはライフスタイルの変化。都心から田舎に移住する20代の若者がとても多いと、パネルを見ていたら声をかけていただき教えていただきました。もともと都心で働き、50代を過ぎてから田舎に移住する方はいたのですが、最近は都心で生まれ、都心で育ち、都心で働き、20代のうちに長野県や山梨県の空き家を購入して移住される方が多いそうです。

この展示会でもフォーカスされていたのが、1980年代以降に生まれたミレニアル世代。デジタルネイティブとも呼ばれている世代です。中国でも一時期、80后とか、90后と呼ばれました。最近中国行っていないのでわからないのですが、そろそろ「りんりんほー」とでも呼ばれるようになっているのでしょうか?私は1976年生まれなので、ギリギリ入りませんが、私の子供たちは丁度入ります。そういった意味では、自分自身と自分の子供たちの世代を比較する人たちがこういった○○世代という名前をつけるのでしょう。そういえば私たちも私の親の世代からは、生まれた時から洗濯機もカラーテレビもあって、苦労を知らない世代と言われていたような気がします。

さて、レイチェル・ボッツマンとルー・ロジャースのSHARE(NHK出版)には、こう書かれています。「ミレニアム世代はマザー・テレサ世代とは違う。高給やぜいたくを投げ捨てて理想郷をつくろうという、慈愛に満ちた善人ではない。客観的な指標を見ても、彼らは歴史上その世代にも劣らず負けず嫌いで、ビジネスライクで、野心的だ。だが、親のベビーブーマー世代に共通する現代的な価値観から離れて、祖父母の世代、つまり戦争世代の価値観により近づこうとしている。」この本が発行されたのは2010年。今の時代感覚すると、だいぶ前ということになりますが、それでもまさに2017年の今起こっている事象も、ズバリ言い当てていると思います。

徳島県の神山プロジェクトのような、地方にいながら都心と同じような仕事を実現しつつ、地方ならではの地域コミュニティとの交流や農業などに従事する若者が増えて行くと思います。そして今の若者たちは語学ができます。毎年増え続ける外国人インバウンドにも、地方にいながら外国語で対応できてしまうでしょう。昨日教えてもらったところによると、野沢温泉スキー場の利用者はすでに5割が外国人とのこと。地方の暮らし、地方の暮らしを外国人インバウンドと若者たちが支えるようになると思います。これは間違い無く、良い方法に向かうと思います。

少なくとも、英語だけでもできれば、LinkedinやSlackのネットワークを通じて、世界中のプロフェッショナルから即時に最先端の回答を入手できる時代です。かならずしも都心にいなくても、最前線の仕事ができるでしょう。他の国の言葉もできれば、ツイッターでさらに様々な情報を取ることができます。ネット上の情報は間違いだらけですが、複数の言語から、様々な視点の見解を分析して、何が本当の情報かを自分なりの考えで判断するスキルを今の若者たちは身につけています。我々40代が9時から17時まで働いて、そのあと同僚たちと終電まで社内の飲みニュケーションに時間を費やしている間に、地方の若者が世界中から最先端の情報を入手しながら、我々が想像もできないようなイノベーションをやってのけるかも知れません。

集中管理の時代から分散管理の時代になっていきます。ブロックチェーンのような、分散してサーバや情報を持つ技術が今後も生まれ、そして主流になって行くでしょう。ブロックチェーンが成り立つのは、利用者の個性がそのまま尊重されているからだと思います。それぞれが別々の意図、別々の目的をもって参加し、全体として仕組みが成り立つ。だから管理者不在でも、信頼を背景として秩序が保たれます。

かつてのピラミッド型の組織は、内部での取引コストを指揮命令系統という形で極少化した点にメリットがありましたが、世界中から瞬時に情報を取ることができる時代では、ピラミッド型の組織構造における取引コストという点でのメリットは限りなくゼロになるでしょう。そうすると、ピラミッドの階段を上ったと勘違いしている人は逆に仕事がなくなっていくと思います。マネジメントにおいては、メンバー個々人の力を最大限に発揮するための指導力を発揮することよりも、勝手に個々人の力を最大限に発揮している人たちをうまく同じ方向に導くことの方が重要になるかも知れません。

趣味を仕事にすることが、最も強いですが、ミレニアル世代では、ライフスタイルの中に趣味と仕事が混在しています。だから仕事によって自らのライフスタイルに影響を与えられることを極端に嫌うはずです。OJT等の教育訓練はこれからは難しいと思います。逆に職人のような仕事のスタイルならば、喜んで没頭して、ライフスタイルを適合させていくでしょう。

組織の一員としてではなく、自らのライフスタイルとしての、自分の仕事を確立しないと、我々40代は、ミレニアル世代に相手にされなくなるな、と、昨日のみらい市で強い危機感を感じました。

大きな学びを、ありがとうございます。

2017-05-21 | Posted in BlogNo Comments » 

 

ふるさと – the hometown-

昨日、一昨日は愛知県豊橋市に行きました。偶然、別々の用件で、それぞれ会ってくださる方々があり、一昨日の朝、豊橋市を訪問し、名古屋に移動し、昨日の夕方豊橋市を再度訪問。朝は渥美線の南栄駅まで、母校の現役学生たちと同じ電車。制服は変わっていましたが、バッチは変わっていません。母校の横を通り過ぎます。卒業したのは1994年。23年前です。私は3月31日生まれなので、卒業当時は17歳。今は41歳。高校のときって、ほんとに未熟だったよな、と思いながら、きっとまた20年くらいたってまたここを訪れることがあれば、41歳の時って、ほんとに未熟だったよな、と思うんだろうなと思いました。

昨日は、同じ母校出身の方々と豊橋で食事です。大先輩は60歳。名古屋で普段からお世話になっている大先輩ですが、お互い故郷でお会いすると全くの別人です。仕事上のおつきあいよりも、同じ高校出身であるという事実の方がはるかに大事だということを、それが正しいのか間違っているかわかりませんが、そう感じてしまいました。話も弾み、気がつけば4時間近くが経過。東京に帰る電車がありません。夜行バスに飛び込んでみましたが、さすがゴールデンウィークで満席です。そこで豊橋駅前のサウナで仮眠し、始発の新幹線で東京に帰ってきました。サウナのオーナーもまた、高校の大先輩。ふるさとってほんとうに素晴らしい。

豊橋駅6時40分発のひかりは、指定席が空いているはずもなく、自由席で立って帰ってきました。東京駅のホームに降りるとホームは人でいっぱいで動けません。東京駅についたときのアナウンスで、新幹線の中を移動するように言われたことを思い出し、戻ろうと思ったら戻ることもできず。このままホームで過ごすことになるかと思ったら、隣にのぞみが到着。そこで、同じ境遇の方々と一緒にのぞみに乗り込み、のぞみの中を通路として移動。通路であるのぞみ号の中も、なかなか進みません。これがゴールデンウィークかと、おかげさまで貴重な経験ができました。

以前にも地元を仕事で訪れることはありましたが、その時は母校のつながりを意識することはありませんでした。昨日も一昨日は母校のつながりを意識するご縁があり、はじめて「ふるさと」って逃げられないところだな、と感じました。逆に言えば、今までの自分は逃げ続けて来たということ。ふるさで仕事をしていると、嫌が応でも、出身の小中高とその年代が自分のアイデンティティとしてついて来ます。小中高を一緒に過ごした友達たちが今もそこでがんばっています。父が会社を経営していたので、父の会社で働いてくださっていた方やそのお子さんのお話も聞いたりします。弟も会社を経営しているので、そのご縁もあったりします。はじめましてでも、どこかで繋がっていたりする。そういった状況で、私が中途半端なことをすると、父や弟達、そしてお世話をしてくれた大事な方々の名前も汚してしまうことになります。

高校出てから、一度も地元に根をおろしたことがありませんが、地元で働いている人たちは、ずっとこの逃げられない状況で働いているんだなと、初めて、そのすごさを感じました。きっと私は、これからも逃げ続けるでしょう。逃げて逃げて、逃げ続けて、どこにも行き先が亡くなった時、唯一戻ってこれるのが、きっとふるさとじゃないかなって思いました。そして、ふるさとに戻って来たら、もう逃げるわけにはいかない。

18歳で金沢に行き、就職していろんなところに行ったあと、今東京にいます。そのうちフランスに行くことになるでしょう。そしてその後はアフリカに行くと決めています。アフリカに行って、逃げずに、予定しているとおり、そのままアフリカで一生を過ごすことができれば、ようやく最初からふるさとで頑張っている人たちと並ぶことができるような気がします。それならば我が人生に悔いなし。

アフリカに行ってもまた、いつもと同じように逃げたくなったら、ふるさとに戻って、18歳の気持ちで、最初からやり直そうと思いました。

そんな、すてきなすてきな、ふるさとでの時間でした。

 

2017-05-03 | Posted in BlogNo Comments » 

 

ルイジアナ -Louisian-

かつてフランスは今のカナダのケベック州からアメリカのルイジアナ州まで北米の広大な領域を統治していました。ニューオリンズは、新しいオルレアンを意味し、ルイジアナはルイ14世のものを意味します。今もアメリカ各地に、フランス語での村を意味するvilleがついています。

ナイアガラの滝の近くに、ナイアガラ・オン・ザ・レイクがあります。一度ナイアガラの滝からナイアガラ・オン・ザ・レイクまで歩いたことがありますが、その道中も、その場所もまるで楽園のような綺麗な景色。食事もおいしい。そして周りにはアイス・ワインのワイナリーが広がっています。ナイアガラ・オン・ザ・レイクには、英仏で争った時の大砲が残っていたのが印象的でした。いろんな意味で、英仏の境界線争いの歴史を背負っていることを感じました。

アフリカもフランス語圏と英語圏に分かれます。アメリカの南北戦争は奴隷解放戦争の意味を持つと思いますが、もともとアメリカ大陸でアフリカ人を連れてきて綿花の栽培を始めたのはフランスからの入植者ではないかと思います。なんとなく、南北戦争は英仏の争いの歴史を背負っていると思います。

イギリス、ロシア、フランスとの間で中東を割譲したサイクス・ピコ協定。今のシリアは全体をフランスが、南部の一部をイギリスが統治することになりました。当時イギリスとフランスは同盟国。シリアは今、大変なことになっています。誰が正しくて、誰が間違っているのか、全くわからない。

英仏戦争は百年戦争が有名ですが、なんだかんだでナポレオンの時代まで500年間にわたり絶えず戦争をしています。そしてなんだかんだでアメリカやアフリカや中東を舞台に、ロシアやイスラムとの対立に影を潜めていますが、英仏がお互い静かに利害を調整しているような気がします。

英語はかなりの部分、フランス語を起源としています。ドイツ語を勉強していると、なんとなく英語とフランス語が混ざっているような気がするのは私だけでしょうか?特に男性名詞と女性名詞が逆になっている単語が多いことが気になります。ドイツの起源はゲルマン人。ゲルマン人はフランク王国を築きヨーロッパの広範囲を統治します。アングロサクソン人の起源であるケルト人もゲルマン系。第一次世界大戦と第二次世界大戦ともに、英仏が組んでドイツと戦ったことに深い理由がある気がします。

世界の分断や争いは、何かしら英仏が背負った歴史が背景にあるような気がします。

まもなく、新しいフランス大統領が決まります。ブレクジットの後、トランプ大統領が誕生し、次に来るのはルペン大統領か?いくらマクロン氏が優秀でも、歴史のしがらみにはあがらうことはできないと思います。

英仏の背負った歴史のしがらみにあまり縛られていないのが、中国、日本、タイ。中国はアヘン戦争、日本はペルー来港以来くらいでしょうか?世界史の中ではつい最近のことです。その中国と日本で安定的な政権が確立しています。中国はそれ自体巨大で、その歴史自体が分断と統治の繰り返しですが、今のところ分断しそうにありません。もし世界がこれから安定に向かう必要があるとしたら、英仏の歴史のしがらみに縛られていないこの3カ国の役割が大きいのではないかなと思います。

 

 

2017-04-29 | Posted in BlogNo Comments » 

 

人間と市民の権利の宣言-Déclaration des Droits de l’Homme et du Citoyen-

三権分立は絶対王政の時代に生まれました。モンテスキューはイギリスに渡り、ルソーの社会契約論の影響を受けたと言われています。ルソーの社会契約論はフランス革命の思想の根底を形成したと言われています。自由と平等は社会契約によって成り立つ。つまり、力によって与えられるものではありません。

核の抑止力というすべてを無にするほどの力は、権利や自由を生んでいるでしょうか?少なくとも、日本がアメリカの核の傘に守られているということは異論はないでしょう。その点では、核の力が我々日本人の権利や自由を与えてくれていると言えます。では、核の力は権利と自由を生み出しているか?

北朝鮮の人々は、権利と自由が欲しいのだと思います。毎日を平和に生きるための権利と自由。それは国民一人一人もそうだし、国の中枢にいる人々もそうでしょう。マララ・ユフズサイさんのわたしはマララを読んでも、求めているものは、平和に生きるための権利と自由だと思います。今、マララ・ユフズサイさんは、かつてよりも権利と自由があると思います。それは何によってか?

一つの力に権力が集中しないようにしたのが権力分立。我が国も司法・立法・行政は分立しています。しかしそれは平和だから。ひとたび、ミサイルが飛んできたら、日本が侵略されそうになったら、三権分立と言っていられないでしょう。それが、核の傘の本当の意味だと思います。

核は最強の今のところ、最強の兵器です。核の傘に守られた権利と自由を与えられた人々は、絶対王政の時代に、王に守られていた人々と同じだと思います。外には、パンを食べられない人がたくさんいるのに、パンがないならばケーキを食べればいいのにといって、テレビ画面を見て、つぶやいています。

核の傘の外側にいて、激しい暴風雨にさらされてきた国が、核を持ちました。さあ、怖がっているのは核の傘の中側の人たち。怖がっている人はまだマシかもしれません。誰かがなんとかしてくれると思っている人は、激しい暴風雨にさらされてきた、覚悟も団結力も強い人たちと向かい合った時どうするでしょうか?

フランス革命による民政はわずか10年で終わりました。しかし「人間と市民の権利の宣言」を残しました。国民主権と機会均等を定めています。その後王政が復活しましたが、この宣言があったからこそ、その後再び共和政が実現したのだと思います。

世界の平和は、力の委譲によってしか、成り立たないと思います。大政奉還だって同じ。今、核を持つ国が、その世界最強の兵器の力を委譲することなしに、世界の平和は実現しません。世界には、国際連合があり、国連憲章があり、人権規約があり、社会権規約がありますが、これはあくまで第二次世界大戦の戦勝国によって作られたもの。特定の国に力が留保されています。だから「俺は従わねー」っていうのは北朝鮮だけではないでしょう。まだ世界には、本当の意味では「人間と市民の権利の宣言」がありません。国家主権ではなく、人間一人一人がクローバルで主権をもち、どの国の国民であっても、平等な機会が与えられて初めて、グローバルに民主的な社会が実現するはずです。

資本主義は答えではないかもしれませんが、民主主義は答えであと思います。民主主義ではない国が悪だといっている民主主義の国ばかりでは、グローバルな民主主義は実現しないと思います。

どうやったら、グローバルな国民主権が実現できるかな?

2017-04-23 | Posted in BlogNo Comments » 

 

戦闘力 – Combat Power-

アニメのドランゴンボール。宇宙から来たサイヤ人が、主人公の孫悟空の戦闘力を測定します。ピピって測定して、まあ、こんなもんか、と。しかし孫悟空がスーパーサイヤ人に変身すると、あまりの戦闘力の高さに測定器が壊れます。多少間違っているかもしれませんが、子供の頃必死になって読んでいたので、大きくは間違っていないと思います。そして、最近、この測定器、そろそろ世の中に出て来そうだな、と思います。

スマートフォンの中はセンサーだらけです。スマートフォンを持ち運ぶだけで、かなりのものを測定できます。さらにウェアラブル端末が普及し、時計や眼鏡だけでなく、シャツにも、さらには体の中にも半導体を埋め込もうという動きがあります。IoTであらゆるものがデータとして測定できるようになっています。今科学的に分かっていないこともデータから発見され、データで証明されるかもしれません。

そうすると、身長170センチで、体重60キロの、41歳で、毎週テニスをしてたまにゴルフをして、1日の平均歩数が1万5千歩で血圧110/70の日本人男性と、身長185センチ、体重80キロ、高校時代アメフトの選手で、1日の平均歩数が1500歩で血圧150/ 90の41歳のアメリカ人男性と、どっちが強いか、客観的に証明できるようになるでしょう。

そのうち、信号機のような感覚で、戦闘力測定器がインフラとして道路上に設置されるようになるかもしれません。そうすると、戦闘力の高い集団が一斉にやってくると、なんだ?となる。ああ、野球の選手達か、ということもあれば、テロの場合かもしれない。野球の選手達なのか、テロなのかも、データで確率を分析することができます。テロの可能性が高かったら、GPSで追跡です。そうすれば、テロ対策法も共謀罪も必要なくなるのではないかと思います。

こんな風に、すべてデータで測定できるようになると、誰が強いかはっきりするので、威嚇する必要などなくなります。北朝鮮がミサイルを発射したり、アメリカの空母を北朝鮮近海にいったりする必要もありません。威嚇する暇があったら、必死になって鍛えて、自分の戦闘力を高める方が重要です。

もちろん、戦闘力測定の根拠には、知能もあります。今、私はDuolingoという語学のアプリでいろんな言語の勉強をしています。ゲームに従って進めていくと、自然に言葉を身につけることができます。ペラペラになるかどうかは知りませんが、私のような初学者にはかなり有効。ゲームのように進んでいくので、自分がどのグレードにいるかはっきりします。友達と進捗を比較することもできます。おお、あいつはもうこんなに点数とっているのか、と。将来、知的戦闘力はゲームで測定できるようになるのではないかなと思います。

もちろん、戦闘力には、根性など精神力もあります。これはゲームでは無理でしょう。でも、そもそも心も体も日々鍛えることができる人は精神力の強い人なので、あえて戦闘力測定の項目に精神力の数値は必要ないかも知れません。

戦闘力が高い人は、たくさん報酬を得られる代わりに、戦闘力の低い人を守る義務があるようにすれば、公平になるかも知れません。そうなれば、自然と戦闘力が高い人は、尊敬される。お互いを批判しあったり、嫉妬したりすることもありません。

もしかしたら、IoTで、人間の体のすべてをデータ化すれば、世界の平和を実現できるかも知れません。それは、それで、人類が今まで一度もなし得なかった偉業ですばらしいことです。でも、それじゃあ、人間はロボットと同じでしょう。嫉妬があるから人間。威嚇があるから人間。個性があるから人間。

人々は今、IoTでデータ化される時代にまっしぐらに向かっています。それがいいのか、悪いのか、まだやって来ていない未来なので答えはありません。どんな未来かわかりませんが、人間らしさを失わないまま、コンパッションを実現したいものです。

2017-04-16 | Posted in BlogNo Comments » 

 

必要 – I’m here-

GEがジャック・ウェルチ氏の出身母体であるプラスチック部門を売却し、その後、最大の利益頭である金融部門を売却し、そしてとうとう今度は、創業者エジソンの電球部門まで切り放そうという話が出ています。人々の生活で電球は不可欠ですし、人口が増えているから電球の数は増えているのでしょうが、照明部門がGEの事業全体の中で占める売り上げの比率はごくわずかとのこと。もちろん創業事業は特別な価値があることは否めませんが、時代の変遷には誰も逆らえないと改めて感じます。GEが電球を製造しなくなったとしても、今のところ、世の中から電球そのものがなくなるわけではありません。エジソンの発明は社会に引き継がれています。照明事業は、エジソンのつくったGEという箱の中ではなく、全く別の箱の中で成長していくのだと思います。

さて、エジソンの有名な言葉「天才とは1%のひらめきと99%の努力」。この言葉については、幼少時代から知っていた人がほとんどでしょう。そもそも、成功したビジネスモデルは、すべてこの大原則に基づいていると思います。これをやりたい、これをやらなければならない、というコンセプトを固め、そのコンセプトからひらめきによって何かしらの形を形成する。そして市場の声を聞きながら、改善を繰り返していく。コンセプトが形になるまでのプロセスと、形になってから成長をしていくプロセスは全く異なります。それぞれのプロセスの途上で消えて無くなってしまうコンセプトが多く、最後までやり抜いかれたコンセプトのみが社会に認知されることになります。社会に認知されると、そこからは生産性の向上とか、コストの削減とか、市場が受け入れられるようになるためのプロセスが重要になり、そこで分業が必要となります。分業の結果、当初のコンセプトは発案者の手を離れ、様々な人によって、様々な方向に成長していきます。

自動車を発明したのは誰か?ということに明確に応えることができる人は少ないでしょう。蒸気機関で走る自動車、電気で走る自動車、ガソリンで走る自動車。何を自動車と定義するかによって変わってきます。結果として今世の中で走っている自動車は、どこかのタイミングで何かしらの形で認知されて、分業によって市場に受け入れられるようになった結果だと思います。それぞれのプロセスでエンジンの発明があったり、ステアリングの発明があったり、空気を入れるタイヤの発明があったりします。自動車という大きなコンセプトが、部品といういうコンセプトに別れ、それぞれがまた分業のプロセスを辿りながら、一つ一つが完成してきました。たくさんのひらめきと、そのそれぞれのひらめきの99倍の努力の結果、今の自動車が形作られていると思います。

自動車に限らず、あらゆるものがそうでしょう。雨が降るから屋根が必要だ。屋根の木材を雨から守るために瓦が必要だと。「必要は発明の母」と言われ、必要から、たくさんのコンセプトが生まれます。屋根を雨から守るためには、鉄がいいぞ、と鉄で屋根を作ろうとすると、重いし、加工ができない。じゃあ銅がいいぞ、と銅で屋根を作ろうとすると、高くて買えない。じゃあ、陶器に作ろう。陶器で屋根を作るならば、土掘る人と、形を作る人と、瓦焼く人が必要だ、と分業が誕生する。

日々生活するのに精一杯の時代。そんな時代は、こんなことをしたいということが大きなコンセプトを作り出し、ひらめきを生み出し、それに共感する99倍の人々と結びつけてきました。でも、豊かになった今、「必要」の中身は「生きるために」よりも、「生きていることを実感するために」、という方向に大きく変わってきています。もちろん、ゲームも必要、チャットも必要。でも、それらは「必要」という意味では代替手段がある中で、社会に何かしらの変革を起こしたいということを根源的な発想としたコンセプトから誕生しています。

今ビジネスとして成立しているコンセプトの多くは、20年前ならば、途中で消えてしまったコンセプトでしょう。しかしグローバル化が進み、インターネットによってシームレスにつながるようになった結果、誰でも世界中で分業できるようになりました。コンセプトに共感する人を世界中から集めることができ、世界中から資金を調達できるようになりました。その結果、そういった新しいコンセプトが大きな力を持つようになっています。こうやって、日々、世界中で新しい分野でコンセプトが生まれ、そしてそれぞれに共感する人たちの間で分業が実現し、市場の中で存在価値を持つようになっています。貧富の差が拡大し、分断が進んでいるのも頷ける気がします。

「古き良き時代」とか、「昔はよかった」とか、「最近の若者は・・・」とか、いつまでたってもこういった言葉はなくなりません。昔感じて、今感じなくなくなってきているもの。それは「生きるために必要」。人は「必要」によって、自らの存在価値を感じています。だから、たくさんの「生きるために必要」があった時代は、自分の存在価値が高かった。人は、「必要」を感じられなくなると、「必要」を感じるために何かを探す。

でも、本当は、「必要」のネタを世界中から探す必要などありません。私たち一人一人は大きな「生きるために必要」の中に存在しています。今人々は、「地球環境の保護」という大きな目標を達成するためにたくさんのコンセプトとたくさんのひらめきとたくさんの分業が必要です。そしてそこには、私たちが存在している価値があります。

自動車という大きな必要を達成するためにたくさんのコンセプトとたくさんのひらめきとたくさんの分業が生まれました。飛行機もロケットも。地球環境の保護もきっとできます。

2017-04-09 | Posted in BlogNo Comments » 

 

飛んで火にいる夏の虫

3年ほど前、ケニアに行った時、30人くらいの人が、右と左に綺麗に分かれて大きな声で口論をしていました。まさにこれを一触即発というのだろうという感じでした。お世話をしてくれた人に、「あれは何をしているんだ?」と聞いたら、「ポリティクスだ。危険だから関わるな」と言われました。

当初冗談かと思ってしまいました。ポリティクス?危険?まさに、私が平和ボケしている証拠です。

あらゆる戦争は、政治が原因です。日本の国政選挙への投票率が低いのはまさに平和ボケだと思います。戦争を経験したことがない人たちが政治を動かしているという状況は人類史上初めてかもしれません。

日本だって、歴史の中で戦争を経験していない人が統治したのは、わずかでしょう。徳川将軍の途中くらいからか。これも応仁の乱という悲惨な時代が続いたから、徳川家康という強烈な指導力を生んだのだと思います。人類は、第二次世界大戦という悲惨な事件を起こしたから、これまで極地的な紛争は続いてきましたが、世界的な戦争は起こっていなかった。

しかし今、政治不信がそこらじゅうで起こっています。「なかなか生活がよくならないぞー」って、見もしないカラーテレビをつけて、洗濯機を回して、電子レンジで料理を温めながら、スマホゲームをしている人たちが言っています。人間の欲望は際限ない。だから国家は、国民の目を外に向けさせなければなりません。北朝鮮がミサイルを飛ばして、国民の忠誠心を維持しているように。でもこの動きは、限界があります。つまり、向かう先は必ず衝突。アメリカが保護主義に走っているのは、融和のためか衝突のためか?少なくとも、円満な方向に行っていないことは誰の目にも明らかです。

飛んで火にいる夏の虫。夏の虫って、なぜ火に向かっていくのか?理由があります。そういう本能を持ってしまっているから、虫なりに理由をつけて、火に向かっていくのでしょう。戦争になれば、人間もそうする。そして、人間は、それを使うことで、自らが滅びる、それも全滅することを知っていても、核を持ち続けます。人間には、戦うという本能を持ってしまっているので、人間なりに何かしらの理由をつけて、火に向かっていくのでしょう。

人類と、夏の虫は同じか?いや、夏の虫は、別に地球環境に迷惑はかけません。人間が核をつかうと、人類だけでなく、あらゆる生命を滅亡させます。

火に入ると死んでしまうから、火に入らない夏の虫もいます。でも人類が核をつかうと、せっかく火に入るのをやめた夏の虫も、殺してしまいます。人類が核をつかって自滅するのは人類の自由です。人類なりに、必死になってディスカッションして、自滅する理由を作るのでしょう。でも、せっかく火に入らないことを決めた、賢い夏の虫を殺してしまうことは、避けなければいけません。

2017-04-01 | Posted in BlogNo Comments » 

 

使い道 – what to do with-

株や為替の値動きの幅が大きくなり、日銀が購入する国債の金額の規模も大きくなっています。値動きの幅が大きくなれば大きくなるほど、それによって大きな儲けを手にする人もいれば、大きな損害を被る人も出てきます。お金を投入して、お金を得るか、お金を投入してお金を失うかの勝負。だからマネーゲームと呼ばれます。経済が順調に伸び続ければ、長期投資により安定的に収益を得ることができます。しかし世界恐慌のような事態が起きれば、資産から得られる安定的な収入が無になるばかりか、資産そのものまで失うリスクがあります。経済の金融への依存度が高まれば高まるほど、そのリスクが高まります。資産しか持っていない人は、ハラハラです。

お金は労働の対価。労働によって対価を得て、そのお金を使って、物品を購入します。だから貨幣は流通する。流通は、労働と物品との交換の役割を果たして初めて成り立ちます。お金とお金の間にお金が介在しても流通は起こりません。無からは無しか生まれません。

先行きが不透明な時代になると、人はなぜか、労働の対価としてのお金を得ることよりも、今持っているお金を増やすという発想になってしまいます。たとえお金が増えなくても、使うのをやめようと気持ちになってきます。資産しか持っていない人は、ハラハラするから、より資産を増やそうとする。無からは無しか生まれないのに、無を求め続けます。本来は、先行きが不透明な時代は、お金を使うべき。たくさん働いて、たくさんお金を使えば、たくさんの物の交換、すなわち流通が生まれ活性化しますが、お金を使わなくなれば流通が生まれず、その結果働くための仕事もなくなります。つまり、金融の規模が大きくなればなるほど、経済は活性化しなくなるという構造になっているにも関わらず、人々はどんどん逆の動きをしてしまっているような気がします。

そもそも、投資は、お金を増やすことが一義的な目的ではなく、生産活動を創出することが一義的な目的のはずです。生産活動を創出した結果、お金の流通量が増える。それによって暮らしが豊かになる。最近は、投資と生活の豊かさの間にある、この「生産活動を創出する」ということが飛んでしまっているような気がします。その理由は、いつの間にか、お金を持っている人がお金を持っていないという人を動かすという勘違いが発生したことにあると思います。かつては士農工商と呼ばれ、お金を持っている人は一番下でしたが、今ではお金を持っている人が一番上になっています。この逆転現象が、生産活動を停滞させている原因であると感じます。

人はみな、使命を持って生まれています。私は生まれつき手先が不器用で何をやってもダメでしたが、今でも収入をいただいて1日三食食べていくことができているのは、何かしらの存在価値があるからだと思います。たとえ周りからはちっぽけな人間だと思われているとしても、自分ではそうは思っていない。すべての人にそのことが当てはまると思います。それぞれの人が、それぞれの使命を持って生まれてきている。

それぞれの人が持って生まれてきた使命の内容によっては、それを全うするために一人ではできないことがあります。それが、使命の大きさ。そんな大きな使命を持って生まれてきた人は、いや、もともと誰もが持って生まれてきているその大きな使命に気がついてしまった人は、損な役回りかもしれませんが、それは大きな器を持って受け入れるしかありません。人は潜在意識で繋がっているので、想いを同じくする人はやがて何かしらの縁で結ばれます。その時に、大きな使命を持った人が、人々をとりまとめなければなりません。そこで初めて、初めて、お金のただしい使い道が明確になると思います。

大きな使命をもって、人々を動かす人は、おそらくお金の管理をするまでの能力もないでしょうし、ましてやお金をかせぐまでの能力もないでしょう。でも幸いなことに、お金を管理する能力を持つ人も、お金をかせぐ能力を持つ人もいる。だから、総力で取り組めば、大きなことを成し遂げることができます。人を正しい方向に導くことができます。

わかりやすいのは芸術。芸術はたくさんの人に「感動」を提供します。人に与える影響が大きければ大きいほど、たくさんのお金が動きます。でもお金を持っている人が、芸術を生み出すことができるわけではありません。お金があれば、なんでも手に入れることができるという発想は完全な間違い。お金があれば、人を動かすことができるということも完全な間違い。お金は、究極的には、人と人をつなげるために使われるものです。

お金の間違った使い道。それは「所有」だと思います。お金が個人の所有のために使われるようになった時、世の中は変な方向に向かいます。お金持ちが芸術を買い占めるようになると、人々は芸術から得られる「感動」という本来の価値に触れる機会が減ります。これは絶対的な損失です。

最近の世の中には、様々な希望が出ています。クラウドファンディングとか、シェアリングエコノミーとか。資本が秩序ではなく、社会性が秩序になりつつあります。これは大いに歓迎すべきだな、と思います。

2017-03-26 | Posted in BlogNo Comments » 

 

カード遊び – playing cards –

ジーニアス英語辞典でTrumpをひくと「切り札」とあります。他にも「最後の手段」「頼りになる人」という訳があります。Trump upで「でっち上げる」「捏造する」。trumperyで「見掛け倒しの物」「くだらないもの」。

トランプは、ダイヤ、スペード、ハート、クラブの4種類で13枚ずつのカードから成り立ちます。1がエース。11がジャック。12がクイーン、13がキング。ジャックは召使いや労働者です。カードゲームの成り立ちは知りませんが、11よりも12や13の方が上というのはなんとなく意味がわかります。12よりも13の方が上というのは今や成り立たないでしょう。それよりも12という意味の深い数字がクイーンを指すということの方が重要な意味を持つような気がします。そして不吉な数字である13がキングを意味することも。

ダイヤはお金の象徴か?ハートは愛の象徴か?。想像が膨らみます。ともに色が赤です。それは情熱を意味するのか、それとも欲望を意味するのか?

スペードとクラブの意味するところは全くわかりません。ただ、クラブは3つの丸から成り立っています。そう考えると、軍隊か?スペードは武器か?

愛があり、お金があり、そして戦いがあります。戦いの結果、勝者はダイヤを得ることはできるでしょう。ハートを得ることはできるのでしょうか?強い種族が生き残るという大原則からすると、結果的に勝ったものがハートを得ることができるような気もします。

そもそもなぜトランプでゲームをするのか?ゲームとは勝ち負けを決めるために行うのか、それとも楽しむためか?そもそも楽しいという感情は、勝ち負けがあって初めて成り立つような気がします。そうするとすべてのことは争いにつながり、争いから得ようとするものはハートかダイヤであるような気もします。トランプが「最後の手段」という意味を持つということは、人は争いを続けた結果、ボロボロになるまで戦い続けて、最後はカードゲームに落ち着くということでしょうか?

先週、名古屋ウィメンズマラソンを見に行きました。感動、感動、感動。松尾芭蕉の、「松島や、ああ松島や松島や」の気持ちがよくわかります。すばらしすぎて、言葉になりません。特に車椅子の部の表彰式。全員知らない方々ですが、目が離せません。涙が止まりません。人間って、あんなに素敵な笑顔ができるんだという驚きです。努力をした人、乗り越えた人だけがたどり着ける領域。その結果があの笑顔なんだなって思いました。

 

週刊少年ジャンプなど、男の子が読む漫画のヒット作は常に戦い。ドラゴンボールもワンピースも。子供たちは、仮面ライダーとか、ゴレンジャーなどの戦隊モノを見て真似をします。男の本能から戦いを拭い去ることは不可能でしょう。脳みそが極端に発達した人間という哺乳類は、武器を使うことによって体力の差を乗り越えることを知っています。数の力を知っています。ジャックがスペードとクラブによって、キングになることができることを知っています。でも、ジャックはキングになった時に、自分は何も手に入れていないことに気がつくでしょう。ああ、自分がやっていたことは、ただのカード遊びだったんだって。そして、クイーンは、最初から、そのことを知っている。だからクイーンはすべてを包み込みこむ12というポジションにいて、11と13の間にいるのでしょう。カード遊びなど最初から必要のないポジション。

世の中物騒になってきています。朝鮮半島という同じ民族の人々たちが住む土地を舞台に、北と南に分かれて、今にも戦争が勃発しそうな勢いです。鍵を握っているのはアメリカという世界の警察の役割を担うことを諦めつつある大国。北朝鮮のミサイル発射の時、北朝鮮のテレビに出ていた北朝鮮の学者の方の顔を見ていると、とても北朝鮮で生まれ育った人とは思えません。

 

名古屋ウィメンズマラソンの女性たちの笑顔に勝てる男性はいるでしょうか?絶対にいません。4種類のカードの中で、最強のカードは、武器のスペードでも、軍隊のクラブでも、お金のダイヤでもないでしょう。ハートのはずです。努力した先にいるハートのクイーンの笑顔が最強。そして、この物騒な時代に、次のオリンピックは日本で開催されます。世界をハートで包むための絶好の機会です。それができなければ、オリンピックは開催できないかもしれません。人間の本能から争いを拭い去ることはできませんが、争いはカード遊びだってことに、ハートの取り合いだってことに、気がつくことはできます。

トランプが、「頼りになる」という意味になるのか、「でっちあげ」という意味になるのか?日本が担う役割は大きいと思います。

2017-03-20 | Posted in BlogNo Comments » 

 

 -Norway-

コンサルタントの仕事をさせていただいている時に、ノルウェーの方々とミーティングをする機会をいただきました。ノルウェーは一人当たりのGDPが高く、裕福な国であるとお聞きしました。

その時に思ったのは北海油田。カタールにしても赤道ギニアにしてもそうですが、人口が少ない国に豊富な天然資源があればその資源の輸出から得られる富からの配分も大きくなるため、豊かになる。だからノルウェーは豊かなんだろな、と思っていました。

確かに富という点での豊かさは石油資源に依存するところもあると思いますが、そもそもその豊かさは富ではないのじゃないか、と最近思います。

女性の就業率は世界一。男性も15時には仕事を終えて育児。給料の3割は税金として徴収される一方で充実した社会福祉。綺麗な景色。ルスという一生に一度のなんでも許される時期。すべての人が、平等であるべきで、平等な人々同士で、一瞬一瞬を楽しもう、楽しむために、一生懸命働こう、というそんな豊かさを感じます。

日本程豊かな四季はないので、おそらく日本のように美味しいものはたくさんないと思います。厳しい寒さのため穀物もそれほど収穫できないと思います。しかし日本よりもはるかに高い食料自給率。自分たちの置かれた環境の中で、できるだけ対外的に依存せずに精一杯生きていこうという感じを受けます。だからこそ徴兵制度も残っていて、厳しい部分もありますが、それは平和な生活を維持していく上で必要なものであると受け入れている。

共存を求めている国だと思います。自分が豊かになろうという気持ちはもちろん人間だからありますが、自分だけが豊かになろうということに罪悪感を感じる人の割合が、他の国よりもちょっとだけ多い。困っている人がいたら、助けることが当たり前だと思っている人の割合が、他の国よりもちょっとだけ多い。今生きていけることが、自分だけの力ではないと思っている人の割合が、他の国よりもちょっとだけ多い。そんな感じじゃないかなと思います。

大学生の時、BS番組でリニエ・アクアビットの特集を見ました。製造後1年間蔵で寝かせた後で赤道まで航海にでる船に乗せて、戻ってくることで醸造させるそうです。極寒のノルウェーから常夏の赤道へ行って帰ってくる間の自然の温度変化で、リニエ・アクアビットの醸造が完成します。まさに自然とともに生き、自然を生かす知恵。これがノルウェーの人に備わっている人間性かと思います。

昔の日本人と似ているなって思います。

2017-03-11 | Posted in BlogNo Comments » 

 

妥協 – compromise-

新しいビジネスは社会の課題があると誕生します。こんなことができたらいいなを実現するのが発明。発明の対価は、それを商品化することによって得ることができます。エジソンが電球を、ワットが蒸気機関を、など、発明が社会に与える影響が大きければ大きいほど、その対価は大きくなります。

人のあったらいいな、は、衣食住の利便性を高めることをめざします。洗濯板で洗濯するのも、薪を割って火を起こすのも大変。だから電気やガスなどのエネルギーが起こす力が機械を回すことによって、人の作業を機械が代替してきました。エネルギーこそが、人の利便性を高める源泉。

マッチやライターなしで火を起こすことにかけて、昔の人よりも優れている人は少ないでしょう。おそらくどこかには必ずいますが、むしろマッチもライターもなく、無人島で火を起こすことができる人はほとんどいないと思います。人は、何かを得ると必ず何かを失います。得るものと失うものの間には妥協が働いています。石油や石炭など化石資源を掘れば掘るほど、エネルギーは誕生する。その代わり化石資源はどんどんなくなっていく、地球環境はどんどん破壊されていく。残念ですが、これも妥協。

人工知能学会が人工知能の研究開発の倫理指針をまとめました。この倫理指針に従うのは研究者だけではありません。人工知能自身も従うことになります。つまり、人工知能が人工知能を開発する際に、この指針に従ってくださいよ、ということになります。人は何を得て、何を失っているのでしょうか?そこに妥協は働いているのでしょうか?そこで働いているのは妥協ではなく放棄であると感じるのは私だけでしょうか?

世の中にたくさんの課題が存在しており、解決できない領域に入りつつあります。地球環境保護も人口増加も、なんとか解決しようと必死になっている人たちがたくさんいます。その中には、ITという新しいテクノロジーを使って解決しようとしている人々もいます。素晴らしいことです。そこに新しい発明が生まれ、この課題を解決すれば、社会に与える影響はとても大きい。だから、その対価はとんでもなく大きいはずです。ただ怖いのは、間違った方向に進まないか、ということ。対価を得るために、ベンチャービジネスでこの課題に取り組み、解決しました。でも同時に大きなものを失いました。実は発明した時は、その先は考えてませんでした、ということになると困ります。短期的でなく、人類の永続を前提とした発明でなければなりません。だから人工知能という大変有力なツールを発明する際には、きちんと倫理指針に従いましょうよ、ということだと思います。

人工知能は倫理指針に従ってくれるでしょうか?人工知能には妥協は存在するのでしょうか?人工知能は何かを得て、何かを失うか?人は覚えると同時に忘れるという能力を持っています。人工知能が妥協するためには、失うという能力と忘れるという能力をインプットしなければならないでしょう。失うという能力をインプットするためには、死をプログラミングしなければなりません。忘れるという能力をインプットするためには、傷つくという感情をプログラミングしなければなりません。感情をもった人工知能、愛をもった人工知能、そして死を迎える人工知能を作らなければ、人工知能に妥協させることは不可能でしょう。愛と死をもつのは人間。人は今、人間を作り出そうとしているのか?人類はとうとう神になろうとしているのか?

未知の扉を開いてはいけないような気がしてきました。

2017-03-05 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Famers Market

アメリカで広がっているファーマーズ・マーケット。化学肥料などを使わずに自然のまま育てた農産物や畜産物のためのマーケットです。2011年に一度訪問しましたがその時は、なるほど、いい試みだなって思ったくらいで、その重要性に気がつきませんでした。しかし最近は、これこそが今の日本に必要なことだなと感じています。

日本でも昔から農家直売はあります。安くて美味しい。しかし産地まで買いに行かなければその恩恵に授かることができません。産地まで行って購入することができるのは、せいぜい1品目か2品目でしょう。それでは、料理はできない。スーパーマーケットで農産物も畜産物もなんでも買えますが、スーパーマーケットでは、いくら新鮮とはいえ、袋詰めされて物流網に乗ってからのものなので、当然産地直売には勝てません。だから生産者自身が、とれたてを、その場で売るのではなく、朝取れたものを、他の生産者達が集まるところまで持ってきて、昼売るってことにしないと、買い手が新鮮なものを新鮮なまま、多品目購入するってことは無理だと思います。だから、それを実現させるのがファーマーズマーケット。とてもシンプルな考え方だと思います。

流通網が発達し、欲しいものを欲しい時に手に入れられる時代。ヤマト宅急便の労使協議が話題になっていますが、需要がある限りはビジネスが成り立つので、通販物流のマーケットはどんどん拡大していくでしょう。しかし、どれだけ物流網、流通網が発展したとしても「出来立て」「とれたて」はネットで購入は難しいですし、「直売」はなおさら無理。ネットで買えない「新鮮」という付加価値だからこそ、農家が直売するファーマーズマーケットが、これから必要になると感じます。

一昨年のフランス映画祭で上映された「エール」。主人公はチーズ農家。チーズの物語ではないですが、あの農家のチーズは美味しいに違いありません。主人公が、友人に、「家畜に感情移入してはダメだ」と言います。最後その家畜を殺すことになるから。一方で、最後、大きな選択をした主人公が家畜を大事に大事に、いつまでも抱きしめているシーンがあります。これが、農家だと思います。農家で生産される農産物や畜産物は、愛。この愛がのった食材をその愛を失うことがないまま購入ことができるのが直売。直接家畜を育て、直接殺した生産者、直接種をまいて、直接刈り取った生産者から購入できるのがファーマーズマーケット。

国土の広いアメリカでできるのだから、日本でできないはずはありません。もちろん生産者の仕事は売ることではなく作ること。その忙しい生産者が無理に時間を作って売るのがファーマーズマーケット。大量生産した食材ではなく、一つ一つ愛を込めて作った食材を売るのがファーマーズマーケット。当然、そのファーマーズマーケットで購入する新鮮な食材は、流通網に乗っている食材よりも割高になるはずです。だから、売れるか、売れないかというビジネスの話ではなく、そこに行けば、生産者から直接購入できるということが重要。生産者は、自分が精魂込めて育てた食材の良さを、理解してくれる人に購入してもらいたいと思うはずです。

東京のベッドタウンが超高齢社会を迎え、財政上の深刻な課題を抱えています。ところが千葉にしても埼玉にしても、たくさんのファーマーズがいます。週に1日でもファーマー達がマーケットで新鮮な食材を直売すれば、そこではたくさんの人々が歩き、話し、栄養のよいものを食べる。これこそが生活習慣病の予防になると思います。生活習慣病予防ができれば医療費は下がり、財政負担も減ります。

大都市圏の真ん中目指して超高層マンションを立てるのもよいですが、大都市圏の周りに向かってファーマーズマーケットを作ることが、人としての豊かさ、健康長寿、生活の質、これらを向上させるためにこれから必要になってくるんじゃないかなと思います。

大学の時、愛知県に帰省するたびに、毎回、金沢の近江町市場や敦賀のさかな町で、海産物を購入していました。日本ほど、産地直売のために豊かな、恵まれた環境にある国はありません。ビジネスではなく、愛のために、ファーマーズ・マーケットが広がるといいな、と思います。

2017-02-26 | Posted in BlogNo Comments » 

 

教育 – Education-

 

先日新聞に出ていましたが、英語が小学生から必修になったり、プログラミングの授業ができたりするようです。人類は日々たくさんの発見をしているから、覚えることもどんどん増えています。あれも、これも覚えなければいけないから、後から生まれた世代は大変だと思います。

 

昔は教育を受けることができない人もたくさんいました。今では、義務教育のおかげで、誰もが教育の機会を均等に与えられています。所得格差を是正するために、私学に通う子供を持つ親への助成金のような制度も出てきています。昔は先生は怖いものでした。学校に行けることに感謝。先生が教えてくださることに感謝。しかし今は学校に行けることが当たり前。当たり前になった結果、感謝の気持ちを忘れてしまいました。今は、生徒は先生が怖くない。逆に先生は保護者が怖い。先生は授業もあるし、部活もあって、休めない。生意気な生徒を、突き飛ばすことも許されない時代。学校の先生は今、心も体も最も過酷な職業でしょう。

ゆとり世代と呼ばれた年代が社会人になってから、働き方改革で残業時間の制限がいわれるようになっています。学校教育で競争をよしとされなかった世代が社会に出ていきなり競争にさらされるのはしんどいのは当たり前。ゆとり世代の人たちがどれくらいいるのかわかりませんが、しばらくは過酷な労働環境はよしとされない傾向が続くでしょう。先生に叱ってもらうことも、上司に叱ってもらうことも知らない世代に、きちんと活躍してもらう社会を作ることが、「ゆとり」という制度を生み出した我々の使命でしょう。

 

「ゆとり」はなくなりました。再び、子供達は競争に。そして、昔よりもたくさんのことを覚えなければなりません。でも、やはりなんとなく、全体の傾向として、子供にたくさん学んでもらうことを期待して、子供たちが勉強できる環境をつくるために、社会が教育そのものを甘やかしているような気がします。

 

昔、ヨハネスブルクからニューヨークへの16時間のフライトで、TEDでミシェル・オバマさんが他の女性たちと一緒にインタビューに答えているシーンを見ました。3年ほど前の内容なので忘れてしまいましたが、印象に残っているのは、「母親が教育で果たす役割は、いつの時代もたった一つ。勉強の楽しさを教えること」という言葉。大変共感したのを覚えています。

 

私は物心ついたときから本の虫。1日中本ばっかり読んでいます。なぜそうなったか考えると、母親が毎日本を読んでくれるのが楽しみだったからです。今日はこの本っていって、持ってきて、読んでもらいました。毎日読んでもらっていたので、自分で本を読むことができるようになってからは、毎日本を読むことが当たり前に。

 

本を読むこと=勉強ではありませんが、本を読むことは楽しいということは、母親から教わりました。残念ながら、私の子供達が小さかった時、私は商社で働いていたので、毎日終電かタクシー帰りだったし、休日はゴルフか寝てるかだったので、一切子供達に本を読んであげることができませんでした。でも、息子が中学生、娘が小学生の時に香港の友人のところに遊びに行き、そこで子供達は英語でコミュニケーションをすることの楽しさを知ってくれたようです。勉強の楽しさって、いつでも、どんな形でも、それを教える機会はあるんだなって思います。

 

早く英語の勉強をするのもいいし、プログラミングを教えることも大変よいと思います。ただ、子供達がそれを楽しいと思わなければ、脳みそは拒絶の方向に作用します。

 

親が忙しく、子供の相手はゲームに任せている時代。その環境で、勉強の楽しさを自ら学ぶ子供達はわずかしかいないんじゃないかなと思います。私たちが教えてもらった、勉強の楽しさを、ちゃんと次の世代に伝えていきたいな、と思います。

 

2017-02-19 | Posted in BlogNo Comments » 

 

青髭 - Barber Blue –

シャルル・ペローの童話「青髭」。愛する妻を試して殺し続ける悲劇の貴族の話です。青髭の男は見た目は醜くいがとても裕福。しかし結婚する女性がことごとく帰らぬ人となるので、恐れられています。実はまっすぐで繊細な男性。妻と約束をして、妻を試すたびに、妻が約束を破り、そして殺してしまうということを繰り返しています。

この物語は、青髭の妻となるある娘が金持ちになることを望むとこから始まり、最後、その娘を殺そうとした青髭が殺されて娘がその財産を引き継ぐところで終わります。

 

いつの時代も、人々は富に従い、自ら富を得ようとする一方で、富を得た者は常に孤独。いつの時代でも、富む者は許されても、そうでない者は許されないことがある。そして、いつの時代も、過ちを犯した者は必ず滅びる。

 

お金は労働の対価です。労働という形のないものに形を与える手段でした。だから、最初は、金という限られた貴重な資源がお金の役割を果たしてきました。しかし、アメリカのニクソン大統領が金・ドル交換停止をしてから、お金の上限がなくなりました。お金の上限がなくなっても、人々がお金を求める気持ちは変わりません。だから、お金はどんどん膨らみます。労働の量とは関係なしに。お金を生み出すところに、人は集まり、お金を持つものが力を得る。そして力を持つものが、さらなるお金を得る。お金の上限がなくなったので、特定の人に集まるお金もどんどん大きくなり、そして富はどんどん集中していきます。

 

さて、柳生新陰流は、相手の力を真正面から受け止めるのではなく、流して打ちます。力を流された相手は、無防備になります。一方、流した方は、無防備な相手に対して、いつでも打ち込める構えが出来ています。だから、美しく、強い。しかしその原点は、相手と同じ条件であること。刀と刀だから、相手の力を流すことができます。これが、相手が鉄砲だと、いくら美しくて強くても、その力を流すことはできません。

長篠の戦いで、武田の最強の騎馬隊は、織田の鉄砲に敗れました。そして太平の世の後、幕府はペリーの黒船の力を恐れます。そして原爆。いくら柳生新陰流の達人でも、黒船を真っ二つに切ることはできませんし、原爆の力を流すこともできません。つまり、テクノロジーで先に行ったものが、強く、そして、テクノロジーで先に行ったものが、富を手にします。これは資本主義でなくとも同じことでしょう。そして、金・ドル交換停止となってから、テクノロジーで先に行ったものは、グローバルに際限なく富を集める力をもつことになりました。

 

さて、今の時代にテクノロジーで一歩先に行き、富を集めた人と青髭の違いは?きっと、テクノロジー競争に勝って、富を得た人もまた、元来、まっすぐで繊細でしょう。じゃなければ、偉大な発明などできるわけがない。まっすぐで繊細な人が最も恐れるものが裏切り。その逆に、富を得た人の周りには妬みと欲望。いくら信頼できる部下でも、裏切らない保証は一切ありません。そして、その中で生きることもまた、際限ない孤独。

 

コップ1杯の核爆弾で、カリフォルニア州の面積を破壊できる時代。そして、核が最強の破壊テクノロジーである限り、必ずその核を盗み出して取引をしようとする人は現れ、また絶対にいなくなりません。そのうち、世界中が核を持つでしょう。どれだけ軍事力を強化しても、核の力にはかないません。みんなで核開発やめよーよーって行ったところで、一度開発された最強の兵器はなくなりません。人が富を得ることを目的とする限りは。

 

さて、青髭と結婚した娘は、幸せになったでしょうか?なぜ、娘は富を求めたのでしょうか?娘にとって、大事だったのは、幸せをくれる青髭その人だったのか、それとも青髭のお金だったのか?青髭は、青髭その人を求めてくれる妻が欲しかった。娘もきっと、お金よりも、青髭その人が大事だった。でも青髭は、富を持っているがために、その大事な妻を信じることができず、試すことになった。

 

持つ者は、必ず孤独。持つ者は、いつか必ず、失う側になる。そう、青髭のように。何がそうさせるか?それは青髭自身にある、疑いの心です。核を持つものは、自分だけが核を持ちたいと思う。その結果、多くの国が核を持つことになる。そして、自分もますます核を手放せなくなる。そうやって、自らが滅びる方向に向かっていく。

 

青髭は、娘を殺そうとします。でも、絶対に殺したくないはず。そして、逆に、娘を助けにきた銃士たちに殺されます。青髭は、きっと、そこで、何かから、解放されるのでしょう。そして、青髭が背負ってきた重荷を、今度は娘が背負うのでしょう。これが、人間。

人を幸せにするには、お金が必要。でも、お金を持つものは、背負う責務を負い、そして孤独と戦い続けなければならない。自分が幸せになるためには、全てを手放し、そして求めない心が必要でしょう。

 

青髭は、どうすれば、殺さずに、または、死なずに幸せになれたか?この物語での答えは、たった一つだと思います。

 

「信じること」

 

法律とか、契約とか、条約とか、そういった約束で秩序を作ったのが法治国家。でも法は必ず破られる。青髭との約束を娘が破ったように。核開発の合意が常に破られ続けるように。そして、法を破ったものを放置しておくと、法治国家は維持できません。青髭が妻を殺し続けたのと、法治国家による法の執行は、全く異なるとはいえ、根本的となる概念は同じです。

お互い、幸せになるためには、「法」だけでなく「信」が必要です。コンパッションこそが、法の基盤にある信。法は仕組み化されましたが、コンパッションは仕組み化されていません。コンパッションを仕組み化することこそが、世界中が幸せになる鍵だと思います。

 

その仕組み化の大きなヒントが、美しくて強い、柳生新陰流にあるような気がします。

2017-02-05 | Posted in BlogNo Comments » 

 

亀 – go on –

コンサルティング会社に入社した時に、大師匠から教わったこと。「続けた者だけが生き残る」。大師匠は多くは語ってくださいませんでした。しかし忘れられない言葉です。そして最近、私なりの答えを見出しました。それは「亀」。

 

うさぎと亀の話で、うさぎがサボっている間に、亀が先にゴールに到着します。しかし、うさぎと亀の話は、本当は、ゴールなんか、ないんじゃないかなと思います。亀は、ずっと、ゆっくり、ゆっくり歩き続ける。歩いて歩いて、前に進み続ける。ゆっくり歩いているけど、止まらないので、確実に進み続けます。一方のうさぎは頑張って走ったけど、途中で止まってしまいます。どれだけ足が速くても、やめたらそこまで。

 

大器晩成という言葉があります。大器の定義は様々ですが、やはり自分が定めた目標を達成するためには努力が必要。どれだけ目標が大きくても、それに向かってコツコツと努力をして、最後までやめないことが唯一の成功秘訣と思います。能力がなくても、コツコツと取り組みを続けて、やめなければ、少なくとも目標には近づいています。

 

ITの技術が進み、ボタンを押すといろんなものが実現できるようになりました。スマートフォンで、瞬時に答えがわかるようになりました。これはこれで、素晴らしいこと。しかし、努力が一足飛びで成果につながってしまうと、人はコツコツと努力することを忘れがちになると思います。意識してコツコツしていないと、あっという間に年をとってしまう。

 

多様化して、専門特化して、どんどん物事は複雑になり、何が正しい答えなのか、一つ一つがわかりにくくなっています。でも、生きている以上は、正しいと思うことを、自分の頭で考えて、判断していかなければなりません。だからこそ、自分自身の柱を持つことが必要。一つのことをコツコツ続けている人は、この柱を持っていると思います。

 

昔、おぼっちゃまくんというアニメがありました。その主題歌で、「容赦無く厳しい人、おとうちゃまの教えは、ゆっくりいけ、じっくりやれ、亀に乗れ」。微妙に違うかもしれませんが、そんな感じの内容でした。この歌詞の奥の深さを最近感じています。

2017-01-29 | Posted in BlogNo Comments » 

 

料理 -cuisine-

人が食事をするのは基本的に1日3回。1年が365日なので、1年で1,086回。100歳まで生きたとして、一生のうち食べることができる食事は10万食くらいです。20歳くらいまではいいでしょう。まだまだたっぷり食べる機会はある。でも年をとっていくにつれて、残された食の機会はどんどん減っていきます。だったら、毎回うまいものを食べたいと思うのが人の本能でしょう。今の私たちは幸せです。和食も、中華も、ハンバーガーも、パスタも、ピザも、かなり頑張ればフランス料理も食べることができます。

石器時代には、そうはいきません。今日食べる飯は、今日自然から調達する。そうやって、狩をして得た収穫をみんなで分かち合いました。そして稲作をはじめとした農耕が開発されてからは、今日調達するということはなくなりました。みんなで田畑を耕し、みんなでタネを蒔き、みんなで収穫をして、豊作を祝いました。食はそもそも分かち合うもの。そういった文化が世界各国で起こり、寒い土地では麦が、暖かい土地では米が主食して定着します。中国でも北の方では麦が中心。餃子の文化が根付きます。世界各国、それぞれの土地に応じた食文化が誕生していきます。食は、分かち合うことから、餌から文化に変わったんじゃないかな?人間は餌を食べるのではなく、文化として食すようになったから、脳が発達したんじゃないかな?

さて、インドや東南アジアでは、香辛料という文化が生まれます。一方、ヨーロッパ大陸では内陸部まで肉を運んでいる間に腐ってしまうという問題があり、その問題を香辛料が解決できることがわかりました。そこでインドや東南アジアで取れる香辛料のヨーロッパへの貿易が始まりました。最初は香辛料の保存や消臭といった機能が求められたのでしょうが、次第に、香辛料の味が求められるようになりました。そうやって、食文化は海を渡るようになります。

貿易が、いつ、どこで始まったのか知りませんが、あらゆる意味で、食と貿易は切っても切り離せないと思います。貿易は取引であり、文化交流であると思います。

 

海外に行くと、現地料理を食べます。ベトナムに行けばフォーを、メキシコに行けばタコスを、マグレブに行けばクスクスを食べます。そうやって、現地のことが好きになる。帰ってからもいい思い出になる。どんなに景色が綺麗な国でも、食事が良くないと、いい思い出にならないでしょう。

 

誰もが、うまい飯を食べたいはずです。残された人生、1日3食、多彩でうまい飯を食べるためには、やはり貿易は不可欠でしょう。寿司が大好物でも、たまにはトリュフも食べたいし、ロブスターだって食べたい。和牛が一番だと思っても、韓国行ってプルコギを食べればやっぱりうまい。

 

だから、世界は仲良くしなければなりません。戦争になると、そもそも1日3食食べられなくなります。グローバリゼーションの弊害もあるかもしれませんが、少なくともうまい飯を食らうという点では、グローバリゼーションのメリットは大きい。うまい料理のためには、よい調理器具が必要です。料理は五感で食するもの。器や盛り付けも大事です。日本のすてきなお皿が欲しいとずっと思っていて、ようやく豊かになって購入できるようになった南の国の方々もいらっしゃるはず。

 

世界中で、分断が起こっていますが、今必要なのは、料理だと思います。でっかい壁をつくっても、解決にはなりません。何かお互いの国の間に重大な問題があったとしても、一緒にテーブルを囲んで、お互いの国の料理を提供しあうことができれば、お互いにうまい、うまい言っていれば、きっと解決に向かうと思います。料理がまずければ、きっと解決するよりも、関係は悪化に向かうでしょう。

 

2017年。世界が必要としているのは、腕の良い料理人だと思います。

2017-01-29 | Posted in BlogNo Comments » 

 

信用 – Credit –

ビジネスとは何か?

様々な回答があると思いますが、私は信用の連鎖だと思います。例えば売買。売り手から仕入れるためには、買い手の信用が必要です。取引の金額が大きくなればなるほど、売り手のリスクが大きくなります。だから日本では手形取引が普及していました。買う方も、売り手の信用が必要です。万が一購入した製品が不良品だったら、お金を払っても使い物になりません。

昔はお互い知っている者同士で取引をしていたので、必然的に信用できる人と信用できない人は明らかになり、たくさんの信用を獲得した人ほど大きなビジネスができました。しかし時代は変わり、取引はスピーディに。だんだんと手形の習慣はなくなり、現金決済で、売り手側がファクタリングをかけるとか、そういった信用面での不安をヘッジする方法が不可欠になっていきました。そして取引はグローバルに。相手の顔を知らなくても安心して取引できるペイパルやアリペイのようなエスクローが発展しました。そしてこれからはブロックチェーンが信用を代替してくれるでしょう。

ところが仕組みが発展したおかげで、信用の築き方を学ぶ機会が減ってきています。あまりにも急速に成長するビジネスモデルがあり、一つ一つ小さな信用を積み重ねることが、むしろ時間を浪費しているように捉えられてしまうこともあります。ビジネスの本質は昔から変わっていないのに、仕組みを学ぶことに忙しくて、本質を学ばないままビジネスを続けてしまう。社会にポンと放り出されると、どうやって信用を得たらいいかわからない。これはかなり辛いです。

現在私は中小企業で働いています。会社全体の売り上げも利益も、一人の商社マンが稼ぐ金額。その規模で150人もの人が働いています。金額だけ見ると、一人の商社マンの仕事と変わらないかも知れません。でも、同じ金額を客から受け取るまでに、社内でたくさんの信用がつながっています。客に無事製品を納入するまでに、こうすべきだ、ああすべきだ、これが足りない、あいつが言っているならば大丈夫、など。私が商社で働いていた時に恐れていたのは、商売が飛ぶこと。だから一生懸命客先に足を運んで信用を築いていました。今の会社では、総力戦で動いています。客の信用も大事ですが、社内の信用も大事。社内がお互いに信用していれば、その信用は客にも伝わります。社内がお互いに信用していれば、必ず良いアプトプットに結びつきます。社内がお互いに信用をしていれば、よほどのことがない限り、商売は飛ばないのではないかな?

どんな業種だろうと、ビジネスは一つ一つが信用によって成り立っています。一つ一つが専門特化してきている時代だからこそ、信用が大事。信用とは、感謝すること、おごらないこと、自惚れないこと、甘えないこと、妥協しないこと、その他、ほぼすべて、心構えによって決まります。

 

政治的とか、官僚的という言葉が使われることがあります。これは往々にして信用とは切り離された場面で使われることが多いと思われます。人間には裏と表があり、理想だけでは国は統治できません。だから裏の部分も担っているのが政治でしょう。

 

世界の超大国の大統領に、ビジネスの世界出身で、政治は初心者であるトランプ氏が就任しました。大統領の就任式で述べられた内容は、理想。裏がある世界で、どうやってこの理想を実現するか?これからそれが問われます。超一流のビジネスを築いてきた人は、超一流の信用を築いてきた人なので、トランプ大統領は、大きな器で信用を築いていくでしょう。でも、信用は一旦裏切ったら終わりです。トランプ大統領は、あえてわかりやすい、そして実現不可能と思われる目標を大きく掲げました。途中で諦めたら、信用を失うし、実現すれば、とんでもない信用を得るでしょう。これはとんでもなく大きな賭けと言えます。

 

世界の人類が、今、トランプ大統領の賭けに巻き込まれました。アメリカ合衆国国民の信用を得ることを最優先に、トランプ大統領はあらゆることを仕掛けてくるでしょう。政治の世界出身でない超大国の国家元首と、これから交渉しなければならない政治家と官僚。日本の政治家、日本の官僚もまた、トランプ大統領同様に、わかりやすい、そして実現不可能と思われる目標を掲げて、日本国民の信頼を得ようとするか?いや、それはないでしょう。日本国民の信頼を得ても、トランプ大統領の圧力に屈っすることになっては元も子もありません。やはり日本の政治家、官僚にとって最優先なのは、これまで同様、世界中の情報を入手して、裏も表も見ながら、日本にとって最善の答えを、行政と政治の立場で出すこと。予測不可能な相手が大統領になったことで、これからは今まで以上に国内での議論を活発にしなければならないでしょう。そして、その議論の底にあるのは、お互いの信用。

 

トランプ大統領の出現によって、これから世界がどうなるのかわかりませんが、日本で政官民、それぞれがこれまで以上にお互いを信用しあって、力を合わせて日本のために、アジアのために、世界のために最善な答えを出していかなければならなくなったということは言えるのではないかな、と思います。

 

18年前、私が社会人になったときは、まだ手形取引がありました。商売とは、顔を見てするものでした。客にも、メーカーにも、厳しく叱ってくれる方がいました。そうやって、ビジネスを学んできました。今、40歳になっても、地位も金も、何も一切ないですが、信用を得る方法だけは学んできたし、今も学び続けています。

何か、日本のために、役に立てることがないかな。

2017-01-22 | Posted in BlogNo Comments » 

 

尊厳 – dignity-

イギリスにもともといたのはケルト系の民族。そこに9世頃、ゲルマン系のアングロ・サクソン民族が南から侵攻し、イングランドを建国します。北に追いやられたケルト人はスコットランドを建国します。

 

14世紀からイングランドはフランスの王朝と長い歴史にわたる熾烈な戦争を繰り広げます。16世紀末にはイングランドを侵攻しようとしたスペインの無敵艦隊をアルマダの海戦で破ります。18世紀初頭、アン女王の時代に、イングランドはスコットランドとの統合を強め、グレートブリテンとしての地位を固めます。国力と国民の士気を高めた大英帝国は世界に多大な影響力を持つようになりました。パックスブリタニカの隆盛です。

 

イギリスの世界覇権の一方で、宗教改革で誕生したカルバン派のピューリタンは、ジェームズ1世の時代の「主教なくして国王なし」の号令のもと追放され、北米に渡ります。

 

アメリカには、ラ・サールが発見してからフランスが統治をしていたルイジアナがありました。その後、18世紀、フレンチ・インディアン戦争でイギリスがフランスを破ります。アメリカの東海岸はイギリスの領土へ。ボストン茶会事件をきっかけにアメリカはイギリスから独立。アメリカの建国は、イギリスから東海岸にたどり着いた民族達によってなされます。アメリカは、合衆国という形で国家を形成します。東海岸の人々は、プロンティアスピリッツと称して、西の開拓に進みます。これが、GO WEST。一方で、アフリカ大国もヨーロッパ列強によって分割されます。

 

歴史の見方は人様々であり、答えはありません。しかし、私が感じるのは、1000年くらい前から世界の領土の奪い合いが始まり、ある程度奪い合ったから、100年くらい前に世界大戦が起こったということ。そしてある程度世界の秩序が出来上がったから、今度は10年くらい前から分断が始まったということ。

 

もとをただせば、奪い合いの歴史からスタートしています。強者が弱者を奪うという歴史に変わりなく、もともとイギリスにいたケルト人も、もともとアメリカにいたインディアン、もともとアフリカにいた多様な民族も、奪い合いの歴史には参加していません。奪い合っているのは、外から来た強者達。

 

それは日本も同じで、先住民のアイヌ達は、大陸から来た民族に追いやられたと言われています。人間に闘争本能がある限り、戦いは避けられません。強者が弱者を支配することは避けられないでしょう。それは人間に限らず、どんな哺乳類も同じです。

 

 

しかし、人間には知性があり、知性に応じてそもそも多様な特徴を持っています。アルマダの海戦で、イギリスがスペインの無敵艦隊を破ったのは、スペインのような大型の艦隊ではなく、小型の船を大量に用いるという戦略が功を奏したためです。日本にだって、柔よく剛を制すという言葉がある。

東海岸にたどり着いたアングロ・サクソンの人々が、GO・WESTを続けていると、西海岸にたどり着いた。また海か?という感じでしょう。しかしそこで今度はゴールドラッシュが起こる。一方、西海岸には東海岸から来た人たちと、移民の人たちとが混ざり合って、多様性が生まれる。ハリウッドのような文化やシリコンバレーのようなテクノロジーが生まれる。

 

こんな簡単な表現をしては許されないと思いますが、共和党は、GO・WESTで西海岸を切り開いた人たち、民主党は多様性を受け入れてイノベーションを起こして来た人たちのように思います。だから、保守とリベラルという表現で表される。

 

アメリカ大統領選で、共和党が勝ちました。それはそれで大事なことです。歴史は変わる。しかし、今脅威が起こっています。それは、多様性の封じ込め。受容と寛容によるイノベーションを支えているのは表現の自由です。日本でも憲法が最も重視するのは表現の自由。この表現の自由の封じ込めをトランプ次期大統領がこれから行うのでは、と脅威を感じます。そしてこの流れは、同じく世界を奪い合って来た国々でも起こる可能性があります。

 

今も、昔も、正義が勝つのではなく、勝つものが正義だ、という普遍的な事実は変えようがありません。だから表現の自由によって「勝つ」ということの定義を、物理的なことからできるだけ回避させている。でなければ、人類は、支配のために破壊を続けるからです。繰り返しになりますが、物理的な支配を求めるということは、破壊をするということにつながります。破壊を避けるためには、表現の自由が必要です。

 

なぜ人は、支配を求めるか?それは欲望があるからです。支配をしたいという欲望がなぜ生まれるか?それは敬われたいからです。なぜ敬われたいか?それはばかにされたくないからです。ばかにされたくないならば、別に支配などしなくても、いろんな形で、尊厳を守れば良い。表現の自由があれば、尊厳は守れます。

 

人類の歴史は、どこかのタイミングで、侵略の歴史になってしまいました。歴史の教科書を見ると、文化の内容よりも、侵略の内容ばかりです。神が人類が過度に侵略をしないように、陸と海を作ったにも関わらず、テクノロジーがそれを乗り越えた。

 

日本は、天皇がいて、八百万の神を敬う敬虔なる信者がいて、先祖を敬う心があり、また島国ということもあり、今もかろうじてあらゆる人々の尊厳を守ることができています。一億総中流という素晴らしい歴史も持っています。でも、これだけテクノロジーが進むと、本当に今の素晴らしい日本を維持できるのか、心配になります。

 

キリストは人間の姿をして処刑されることにより人類の罪を償いました。しかしもはやそれは期待できないでしょう。人間は人間の手によって、罪を償う必要がある。それは、破壊と滅亡ではなく、再生であるべきです。そのために必要なのは、表現の自由。

 

表現の自由だけは、絶対に失ってはなりません。

2017-01-15 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Project Manager

昔読んだ何かの本で、騙され続けた少年が最後銀貨1枚で老人を雇って、修行して立派になる話がありました。すごい昔の話なので定かではありません。

映画「アンノウン」では記憶を失った主人公を元秘密警察の老人が助けます。誰も主人公を信じない中、その老人だけが主人公を信じます。なぜならば、主人公の話がブレずに首尾一貫しているから。

 

さて、マネージャーには2種類いると思います。

一つ目は決まり切った仕事を回す人。そもそもビジネスモデルは決まり切った労働が対価に変わる一つのサイクルを仕組み化したものを言います。例えば売れる商品があって、買いたい顧客がある。そうするとその商品を作るというビジネスモデルと、顧客を連れてくるというビジネスモデルがなりたちます。これらのビジネスモデルを安定的に回せば、安定的な収益が維持されます。これらそれぞれのビジネスモデルを回すために、決まり切った仕事をしっかりと取り仕切るのがマネージャー。多くの場合は、自分自身がそのビジネスモデルを経験して、そして成長して監督側に回ります。経済が順調に成長していれば、決まり切った仕事を回してさえいれば、ビジネスも大きくなります。またその延長線上で新しいビジネスモデルも生まれたりします。なぜなら経済そのものが成長しているから。だから、監督側に回るのは年功序列が基本。みんな一生懸命マネージャーの指示に従い、いつか自分もマネージャーになろうと頑張ります。マネージャーになれば、自分の手を動かさなくても、監督をしていればいい。しっかりと監督をしていれば、経済の成長と一緒に、自分も仲間たちも成長できる。

 

もう一つは、危機に対応するマネージャー。このマネージャーの役割は、決まり切った仕事を安定的に回すことが役割ではありません。むしろ、外部的な要因で回らなくなったサイクルを元に戻したり、または経済が縮小する中で、自分たちだけはビジネスを大きくしたり。このマネージャーの役割は、年功序列ではできません。そもそも不利な状態からスタートして、事態を好転させることが役割なので、言い訳も失敗も許されません。

 

昔は前者の決まり切ったビジネスのサイクルを回す監督役のマネージャーが必要でしたが、経済が縮小する今、後者の危機に立ち向かうマネージャーが、どの会社でも必要になっています。しかし、そういったマネージャーは、自社の決まり切ったビジネスのサイクルで育った人間から得ることは難しい。だから、外部からハンティングすることになります。

一方、外部からハンティングしても、本当にいい人材かどうかわからない。いやむしろ、「はずれ」の確率の方が高いでしょう。今の時代、簡単にV字回復できるビジネスモデルなど絶対にありません。だから、それなりに長期スパンで、批判に耐えながらも、信念を貫きつつ、そしてその一方で外部から来た人間として真摯にビジネスモデルを学びつつ、最善の答えを出していかなければ、V字回復など不可能です。でもそれが本当にできる人間ならば、そもそも雇われずに、自分で会社を興すでしょう。

 

これからは企業は、後者の危機に対応できるマネージャー、ビジネスモデルを再生させるプロジェクトを実現するマネージャーが必要です。そういったマネージャーがいるかどうかに、企業の存続がかかっていると言っても過言ではありません。

 

そのマネージャーはきっと、人材派遣会社には登録されていないでしょう。どれだけキャッシュをチラつかせても、ヘッドハンティングの声にも耳を傾けないでしょう。

 

騙され続けた少年を救った老人の報酬は、銀貨1枚でした。「アンノウン」の元秘密警察の老人は「ブレていないこと」だけを理由に協力をしました。

これらの老人と同じく、常に一人でいて、危機の時に救う力を持っている、経験も勇気もある人間は必ずいます。私ですら何人か知っているということは、世の中にはきっと、たくさんいます。そして、危機を救う力を持つプロジェクトマネージャーは、常に、お金以外の理由で動きます。お金以外の理由とは何か?それは、真実・誠実・信頼・感謝。これに尽きますが、これほど難しいことも他にはない。

 

でも、それって、そもそも、もともとすべての日本企業が持っていたものではないかな、と思います。

 

2017-01-04 | Posted in BlogNo Comments » 

 

生きる目標 – Where we are going-

最近書店に行くと、いや、書店にいかなくとも、電車の中の広告でも、生き方とか、マインドとかそういった本が増えていると思います。世の中もメンタルヘルスが問題になったり、働き方改革が叫ばれていますが、「そもそも今の生き方っていいの?」って思っている人が多いと思います。

リンダ・グラットンさんのLIFE SHIFTがベストセラー。これからの人生は100年を前提に組み立てて行くことが大事。100年と聞いて、わくわくする人もいれば、ぞっとする人もいると思います。65歳で定年になったとして、毎年300万円の生活費が必要だとすると、100歳までの35年間で、1億500万円必要です。その時、年金制度はあるのかな?なんて心配をしている働き盛りの方もいるかもしれません。

いずれにしても、今、多くの人が生き方について悩んでいると思います。何をすれば将来安心かわからない。少なくとも、昔のように今の仕事を頑張って、無事勤め上げれば将来悠々自適、といったことはこれからはないだろうということは確かです。

 

なぜ、こんなに不確かな世の中になったのでしょうか?

 

そもそも、歴史は支配と搾取の繰り返し。王の支配、宗教の支配、貴族の支配、議会の支配。資本主義は自由主義、民主主義と密接に絡み合って、資本の名のもとでの搾取を正当化します。そして産業革命後の輝かしい発展は、先進国が資本の名のもとに、途上国から数々の富を搾取することに支えられてきました。搾取して得た富を、さらなる先進国の中で開発に回す。開発した投資をまた途上国からの搾取で回収する。

先進国の中でも、富むものと貧しいものに二分化されてきました。でも、富むものは常に貧しいものを支配し、発言力が強く、そして弱者もきちんとした社会保障制度で生活が保証されてきたから、強者に従って黙ってきました。

その構図が大きく崩れたのが2016年。先進国では、弱者はもう耐えられない。なぜ富は集中するのか。格差は拡大するばかり。それが気がついたのは、つい最近まで途上国だった中国の台頭、それを追う東南アジアの経済発展。欧州に流れ込む難民。

 

極端な話、資本主義という大義名分のもとで、北が善人面して南から搾取するという世界の構図が崩れてしまったために、北の国々で混乱が発生しているということ、たった一つのこの自明の出来事に、尽きると思います。

 

一方でもともと矛盾を抱えていた国、北欧やスイスやシンガポールなどは先進国の中でも安定しています。彼らは同じ先進国でも、小国としての生き方を確立してきたからでしょう。問題は、繁栄がずっと続くと信じて搾取の構図を構築してきた国々です。南が一定のレベルまでは効果的でしたが、南が独自に製品を開発し、独自に品質を確立し、独自にIT化を推進する時代に、北が常に南から搾取し続けることは不可能です。あるのは個人差。北の中でも富むものは富み、南の中でも富むものが富む。貧しいものは北でも南でも貧しい。北の人たちが一斉にそのことに気がついたのが2016年。さあ、どうやったら自分たちは今の生活水準を維持できるか?そのためには既存の秩序を否定するしかない。そんな感じだと思います。グローバリゼーションそのものを否定。でも、いくら否定しても、グローバリゼーションは止まりません。

 

既存秩序の破壊。資本主義の崩壊。これらは迷走に過ぎません。もともと昔から人はみんな平等。かってに人々が優劣をつけたがって、格差を作り出して、そして今度は、自らそれを否定しているに過ぎません。焦るより前に、隣人に手を差し伸べよ、です。隣人に手を差し伸べ続ける限りは、お金は貧しくても、心は貧しくありません。心さえ貧しくなければOKです。自分の大事な心さえ失わなければ、なんとか食べていける。なのに、今、北の多くの人が勘違いして、何かを守ろうとするあまり、心を貧しくしている。そして何かの答えを求めている。

 

今の資本主義の延長線上には、焦って迷走している人たちへの答えはありません。今の資本主義の否定にも、グローバリゼーションの否定にも、焦って迷走している人たちへの答えはありません。答えは常に自分の中にあります。いつの時代も、正しいことをした人は幸せだし、正しくないことをした人は、最後に後悔する。日本の中にもたくさんの矛盾があります。だから今になって、メンタルヘルスとか、働き方改革とは言い出している。

 

矛盾を正視して、正しいと自分が信じることのために、自分にできることを考える勇気。行動する勇気。これが、これこそが、生きることの目標なんじゃないかなって、思います。

2017-01-03 | Posted in BlogNo Comments » 

 

アルコールとたばこと – Alcohol and Tabacco –

昨年のリオのオリンピックではロシアの選手団のドーピング疑惑が大きな問題となりました。また、日本でも超一流のプロ野球選手や芸術家のドラッグが問題となりました。

 

薬は多くの場合、化学物質。人間が自ら作り出したものであり、とんでもなく優秀な人々が長い年月かけて開発と実験と臨床を繰り返した結果誕生します。そうやって作り出された化学物質は、人体によい影響を与えることもあれば悪い影響を与えることもあります。

 

総じて言えることは、薬の力を借りる時は、何かしらの目的がある時であり、そして一旦力を借りると依存する危険があること。これはアルコールもタバコも少なからずあると思います。

かつて薬がなかった時代、人は自然の力に頼りました。その自然とは、神への祈りの場合もあれば、キノコなどの菌類や薬草を実際に煎じるところもあります。アルコールにしてもタバコにしても自然の力であることには変わりありません。

 

なぜ、未成年はアルコールとたばこに憧れるのでしょうか?大人がお酒を飲んでいて楽しそうだからお酒を飲むのと、大人になった証を手にいれたいために少し背伸びしてお酒を飲むのと、タバコを吸っていてかっこいいと思うからタバコを吸うのと、煙を吸うのって、どんな味だろう?という好奇心からタバコ吸うのと、いろんな動機があると思います。これって、人が成長するのに必要なこと。

 

なぜ、美術収集家は、高価な美術品を買うのでしょうか?美術に関心がなかった人も、大金を手にするとなぜ高価な美術品を買うようになるのでしょうか?美しいものを美しいと感じることは、人が生きる上で絶対的に重要なこと。美味しいものを美味しいと感じることも、同様と言えます。そしてとても美味しいお酒もあれば、ある人にとっては特別においしいタバコもある。

 

すべての物事はコインの裏表、表裏一体ですが、タバコもアルコールも、ドラッグも、ガンの治療薬も、芸術品も、それぞれ全く無関係ではないと思います。素晴らしいパフォーマンスをスポーツの世界で発揮しなければならない人が、薬の力を頼ったり、多くの人を惹きつける感動的な芸術を誕生させる芸術家が薬の力を頼ったり、ということは、世の中からなくならないと思います。

 

私は体質的にお酒は強くありません。ビール1杯で吐き気がし、ビール3杯も飲めば大抵のことは翌日覚えていません。それでも楽しければワイン1本くらいすぐにあけてしまうくらい飲むことがあります。それで人に迷惑をかけることもあります。でも「酒の席では無礼講」というとてもありがたい格言があり、その言葉に何度救われてきたことか。この言葉が誕生して、そしても今も受け継がれているのには深い、深い理由があると思います。

 

昔、カナダでタバコの価格をものすごく高くしたことがあるそうです。そうすると闇タバコが流行。むしろタバコがらみの犯罪が増えて、政府はすぐにタバコの価格を元に戻したとのこと。アメリカの禁酒法もそうですね。禁酒法はしばらく続きましたが。

 

一方でイスラムの国ではお酒は徹底的に禁止されています。これはお酒を持ち込ませないというところからの徹底。持ち込むと厳重な刑事罰に問われます。アラブの春でエジプトのホテルなどでは普通に飲酒できましし、ドゥバイのような行政府では全面的に飲酒できるので、この徹底もいつまでも維持できるかどうかわかりませんが。

 

いずれにしても、お酒とタバコっていうのは、人間の裏と表、善と悪、対立と融和、すべてを包み込む存在なんじゃないかなって思います。極論ですが、ロシアの人々のドーピング疑惑っていうのは、結局ロシアの方々が体質的にお酒が強いということが背景にあるんじゃないかなって思います。

 

疫学的にタバコが健康に有害であると証明されてきました。酒についてもガンの発症率が高くなるというデータが存在します。しかしまあ、そんなに酒とタバコをいじめなくてもって思います。受動喫煙はよくないので分煙は徹底。欧米のように路上飲酒厳禁。といったことが徹底されれば、お酒もタバコも大いに楽しむべきであると思います。

 

そして、自分の限界ギリギリまで力を発揮して、それでもまだ高みを求めて頑張っている人たちが薬の力に頼らないようにすることが大事じゃないかな?ミケランジェロやレオナルド・ダ・ビンチは薬に依存したでしょうか?おそらくそれはないでしょう。しかしもしかしたら、どちらかは、あるいは両方とも、お酒はよく飲んだんじゃないかな?いいものを作り出すには心の変化と心の平穏のギャップが必要だと思います。お酒の力がなくてもそれができる人もたくさんいますが、お酒はそれを助けてくれることは間違いないと言えます。

 

行き過ぎた禁酒や行き過ぎた禁煙が、人として大事なものを失わせる方向にならないことを信じます。

 

医学の進歩のために、新薬の開発は必要です。合成医薬でなく、抗体医薬の方向に向かっていますし遺伝子医療の方向にも向かっている。だから極端に危険な合成化学物質は誕生しないかもしれませんが、人間が成長と挑戦を求め続ける限りは、どの分野でもやはり行き過ぎた開発は生まれ続けるでしょう。

 

そういった時に、再び、酒とタバコを頂点とする。酒とタバコを崇拝するということではありません。それぞれが、それぞれの頂点ですよ、この領域を超えないようにしましょうよ、とするために、必要なものだと思います。

 

お酒やタバコに限らず、すべては裏表。2017年もいろんなことが起こると思います。もしかしたら全く予想だにしなかったことも起こるかもしれません。でも、いいものも、悪いものも全部包み込む、酒とタバコのように、この領域は超えないようにしましょうよって、バランスをとっていくことができたらいいなと思います。

2017-01-01 | Posted in BlogNo Comments » 

 

行動 – Action-

安倍首相のパールハーバー訪問は、とても重要なことだと思います。オバマ大統領の広島訪問もとても重要なことだと思います。一方で、第二次世界大戦で、実際に被害あった方々は、日本の方は安倍首相のパールハーバー訪問に、言葉では表せない複雑なご心情と思います。同様に、実際に日本の被害にあったアメリカの方々は、オバマ大統領の広島訪問を受け入れられないお気持ちも強いと思います。

だから、どちらも、お詫びは決してできません。追悼の意を述べることも難しい。国全体を代表しているから、多数派とか、駆け引きとかそういう政治の世界とは別に、決してできないことは、いかなる理由であっても、決してできないと思います。

そういった中で起こした行動は、大きな変化。この行動が、たとえ正しいことであっても、タイミングを間違えば誤りとなります。安倍首相のパールハーバー訪問は、今このタイミングしかなかったと思います。そして、そのタイミングを作り出したオバマ大統領の演出もまたすばらしい。

 

行動を起こすか、起こさないか?行動を起こせば失敗をする可能性があるし、行動を起こさなければチャンスを逃す可能性がある。考えるよりも先に動く人と、考えてから動く人と、どちらが行動力があるか、どちらが成功する可能性があるか、その答えはわかりませんが、背負っているものが大きければ大きいほど、行動に伴う責任は大きく、行動ができなくなるということは総じて言えるでしょう。

 

今回のオバマ大統領の広島訪問と、安倍首相のパールハーバー訪問を見て、日米は、いつからこの問題を考えていたんだろうなって思いました。そして、この次は何を目指しているんだろうと。時間とともに人は寛容になる部分もあります。その一方で、絶対に忘れてはならないこともある。だから二度と同じ過ちは犯さないという決心ができる。そして世界は2カ国で形成されているわけでないので、たとえ2カ国間で解決されても、その解決されたこと自体が、周辺国の反発を招くことだってある。

 

人の利害は多くの場合、相反します。そして、人の考え方は、それ自体、バラバラです。だから絶対に正しい答えなどあり得ない。だから、一人一人が正しいと信じる道を目指して、一つ一つ行動を起こしていくこと、行動をしながら、様々な人の考え方を学ぶことが重要だと思います。

 

テクノロジーの進展で、世界はどんどん専門特化していきます。仮想世界も出来上がりつつあります。まっすぐ信念を貫き、そこに向かって行動することは、日々難しくなる一方です。だからこそ、コンパッションが必要です。過ちを許すこと、違った考え方を受け入れること。寛容もまた、コンパッション実現のために不可欠だと思います。

 

世界1位と3位のGDPを持つ国の首相がそれぞれ起こした行動は大きいです。多くの人が、何かしらの影響をこれから受けることになるでしょう。その時に、自分自身が正しいと持つ考え方を持つこと、そして自分以外の考え方を寛容をもって受け入れること。この2つが、とても重要になると思います。人類が二度と悲劇を繰り返さないために。

 

2016-12-30 | Posted in BlogNo Comments » 

 

配達 -Delivery-

台湾で有名な日本人。八田與一、後藤新平、森川清治郎。

 

もっとたくさんいらっしゃると思いますが、台湾でよく耳にするのがこの3名。いずれも台湾におけるインフラの発展と治安の維持に多大な貢献をされた方々です。

 

日本の占領とか、統治とか、言葉は悪いですが、台湾が日本領に一時的に属していた時代の前後をBeforeとAfterで表現すると、Afterでは「毎朝牛乳が届くようになった」と教わりました。毎朝牛乳が届くということは、毎朝定時に届くという配達網が整ったこと、牛乳という冷蔵製品を保存できるほど衛生状態がよくなったこと、そして玄関前に置いても盗まれないほど治安がよくなったこと。

 

占領といった表現があることから、必ずしも歓迎されることばかりではなかったと思いますが、総論として台湾の方々が当時の日本の行いを大変高く評価してくださっていることは大変ありがたく、誇らしいことです。台湾に行って、台湾の人々のお話をお聞きすると、先人達の偉業を決して無にしてはならないと強く感じます。

 

日本では今コンビニエンスストアが24時間オープン。年賀状を書くこの季節、24時間空いているコンビニでいつでも年賀状が郵便局と同じ価格で購入できることはありがたいことです。

 

一方で、朝の牛乳配達は私の子供の時と違って当たり前ではなくなりました。我が家も一時期購入していましたが、子供たちも毎日は飲まないので溜まっていき、そのうちやめました。「ビジネスモデル」として難しくなっていると思います。

 

新聞配達もビジネスモデルとして厳しくなっています。どんどんネットに顧客を奪われるので、配達する部数は私が大学時代に朝日新聞の新聞配達で雇っていただいていた時と比べると、間違いなく半分以下でしょう。冬の金沢で、朝雪かきをする人々に暖かい言葉をかけていただいたこと、配達先の農家のおばあさんが弁当をくれたことなど、よく覚えていますが、こういったコミュニケーションもなくなっていくんだろうなと思うと、切ない気分になります。

 

Facebookのマークザッカーバーク氏が開発しているJarvis. 24時間、人工知能が家で執事としての機能を果たしてくれます。そのうちきっと、新聞が朝ポストに届けば、ベッドの横に、牛乳が朝玄関前に届けば冷蔵庫の中に、自動的にJarvisが移動させてくれるようになるでしょう。

 

朝日新聞で新聞配達でお世話になっている時に、よく配達忘れがありました。代わりに社長がお詫びのタオルと一緒に配ってくれていて、朝行くと「昨日○○さんのところに配達忘れがありました」とメッセージがありました。申し訳ないから、次からは配達忘れしないようにと一生懸命覚えたものです。当時はナビも普及していない時代。矢印と棒の数で、地図代わりに道を覚える方法を教えてもらいました。雪の金沢をスパイクタイヤを履いたホンダのスーパーカブで走りながら配達です。日経新聞を配達している同じ学生寮の友人とほぼ毎日、同じ家の前で出会います。日経新聞よりも早いか遅いかで、自分のペースをつかんでいました。

 

大きな家で、朝日新聞と日経新聞以外にもたくさんの新聞が届いていました。その家に新聞を届けるために、毎朝、たくさんの人がその家を訪れます。家の人とお会いしたことは一度ありません。雨の日も雪の日も、寝坊して遅刻した日も、決まって毎朝新聞を届け、そして、その新聞を読んでくれる。雪の日はよく転びました。転んでも痛くありませんが、雪の上をサーーーーとバイクがよく滑るので、新聞は雪まみれになります。それでも、そのまま配っていました。きっと、配達先家の方々は、濡れた新聞を見て、怒るよりも心配してくれていたと思います。

 

Jarvis君だったら、許してくれるかな?

 

新聞配達をしていて気をつけなければならないのが鴨。合鴨農法なので、田んぼの近くを走ると鴨がたくさんいます。もちろん、鴨が優先。どれだけ急いでいても、鴨優先です。鴨も賢いので、バイクの音を聞くと、どいてくれます。でもカラスや鳩のようにすばしっこくありません。お尻を振りながらのんびりのんびり退いてくれます。これもまた季節の趣。

 

暑い日も寒い日もあるから、季節の趣への喜びがあります。

 

さて、新聞配達や牛乳配達のビジネスモデルは、ネットや流通システムによって衰退期にあります。しかし、逆にネットや流通システムの普及によって、家にものを届けるというビジネスモデルが再び必要になっています。スーパーはオムニチャンネルで、商圏内の家庭に確実に商品を届ける流通網が必要になっています。以前は一の市や夕方のセールで、主婦がまとめて買いに来てくれましたが、今はみんな忙しい。ネットでクリック&クリックです。

 

時流は常に変わりますが、根源的な価値は変わりません。業態は徐々に転換していかなければなりませんが、家庭向けデリバリが不可欠であることは普遍。台湾の人々が感謝したほど、家庭向けのデリバリには価値があります。高齢社会が進み、買い物に行けないから届けて欲しいというニーズもあれば、配達員をするといい運動になって健康になるというシーズもある。

 

Jarvisの時代だからこそ、家庭向けデリバリはますます重要なビジネスモデルになっていくのではないかなと思います。

2016-12-25 | Posted in BlogNo Comments » 

 

ハイブリッド -Hybrid-

昔、家電製品でファジー機能が流行ったことがありました。

常にフルパワーで動くのではなく、曖昧な感じで少し人間味のある機能。

 

言葉でも、「まあまあ」といった何を意味しているかわからない言葉は、柔らかく親しみを感じます。

Yes, but…. となると、どっちやねん、という気持ちになるときも皆無ではないですが、通常は、butの後ろに自分の意見が来るんだな、という心の構えを持つことができます。

 

人間はそもそも、白か黒かよりもグレーな世界に生きています。だからいろんな意見がある。対立もすれば、理解もすれば、助け合いもすれば、協力もすれば、妥協もすれば、譲歩もする。

 

シンギュラリティ。人工知能が人間の知能を超える技術的特異点が訪れ、その境界を超えると、人類の想像を超える大きな変化が起こると言われています。そしてシンギュラリティは必ず起こるという著名人が今や多数。

 

その思想の背景に、人類の知能の結晶であるチェスさらには囲碁でも人間が人工知能に敗北したという事実があります。

 

さて、随分前に、自動車はいつかすべて電気自動車になると言われました。実際、完全電気自動車のテスラモーターは短期間で飛躍的に売り上げを伸ばしました。

一方で、すべての自動車が電気自動車になったかというとそうではありません。未だに完全ガソリン車のシェアが圧倒的。しかし、その中で、確実にスタンダードのポジションを得つつあるのがハイブリッドです。電気自動車、クリーンディーゼル、さらには水素自動車など、様々な技術が実用化されながらも、確実に人々の中に浸透していっているのがハイブリッドでしょう。

 

人類は、チェスや囲碁で人工知能にまけました。でも、毎回まけているわけではありません。そして、現在最強の棋士は、人間と人工知能のタッグです。

 

人間は、道具を使う生き物。縄文時代より前の石器時代から、人類は道具を使っています。道具はどんどん変化していきました。そして、人間の本能として、身を守るためには、できるだけ体の近くに道具を装着しがちです。だからモバイルとかウェアラブルっていうのは自然の姿でしょう。そして人間の本能には闘争がある。

 

シンギュラリティが起こった時、人間が道具を使うか、道具が人間を使うか?人間は道具に使われることは望みません。人間は飛行機を開発して、空中を移動できるようになりました。飛行機が落ちれば命は助かりません。しかし、人間はそれでも飛行機に乗る。そして戦争になればお互い飛行機を落とし合う。

 

人類は戦争の悲惨さを身をもって知り、平和な世の中を維持するために秩序を尊重します。秩序のためには上位規範が必要。だから憲法を定めます。

 

人類の知能を超える人工知能は、憲法を定めるでしょうか?秩序を維持するでしょうか?人工知能は戦争の悲惨さを身を持って知るでしょうか?

 

秩序は、闘争本能をもった人間が自らを律するためのもの。機械が人間を律するという発想はあり得ないと思います。

 

私は、ハイブリッドは、ブロセスではなく、ゴールだと思います。最強のチェス棋士はいつまでたっても人間と機械のタッグでしょう。ただし、強化されるのは人間の頭脳ではなく、機械の方。それでもいつまでたっても、機械と人間のタッグを機械単独で超えることはないと思います。

 

今、人々が忘れているのは秩序です。原子力のように、人類は自らが100%制御することができない技術を生んでしまいました。人工知能も同様に、自らが100%制御することができない技術になると思います。これは人類にとって必要必然。石と石をぶつけて斧を作り、火を焚いた時からその方向に向かって動き出しています。だから人間は他の哺乳類と違う進化を遂げてきた。制御できなくなるまで人類は道具を開発し続けます。そして、その制御できない技術を制御するのは、秩序しかありません。秩序を作るのは人間。最強はハイブリッド。秩序を維持するためのハイブリッドが、大至急、求められていると思います。

2016-12-23 | Posted in BlogNo Comments » 

 

宗教と芸術と政治と – religion, art and politics-

栃木市役所に展示されている喜多川歌麿の雪月花のレプリカを見に行きました。

細部にわたった精巧さに感動するとともに、深川の雪、品川の月、吉原の花それぞれに描かれている雪、月、花が演出する当時の人々の生活について、ぼんやりと眺めていたところ、ボランティアの方が解説をしてくださりました。

雪月花三服のうち、一番最初に描かれたのが品川の月。喜多川歌麿36歳の時。雪月花それぞれに描かれた家紋の謎。吉原の花に描かれている髪型の異なる女性の意味。

芸術は、美しさだけでなく、人々の生き様とその時の政治、そして時代そのものを受け継ぐのだということを強く感じました。

 

ラファエロにしてもルーベンスにしても、ヨーロッパの芸術で宗教を描いた芸術は枚挙にいとまがありません。宗教と政治が切り離されていなかった時代。ダヴィデ像もミロのヴィーナスも、誕生の背景は宗教だったのかそれとも政治だったのか?

 

いずれにしても、生きる上での叫びが芸術を誕生させていているのではないかと思います。ちょっといたずらしてやろうという気持ちが、何百年も後に生まれた人々まで感動させ続けることができるはずがありません。

 

今年は、英仏が中心となって、オスマン帝国後の国境を定めた秘密協定「サイクス・ピコ協定」から100年。正確には異なりますが、ほぼ、シリアはフランス領に、イラクはイギリス領になります。シリアはフランスとの戦争後、イラクやレバノンの統治下に入り歴史に翻弄されます。イラクもまたクウェートの統治にあたってイギリスさらにはアメリカの介入を受け続けます。

現在の中東・アラブの混乱は、「サイクス・ピコ協定」「フサイン・マクマホン協定」「バルフォア宣言」でのイギリスの二枚舌外交が原因と言われていますが、その政治の影響を受けて生活の糧を失った人々の存在があります。

アラブの春、シーア派とスンニ派の対立など宗教がクローズアップされていますが、宗教的背景と根が深い歴史の溝は切っても切り離せないものでしょう。

 

毛沢東は共産党政権樹立にあたって、共産党に共感する外国人達を迎え入れ、特権的な待遇を与え、諸外国の人々が共産主義に共感しているということを積極的に発信し、共産党がいかに素晴らしい思想であるかということを対内的、対外的に証明しようとしてきたことはよく知られています。共産主義は宗教ではありませんが、私の感覚では、今世界を取り巻いている宗教的な対立となんら変わりありません。イスラム国が世界中の人々にユーチューブで発信していることと、根本的には同じだと思います。

 

世界的にユダヤ人の定義はないそうです。もともとイスラム教もキリスト教もユダヤ教も同じ流れから来ています。イエス・キリスト自体がユダヤ教から改宗したと言われています。歴史は不変ですが、都合のよいように解釈することは可能です。ガザ地区やヨルダン川西岸を取り囲むイスラエルの人たちが全員、肌の色が白いわけではありません。イスラエルとパレスチナの争いの中で、イスラエルがこれらの地区に居住するユダヤ人たちに生活上の支援を行ってきたという歴史もあります。

 

政治は、必ず右と左に分かれます。リベラルがあり、保守があるから、中道という言葉が生まれます。右と左があるから、議論になる。発展する。論点が明確になる。民主主義が機能する限りは表現の自由は保護されます。表現の自由が保護される限り、人々の考え方は誰かの何かの考え方に影響を受けます。ペンは剣よりも強し。そして最も強い表現は、芸術でしょう。一神教がイスラムとキリストとユダヤに分かれた。キリストがカトリックとプロテスタントに分かれた。人間は生きている限り、愛と死の営みを続けます。だから芸術に感動する。

 

政治の背景にあるのはイデオロギー。イデオロギーの背景にあるのは宗教かもしれません。でも宗教の背景にあるのは、政治かも知れません。それらを結びつけるのは芸術。

 

雪月花の深川の雪は日本に、品川の月と吉原の花はアメリカに。

これもまた政治。

 

人間は、究極的には芸術を求め続け、そして芸術と平和は不可分でしょう。今、シリア内戦を逃れて欧州中に散ったアーティスト達の美術展がシリアの首都ダマスカスで開かれているそうです。

 

人間は、本来、縦割りです。縦割りの中で、上に行こうとする。男と女という2つの性によって、子が生まれる以上は、縦割りはなくなりません。だから、誰かがてっぺんで統治しないと治りません。それはそれで必要。でも美しいものを美しいと思う気持ちは、自由で不可侵です。統治がなくても、争いをしなくてすむ世の中を実現するためには、芸術の叫びを聞き逃さないことだと思います。

 

2016-12-18 | Posted in BlogNo Comments » 

 

ルーチン -routine- 

事業が収益を生むためにはビジネスモデル化することが必要です。

ビジネスモデル化とは、稼ぐ仕組み化。

例えば、仕入れて、加工して売るという流れの中で、

売れる商品、買ってくれる客、加工する技術が定まればそれはビジネスモデル化です。

 

ビジネスモデルとして機能するためには、くるくると回ることが必要です。

1回だけ収益を得て、それで終わりでは、事業が成り立ちません。

同じサイクルで、繰り返すことが必要。

そのサイクルが単純であればあるほど、汎用性は高くなります。

例えば、私が学生時代にお世話になっていた朝日新聞の新聞配達など。

大変な仕事ですが、頑張れば、学生の私でもできました。

 

専門性が高くなるほど、くるくる回ることが難しくなります。

くるくる回るためには、知力が必要になる。

弁護士とか、医者とか、サービスの受領者(サービスといってはいけませんが)のニーズが複雑で、難解なので、超スペシャリストでないと、くるくる回すことができません。

 

世界は、単純な作業と複雑な作業、それぞれを人の力でくるくる回している。

人の命もくるくる回り、愛もくるくる回り、食物連鎖もくるくる回り、地球の自助力もくるくるまわり、地球そのものもくるくる回っています。科学の世界では宇宙は拡大を続ているとのことですが、私はきっと、宇宙そのものもくるくる回っているといると思います。

 

大事なのは、コマのようにくるくる同じところで回っているとそのうちパタンと倒れてしまうから、くるくる回りながら動き続けているということ。

 

動く間も、くるくる回らなければなりません。くるくる回るためには、大部分を単純な作業が担い、一部を複雑な作業が担う。そして向かう方向も重要です。地球という1枚の机の上でコマが回っていて、大きな机ですが、そのうち机の角にコマが向かって落っこちてしまいます。

 

太陽の周りを地球がくるくる回るのと同じように、地球の上でくるくる回りながら、円を描きながら回り続けなければなりません。だから、歴史が繰り返すのは必要必然。昔大きな過ちをしても、人間は記憶が薄れれば、また同じ過ちを犯します。

 

大きな収益を手にするのは、汎用性を手にした人です。人間の活動の8割は単純作業です。マーケットは8割の方が大きい。複雑な2割のマーケットよりも、単純な8割のマーケットの方が大きな展開ができます。だから気がつければ、レストランはチェーン店だらけです。

 

今日はいい魚入ったよ、よりも、今日はビッグマックが安いよ、の方が、広告効果が大きい。ルーチンでくるくる回すことができれば、人の代替もきくし、グローバルにも展開できるし、原価も下がるし、売り上げも伸びる。

 

グローバリゼーションのベクトルはルーチン化へのベクトルでした。広告効果で、パンと卵とおいしいコーヒーが出る地元の喫茶店よりも、スタバに行って、ちょっとリッチな気分を味わいたいなと思う。そのうち、私はスタバが好きとなる。

 

歴史はくるくる回ります。戦争を知らない世界、ビジネスの勝ち負けが人の優劣を決める競争世界で生まれ、育った世代が、地球を構成しています。

 

くるくるくるくる、高速で、ルーチン化した状態で、しかも地球を加速度的に破壊しながら、回るコマはこれからどこへ向かっていくのでしょう。今我々は大きな机のヘリにいます。恐ろしく大きな大志をもったアジアのリーダーが数名います。欧米のリーダーが何を考えているかわかりません。このコマを落とすか、再び真ん中に戻すか。歴史は繰り返して、大きな円を描いて回ります。

 

軌道を変えるには、とても大きなエネルギーが必要です。そのエネルギーを出せるのは、ルーチンという大きな川に巻き込まれていない人だと思います。

 

 

 

2016-12-17 | Posted in BlogNo Comments » 

 

農業 - farmer –

最近、農業を始める方にお会いすることがしばしばあります。

いずれも、現時点で、ビジネスマンとして多くの仲間たちと大きな仕事をしている人たち。

 

今のビジネスをやめて農家になるのではなく、まずは趣味で始めるとのこと。

一切今の仕事を犠牲にするつもりはないので、単純に忙しくなるはずです。

 

しかし、そういった方々からお聞きするのは、農業を通じて学ぶことの大きさ。

今までビジネスの世界で学べなかったことが農業を通じて学べて、それがまたビジネスの世界で生きるようです。

 

アクティブ・シニアと呼ばれる人たちにもまた、現役を引退して、農業を始める方がいます。

みなさま、共通しているのは、現役時代とからわず、いやもしかしたらもっと、生き生きしていること。

農業だと、ビジネスと違ってコミュニケーションの機会が少なくなるのではないかと思ったら、全くそうではないようです。

 

なんちゃってビジネスマンじゃなく、一流のビジネスマンだから、農業を始めるにしても、基本を大事にします。基本とは、昔から伝わっている農法だったり、近所付き合いだったり、自然との付き合い方だったり。

 

日本人は農耕民族なので、そもそも農業という業に長けています。

そもそも、農業に関しては一流の技術があるのに、土地の面積、加工する工業の技術に依存した海外の農産物に、価格だけで負けて、衰退してきたという背景があります。

 

それをよしとせず、今、奮起して農業を始める人もいます。そういう人はそもそも価格競争力よりも、日本の元来の一流の農法でマーケットを作り出すことを考えます。

 

 

かつて、農業は政府の規制に守られていました。だからJAのような取りまとめる存在が重要。しかしその規制は緩和されていき、6次産業化が求められるようになりました。

 

かつては、農業は、親が農家の場合に継ぐというイメージがありましたが、今はそうではないと思います。むしろ、現役世代第一線で活躍した人、または活躍している人が、情熱をもって、ゼロからスタートするケースが多い。

 

 

これからは、農業が面白いと思います。

 

6次産業化で、農業を産業にする人もいるでしょう。

農業で健康を目指す人もいるでしょう。

農業で地球温暖化を食い止める人もいるでしょう。

 

これまでの農業の問題は、価格競争力。

いいものを作ろうとすると高くなるのは当たり前です。

海外で大量に生産された穀物に価格で勝てるはずがない。

 

しかし、今、この流れがもっと大きなところで変わってきているような気がします。

高くても、健康によい、いい食材を食べたい。

健康によい、いい食材は、おいしい。

 

 

雇用を守る。地産地消。町おこし。どれも大事です。

でも、なぜ大事か?

たくさんその理由はあると思いますが、すべての根底には、信頼があると思います。

信頼の先には、人と人との繋がりがあると思います。

新しく、農業に参入している人達って、現役の方だろうと、現役を引退した方だろうと、そこに向かっていっているんじゃないかなって思います。

 

 

なぜ保護主義が叫ばれるようになったのか?

保護主義って、人間が本当に大事なものは、お金以外にあるってことに気づく中での一つのプロセスなんじゃないかなって、最近そんな気がします。

2016-12-10 | Posted in BlogNo Comments » 

 

信為萬事本

館林にある、日清製粉グループが運営している製粉ミュージアムを訪れました。

日本の小麦粉が水車製粉であったころ、輸入粉が徐々に拡大。そのことに奮起した正田貞一郎氏が機械製粉を導入し、一代で日本最大の製粉会社日清製粉を築き上げます。その歴史をミュージアムで勉強することができました。

正直、そもそも小麦粉ってどうやって作るんだろうという関心から入ったミュージアムでしたが、確かに麦のこともたくさん学ぶことができましたが、それ以上に精神的な学びの多いミュージアムでした。

企業の社会的責任(CSR=Corporate Social Responsibility) が言われるようになりました。最近ではCSV(Creating Shared Value)といった視点での経営も不可欠になっています。しかし、戦前の日本には、こんな横文字ではなく、日本の産業をなんとかして発展させよう、困っている人がいれば助けよう、という気持ちを持ったすばらしい侍達がたくさんいたんだなあ、と改めて感じました。

全然話は変わりますが、今のペースで世界の人口が年率2%で増え続けると、200年後には地球上は人で埋め尽くされるそうです。

また全然話が変わりますが。子供の頃、駄菓子屋に行くのが大好きでした。駄菓子屋にいくと、お菓子だらけだからです。みんな大好きでした。どれだけ怒られても、買い食いをする。

しかし、しばらくすると、スーパーマーケットのお菓子コーナーに行くと、お菓子だらけになりました。そしてさらに、しばらくすると、街中がコンビニだらけになりました。コンビニには、百円均一のお菓子が無機質なパッケージに入ってたくさん並んでいます。

おそらく、今、駄菓子屋にいってワクワクする子供は極端に減ったと思います。その分、買い食いもなくなって秩序はよくなったかもしれませんが。

そして、最近は健康ブーム。コンビニ行くと、野菜ジュースがたくさん。レトルトのようなパッケージに入ったカット野菜もたくさん。すでにカットされているので、野菜を手にとって、どれがいいかな、って選ぶことができません。元の形もわからないカット野菜。さらに、簡単に栄養が取れるタブレット食品のようなもののコーナーもできています。いや、食品というよりも、お菓子のように見える、栄養食品です。

何か、人間の本質的な楽しみ、特にワクワクするようなところが、何か別の、便利さのようなものに置き換わって行っているように感じるのは私だけでしょうか?

おそらく、今の子供達にとっては、ロビンソンクルーソーが逆のSFになる世界です。そんな不便なわけないだろー、絶対作り話だろー、といった感じで。

今の社会は、便利になって、それでももっと便利を追求して競争を繰り広げて、社会がいっぱいいっぱいになって、なんとか共存共栄するために、CSRとか、CSVって言葉が生まれてきた、そんな感じです。

200年後、人類は、人間で埋め尽くされた地球の上で、みんなで手をつないでサプリメントを食べるのでしょうか?仕事はロボットに任せて。

正田貞一郎氏の祖父は、日本有数の米問屋だったそうです。関東の飢饉の時には率先して自らのコメを飢えている人々に提供。

不便だからこそ、助け合う。不便だからこそ、奮起する。不便だからこそ、夢を描く。不便だからこそ、信念を貫く。できるかできないかわからないから、とにかく仲間を信じる。

一種類の粉を作るのに、とてつもない手間がかかっています。その粉をつかってうどんを作るのに、また、とんでもない手間がかかっています。ミュージアムで流れていたビデオでは、粉を練っていると真冬でも顎から汗がしたたり落ちるっておっしゃってました。

だから、うまい。

製粉ミュージアムを見て、「便利に支配されないこと」を追求しなければならないなと思いました。

そういえば、昔、右に行くか、左に行くかまよったとき、楽な方さえ選ばなければ、答えにはいつか、必ずたどり着く、と、教わりました。

大事な、大事なことを思い出させていただきました。ふらっと立ち寄った製粉ミュージアムに感謝。

2016-12-04 | Posted in BlogNo Comments » 

 

シェールガス – Shale Gas - 

金本位制が崩壊してから、世界の通貨はドルが基軸となりました。

国際決済はドルを通じて行われることにより、ウォール街には多額の手数料が入る。

これが金融資本主義を支えてきました。世界銀行もIMFもウォール街出身者が歴任。

 

それが可能だったのは、金に変わって貨幣と不可分の価値を持つに至ったオイル。

 

あらゆる人類の生活の根底を支える水・食糧・エネルギーのうち、

エネルギーだけは、地下を掘らないと採掘できません。

そして採掘されたクルードオイルは様々な用途に利用でき、様々な産業を支える。

 

そのオイルを取引するのが、世界にある3つの相場、WTI、ドバイ、北海ブレント。

この3つの取引所での決済通貨はドルしか認められていません。

 

だから、ドルは世界の基軸通貨であり続けることができました。

 

1979年、ホメイニ革命で産油国イランで反米政権が誕生。

世界の警察であるアメリカはイランに経済制裁。

 

イランは豊富な原油をドルで取引することができなくなります。

 

日本はカタールと長期契約を締結し、エネルギー安全保障を維持します。

さすがの中東の大国イランも、対外取引で最も依存していた原油取引ができなくなれば、当然経済は弱体化します。

恐るべしアメリカ。

 

しかしここで大国中国が登場します。

なんと、中国はイランとの間で、国際通貨ではない人民元で、イランから原油の購入を始めます。

当然、中国は、相対的に安く原油が調達できる。

国際通貨でない人民元をもらっても、イランは為替として全く使えません。だから、イランはその人民元を使って、中国から製品を買うしかありません。

当然、中国は、相対的に高く製品を販売できる。

 

さて、イランとの取引で人民元決済の道を切り開いた中国は、次はアフリカに展開します。イランと違ってアフリカの油田の多くが未開拓。欧米石油メジャーと同じ手法で、中国三大石化企業、シノペック、CNOOC、ペトロチャイナはアフリカの開拓を行います。今度は自国資本の企業が掘った原油を、人民元で輸入。

 

気がつけば、国際通貨になる前から人民元決済圏が誕生し、ドル秩序が傾きます。国際通貨であるユーロ、円、スイスフランのうち、円以外はドルに対する防衛体制を敷いてきました。結果、安全な円が、形状取引ではなく、資本取引で莫大な金額で取引されるようになります。円は80円〜120円というマネージできない幅の間で振れ続けます。日本はこれ以上為替介入しても、ドルを維持するだけで自国通貨の安定性ははかれません。

 

その間に、中国は、淡々とアメリカ国債を購入。豊富なドルを手にします。手にしたドルで、アジアインフラ投資銀行を設立。アジアという世界最大の市場で、欧米を政治的に取り込みます。

 

そして、とうとう人民元は国際決済が認められ、国際通貨となりました。世界中の貿易から為替取引手数料を手にしてきたウォール街のピンチ。

 

そんな中、アメリカは虎視眈々と進めてきたケミカル技術でシェールガスの採掘に成功します。シェールガスがあれば、エネルギーは対外的に依存する必要はありません。古き良きアメリカの復活で、全米が湧きました。日本からのシェール企業に莫大な投資が行われます。

 

しかしピンチとなったウォール街にとってはそうはいきません。ドル基軸が崩れると、為替取引手数料が得られなくなります。当然、ウォール街が築いてきた金融資本秩序の維持も難しくなります。

 

そのタイミングで、OPECが石油の増産を行い、原油価格低下に誘導します。そうすると、アメリカのシェールガス企業は採算がとれなくなり、連鎖倒産が始まります。日本企業は莫大な損失を抱えて撤退。でも、OPECの盟主はアメリカの盟友サウジアラビア。アメリカの中で、イランとの対立とウォール街の思惑が見え隠れします。

 

なぜ人は右と左に分かれるのか?それを象徴する出来事として、ウォール街と蜜月の関係にあるクリントン大統領を、保護主義を掲げるトランプ氏が破りました。

 

フロンティアスピリッツで西部を自ら開拓してきた共和党政権を基盤とするトランプ候補が進める保護主義では、多様性を基盤とした富の集中を基盤としたクリントン氏と違い、ドル基軸の優先度は大きく下がります。

 

そして、古き良きアメリカの復活、雇用の維持・創出、対外依存度の低下を実践する上で、シェールガスの採掘を進めることは、その全てを満たす最適な答えと言えます。犠牲になるのは、ドル基軸だけ。損をするのはウォール街だけ。そして、ウォール街こそ、トランプ支持層の標的。

 

選挙中に主張していた、環境に関する発言との関係も、シェールガスがあってのことでしょう。シェールガスの採掘に使用するケミカルによる地球環境破壊の問題はまだ解決されていません。

 

トランプ相場で、株価が上がっています。ドルも上がっています。メディアがトランプ相場の根拠としていうインフラ投資とは何か?それは、シェールガスだと思います。

 

TPPとか、目の前の課題も、まさに真剣に取り組む必要もありますが、資源を持たない日本にとって、今、それ以上に重要なのは、オイルの相場だと思います。インフラ投資を増やすのは、何もシェールの採掘コストを下げることだけが答えではありません。

オイルの値段が上がれば、自然とシェールのインフラ投資は活性化します。

 

さて、このまま、円安にふれて、オイルの値段が上がり、原発が動かないとき、日本のエネルギー安全保障はどうなるでしょうか?

 

カタールとの長期契約だけでは賄いきれません。

世界中がパリ協定の発効に熱狂している中、石炭火力発電をがんがん回して、二酸化炭素を排出するのか?

 

これは、これから数年後、日本に住むあらゆる人々の生活に大きな影響を与える、重要な問題だと思います。

2016-11-26 | Posted in BlogNo Comments » 

 

中国 -China-

大学のゼミに中国から来ている仲間がいました。

年は私よりも2歳程上なだけですが、日本語も英語も流暢。というか、ペラペラ。しかしそれ以上に驚いたのは、国の政策や数字を大変細かく知っていたこと。

 

ある日、先生がゼミに別の中国人を連れてきてくれました。すると、中国人同士で、日本語で激論が始まります。母国のあるべき姿について。はたから見ているとケンカです。先生が遮るまで、それは続きました。

 

法学部法学科ですが、ゼミは国際関係論でした。先生はいろんな国からの仲間をゼミに連れてきてくれました。日本語がうまかったのがこの中国の仲間達だけだったので、ということもあるかもしれませんが、それを差し引いても、あの二人は飛び抜けていたなあと思います。

 

中国のプレゼンスが高まっています。中国が近い将来世界一の経済大国になることは確実。その背景には13億人の人口があります。

 

13億の人口の意味するところは、13億人分の市場ということではないと思います。とんでもなく優秀で、しかもとんでもなく志の高い人たちが、中国には日本の10倍いるということ。いや、すでにお腹がいっぱいになってしまった日本と、まだお腹が空いている中国と同じに見てはいけないかもしれません。おそらく、10倍以上と考えるのが自然でしょう。

 

少なくとも、私が中国に行っていた時には、中国でビジネスを行う際に、中国語はほとんど必要ありませんでした。中国語が必要なのは、生活をするためだけ。ビジネスエリートとコミュニケーションをする中で、英語か日本語のどちらかは絶対に通じます。一代で大企業を築き上げた経営者は、大抵英語も日本語も使えないですが、必ず側近として英語を使える人材がいます。

 

中国は広大な土地に、世界に開かれた視野を持つ人たちがたくさんいます。

 

さて、世界は全く予測不能になってきました。表現の自由は常に基本的人権で最も優先的な位置付けでしたが、情報が氾濫して何が自由で何が規制かわかりません。果たして表現の自由は守られているのか?それを証明する手立ても複雑でわかりません。何が国を守るのか、何が個人を守るのか。いつまで核の傘は通用するのか。

 

こんな予測不能な時代に、習近平というとてつもない力を持った国家主席がいます。沈黙も圧力も粛清も根回しも全方位外交も、あらゆることができる人物です。この予測不能な世の中で、この強いリーダーの存在ほど、心強いものはないでしょう。過去、中国は常に内紛の危機にさらされてきました。人類の歴史の中で、中国がどれだけ圧倒的な力を持とうとも、繁栄を維持し続けることができなかったのは常に内的要因のため。しかし、習近平政権は、もっともそのリスクが高い状態で政権を引き継ぎ、見事な手腕で統制を取り始めています。

 

諸外国からすると驚異です。今や、ハードもソフトも、中国は世界トップクラス。宇宙開発という一番最先端の分野でもいつの間にかプレゼンスを高めていますし、タブーとされてきたクリスパーを用いた遺伝子治療まで最初に着手してしまいました。そしてエネルギー安全保障も食料安全保障も粛々と進めてきており、対外依存度は低くなってきています。その一方で、中国がくしゃみをしただけで、多くの大国は、風邪をひく。

 

今、世界のリーダーにもとめられるのは、中国と対等な交渉ができる能力。

 

幸い日本のリーダー達は首相を中心にそのことをいち早く察知して、かなり緻密な対応をしています。これは世界に誇るべきことです。世界をぐるっと見回しても、欧州を中心にその努力をしている国は多いものの、実際にそれができているのは日本くらいに思います。

 

かつて中国は世界の工場でした。そしてリーマンショック後は中国は世界のマーケットになりました。そして、近い将来中国が世界最大のマーケットになった時に、これまでの、欧米が作り上げてきた資本主義の考え方では対応できなくなるでしょう。中国の考え方、それも始皇帝から始まる中国統一の歴史、チンギスハンによる統治、満民族による統治、客家そして華僑、改革開放こういった多様性を背景にした中華思想を理解しないことには、経済的な利益を得ることが難しくなるかも知れません。

 

じゃあ、何をすべきか?

 

全くわかりません。

 

ただ、確実に言えることは、中国を勉強し、中国語を話し、中国に行き、中国人の友人を持つことが不可欠でしょう。中国人が、外国の言葉を学び、外国の技術を学び、外国の思想を学んだのと同じように。

2016-11-23 | Posted in BlogNo Comments » 

 

実力 - capability –

福岡県の博多駅前の道路が陥没した事例について、1週間も経たずに復旧したことに対して、世界中のメディアから賞賛の声があがっているとのこと。

 

陥没が未明の出来事だったので、被害者がいなかったとのことですが、この陥没の影響で多くのインフラが止まり、大変な思いをされた方々がたくさんいらっしゃると思います。そんな中、現地の方々が落ち着いていたことについても、世界中の人々からは驚嘆だったと思います。

 

2011年の東日本大震災の時に感じたのが、世界中の人々の日本に対するRespect。日本人は本当に勇敢だとたくさんの方から言われました。そしてその一方で東京から引き上げる海外資本企業。さらに、勇敢だといいながら、日本の水産物の輸入制限をつける海外政府。矛盾を感じました。

 

当時、「そんなに日本人を賞賛するならば、その日本人がちゃんと検査して、大丈夫といっている水産物を制限などつけずに購入すべきだ」と思ったりしました。

 

しかし、最近感じるのは、そんな私を含めて、多くの日本人ビジネスマンは、感情とビジネスを不可分に考える傾向があるようです。

 

もちろん、どの国の人だって、2人の別々の人から、同じ製品を同じ価格でオファーを受けたら、信頼できる方から購入します。だから、感情とビジネスは完全に切り離されているわけではありません。しかし、通常はそこまで。選ばれれば選ばれてビジネスになり、信頼されている自分の実力の証です。選ばれなかったら、次はもっと信頼度を高めて、またチャレンジしたらいい。ビジネスっていうものは、もともと、そういうものです。売れようと、売れまいと、客の判断を尊重。だから、どうやったら、効率的に、売れる確率を高められるかを、切磋琢磨し、能力を高める。そして、確率を高めるために、自分の営業力だけでなく、マーケティングという技も使う。

 

しかし、日本人の場合はそんな”ビジネスライク”な付き合いは求めません。売ったことに対する責任、それもビジネス上ではなく、道徳的な責任を感じ、売った後、客が満足することに喜びを求めます。通常、”ビジネスライク”に行くと、「満足したなら別の客を紹介してよ」となるところですが、日本人の場合は、たとえ結果としてそうなったとしても、プロセスとしては、別にそのことを求めたりしません。客からのありがとうが一番大事。それが日本人。

 

今回の道路の陥没についても、”ビジネスライク”に行くと、予算がどうで、納期がどうでみたいなところから交渉が始まると思います。ビジネスの世界では通常、関係者全員が、最初はできない言い訳から始まって、次第に誰かが、修復の旗振り役を担うようになって、その人ができる理由を探しながら一つずつ前に進めていく。スタートを切るまでそれなりの時間がかかり、いざスタートすると、その修復の旗振り役が、「ビジネス」として修復に全力を尽くす。

 

しかし、日本人は違います。全員が最初から一体化。「困っている人がいるから、徹夜してでも早く修復するぞ」と。おそらく多くの人にとって、修復が最優先で、採算は度外視。旗振り役が鼓舞しなくても、最初から全員全力です。

 

それがいいことなのか、悪いことなのかわかりません。同じ考え方を、文化の異なる国に押し付けようとすると、私のように、「賞賛するなら、放射能を気にせずに水産物買ってよ」という感情になってしまいます。そして、その押し付けの考え方は、多くの場合はマイナスに働きます。

 

しかし、一つ確実に言えることは、日本人の「一体化」は危機の時には強い。一体化するためのマネジメントをしなくても、危機の時にはみんなが同じ方向を向いて、一体化する。

 

日本人の本当の実力は何か?

 

それは、GDP世界3位という経済規模でもなく、世界中から高い評価を受ける品質でもなく、危機の時に一体化する火事場のクソ力じゃないかな、と思います。

 

2016-11-20 | Posted in BlogNo Comments » 

 

繁栄 -prosperity-

トランプ氏が大統領に当選し、毎日いろんな意見をいろんなメディアで見ることができ、

大変勉強になります。

特に社会学的アプローチについては、なるほどと思うことばかりです。

一つの社会の大きな変化を示唆しているということについては、

みなさん意見が一致していて、どうやら間違いなさそうです。

 

さて、社会の変化はさておいて、トランプ氏が一貫して言ってきたことが、

「アメリカは弱くなった。私が再び強くする」

という内容。

 

ブレないところが、さすがですが、

具体的なことを言わなかったことも、さすがだなと思います。

政権は、このたった一つの内容を遂げるために、これから柔軟に考えることができます。

 

保護主義であり、グローバリゼーションからの転換ということについても、みなさんの共通見解ですが、そこはトランプ氏は、その内容を約束はしたわけではなく、ただ排他的な発言を繰り返しただけだと思います。

だから、保護主義政策をとらなかったとしても、「強いアメリカ」が実現できれば、有権者を裏切ることにはなりません。

 

では、どうすれば、「強いアメリカ」を実現できるのか?それには、相対的な評価、つまり敵が必要です。

 

TPPの年内発効はない。それはその通りでしょう。しかし、TPPの最大の受益者は元来アメリカです。トランプ氏は、「今のTPP」を否定しているだけのこと。

 

GDP世界1位のアメリカが、再び「強いアメリカ」になるためには、通常の考え方では、2位や3位の力を弱めることから取り組むでしょう。

 

ビジネスの基本は、「負けないケンカはしない」。

 

だから、普通の感覚では、まずは2位ではなく、3位から取り組むでしょう。

4位や5位を叩いても、有権者は喜びません。

 

いつの間にか、TPPを推進せざるを得なくなり、TPPで後に引けない日本。

トランプ大統領が決まった翌日に、いち早く国会でTPPを承認。

 

トランプ大統領は、大統領選を通じて、カードを切る時間と、いろんなカードを切ることができる柔軟性を手に入れました。

 

TPPはなくなるのではなく、日本にとって、TPPの交渉がかなり難しくなるということが事実ではないかと思います。

 

今、日本が、このタイミングで「TPPや〜めた」といえば、もしかしたらTPPはなくなるかも知れません。言わなければ、アメリカの要求に今更ながら、なぜか譲歩して、再交渉してTPPを締結する、ということになりかねません。

 

それは、間違いなく、トランプ氏の勝利でしょう。トランプ氏は、3位の日本から有利な条件を引き出し、国益につなげることで、国民の支持をさらに得ることになります。そして、たとえグローバリゼーションという結果だったとしても、トランプ氏は、別に有権者を裏切ったわけではない。だから「強いアメリカ」に向けて基盤をかため、さらに大胆な施策を行うことができる。

 

これはもはや政治ではなく、ビジネスです。世界の経済力のシェア争い。こんなことが実現してしまったらCompassionではありません。

 

今、必要なのは、国益ではなく、地球の利益。そのために、各国首脳、特に、これからの世界で主導的な役割を担う習近平国家主席、モディ首相、そして安倍総理の3人が、どれだけトランプ氏ときちんと対話できるかにかかっていると思います。

 

政治に関して、真っ白のきれいなトランプ氏が、ビジネスの延長ではなく、アジアの3人のリーダー達とともに、全世界の平和と繁栄、地球の永続のための政治を行った時、素晴らしい世界が実現すると思います。

2016-11-12 | Posted in BlogNo Comments » 

 

シナリオ -scenario-

18歳の時、イギリスのリバプールにある語学学校に行かせていただきました。

部が休みになるテスト期間を使っての1ヶ月の語学留学。

 

大学の寮に入ったのですが、そこで一生の友人ができました。

お互い、子供達含めて、家族ぐるみの交流が続いています。

 

 

私がリバプールに行った目的が、語学留学だったので、

日本に帰る時、英語の勉強を続けるならば手紙を書くのがいいよ、と友人が言ってくれて、

それ以来、大学を卒業するまで頻繁に手紙を出し合ったのがきっかけで、

20年を超える付き合いが続いています。

 

就職すると、コミュニケーションの手段はメールに変わりました。

メールになると、何時でも連絡がとれます。

そうなると、逆に交流の頻度が減りました。

それまで結構な時間をかけて手紙1通を書いていたのが、メールになると、

いつでも文章を作成して、すぐに届きます。

そうすると、熱意が少し薄れました。

頻度は低くなり、誕生日プレゼントを忘れることもしばしば。

 

そして、私がアメリカに行っている間にメールがプロバイダへの代金未払いで使用停止になり、友人からのメールが届かなくなっているにもかかわらず、しばらく気がつかないということにもなりました。

 

 

しかし、疎遠になっても、しばらく音信不通になっても、それでも結果的にまた交流が始まり、お互い行ったり来たり。

なんだかんだで毎年会っています。

私が海外出張中に、トランジットの合間に、朝7時に待ち合わせ、なんてこともありました。

 

 

世界には、70億の人口がいます。

豊かな人もいれば、貧しい人もいる。

背の高い人もいれば、低い人もいる。

肌の黒い人もいれば、白い人もいる。

恋愛も結婚も、一人一人多様です。

 

引き合う人とは、どこかで出会い、縁ができる。

お互いに刺激しあって、人は成長する。

自分が落っこちてしまいそうになった時に、気づくかどうかは別として、誰かが手を差し伸べてくれる。

 

 

自分が傷ついて、初めて人の痛みが分かり、人の痛みが分かると、また引き合う人ができる。

 

たくさんの人の痛みが分かる人には、たくさんの出会いがある。

 

生命の源泉は出会いだと思います。

 

風にのった種子と土との出会い。

土が豊かでなければ、芽は出ません。

 

草と草食動物の出会い。

草食動物と、それを食べるライオンとの出会い。

そして、残り物を狙うハイエナとの出会い。

 

どの世界にも、出会いがあり、

それは運命によって、引き合わされています。

 

出会いからは、必ず何かが生まれます。

 

今思えば、なぜあの時、イギリスに行ったんだろう?

そして、今、何故ここにいるんだろう?

 

すべては、地球が作っている膨大なシナリオの中の、

ちっちゃな、ちっちゃな、1ページの中の、

一つ一つの出会いのためのような気がします。

 

たくさん出会える人間に、一つ一つの出会いを大切にできる人間に、

なりたいものです。

2016-11-03 | Posted in BlogNo Comments » 

 

信頼 -trust-

資本主義は、頑張った人が、頑張っただけ報われる制度だと思います。

社会主義は、人を階級などで判断するのではなく、公平に配分する制度だと思います。

 

社会主義では、働いても、働かなくても、所得は変わりません。

だから人々は怠惰になり、国家は貧しくなる。

 

資本主義では、競争原理が働き、勝者と敗者が生まれる。

勝っても、負けても、どちらも頑張るから、生産活動は活発化します。

おそらく勝った方が、その生産活動から生まれた付加価値を、

負けた方の分まで、手に入れることができます。

この考え方ならば、勝ち続ければ、富を手に入れ続けることができるので、

みんなが勝とうとします。

勝負する必要のない時も、なぜか、勝とうとする。

 

競争原理は生産活動を生み続けます。

今も、世の中には課題だらけ。

その課題を解決することで、その市場では勝者の地位を手に入れることができるので、

人々は、永遠に生産活動を続けるでしょう。

 

先進国の人々は十分お腹がいっぱいになりました。

お腹がいっぱいになると、無理に競争しなくても、生きていけます。

今のままでいいか、それとも競争を続けるか、それは、自分の中にある欲の大きさ次第でしょう。

先進国の中では、欲の大きい人と小さい人の間で格差が生まれる。

 

一方、途上国の人々は、まだお腹が空いている。

だから、途上国の人々は、みんな、競争を続ける。

明日、お腹いっぱいになるために、1年後お腹いっぱいになるために、

10年後お腹いっぱいになるために。

 

こうして、資本主義と社会主義との間では大きな差が生まれ、

ソ連が崩壊し、中国も社会主義市場経済を導入します。

 

そして、競争は破壊を生み、大地の恵みも、地球の治癒力も奪うようになりました。

 

資本主義は、このままでいいのか、という議題が各地で持ち出されるようになり、

資本主義は必ず崩壊するという警告を発する偉大な先生達がたくさんの論文を出しています。

 

そんな中での、昨年末のパリ協定の奇跡。

 

北も、南も、競争ではなく、搾取ではなく、未来に向かって地球一丸となって同じ方向に向かうことを合意しました。

 

批准が遅れている日本ではあまりパリ協定は取り上げられていませんが、アメリカも、中国も、EUも、世界中がパリ協定に熱狂しています。

 

アメリカ、中国、EUが批准した中、出遅れた大国ロシアと日本が批准すれば、パリ協定の実効性は間違いないと言えます。

 

資本主義が生んだ不平等を、競争原理ではなく、コンパッションが克服した最初の成功例といえるでしょう。

 

なぜこのような奇跡が起こったか?

それは、世界中で、地球環境破壊への危機感が共有されているからだと思います。

ではなぜ、地球環境破壊への危機感が共有されているか?

それは、本当に危機であるからであり、そのことに正面から目を向けている人が、

そのことに正面から目を向けることを職業とする人だけでなくなったからだと思います。

 

アル・ゴア元アメリカ副大統領、メアリー・ロビンソン元アイルランド大統領の影響が大きいでしょう。

 

アメリカやヨーロッパでは、農家も、工場労働者も、商店も、旅館も、レストランも、スポーツジムのトレーナーも、このままで地球は大丈夫か?と思うようになりました。

 

そして欧米で教育を受けた中国のエリート達、中国で世界の将来を真剣に考える指導者達が、中華思想を持ちながらも地球の将来を考えるようになりました。

 

みんなで、地球を保護していこうと。

 

 

おそらく、この意識をもつ人が、いつの日かを起点に、地球の人口の一定基準を上回ったのでしょう。

資本主義や社会主義が前提としていた、「他人は信用できない」「人々は元来怠惰である」という条件を、覆すような「信頼」を前提としたビジネスモデルが誕生しています。

 

ひと昔前は、「UBER」や「Airbnb」のようなビジネスモデルは「危険」と思われたでしょう。

しかし、人々は、サービスを提供する側にも、対価を支払う側にも対等に敬意を払うようになりました。

ホテルでは、チェックアウト前にベッドやリネンを綺麗にしない人も、Airbnbでは、部屋を掃除してから退出します。

 

お互いの信頼の構築と維持が、自身の怠惰に打ち勝っています。「UBER」の方が安くて便利だから「UBER」が必要と考えている人は、少ないでしょう。「UBER」が社会的な課題、それも、競争原理の為に生まれてしまった課題を解決できることに期待している人が多いと思います。

 

「小遣い稼ぎにUBERでもしよう」、ということをきかっけに、「おいおい、UBERって何か今までになかった体験を得られるぞ、人間って実は素敵だな」、って多くの人が思うようになっていると思います。

 

これからのビジネスモデルは、いかに市場を支配するかではありません。

いかに、人々の信頼をつくることができるか?

それも、自社とユーザーとの信頼ではなく、ユーザーとユーザーとの信頼を作ったビジネルモデルが成功するでしょう。

 

考えてみれば、Facebookもそうです。

 

なぜ、未だに「サトシ・ナカモト」は、人々の前に現れないのか?

あるいは、すでに現れているのに、正体を明かさないのか?

 

その答えは、重要なのは、「テクノロジー」ではなく、「信頼」だからでしょう。

2016-10-23 | Posted in BlogNo Comments » 

 

歴史のしがらみ -origin-

私の牧野好和という名前は祖父がつけてくださいました。

好和は、中国読みで「和を好む」からとってくださったとのこと。

英訳すると”Love & peace”だとおっしゃってました。

 

私は、この名前の意味を知って、自分の名前が大好きになりました。

だから、いつも子供達にも、子供達それぞれの名前の意味を、しつこいくらいに言っています。

 

さて、祖父は戦前、東京で事業を行っていたそうですが、戦後、

先祖代々牧野のいる愛知県豊川市に戻り、「牧野屋」を開きます。

旧制中学を出てから、横浜の大学に行き、東京で就職。

その後東京で事業を営んでいましたが、戦争の影響で、地元に戻ることになります。

 

「牧野屋」は末っ子だった父が、

祖父自身や兄達の反対を押し切って、閉店するまで、

細々と続けられました。

 

祖父に限らず、明治生まれの人は、先祖代々の歴史を重んじます。

祖父は、よく、鎌倉時代からの「牧野」の歴史を詳細に話してくださいました。

 

 

 

そして、私自身、40歳になって、自分の人生を振り返ってみると、

知らず知らずのうちに、「牧野」に守られていることに気がつきました。

 

そして祖父がよく話をしてくれた「牧野」の歴史は、今も私の中でも

繰り返しています。

 

「牧野」の歴史に背くことは、私自身、なんども試みているものの、一つもうまくいっていない。

何か強い力が働いて、踏ん張っていないと、「牧野」のルーツに引き戻されてしまう。

 

これが、歴史のしがらみか、ということを、毎回思います。

 

 

 

さて、印象派は、18世紀に従来の絵画の技法を大きく変え、激しい批判にさらされました。

しかし、印象派は、そもそも歴史を背負った人たちから生まれたと思います。

従来の技法に縛られない、もっとすばらしい「色」を追求すること、

肖像画ではなく風景画を重視すること。

 

これらは、歴史が背負ったものとの対比があって成り立つ考え方だと思います。

歴史があって生まれた新しい、すばらしい芸術。

そして、印象派の技術は、いつしか主流となり、歴史の一つとなり、次の時代に受け継がれ、

次の新しい芸術は、これらの歴史を背負って、生み出されていきます。

 

一方、アメリカにはヨーロッパのような強いしがらみを持った歴史がありませんでした。

芸術もインディアンの伝統と広大な荒野から生まれます。

しかし、そこから生まれた新しい芸術が、ヨーロッパの歴史を背負った芸術と融合し、

また新しい歴史を背負った芸術を生み出します。

 

新しいものは、常にどこかしら歴史に縛られており、

そして世の中に誕生した以上は、歴史を背負っています。

 

だから、すばらしいものは、世界共通で、常に、すばらしい。

新しい、すばらしいものは、それがたとえどこで誕生しようとも、国境を超えます。

 

 

日本で歴史をもった企業の一つ、三菱。

ゼロ戦を製造した三菱が、半世紀以上のブランクを経て、まもなく民間航空機を実用化します。

その一方で、航空機とルーツを同じくする三菱自動車が、経営危機で日産自動車の傘下へ。

 

自動車業界から三菱のブランドがなくなってしまう可能性も、皆無ではありません。

 

さて、韓国の現代自動車やマレーシアのプロトンなど、もともとは三菱自動車の技術であることは広く知られています。

さらに、スウェーデンのボルボを買収した中国の吉利自動車をはじめとした、ほとんどの中国の民族系自動車メーカーは、三菱自動車のエンジンを購入して車体を製造するところから事業を開始しました。

 

アジア各国の販売台数で三菱自動車の名前が上位にあがることはありませんが、

アジア各国での自動車市場の形成において三菱自動車の果たした役割はとても大きいと言えます。

 

多くの自動車OEMが、まず自社の組み立て工場を設立し、ノックダウンで部品調達をして自社ブランド品の現地生産を始め、徐々に現地調達に切り替えていきながら、現地でサプライチェーンを確立した一方で、三菱自動車は、自社の技術で、アジアで、現地資本の、世界で戦える自動車ブランドの誕生を助けてきました。

 

これは、トヨタやホンダのような戦後誕生した自動車OEMと違い、三菱という歴史を背負った自動車OEMとしてのしがらみなのでしょう。

 

日本には、三菱以外にも、歴史を背負った企業がたくさん存在しています。三菱以上の歴史を背負った企業もたくさん存在しており、多くの韓国企業の技術が、戦後、こういった歴史のしがらみを背負った日本企業の技術を起源として誕生してきたことはよく知られています。

 

 

数年前は、豊富な資金力を背景にした中国、韓国、台湾の企業が、日本の技術者をヘッドハンティングして技術が流出することが問題となりましたが、最近は以前ほど問題視されなくなりました。

 

世界に誇る技術をもつ日本企業シャープを台湾企業が買収する時代。

クローズドであることよりもオープンであることの方が今は競争力があるとされます。

もしかしたら、他の国の企業の自立を、積極的に支援した方が、日本の競争力は上がるかも知れません。

 

世界との交易を確立し、世界中に土着した拠点をもつ三菱商事。三菱商事の現地法人で現地採用されて、政府高官になった人などもいます。三菱商事が果たした役割は、決して日本との貿易だけではありません。

 

そして、日本で唯一の外為銀行だった横浜正金銀行の流れをくむ東京銀行と合併した三菱東京UFJ銀行。タイのアユタヤ銀行を買収して世間を驚かせました。

 

もしかしたら、三菱という歴史のしがらみを、今の三菱自動車は体現しているのではないかと思います。

 

自動車が今後自動運転になっていくことはさけられないでしょう。

自動運転車の意味における、「自動に運転する」という役割は、ほんの一つでしかありません。

自動運転車はつまり、IOT。IOTということは、動くプラットフォームということです。

プラットフォームには、様々なコンテンツが動きます。

 

運転は、一つのコンテンツに過ぎません。

常にインターネットにつながっている世界が、自動車の中と外で実現し、その動く巨大なプラットフォームにコンテンツを提供する資格は、オープンに与えられるでしょう。

クリス・アンダーソンのメーカーズの世界がいよいよ本格的に実現します。

もしかしたら、音楽とか、地図とか、電話とか、そういった既存のコンテンツ以外のコンテンツが、車という動く居住空間の中で新しく誕生するかも知れません。

 

そこで、フォードやトヨタなどの歴史と、テスラなど電気自動車の歴史と、

そして電話という通信機器をIoTとしてプラットフォーム化したアップルの歴史と、

グーグルやフェースブックなどのオープンプラットフォームの覇者達の歴史。

 

これらの歴史が融合して、新しいイノベーションが起こります。それぞれのプレイヤーをみると、このイノベーションの主役はアメリカの企業。主役として市場の形成に参画できる日本企業はごく一部だと思います。

 

三菱自動車の果たした役割は、大きいと思います。

エンジンの技術を使って、欧米が作った新しい秩序であるIoTとは違う、何か新しい技術が、アジア生まれた時に、ようやく私たちは、歴史のしがらみに気がつくのだと思います。

 

 

2016-10-16 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Open platform

猪木武徳著「戦後世界経済史」に以下の通りの記載があります。

 

『交換と交易が文明を生み出すことは確かだが、モンテスキューもスミスも商業社会の欠陥に気付いていた。スミスは市場の拡大や商業の発展は、人々を単純な作業に集中させ、思考範囲と視野を狭くするため、人間を愚かにすると言い切っている。ここに奇妙なパラドックスが存在する。人類は知恵を用い、知恵を開発し、情報を収集・散布しながら高度の技術を開発して巨大な富を創造してきた。市場は拡大し、貿易のネットは地球を完全に包んでいる。しかしその過程で、我々の視野は狭くなり短期化し、お互いの信頼感を弱めるような風土を作り上げた。』

 

とても共感します。

 

世界はどんどん複雑になり、その複雑な世界で生きて行くためには、専門特化するしかなくなっている。専門特化すればするほど、視野は狭くなっていきます。

 

Who are you ? とWhat are you doing?の境目がわからなくなってきている。

doingがその人の価値を決めるような時代になっています。

これは明らかな間違い。

Je pence, donc, Je suisです。何もしていなくても、人々は常に感じ、常に考えています。

 

 

さて、グローバル市場で成功している企業には、「単純化」させることに成功した企業が多いと思います。

 

グローバル市場は、多様な市場。

 

その多様な市場で受け入れられるためには、その市場毎にあった個別の取り組みをするのではなく、むしろどの市場にも当てはまるほど、極端に単純化して、あとは市場の参加者が勝手に微調整してくれるようなビジネスモデルが成功しています。

 

Facebookは同級生や仲間達のつながりという、どの国の人々がしていることを、ITをつかった新しい技術でシンプルに実現しました。人である以上備えている「欲求」を対象として、その使い方を各国の利用者に委ねることで成功したビジネスモデルだと思います。

一方、FacebookがConsumerをターゲットとしているのに対して、LinkedinはProfessionalをターゲットにしました。

Professionalには英語を使う人が多いので、各国の市場に委ねる必要はなく、むしろ細分化されたprofessinal同士がグローバル市場で交流できるという単純化したビジネスモデルを提供し、参加者が勝手に自動車やエネルギーなどそれぞれの専門分野のネットワークを構築することで新しいビジネスモデルを形成しました。

 

このプラットフォームビジネスモデルは、これからどんどん細分化された形で誕生していくでしょう。

 

BtoBとかBtoCとかそういった言い方でビジネスモデルを分類する人もいますが、少なくともプラットフォームビジネスでは Business to Business という考え方は通用しないでしょう。

誰もがプラットフォームに参加する資格を与えられており、誰もが、何かしらの欲求をもってプラットフォームに参加しています。

あなたはB、あなたはCのような指定をする権利は、誰に与えられていません。と、いうか、オープンプラットフォームには、その管理人の顔も出てきません。ルールを決めるのは、あくまでシステムの仕組み。ルール違反しても「レッドカード、あなたは退場してください」、といったことを言う人もいません。

 

UberやAirbnbは、Cだった人をBにしたとも言えます。iPhoneのアプリは、Bの人もCの人も開発しています。LINEのスタンプになると、Cの人が多いか?Etsyは、Cの人がBとしてデビューするきっかけになっている。まあ、いずれにしても、こういった分類の仕方はくだらないですね。

 

重要なのは、今、グローバル市場において、誰もが参加資格を与えられ、そして単純な活動で、見えない不特定多数の人々に認められることができる機会を提供する、オープンプラットフォームを世の中に登場させた企業が莫大な収益を手にするようになっているということ。

 

Professionalの数は限られているのに対して、Consumerは全世界の人口分います。その人達ができるだけ多く参加して、参加した人がそのプラットフォームでビジネスをして、儲ければ儲けるほど、プラットフォームを作り出した人には収益が落ちる。

 

そう考えると、誰もが使っている物で単純化したオープンプラットフォームを提供した人に収益が落ちると思います。アップルは、電話という誰もが使っているものを舞台にオープンプラットフォームを提供しました。電話の次に、IOTでプラットフォームの主役になるのは何か?

 

多くの企業が、それを自動車と考えています。

自動運転自動車が誕生した時、その自動車は移動が目的だけではないと思います。きっと、様々なコンテンツが活躍する。それが、アプリなのか、スタンプなのか、ナビなのか、ポイントなのか、それはわかりませんが、自動運転自動車というオープンプラットフォームにコンテンツを提供する資格は、全世界の人に与えられると思います。

 

でも、しつこいようですが、私は、オープンプラットフォームの舞台は、自動車でなく、自転車であるべきだと、思っています。

 

 

 

2016-10-09 | Posted in BlogNo Comments » 

 

金利 -intérêt-

小売のマージンは30%〜40%ないと、やっていけないと言われています。

 

店舗の家賃や償却費、人件費、ファサードデザインといった固定費がかかるのはもちろん、

チラシといった販促費や売れ残りの在庫処分の費用なども商品価格に載せなければなりません。

 

そして、長い間意外と忘れられているのが金利。

 

半年前に代金を支払って仕入れた商品について、店頭で売れたとします。

もし、商品を仕入れずに、その商品の価格分のキャッシュを半年間、銀行に預けていたとしたら、

いくらかの金利が得られていたはずです。

かりに、その商品を仕入れるためにお金を借りていたとしたら、

その借りたお金には金利が課せられているはずです。

 

しかし、今はゼロ金利時代。

 

どちらの金利も、今の時代、半年分だったら無に等しいです。

でも、もし金利がバブルの時のように高かったとしたら、

例えば年利6%だとしたら、大変雑な考え方ですが、

半年で3%分の金利がかかっていることになります。

 

そうすと、単純に商品の価格は3%上がるでしょう。

いや、店舗、ファサード、什器を揃えるために通常はお金を借りるので、

その固定費分も上がるので、その分も少なくとも上がります。

 

私はこの道のプロではないのでわかりませんが、

結局なんだかんだ言って、金利分以上は価格に上乗せされることになるのではないでしょうか?

 

怖いのは、ゼロ金利が続きすぎて、そのことを忘れつつあること。

お金を借りるにも、金利が安く、またマイナス金利で借りやすくなっているので、

昔よりも運転資金における借り入れ金の比率が高い小売店が多いのではないでしょうか?

 

これが、金利上昇に転じると、多くの小売店が、即、金利負担上昇による運転資金難に陥ります。

そして、店頭商品がすぐに売れていかないと、その在庫分の金利負担にも苦しむことになります。

あらかじめそのことを考えて価格設定していれば大丈夫ですが、ほとんどの店舗は今金利分を踏まえた価格設定はしていないと思います。

 

 

金利が安いから、限界まで価格競争していますが、

もし金利が一定基準よりもあがった瞬間、店舗は値上げするか、それか、店をたたむかを迫られることになります。

もし、店をたたまずに、値上げするという決断をした場合は、それは金利上昇分を超える大きな値上げになるでしょう。

 

インフレ目標2%と言っていますが、もし、金利が2%上昇したら、物価はきっと、2%以上は上昇する。

 

これは我が国として絶対に避けなければならないシナリオ。

 

だから日銀は、金融政策を量ではなく、質に変えたのでしょう。

日銀が金利をコントロールしている限りは、上記のような事態は起こらない。

徐々に金利を適正な基準に上げていけば、店舗は一気に値上げをしなくても済みます。

2%という丁度よい基準に落ち着かせ、継続させることができるのではないか?

 

 

しかし、このシナリオは、金利が金融市場だけですべて決定するならば成り立ちますが、

金利は生産活動、消費活動のすべての影響を受けるので、シナリオ通りにはいきません。

だから金融政策は難しい。

 

今の金融政策では、氷の上に絨毯をひいて、氷の下が見えないようにしています。

我々は、日本という硬い基盤の上いるから大丈夫だよ。

 

 

でも、だんだん、氷は薄くなっています。

いつパリっと割れるかわからない。

パリっと割れた時、キャッシュを持っていない企業から順番に、水の中に落ちていくことになります。

とても危険な状況。

 

早く、氷を厚くしなければなりません。

氷があるうちに。

 

氷を厚くするためには何が必要か?

金利が高くなっても、金利負担に苦しまない経済構造を作ることだと思います。

 

経営資源は、人、物、金。

 

これ以上、金を動かしてしても、氷は厚くならないと思います。

むしろ薄くなるばかり。

やっぱり、人と物が動かなければなりません。

 

日本には、ずっと、すっと前から、その両方があると思うんだけどなあ。

今重要なのは、アングロサクソン的な考え方ではなく、日本的な考え方に戻ることだと思います。

エブリデー・ロープライスではなく、いい物を、信頼できる人から買いたいと思う、

昔の日本に。

 

 

2016-10-09 | Posted in BlogNo Comments » 

 

時計 – la Montre –

「トイレは何処ですか?」

「今、何時ですか?」

 

どちらも言葉を知らない国に行く上で、重要です。

いや、「今、何時ですか?」という言葉を覚える事は、もはや、「重要でした」

というべきでしょう。

 

今や時計にも、携帯電話にもGPS機能が付いていて、

海外についた時に、時計を再設定しなくても、

自動的に現地時間に調整してくれます。

 

だから、海外にいっても、今何時か、人に聞かなくても、

自分でわかります。

 

便利だなー。

 

 

先週、長い間愛用していた腕時計が壊れました。

大事にしていただけに、直すか、新しい時計を購入するか、心の整理がつかず、

今週は腕時計をつけないまま過ごしました。

 

すると、二つのことに気がつきました。

 

1日に何度も、腕を見て、あっ、腕時計してなかったんだ、と思ったこと。

そして、腕時計がなくても、時間を知るという意味では全く困らなかったこと。

 

携帯電話に時計機能がついています。

でも、私の場合はガラケーで、しかも電話などほとんどかかってこないので、

携帯電話はカバンの中か、ポケットの中にしまっています。

 

携帯電話を見るのは結構面倒くさいので、

時間を知りたい時は必然的に腕を見ます。

 

 

すると、1日のうちに、こんなに何回も、時間を知りたいと思っていたんだと、気がつきます。

少なくとも、1時間に1回以上の頻度で、腕を見ています。

 

そして、あっ、腕時計ないんだ、今何時だろう、と思って周りを見渡すと、

気がつけば、世の中、時計だらけです。

 

駅も、職場も、レストランも店舗も、何処に行っても時計があります。

わざわざ携帯電話を開かなくても、周りを見渡すだけで何処かしらかに時計があります。

 

何て便利なのでしょう。

 

でも、いつからこんなに、世の中に時計が溢れるようになったんでしょうか?

少なくとも、昔はこんなに時計はなかったと思います。

 

大きなノッポの古時計、おじいちゃんの時計が、ぼーん、ぼーんと、

何時だよって知らせてくれました。

だから、時間を意識するのは、1時間に1回。

私の家にも、子どもの頃、大きなノッポの古時計じゃないけど、

ポッポーと時を告げる時計がありました。

 

たまに電池が少なくなって、時計が時間を告げるタイミングが少しずつ遅れていく。

何回か、時計に騙された後で、遅れていることに気がついて、

「おっと電池を交換しなければ」、とそんな感じでした。

遅れていることに気がついた家族は、そこでまた、

日常の笑顔と団欒のネタを手にします。

 

 

しかし、最近は、分単位で時間を気にします。

 

あと、1分だけ待って。とか。

あと、10分で終わらせます。とか。

 

仕事をする上で、約束を守る上で、時間を守ることはとても大切。

しかし、約束をするにしても、あまりにもギリギリの約束をしてしまいます。

 

たまに、時間に遅れて、言い訳をする。

「電車が遅れた」とか。

2年近く前に転職して知ったのですが、電車が遅れると遅延証明書というのが出るそうです。

今の会社は、電車が遅れると、遅延証明書というのを出さなければならないルールになっているとのこと。

 

もちろん、そんなものを正直に出している人などはいないと思いますが、

しかしその遅延証明書というのが存在している時点で驚きです。

 

心の余裕は、時間と密接に関連しています。

時計がこれだけたくさん溢れているということは、

つまり、人々に心の余裕がなくなっているということを意味すると思います。

 

心の余裕がないと、集団生活などできません。

困っている人に手を差しのばすことができません。

 

このWEBサイトで、奈良一刀彫りの取材をした時、

職人は1人前になる前に、10年間、鑿をひたすら磨き続けると聞きました。

 

そういう職人さんがつくった人形だから、魂の響きを発することができるのでしょう。

 

人生50年、毎日戦争ばかりしていて、長生きができなかった時よりも、

平和になって、長生きして、たくさんの時間を手にできるようになった今の方が、

毎日時間のゆとりがないというのは、皮肉としか言いようがありません。

 

日が昇り、目を覚まし、日が落ちて、寝る。

昼が長い時に、一生懸命働いたから、日が短くなるにつれて、その成果が実っていく。

実ったものを、厳しい冬の間、食べる。

 

そして、厳しい冬の終わりとともに、綺麗な花や香りが春の訪れを歓迎してくれ、

人々は、それで前向きな気持ちを取り戻して、再び日が長くなるにつれて一生懸命働く。

 

これが、本来の時間だと思います。

太陽歴とか、太陰暦とか、1年を単位にして時間を作っていますが、

それは天から与えられたものに感謝するための時間。

 

決して、細かく細かく時間を細分化して、その細分化した時間の中に何かを詰め込めるだけ詰め込むためのものではないと思います。

 

我々は、時間に追われすぎではないでしょうか?

 

余裕を取り戻して、思いやりの気持ちで、みんなで笑顔で、団欒で過ごしましょう。

 

 

 

2016-10-09 | Posted in BlogNo Comments » 

 

自転車 – le vélo-

近い将来、確実に実現しそうなのが自動運転車。

私は運転が下手なので、自動運転車大歓迎です。

 

自動運転車ができても、運転が好きな人は、自分で運転するでしょう。

 

しかし、町を走る自動車の過半数が自動運転車になったら、

道路交通法は自動運転車を中心とした内容に変わっていくでしょう。

 

自動運転車ばかりになって、今のシェアリングエコノミーがさらに進んで、

気がつけば、誰のものでもない自動運転車が勝手に走るようになるかもしれません。

 

町を歩いている人が、車を乗りたくなったら、そのあたりを走っている自動運転車を止めて、

目的地まで連れて行ってもらう。そして、降ろしてもらう。

そのあと、自動運転車は勝手にまた走り続ける。

屋根に太陽電池がついたら、自動運転車はバッテリーの寿命の続く限り走り続けることが

可能かもしれません。自動運転車にAIが搭載されたら、天気次第でAIが自分で考えて、運転を制御し、バッテリーを持続させ続けるでしょう。

 

この何時でも乗り捨てられる自動車は、

すでに実現しているuberの世界と似ています。

自動運転車の乗り捨ては、そんなに間違った未来の姿ではないかも知れません。

 

しかし、私が実現して欲しいのは自転車。

自転車は自動運転自転車ではなく、普通の自転車。

必死になって漕ぐ自転車。

今、町に自転車が走るスペースが設けられていることはほとんどないですが、

自動運転車が中心になったら、自転車用の専用スペースも作ることができるのではないでしょうか?

 

もし、そういった自転車用の専用スペースができたら、

その自転車専用道路には、

屋根もつけてもらいたいな、と思います。

屋根があれば、雨でも自転車に乗ることができます。

 

屋根があれば、屋根の上に太陽電池を載せることもできます。

かなりの発電量が確保できるでしょう。

 

すでに、地上にいっぱい電信柱があって、電線が走っているのだから、

そのかわりに屋根をつけることもできるんじゃないかなと思います。

 

そうなると、近距離はいつでも、自転車で移動できます。

せっかくならば、二人乗り自転車がいいな。

前の人と後ろの人で一緒にペダルを漕ぐ。

会話も弾むし、スピードも増します。

 

二人乗りならば、前の人は、運転に専念し、

後ろの人はナビに専念することができます。

 

ならば、後ろの人用に、後部座席の前に、iPadをつけたいな。

アプリをダウンロードして、1時間で東京の名所を回りたいと思ったら、

iPad上に、最適なサイクリングロードが表示されます。

複数コースから選択可能。

一番行きたいコースをアプリの案内に従って自転車で行きます。

そして、サイクリングロードには、すべて屋根付き。

各名所の説明は、アプリがディスプレイだけでなく、音声でも対応してくれます。

そしてそれは全世界の言語に対応。

 

 

もう近距離は自動運転車にのる必要はありません。

自動車で安全に移動。そして運動になるから健康的。

 

自動運転車に乗る時は、自転車では行けないところに行く時。

しかも、それは乗り捨て。

自動運転車はその辺りを走り続けているので、

駐車場は不要です。

 

こんな、環境に優しく、健康に良い都市になるといいな、と思います。

少なくともアプリは簡単にできます。

 

自動運転車も確実に普及するでしょう。

 

そうすると、あとは、太陽電池付きの屋根だけか。

 

2016-10-03 | Posted in BlogNo Comments » 

 

春夏秋冬 -four seasons-

アメリカで発表があったAIの共同研究。

Google, Facebook, Amazon, Microsoft, IBMという巨人連合がパートナーシップで取り組むという内容。

まるで原子力爆弾を開発するために大国同士が連合を組んだマンハッタンプロジェクトのようです。

 

誰かが主導しなければ、この連合は実現しません。

 

誰が、何のために主導したのか?

それは、分かりませんが、この連合がこれから「未知の扉」を開くための準備であることは間違いないでしょう。

 

「未知の扉」とは、人間の頭脳をコンピュータが超える世界への扉です。

それが一体どんな世界になるのか、人類にとってどんな危険が待っているのか?

それを検討するのがこの人工知能パートナーシップではないかと思います。

 

そもそも、人間は道具をつかう動物です。

いずれこの時代がやってくることは、縄文時代に鏃や石斧を作り出した時から明らかだったといえるでしょう。

 

常に人間は、「できない」を、道具を使うことで、「できる」に変えてきました。

キリスト教の世界は知りませんが、この教訓は、アダムのイブの時代から変わらないでしょう。

 

気がつけば人間は、機械の力で、夏でも涼しく、冬でも暖かい世界に暮らせるようになりました。

気がつけば人間は、わずか1日で大陸を飛び越えることができるようになりました。

気がつけば人間は、ボタン一つで、地球を壊滅できる恐ろしい兵器をもってしまいました。

気がつけば人間は、宇宙の上から自分自身を客観的に見て、しかも追跡できるようになってしまいました。

気がつけば人間は、宇宙に長期間滞在できるようになってしまいました。

 

そして、いよいよ、人間は、自分達を超える知能を作り出そうとしています。

このパートナーシップが生まれたということは、どこかの誰かが、いざ、その扉を開かん、

としているということでしょう。

 

扉を開く前に、ちょっと待てよ、本当に開いていいのかな?

ということを、確認しあうのがこのパートナーシップだと思います。

 

 

ホーキンス博士が、このことに警告を鳴らしたのは最近のことです。

今でも警告を発し続けています。

そして、誰もが、ホーキンス博士の警告について、

もし本当だとしてもずっと先のことだろうと思っていたはずです。

 

 

扉は必ず開かれます。それは歴史の定め。

新しい扉を開く時は、興味半分、恐怖半分。

怖がっていては、前に進めません。

 

しかし、一旦前に進んだら、もう戻れません。

 

昔7月にトロントに滞在した時、毎日パーティーパーティー、

週末は毎週フェスティバルでした。

8月にアンカレッジを訪れた時、ヒルトンホテルの前の仮設会場で、

バブルパーティーが開催されていました。

バブルとは、泡。泡が腰まであります。

入場資格は、水着。

入場料払って水着来てバブルパーティーに参加したら、みんなパーティーパーティー。

会場は暗く、そして泡の中で起こっていることは、見えないのでわかりません。

トロントも、アンカレッジも、極端に短い夏を楽しむための企画が徹底的に考えられています。

日本は夏がトロントやアンカレッジのように短くないから、夏のスパーク度合いはかなり負けていると思いますが、それではやっぱり夏はスパーク。

スパークできない夏を過ごしたら、とても損した気になります。

 

過酷な冬があるから、夏を楽しめます。

春夏秋冬があるから、人々は喜べる。

 

最近ずっと雨でしたが、今日は久しぶりに快晴。

近所はみんな洗濯物干して、散歩して、とても賑やかでした。

太陽がこんなに嬉しいものって、雨が続かなかったら忘れていました。

いつでも、欲しいものが何でも手にはいるわけではないから、

ありがたさを忘れないのだと思います。

 

 

未知の扉を開いら、そこに春夏秋冬はあるのかな?

 

 

なくてはならないと思います。

でも、人間がこれまでやってきたことを考えると、

「なくてはならない」ではなく、「あって欲しい」、と弱気になってしまいます。

 

こんなことを取りまとめるのが、

人工知能パートナーシップなのでしょう。

 

 

私も参加したいです。

どうやったら参加できるのかな。

 

2016-10-02 | Posted in BlogNo Comments » 

 

経験 -experience-

責任ある仕事につくほど、自然と読書量は増えていきます。

忙しくなると立ち読みする時間がなくなるので、とりあえず本を買って、

そのままさらっと読んで、あとは読まないというケースが増えます。

家にはどんどん本が溜まっていく。

数年たって、溜まった本をさすがに捨てなきゃなって整理していると、

あれっ、こんな本あったんだと思って読むと、その時の自分にとても必要な内容だったりする。

 

最近、これまであまり触りたくなかった溜まった本の中から、

何かしらの重大な学びを得ることが多いように感じます。

そもそも、最初から関心があって買った本です。ただ読まずに置いておいただけ。

実は、時間が経ってから読んでみると、すごく重要な内容。

買った時の自分よりも、今の自分が成長しているから、その重要なことが分かるだけのこと。

 

 

最近、講演を聞く機会が増えました。

新聞に講演の案内が記載されていると、すごく話を聞いてみたくなります。

この人は、どういうことを考えているのだろう、ということにすごく関心があります。

 

私は大学を卒業してから10年間、商社でお世話になりました。

商社では、仕事が終わると毎日お酒を飲みに行きます。

お金は会社が出してくれます。

 

それが、働いている間、不思議で仕方がありませんでした。

なぜ毎日会社がお酒を飲むお金を出してくれるのか?

毎日お酒を飲んでいるので、勉強できません。

他の会社に行った高校や大学の友人たちは、毎日会社終わっていろいろ勉強しているので、

あせりました。

こんなに毎日お酒飲んでいて大丈夫か?

と思っていました。

 

しかし、今、講演をお金を払って聞いていますが、

商社時代に毎日お酒を飲みに行って、

社内や取引先の大先輩から学んだ話に勝てる内容はありません。

 

読まずに溜まっていた本を読み返した時と同様です。

こんな重要なことを、大先輩から昔、直接教えてもらっていたんだと、思います。

 

どれだけ本を読んでも、どれだけ経験を積んでも、

大先輩から若造への直接の説教ほど、貴重な話はないでしょう。

 

経験は、人を成長させます。

成長とは、学ぶこと。

自分で経験をしなくても、人の経験を聞くことで、たくさんのことを学ぶことができます。

 

でも、人の経験から学ぶことと、自分自身が経験することには、距離があります。

 

本を読むのはその距離が一番遠く、

講演を聞くのはその次に遠く、

直接話をすることが、最も近い。

 

自分の経験と距離が近いほど、自分の経験に取り入れることができることが多いと思います。

 

人生、時間は限られています。

どれだけたくさんの時間、直接、人から経験を学ぶ時間を持つことができるか。

 

今になって、10年間お世話になった商社が、

一番必要な時に、一番重要な、かけがいのない学びの機会を提供してくれたんだ、ということを

今になって気が付きます。

 

商社に恩返しができないまま、もっと自分を成長させたいという未熟な発想のまま、

転職してしまいました。

 

転職してよかった部分も、よくなかった部分も、どちらも少なからずありますが、

確実なのは、今更仕事で商社に恩返しすることはとても難しいということ。

 

だから、自分がしてもらったように、逆に、経験で、商社に恩返しをしたいなあと思っています。

 

 

そのためには少なくとも、私の話を聞くことが時間の無駄と思われるのではなく、

この人の話を聞きたいと思われるような存在にならないと。

 

すべての人にとって、自分が成長することが、すべての恩返しに繋がるんだな、と思います。

 

そういえば、商社の大先輩から、恩を受けた人に対して直接する恩返しだけでなく、

恩を受けた内容を、他の人に返す、恩送りも、立派な恩返しだと、教えられました。

 

言い訳抜きに、目指すべき内容だと思います。

 

 

2016-10-02 | Posted in BlogNo Comments » 

 

真実 -truth-

マリリン・モンローを愛したジョー・ディマジオ。

結婚した期間はわずか9ヶ月。

アメリカの英雄にとって、女優マリリン・モンローとの結婚生活は、

嫉妬と苦悩の毎日だったと思います。

世界的な大女優にとっても、アメリカのスーパースター、

ジョー・ディマジオとの結婚生活は

ありのままの自分でいることができない日々だったと思います。

 

ジョー・ディマジオと離婚したマリリン・モンローは、

脚本家アーサ・ミラーと結婚します。

その後、不倫、離婚、さらにその後精神的に病んで睡眠薬を常用するようになります。

そしてあの有名な「ハッピー・バースデー・Mrプレジデント」唄った後、

しばらくして、大量の睡眠薬を摂取して謎の死を遂げ、

スターのまま、美しいまま、36年の短い人生を終えます。

 

ジョー・ディマジオは身元のなかったマリリン・モンローの喪主として、葬儀を取り仕切り、

最後まで棺から離れず、人目をはばからず号泣したそうです。

そして、84歳で亡くなるまで、独身を貫き、マリリン・モンローの墓参りを欠かさなかったそうです。

 

マリリン・モンローの死後、マリリン・モンローからジョー・ディマジオ宛の

書きかけのラブレターが見つかったそうです。

マリリン・モンローは、もう一度、ジョー・ディマジオと結婚したかったのではないか、

という説もあります。

 

セックスシンボル、そして世界的な演技派女優マリリン・モンロー。

前人未到の大記録をうちたてた大リーグの伝説の打者ジョー・ディマジオ。

 

どちらも、スーパースター。

だからこそ、どちらも、スターであることよりも、別のものを求めていたはずです。

ジョー・ディマジオが求めていたのは、きっと、マリリン・モンローだけ。

マリリン・モンローが求めていたのは、きっと、ジョー・ディマジオだけ。

どちらも、お互いを求めていたけど、ずっとすれ違い。

こんな感じだったんじゃないかな、と思います。

 

 

私は、これこそ真実の愛だなと思います。

愛は所有の対象にはなりえません。

だから、愛を手に入れるという結果はありえない。

求める限りは、離れていきます。

それが愛。

それが真実。

 

 

 

ジョー・ディマジオは、84歳まで独身を貫きましたが、

一人の男として、幸せな人生を送ったのではないでしょうか?

なぜなら、マリリン・モンローに対する自分の愛を一度も偽らなかったから。

これは、同じ男として、絶対だと言い切れます。

 

 

マリリン・モンローは、自分の愛をジョー・ディマジオにうまく伝えられずに

苦しんだのではないでしょうか?

ジョー・ディマジオにとっくに愛が伝わっているのに、自分の愛が大きすぎるから、

マリリン・モンローはもっと伝えたくて、最後まで満足できない。

でも、マリリン・モンローは、結局幸せだったんじゃないかな、と思います。

ただこれは想像です。私にはわかりません。

でもきっと女性にはわかると思います。

 

 

男は常に、シンプルで、女は常に、複雑です。

 

だから、いつもすれ違い。

もしかしたら、女性からすると逆かも知れません。

でも、いずれにしてもいつもすれ違い。

 

愛と死は、人間がどれだけ賢く、どれだけ豊かになったとしても、

決して思い通りにはなりません。

 

真実は、つねに曖昧。

求めて得られるものは、得た瞬間、失うことになります。

得ているものは、いつも、得ていることを気がつかないもの。

失って初めて気がつくもの。

 

手に入れようといくら求めても、結局は一緒です。

 

 

だから、幸せな人生を送るためには、

自分に対して正直に生き続ける以外の方法はないと思います。

 

自分に対して正直に生きつづければ、人を傷つけることなんか、

ないんじゃないかな。

 

自分に対して正直に生きつづければ、自分だけがよければ OKなんて、

思わないんじゃないかな。

 

自分に対して正直に生きつづければ、思いやりの心を

自然と行動に移せるんじゃないかな。

 

と思います。

2016-09-24 | Posted in BlogNo Comments » 

 

踊り – dance-

息子は幼稚園に入るくらいまで、音楽をかけるとよく踊りました。

また、花火大会に行って、花火を見ていると、どっかーんといって花火の形のように大きく手と足を開きました。

高校生になった今も、踊っているかどうか知りません。

ビートルズとか聴いているので、あんまり踊ることはないんじゃないかと思います。

でもきっと、踊るのは嫌いではないと思います。

 

 

私も好きな音楽をかけると、踊りたくなります。

踊り方をならったことはないのですが、

楽しくなると、体を動かしたくなります。

 

踊っているということは楽しいということで、楽しくないのに踊ることはまずないし、

踊っているのに楽しくないということもまずないと思います。

 

つまり、常に、踊り続けていれば、常に楽しいということです。

 

さて、目の前に、にんじんがぶらさがっています。

そのにんじんに手を伸ばすか、伸ばさないか?

 

そのにんじんには、毒が入っているかも知れません。

 

にんじんを食べて後悔するか、食べずに後悔するか?

常に踊り続けている人の場合、食べずに後悔することは絶対に避けるでしょう。

俺は毒が入ってたとしても、にんじんを食べて、腹を壊すよといって、案の定、腹を壊して、苦しむ。

でも、きっと食べなきゃよかったとは思わない。

自分の判断だから。

 

常に踊り続けるためには、毒を食べても腹を壊さない強さが必要です。

 

毒を食べても腹を壊さない強さをどうやって身につけるか?

 

それはやはり、目の前にあるにんじんを食べ続けて、たまに痛い思いをしながらも、

それでもやはり食べ続けることが必要でしょう。

 

あるいは、毒を食べても腹を壊さない強さを身に付けるのではなく、

毒が入っているかどうか、見分ける知恵を身に付けるかも知れません。

 

それでも、踊り続けることができます。

 

にんじんに毒が入っているかもしれないから、にんじんを食べないというリスク回避をしていると、強さも知恵も身に付けることができません。

 

残念。それでは踊り続けられません。

だから、踊る以外の楽しみを見つける必要があります。

リスクのない楽しみ。

 

そんなものあるのでしょうか?

 

世の中物騒になったと言われます。

小学校も親の送り迎えつき。なんと車で送り迎えまでしている親もいます。

しかし、本当に物騒になったのでしょうか?

 

私が子供の頃の方が、怖い人はいっぱいいました。

世の中もっと物騒だったと思います。

通学路はけんかの場。小学校6年間、通学路で強くなったと思います。

私は一度転校していますが、どちらも一緒でした。

きっと、昭和50年代の日本はどこもそんな感じだったでしょう。

けんかして傷だらけになって帰って、親にはプロレスごっこって、

今思えばバレバレのうそをついて、そのままランドセルだけおいて遊びに行きました。

 

昔と今で変わったのは、リスクを乗り越えることを教えるのではなく、

リスクを回避することを教えるようになったこと。

 

「危険だからやめなさい。」

 

こればっかりだと、いつまでたってもリスクを乗り越えられません。

 

先週のフランス語の授業のディスカッションのテーマは「踊り」。

昔はみんな踊っていましたが、どうやら若い子たちは今はあまり踊らないようです。

ダンスは、踊るのが好きな一部の人がすること。

 

いやいや、そんなことありません。

みんな踊るのは大好きなはず。

 

目の前で踊るチャンスがあったら、罠かもしれないし、毒かもしれないけど、

まず踊るべし。

踊る舞台が大きければ大きい程、楽しみも大きいです。

トランプ候補もヒラリー候補も、大統領選挙という大きい舞台で踊っています。

メディアからボロクソに叩かれても、踊っている本人は、それなりに楽しいのではないでしょうか?

 

選挙とか、オリンピックとか、大きな舞台は限られた人にしか与えられませんが、

大きな舞台で踊る資格を得た人は、小さな舞台でも常に踊り続けている人だと思います。

踊り方は人様々ですが、どんな舞台でも、精一杯踊っている。

 

費用対効果?

この言葉は、いったい何を求めているのでしょうか?

 

目の前にあるにんじんを食べて、踊り続ける。

そこには、費用も効果もなにもありません。

あるのは楽しさだけ。

たとえ何も得られなくても、たとえ遠回りして、最後までたどりつけなかったとしても、

自分が楽しくて、

そしても誰も傷つけていなければそれでOKです。

 

楽しさは伝染します。自分が楽しければ、みんなも楽しい。

みんなで、この時代を踊り続けましょう。

2016-09-22 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Altruism

電車に乗って、ある人がご老人に席を譲ります。

この光景はとても美しい。

そして見ている人も気持ちいい。

 

この行為は伝染します。

その光景を見た、同じように座っていた人は、次は自分の番だとなぜか思います。

 

なぜか?

 

それは、恐れを避けるためかも知れません。

自分が「道徳がない人間と思われる」ことに対しての。

 

それは、喜びを得るためかも知れません。

自分自身が「良いことをした」という喜び。

見ていた人に「道徳がある人」と思われることに対する喜び。

 

しかし、これは本質ではないと思います。

 

なぜなら良い行いは、自分自身だけでなく、見ている人まで幸せにするからです。

 

座っている人が、次は、同じように自分が席を譲ろうと思うのは、

その光景を見ていて気持ち良かったから、その光景を見せてくれた人にありがとうというかわりに、

次は自分も同じことをするように心がけよう、

というのが、本来人間に備わっている本能ではないでしょうか?

 

大人が子供に「席を譲りなさい」と教えるのは、

席を譲ってもらうべき人のためにそうするのではなく、

席を譲ることによって感じる気持ち良さを子供に教えるため。

 

自分が気持ちよくなると、相手も気持ちよくなるのは、

あらゆるシーンに共通だと思います。

 

席を譲った人が、「ありがとう」と言われた時に、

「席を譲った代わりに、○○をください」とか、

「私は××と言います、よく覚えておいてください」とか、

そんな無駄なことは言いません。

 

でも損をしたとはおもわず、得をしたと思います。

どこで得をしているのでしょうか?

 

自分の心の中で得をしています。

自分自身がなぜか幸せな気持ちになるという、

めったに得られない形のないものを感じる機会を得たという、

生きている上での最大の得をしています。

 

かつては、形のないものを、見える人は一部の人の特権でした。

しかし最近は、様々な情報が、人々に形のないものを見せてくれます。

 

典型的なのは、Facebookのシェア。

こんないいことがあったよ、と発見した人がシェアすると、

実際にその場にいなかった人も、そのシェアを見て気持ちよくなります。

そして、Likeボタンを押して、自分も共感したメンバーの仲間入り。

ついでに、自分もシェアして友人に紹介。

それが、幸せの連鎖反応を起こします。

 

SNSのSは、Siawase(幸せ)のSでしょう。

幸せと幸せの間にあるNetwork。

 

ツールは正しい使い方をすれば人を幸せにします。

間違った使い方をすれば人を不幸にします。

 

どんな人にも、嫉妬とか恨みとか、マイナスの感情があります。

 

幸せばぼやっとしていて捉えにくいのに対して、

嫉妬や恨みはくっきりしていてわかりやすい。

 

人は感情に左右される生物だから、幸せな気持ちにも動かされるし、

憎しみの気持ちにも動かされます。

幸せな気持ちに動かされる人が、ある日を境に憎しみに動かされる人に変わります。

憎しみに動かされる人が、ある日を境に幸せに動かされる人に変わります。

この変化をもたらすのは、自分の力だけでなく、他人の力であることも多い。

そもそも人間は一人では生きられない。

だから、幸せな気持ちは、どんどん伝えるべきです。

 

 

SelfishとSelfishをつなげるNetworkではなく、

SiawaseとSiawaseをつなげるNetworkが、

ネットでもリアルでも、どんどん広がっていくのが、Compassionだと思います。

 

Compassionで実現する幸せは、Happiness でもFortuneでもなく、思いやりから生まれる自分自身のSiawaseの連鎖です。

 

2016-09-19 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Renoir

オーギュスト・ルノワールの最高傑作と言われる「浴女たち」

そのモデルとなったデデは、ルノワールの次男ジャン・ルノワールと結婚。

ジャン・ルノワールはデデの女優になりたいという夢の影響を受け、

世界的な映画監督としての人生をおくります。

 

世界的な映画監督となったジャン・ルノワールとは対照的に、

ジャンと離婚したデデは女優としての成功を手にすることができないまま人生を終えます。

 

しかし、デデがいなければ、「浴女たち」は存在しておらず、

また巨匠ジャン・ルノワールも誕生していなかったでしょう。

 

ネルソン・マンデラの夫人 グラサ・マシェル。

ネルソン・マンデラ南アフリカ大統領夫人になる前は、

サモラ・マシェル モザンビーク大統領夫人でした。

 

サモラ・マシェルもまた、モザンビークの初代大統領。

 

二人の英雄の妻であったことは決して偶然ではないでしょう。

グラサ・マシェルがいなければ、モザンビークも南アフリカも、

今の姿ではなかったかも知れません。

 

歴史に「もし」は、ありませんが、

もしグラサ・マシェルが大統領になりたいと思って活動をしていたら、

それもまた別の結果になっているでしょう。

 

人には生まれてきた役割がある。

たとえ夢が果たせなくても、デデは幸せだったではないでしょうか?

 

ジャン・ルノワールは、デデと離婚した後、ティド・フレールと結婚。

生涯をティド・フレールと過ごします。

デデはジャン・ルノワールと結婚した時の名前カトリーヌ・エスランとして生涯を過ごします。

ジャン・ルノワールがティド・フレールと過ごした日は、カトリーヌ・エスランと過ごした日よりもはるかに長い。

 

デデも、ジャン・ルノワールも同じ年に亡くなります。

その時にお互いを愛していたのか、愛していなかったのか?

そんなことは重要ではありません。

 

重要なのは、ジャン・ルノワールが、運命に逆らわなかったこと。

印象派の大家である父の「浮き理論」を忠実に守ったのだと思います。

 

アメリカの大統領選挙が終盤を迎えています。

ヒラリー・クリントンなしには、ビル・クリントンはなかったでしょう。

ビル・クリントンが大統領として残した功績は大きいですが、

大統領を退任した後も、ハーレムを安全な地域に変えるなど、大きな貢献をしています。

その背後にヒラリー・クリントンの力があることは疑いがないと思います。

 

ヒラリー・クリントンの公約は、かなり具体的で実現性が見えます。

また、向かうべき方向性も明確。

すばらしいの一言に尽きます。

 

しかし、人はどこまで言っても、一人の人です。

ヒラリー・クリントンの生まれてきた役割は、大統領にならなくても

果たせるのではないか、と思ってしまうのは私だけでしょうか?

 

運命には逆らえません。

戦争を知らない世代が政治を担う時代。

 

オバマ大統領が広島を訪問。

北朝鮮が核を保有して大国の仲間入りを果たそうとしても、

中国が怖くて北朝鮮には手も足も出せないというのが現実。

 

アメリカ中心の秩序が崩れた中で、古き良きアメリカを唱えるトランプ候補が

支持を受けています。

 

歴史にもし、はありません。

 

日本の役割は何か?

 

ただ一つ、確実に言えることは、

日本がこれから必ずやってくる難しい時代を乗り切るためには、

女性の力が必要でしょう。

 

その役割を担うのが、

小池知事なのか蓮舫代表なのか、それとも別の人なのか?

 

私は、今の日本では、まだ

サッチャー首相やメルケル首相ような人よりは、むしろ

表に出てきていない、どこかにいる、デデ・ルノワールのような人だと思います。

 

 

2016-09-18 | Posted in BlogNo Comments » 

 

支配 - govern-

iPhone 7の発表がありました。

素晴らしいの一言に尽きると思います。

発表前に情報が流れていましたが、

見事のその通りの内容でした。

 

これまでのように何か新しい尖ったものを発表するのではなく、

あらゆる競合の製品の尖った部分を網羅した内容。

カメラにしても電池にしても耐水性にしても、

これまで最も優れていると言われていたそれぞれの競合のパーツと

遜色ない機能をもって、7、7Sという製品にそれぞれ搭載しています。

そして、それぞれの優れた機能が、iOSというアップル独自のOSで、

他社製品をはるかに上回る使い勝手の良さを実現しています。

 

スマホとしての一つの完成形がiPhone7なのではないかと思います。

 

ある意味、完璧な製品ですが、価格は従前の機種と変わりません。

これは消費者にとって圧倒的なメリット。

 

しかし、むしろ、iPhone7という完璧なスマホの登場で、

競合はiPhone7をさらに上回る完璧なスマホの開発に取り組むと言えます。

 

iPhoneが尖っていれば、他社は別の尖った部分で競争してきました。

 

そしてその多くがオープンソース故に実現できる価格とか、

ディスプレイの彩度とか、充電とか、ワイヤレスとか。

それぞれ分野はありますが、しかし総論として、

他のスマホはアップルの発表を参考に、何かしらの追随をしてきたと言えます。

 

いわば、これまではiPhoneの新製品が、スマホ市場を牽引してきました。

しかし、今回アップルが、iPhone7でとった戦略は、

スマホ市場の何かの分野で先行するのではなく、

むしろ、全く逆の、他社製品の包みこみを行うというというものでした。

 

 

これは、アップルとしてではなく、スマホとしての技術革新が行き詰まったということでしょう。

 

この結論は、重く見るべきです。

 

今後は、この価格で、この性能の製品を出せるかどうか?

というとんでもない高い参入障壁が、新規メーカーの参入を拒みます。

車と同じです。

車の場合は、その製品の大きさと単価、そして物流コストという地理上の制約から、

中国やインドのような未開拓の市場では新規参入が可能でした。

 

しかし、スマホの場合はこうはいきません。

すでにグローバル市場が存在していて、新興国の中間所得層以下、つまりコアの市場に

消費者が存在しています。

 

 

アップルの強みはOSとデバイスの両方を持っていること。

グーグルはサムスンやLGと組むか、独自のデバイスを出すか、選択を迫られるでしょう。

アームを買収したソフトバンクは、モバイル市場という巨大な市場で、

iPhone7の誕生によって明らかになる3強アップル、グーグル、マイクロソフトの一角を脅かす、

ダークホースとなると思われます。

もう一つのダークホースは、中国語と中国という圧倒的なサイズの市場と資本力、

そして微信などの中国独自のコンテンツによるソリューションを持つ中国。

アリババとタオパオの成功を考えると、その力は計り知れません。

 

 

一時期市場を賑やかにしたなんちゃって格安スマホメーカーに隠れていましたが、

華為やBOEなどの本当の巨人達も、そろそろ動き出すかも知れません。

ホンハイもシャープを買収したことで名乗りを上げるか?

 

他の日本企業はカメラ、センサー、セラミック部品などに資本を集約するしかないでしょう。

サムスンやLGは、グーグルやマイクロソフトと組まない場合は、

デバイスではなく有機ELパネルの量産技術に資本を集約するしかないでしょう。

 

モバイル市場が、自動車市場同様に、一つの完成形を迎えます。

モバイル市場の場合、自動車市場と違って、用途の可能性は無限大。

 

ブロックチェーンの誕生で、

これからケープサイズのタンカーに積まれた石炭が丸ごと、

スマホ上で決済されるようになるでしょう。

 

ブロックチェーンにより、

健康情報や納税の情報などすべて、モバイル端末で閲覧権限を付与したりできるようになります。

 

iPhone7Sのデュアルカメラでとった映像を、

ブロックチェーンを使って使用許諾して、

利益を得る新たな芸術家が誕生するでしょう。

 

モバイルから取得した情報を管理するクラウドコンピュータに

あらゆるデータが集約され、ビッグデータとなります。

そのビッグデータは眠ったままのはずはありません。

人工知能がビッグデータを分析して、その分析結果をスマホ上に

アウトプットとして提示するようになります。

 

「あなたは今日、これを食べた方がよいですよ」と、

スマホが自動的にとったデータを、人工知能がスマホから勝手に提案。

その通り食べれば、栄養バランスはパーフェクト。

そして、そんな情報が、また、すべて人工知能に送られます。

ビッグデータと人工知能を握る人が消費者を支配する。

 

 

極端な話ですが、可能性は皆無ではありません。

 

 

今その市場に着々と取り組んでいるのがIBM。

 

アップルはIBMと組んでいます。

 

グーグル、マイクロソフトはどう動くか?

アマゾンはどう動くか?

ソフトバンクや華為はどう動くか?

 

 

 

モバイル市場は

ソフトであり、ハードであり、

BtoBであり、BtoCであり、

売買であり、使用許諾であり、

現実であり、空想であり、

提供者であり、利用者であり、

芸術であり、ビジネスであり、

プロであり、素人であり、

ドメスティックであり、グローバルであり、

パーソナルであり、シェアであり、

無料であり、有料であり、

現代であり、未来です。

 

こんな事例は、今までありません。

 

しかし、iPhone7の打ち出し方は、それが一つの完成形を迎えることを予言しています。

「規模の経済」という言葉があるとおり、

どこかのメーカーが、この完成形に近づきつつあるモバイル市場を支配します。

 

どんな未来が待っているのでしょうか?

2016-09-11 | Posted in BlogNo Comments » 

 

学ぶ喜び - pleasure of interest –

「俺がお前の目になる」

子供の頃、私の視力が矯正できないと医師に言われた時に父から言われた言葉です。

実際のところ、私は覚えていません。

母から聞いて、父がこう言っていたことを知りました。

 

覚えているのは、私が生まれて初めて、普通の人と見える景色が違うと知った時。

まだ幼稚園にも入っていない時か、それとも幼稚園に入ったばかりの時か?

コンセントの穴をものすごい覗き込んでいて、母がざわついていたのか、

母に怒られたのか、そのあたりは覚えていないのですが、子供ながらに、

そのコンセントの穴をきっかけに、自分の視力が極めて弱いことを知りました。

 

ある日、猛烈な訓練が始まりました。

小学校に入ったばかりだったと思います。もしかしたら入る前か?

外を見て、何かの機械を覗き込んで、毎日カシャーン、カシャーンと何かが機械の中で動きます。

毎日何回も何回もその機械を覗き込みました。

今でも、そんな治療法があるのか知りません。

毎日それがいやでいやで、泣きながら機械を覗き込んだことを覚えています。

 

その訓練が良かったのか、それともそんなことは関係ないのか、それも知りません。

しかし、覚えているのは、メガネをかけた時に、明るくて、何もかもが違って怖かったこと。

メガネをすぐに外して、またすぐにかけたこと。

それをきっかけに、毎日ものすごく嫌だった、機械のカシャーンがなくなったこと。

今思えば、あの機械には何も医学的な意味はなく、

ただ、私に「いつか見えるようになる」と信じ込ませるためのものだったのではないかという気がします。

しかし、実際に目は見えるようになりました。もちろんその後もいろいろあったし、

これからも見え続けるかどうかはわかりませんが、少なくとも40歳になった今も見えています。

 

パーッと明るくなった時の景色は、今でも鮮明に覚えています。

明るくなった時の恐怖は、父と母の喜びのために一瞬で消えました。

 

小学校の担任の先生が、クラス全員の前に私を連れて行って、

「今日からまきのくんがメガネをかけます。

絶対にメガネとか言っていじめたりしないように。そんなことをしたら先生が許しません。」

といってくれたことを覚えています。

 

それから何もかも変わり始めました。

何をやってもダメだったのが、人並みにいろんなことができるようになりました。

頭のスピードは普通の人よりかなり遅かったですが、学ぶ喜びを知りました。

なんでも知りたい。自分が頭のスピードが遅いことを知ったから、努力することを身につけました。

 

 

誰も、メガネを理由に私をいじめることはありませんでした。

むしろメガネは私のトレードマーク。友達はそれから増えました。

 

「奇跡のひと マリーとマルグリット」を見てそんなことを思い出しました。

目が見えず、耳が聞こえないマリーが、ナイフという言葉を覚えてから、奇跡が始まります。

マリーはその後生涯をかけてシスターとして不自由をもって生まれた子供達の教育に取り組みます。

 

マリー・ウルタンは、ヘレン・ケラーほどは有名ではありません。

ヘレン・ケラーの家が裕福だった一方で、マリー・ウルタンが生涯を過ごしたのが修道院だったこと

という、社会的な背景が少なからず影響があるでしょう。

 

ヘレン・ケラーは世界中を回って、不自由を持つ子供達に勇気を与えました。

マリー・ウルタンは、ヘレン・ケラーのように世界中を回ることはありませんでしたが、

マリーもまたヘレン・ケラー同様生涯勉強を続けました。

 

そしてマリーに命をかけて知を教えたシスター・マルグリッドと、

シスター・マルグリッドから知を教わり、そして知を知らない子供達に知を教えたマリーが共に生涯を過ごした

ラルネイ聖母学院は今も存在していて、今も耳が不自由な人たちへの教育を続けています。

 

生きる喜び。それは死を受け入れた時に初めてわかることかも知れない永遠のテーマです。

死を受け入れた時に、自分は幸せだったか、と振り返ることになると思います。

その時に、「自分が幸せだったかどうか」、には、必ず、

「自分自身が幸せだったか」と「人を幸せにすることができたか」が含まれます。

 

人を幸せにすることができた人は、絶対に、自分自身が幸せだったと思うでしょう。

人を幸せにすることができなかった人は、どれだけの富と名声を手に入れても、

死に直面した時に、「自分が幸せだったか?」とクエスチョンマークがつくでしょう。

 

幸せとは与えること。

与えるためには、知らなければなりません。

だから、人は、知った時に、喜びを感じる化学物質がでるように作られているのだと思います。

そして人は成長する。知を求め続ける。

知を得た人は、得た分だけ、与える事ができる。

 

喜びとは知る事。

 

父が「俺がお前の目になる」って言ったのは、そういう事なんじゃないかな。

私が自ら知を知るようになるまでは、目になるが、父としての役割。

 

父が他界して20年が経ちます。

10年も経たないうちに、父が亡くなった時の年齢に私自身がなります。

 

子供達は立派に大きくなりました。

私が生涯をかけて大切にしなければならない人は、今も、障害者のために毎日働いています。

 

ようやく、自分が何をしなければならないのか、少しだけ分かったような気がします。

 

 

 

 

2016-09-04 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Leadership

ある能力の高い人がいます。Aさんとします。

Aさんは、一人で、普通の人の2倍も3倍も働きます。

この能力の高いAさんと一緒に働くと、みんな、敵わないなあって、思います。

 

ある能力の低い人がいます。Bさんとします。

Bさんは、普通の人の2分の1か、3分の1くらいしか働きません。

この能力の低いBさんと一緒に働くと、みんな、大丈夫か?って思います。

 

チームである仕事に取り組みます。

AさんとBさんが、それぞれ異なるチームをリーダーとして束ねることになりました。

能力の高いAさんのチームはAさんに頼りました。

能力の低いBさんのチームはなんとかBさんを支えなきゃって動きました。

どちらが、チームとして力を発揮するでしょうか?

 

能力の高いAさんは、チームメンバーに、「俺の言う通りにしろ」と指示します。

能力の低いBさんは、チームメンバーに、「これをみんなでゴールにして目指そう。あとはよろしく」と指示します。

どちらが、チームとして力を発揮するでしょうか?

 

リーダーシップとマネジメントは違うと言われます。

リーダーシップには、背中で見せる部分も必要と言われることもあります。

 

そうかも知れません。

でも、リーダーシップを発揮するのに、自分の能力が高い必要はないと思います。

能力が低くても、道を示すことができ、メンバーをとことん信じ抜くことができれば、

それは組織を成功に導くことができるリーダーとして、十分な条件を備えていると思います。

 

一方、マネージャーっていうのは、一つのスキルだと思います。

マーケティングと一緒で、セオリーを学んでノウハウを積み重ねていく。

どうすれば組織が動くか、ポイントを掴んでいるのがマネージャーだと思います。

スポーツの監督と一緒。

 

組織で動くのならば、一流のリーダーであるべきか、一流のマネージャーであるべきか?

まずは、一流のリーダーであって、それにプラスアルファで、一流のマネージャーだと望ましいと思います。

一流のリーダーは「メンバーを信じて任せきる」ことが重要なので、

必然的にマネジメントの勉強を必死になって行うことになるでしょう。

 

一流のリーダーになりたいならば、

「俺の言う通りにしろ」とか

「お前には任せておけん」とか

「そんなこともできんのか」とか、

「なんでこんなことになったんだ」とか、

そういったことだけは、言ってはいけないと思います。

 

リーダーが、「あとはよろしく」って言って、

リーダーよりも優秀なメンバーが、必死になって動いてくれる。

リーダーは、ピンチになった時に、逃げずに食らいつく。

リーダーが諦めない限りは、メンバーは誰も諦めない。

こんな組織ができれば、最強だと思います。

2016-08-15 | Posted in BlogNo Comments » 

 

アリとキリギリス - The ant and Grasshopper –

昨日は大恩人と鰻を食べに行きました。

 

そこで教えていただいたのが、アリとキリギリスの話。

 

キリギリスは欲しい時に欲しいものを買う。

アリは欲しいものを我慢して貯金する。

 

アリはいつになったら、欲しいものを買うのか?

ずっと貯め続けるのか?

貯め続けて、これ以上貯められないほど貯まってしまったら、アリはどうするのか?

 

キリギリスは、遊ぶことが一番大事。

欲しいものは手に入れる。

 

食べるものがなくなって、遊ぶことができなくなったら、キリギリスはどうするのか?

 

これが、大恩人が私に教えてくれた話。

 

 

私は、どんな時でも、常にヒマしています。

 

友達に囲まれて、ワイワイガヤガヤは、いつも最初のクラス替えの時だけ。

1ヶ月もすれば、いつもどおり、ずっとひとりぼっち。

 

ただ、たまに、遊び相手がいなくて、困っている人がいて、

その場に、いつもどおりヒマしている私がいます。

 

そんな時は、

こいつしか、いかないか、じゃ、いいや、またの機会にしよう。

って思われる時と、

こいつしかいないか、じゃ、仕方ないな、こいつと話するか。

って思われる時の2パターン。

 

「じゃいいや」って思われるのが普通です。

だから、「じゃ、仕方ないな」って思われて、相手をしてもらった時など、実は、大喜び。

そして調子にのってしまって、失敗する。

 

その繰り返し。

 

多くの人は、最初は、一人ぼっちでいる私を見て、

もしかして可哀想な人なんじゃないか?

って思って声をかけてくれる。

 

そんな時は、実は「じゃ、仕方ないな」って思われた時よりも、ずっと、心の底から嬉しいのですが、

この場合は、なぜか情けを受けたようで、

「うるさいな、ほっとけよ」

と言ってしまう。

言ってしまって後悔するのですが、でも毎回言ってしまう。

 

生まれてから、40年経っても、ずっとこのポジションは変わりません。

 

ただ、そんな自分が好きだったりする。

 

そして、そんな私のことを理解して、ずっと付き合ってくれる友人もいる。

そんな友人から「みんな忙しくて、ヒマそうなのはお前しかいなかったから」

と言われて、呼ばれた時には、たとえ南極だろうと、飛んでいくでしょう。

 

 

まわりからどう思われようと、ありのままの自分が、一番落ち着くし、背伸びもしていないので、疲れません。

人には人の落ち着く姿があり、そこを早く発見することが健康で幸せに生きる最大のポイントだと思います。

 

 

アリは、働くだけ働いて、好きなものを手に入れらない自分が好き。

キリギリスは、蓄えがなくても、好きな時に、好きなことをするのが好き。

アリに、キリギリスのようになれって言ってもなれないし、

キリギリスに、アリのようになれって言ってもなれません。

 

だったら、アリは蓄えた分をキリギリスに与え、

キリギリスはアリが働きすぎて倒れないように、

たまに一緒に遊んであげるのが一番いいでしょう。

 

そうすれば、アリは、ただ蓄えるためだけに働くのではなく、

キリギリスに喜んでもらうために働きます。

キリギリスは、さらに好きなことができ、

アリに対して、もっといろんなことができます。

 

全く違う人同士が、

自分の個性を、お互いの良さを知った上で、

助け合ったとき、

それを仲間というのでしょう。

 

どっちが優れているとか、考えるのは、

時間の無駄。

自分だけ得しようと考えると、

仲間が損して、

当たり前ですが、その結果として、

自分も損することになります。

 

自分を尊重。

仲間を尊重。

 

アリだろうと、キリギリスだろうと、

どっちがいいとか、どっちが正しいとかではなく、

自分は何をするのが好きで、

何をしていれば落ち着いて、

自分が楽しく過ごし、

周りが楽しく過ごすためには、

自分には何ができるかな、って

 

そう考えることが、春夏秋冬を楽しく過ごすコツだと思います。

 

 

 

2016-07-31 | Posted in BlogNo Comments » 

 

おとぎ話 - fairy tale –

正義は必ず勝つと信じられるか、信じられないか?

 

本当に信じられる人は、その経験をした人だけだと思います。

逆に悪いことすれば儲かるという小さな経験をしてしまった人は、

正義は必ず勝つという普遍的な事実をだんだん受け入れられなくなってきます。

 

経験のない子供に、「正しいことをする」ということを教えることはとても重要。

 

今思えば、そのことに、桃太郎やカチカチ山や花咲か爺さんなどの昔話が

とても大きな影響をしているなあと思います。

 

もしこれらの物語が、悪者が勝っていたら、子供たちは

悪者になろうとするかも知れません。

 

海外にもイソップ物語、グリム童話などがあります。

グリム童話は昔読んで怖かった記憶がありますが、やはり名作だから語り継がれているのでしょう。

 

少し成長すると、現実を見るようになります。

現実に近いけど、少しおとぎ話。

私の場合は、ミヒャエル・エンデやリンドグレーン、あとキャプテン翼が好きでした。

 

年をとると、自分の力には限界があることを否が応でも知ることになり、

だんだんおとぎ話の世界に関心を示さなくなっていってしまいます。

これが大人になるということ。

でも子供の時に、子供の心で受け入れたおとぎ話は、ずっと残っています。

正義は必ず勝つと。

 

おとぎ話は、名曲と同じように、作者の「伝えたい」という魂が、

人の心の中にそれぞれの形で受け入れられていると思います。

 

たくさんのおとぎ話が、たくさんの心の中で、共鳴しあっている。

地球の裏側で、昔同じイソップ物語を読んだ人が、

今、アメリカ大統領選の二人の候補者の演説を聞いて、

もしかしたら、まったく同じことを考えているかも知れません。

 

人間って、ほんとうに、すてきだな、と思います。

 

 

 

2016-07-30 | Posted in BlogNo Comments » 

 

万物は流転する - Tout écoule –

神聖ローマ帝国皇帝のハインリッヒ4世はローマ教皇グレゴリウス7世に破門され、

雪の積もった城門で3日間、裸足のまま、破門を解かれるまで祈りを続けました。

これが、カノッサの屈辱

 

その後に登場した修道士ルターは、ローマ教会から破門されても、

教会ではなく聖書に従うとして反撃。

ルターの活動は宗教改革としてヨーロッパ全域に広がります。

 

 

フランスで絶対王政を享受し、ベルサイユ宮殿を建設したルイ14世は、

プロテスタントが信仰を理由して迫害されないことを約束した「ナントの勅令」を廃止。

その結果、商工業を営んでいたユグノー(プロテスタント)の国外流出が加速します。

 

聖職者、貴族、その他という三つの身分に分けて、

聖職者と貴族のみで決定する三部会という議会がルイ16世によって招集され、

商工業を営んでいた人たちの反発を招きます。

 

そしてフランス革命につながります。

 

 

毛沢東は、日本軍、そしてその後は、国民党政権に反感を抱く貧しい農村部の支持を得て、

共産党の勢力を拡大させ、中華人民共和国を設立します。

一方、蒋介石は国共内戦に敗れ、台湾に行きますが、台湾でも二.二八事件で

抗議デモを武力で徹底弾圧するなど、台湾全土に戒厳令をしきます。

総統になってわずか1年で反発を買い辞任。

 

 

チェコスロバキアのドプチェク大統領は、プラハの春をおこしますが、

ソ連の軍隊によって追放されます。

しかしその後、ビロード革命を発端として民主化革命がおき、

それをきっかけに東ヨーロッパ全域で民主化の流れが起こります。

 

そして、中東および北部アフリカの軍事政権に反発して起こったアラブの春。

 

 

 

時代は常に、支配するものに反発する民衆によって、大きな変化が起こります。

 

支配するものがいて、反発する民衆が革命を起こし、民主化する。

民主化後は、新しい秩序が支配します。

その支配もまた、反発するものによって、いつか変化します。

 

東西ヨーロッパが統一され、その後EUが発足します。

しかし、合議体であったはずのEUは、いつの間にか、

ベルリンがヨーロッパの政策を決定しています。

 

それに反発した英国がEUを離脱。

 

 

国際司法裁判所の決定に従わない中国。

アジアにおける中国のプレゼンスに反発するベトナム、フィリピン。

一方で着実に力をつけるインド。

 

元寇は神風と武士の団結、そして南宋の協力によって防がれます。

 

その後起こった室町幕府。

足利義満は日本では金閣寺を建設するなど栄華を極めました。

明とは朝貢貿易を行います。

足利義満が明の皇帝が暦を与えられるということは、明への服属を意味しました。

 

 

 

万物は流転する。

 

支配と従属も流転。

支配も秩序も、必ずいつか終わりを迎えることは確実。

世の中には絶対などないことも確実。

人はいつか死を迎えなければならないことも確実。

 

今ある時は、1分も1秒もすべて、流転の中の一つのプロセスです。

一つ一つのプロセスが結果を作り、

そのプロセスは一人一人によって、成り立ちます。

 

 

選挙の一票。

日々の仕事。

今日出会った人。

今から食べる食事。

 

 

それぞれ全部流動的ですが、それぞれ全部、世の中を作っている大事なプロセスの一つで、

それが、グローバルでの大きな流れを作り出します。

 

そして、ITの発展は、そのスピードを凄まじく早めました。

 

昔から、「一寸先は闇」という言葉があります。

 

 

とりあえず最優先は、「今から食べる食事」を、大切にすることかな、と思います。

「今から食べる食事」がすさまじいスピードで「一票」になり、政治になり、地球になっていくのだと思います。

 

 

 

 

2016-07-24 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Health Care

ポケモン GOの大ヒット。

しかし、ポケモンGOがヘルスケアを目的にしているとは全く想像しませんでした。

 

WII FITがゲーム感覚で健康に良い運動を実現することは納得いきます。

あくまで目的が運動なので。

しかし、ポケモンGOはあくまでゲームを目的としたゲームです。

 

ゲームに熱中した結果、健康になる。

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よくリアルとバーチャルの融合と言われますが、

バーチャルの世界が広がっていくことに対して、危機感を抱く人は少なからずいます。

 

しかし、それが、遊びのためのバーチャルではなく、健康のためという大義名分があれば、

バーチャルも受け入れるようになっていくでしょう。

 

ブルース・マズリッシュ著 『第四の境界』に

「空想であれ野望であれ、人間と自動人形とを同一視するそうした考えは、少なくとも過去数千年間、人間の想像力にとりついてきた」

 

とあります。

 

私の世代は、ドラえもんを見て育ちました。機械が叶えてくれる人間の希望。

人間は本質的に、自分が実現したいものを実現する機械を生み出し、そしてそれに頼る性質を備えているのでしょう。

 

ポケモンGOは、人々の欲望を、健康という大義名分に置き換えてくれる「機械」かもしれません。

 

一方で今、世界的にHealth Careの重要性が注目されています。

かつては腹が減っていた人たちが、腹がいっぱいになると、それはそれで、病気という新たな恐怖に気がつきます。

空腹は、死という大きなテーマを目の前に突きつけてきましたが、腹がいっぱいになると、

死という大きなテーマを忘れてしまい、逆に病気が少しづつ人間の健康を蝕んてゆきます。

 

これからは、あらゆる消費財が、クウォリティではなくアウトカムが求められるようになるでしょう。

これを使うと健康になる。

これを使うと環境にいい。

これを使うと格差が是正されるなど。

 

ポケモンGOは、「これを使うと健康になる」のアウトカム。

人々の希望を叶える自動人形。

 

う〜ん。

 

ポケモンGOの大ヒットは、何か、もっと大きな意味を持っているような気がします。

まだよく理解できないので、引き続き考えてみます。

2016-07-23 | Posted in BlogNo Comments » 

 

BOP

トニー・ガトリフ監督の”MONDO”

 

ひとりぼっちの少年の物語です。

自分のルーツも知らない、家もない、何ももたないひとりの少年。

 

道の芸人、移民、郵便配達員、釣り人、パン屋。

地域で必死になって生きる人、社会的に決して恵まれていない人たちと

交流しながら、与えられながら、生きています。

 

一方で街の治安のために、少年を捕まえて保護観察下に置こうとする、

権力者達。

 

少年に出会う時、少年を受け入れる時、少年と過ごす時、少年が去る時を、

素晴らしい景色の描写とともにストーリーが作られています。

 

舞台はニース。

 

悲惨が事件があった舞台です。

 

倒れている少年を素通りする、毛皮のコートを着た人たち。

1995年のこの映画は、すでにこの社会の矛盾を描写していました。

 

日本だって同じです。

 

裕福な人は、貧困な人に手を差しのばそうとしません。

貧困な人に手を差しのばすのは、常に貧困な人。

裕福な人の方が力があるのに、裕福な人にはそれができない。

まるで、自分がそっち側の人間ではないというような境界線を作っているようです。

 

C.K.プラハラードがネクスト・マーケットでBOPビジネスを提唱し、脚光を浴びたのが2005年。

そしてグラミン銀行の創始者ムハマド・ユヌス氏がノーベル賞を受賞したのが2006年。

 

BoPが、Bottom of Pyramidではなく、Base of Pyramidと言われるようになり、

社会の底辺という考え方から社会を支える人たちという表現になったのは歓迎すべきことです。

 

しかし、10年たって、この格差という社会問題はまだ解決されていません。

 

ムハマド・ユヌス氏の言葉

 

「利益と人間のニーズが対立すれば、勝つのはたいてい利益の方だ。人間のニーズは二の次にされてしまうのだ」

 

資本主義は、今も利益の最大化を目指しています。

 

利益の最大化がうむのは常に格差。

資源は限られているので、この構造は絶対に変わりません。

 

裕福な人は、いつまでたっても少年”MONDO”の前を素通りし続けます。

 

利益が好きな人は、少年”MONDO”の前を素通りしているから、金持ちのままです。

自分の利益よりも、思いやりの方が大事な人は、少年”MONDO”に字を教えます、パンを与えます、芸を教えます。

大事なのは心で、利益じゃないから貧乏なまま。

でも、心は”MONDO”によって満たされます。

 

限られた資源の中で配分される富は、利益を求める人のところに集まり続けます。

 

ムハマド・ユヌスに共感するのは、本の中でだけ。

本の中で共感しても、やっぱり3万円の万年筆が欲しいから、3万円を貧しい人に配分しようとしない。

行動変容にはつながりません。

 

もうすぐオリンピックが始まります。

何も持たない、実力だけが勝敗を決する。

実力は、努力によってつくられる。

だから、人は、美しいと思います。

 

その裏でうごくお金。

勝者と敗者の天国と地獄。

 

常に表と裏があるのが人間。

 

この表と裏のバランスをとるのは、ビジネスか、それとも思いやりか?

 

”MONDO”は釣り人に字を教わります。

”MONDO”のOは月。

Nは、「おいで」といっている人。

少年”MONDO”は自分の名前に月が2つあるので喜びます。

 

 

日本人は昔から、月を見て喜びます。

いとおかし。

 

ウルグアイにムヒカ大統領がいるならば、日本には石川五右衛門がいました。

 

日本人は、資本主義でも、  IFARSでも、日米安保でも、TPPでも、

そんなことは全く関係なしに、

日本人だからという理由だけで、

誰一人”MONDO”の前を通り過ぎない人に、戻れる可能性があると信じています。

2016-07-17 | Posted in BlogNo Comments » 

 

排他 – exclusive-

「絶対に人を排除するな」

 

私の大恩人であるザンビアのタクシー運転手アンドリューの言葉です。

 

イギリスのEUからの離脱に賛成した地域の特徴は、移民が少ない地域。

移民の多い地域は、残留に票を投じたそうです。

移民の影響を受けているのは当然移民の多い地域。

つまり、移民の影響を受けていない地域が、移民の影響を恐れて離脱に票を投じたということになります。

 

 

そして、イギリスがEUからの離脱を決めてからは、

今度は移民ではなく、

イギリス国民同士がお互いを攻め合っています。

移民とEUとは関係ないので、扇動されたということも言われています。

本当は EU離脱は望ましくないのに、自分がEU離脱に票を投じたのは、誰々のせいだと。

 

つまり、一票の重みに対する無責任な考え方。

 

危ないのは、EU離脱という事実そのものよりも、このこと。

自分を守り、他人を排除する。

それを、身近になった情報媒体で発信して、

さらに溝を深めていく。

スピードの速い時代、情報伝達の境目がない時代だからこそ、

溝の深まるスピードは従来とは比べものになりません。

 

相手を排除すると、今度は相手から排除されることになります。

 

でも、グローバリゼーションの流れは止められません。

いくら排除しようとしても、どんどん新しい風は吹く。

いくら壁を高くしても、壁はどんどん乗り越えられていきます。

これが、時代。

 

人は移動する生き物。

人は一人では生きられない。

人は愛し合う生き物。

だから、常に、違う文化同士は衝突して、そして最後に融合します。

 

私は小学生の頃、転校しましたが、

転校すると、自分が一人に対して、

相手は多数。

転校したばかりの時は、自分は弱者、みんなが強者。

幸いみんなが受け入れてくれたので良かったのですが、

もし排除されていたらどうだったかと思うとぞっとします。

 

 

グローバリゼーションでは、強者と弱者のコミュニケーションの連続です。

移民は最初は必ず弱者。

弱者が強者を排除していると、いつまでたっても閉鎖的なままです。

 

でもあたらしい情報や新しい考え方が入ってこない限り、成長は見込めません。

そして弱者と強者の立場は、その区別がある限りは必ずいつか、入れ替わります。

弱者を排除してきた強者は、自分が弱者になった時、受け入れてもらうための術を知りません。

だから、人間はみんな、お互いを排除せず、受け入れ、お互いを尊重していかなければならない。

 

 

変わらなければならないものと、変わってはいけないもの。

日本語などは変わってはいけないでしょう。

歴史が作り、守ってきたもの。

でも日本=日本人=日本語をしゃべる人という考え方は、変わっても良いものだと思います。

日本語を守るという気持ちさえ変わらなければ。

 

排他っていうのは、根本的には、自分だけがよければよいという考え方です。

 

グローバリゼーションが進めば進むほど、強者は自分の立場を守るために排他の考えを持つでしょう。

でも地球は一つです。

みんな地球の住民です。

 

小学校と同じ。

排他している限りは、地球に輝かしい未来はありません。

 

2016-07-16 | Posted in BlogNo Comments » 

 

証明 - proof-

出会いが人生をつくります。

出会から新しい夢が始まります。

 

出会いを証明できるのは、自分と相手だけです。

一人と一人が出会って、一人は出会ったと言って、もう一人は出会ってなかったと言ったら、

その二人は出会ったのか、出会わなかったのか?

 

出会ったという事実は、その人次第。

でも出会ってなかったと相手が言ったら、自分以外誰もその出会いを証明することができません。

 

都会では、毎日たくさんの人の顔を見ます。

それらの人と出会ったのか、出会わなかったのか?

それは巡り合わせ以外の何物でもありません。

 

地方に行くと、全く人がいない場所があります。

そこで、偶然人に出会うと、それは間違いなく出会いでしょう。

それは喜び以外の何物でもありません。

 

出会いは運命か、見つけるものか、求めるものか?

そこに答えはありません。

しかし、出会いの証明は、パチっと写真にとって、SNSに投稿することにより証明するものではなく、

出会った相手と自分の心と心で、証明しあうもの。

 

出会ったのか、出会わなかったのか、言ったのか言わなかったのか?

出会いには必ず別れがあります。

 

相手は出会ったと言わなかったとしても、自分には大切な人ってことはたくさんあります。

いつも、自分の心の証明を、大事にしていきたいと思います。

2016-07-09 | Posted in BlogNo Comments » 

 

生き方 - up to you-

剣豪そして才能豊かな詩人。自分を慕う友人達に囲まれ、自由・勇敢に生き、

そして醜い鼻をもつシラノ・ド・ベルジュラック。

 

ジェラール・ドパルデュー演じるシラノ・ド・ベルジェラックを見て、

最高の生き方・最高の死に方だと思ったのは、私だけではないと思います。

 

人は才能をもって生まれてきています。

才能は千差万別。

しかし必ず生まれてきた意味があり、そして公平になっている。

 

お金を極端に求める人は、お金持ちになります。

成功を極端に求める人は、成功します。

そして世の中の多くの人は、愛のために生き、愛のために死にたいと思い、

事実、そういった最高の人生をおくる人もいれば、おくれない人もいる。

 

才能は、生まれ持ったものですが、生き方は自分が決めるもの。

お金を求めるのも、地位や名誉を求めるのも生き方。

お金を捨てるのも、地位や名誉を捨てるのも生き方。

 

ただ、生きていると、出会いがあり、別れがあり、

そして自ら選択しなければならないときがあります。

これが経験と呼ばれているものだと思います。

 

かつて、経験は、現在でしたが、技術が進むとともに、

経験とは現在と過去を表すようになりました。

自分が何ができ、何ができるか、が生き方ではなく、

自分が何をしてきたか、が生き方を形作ってしまう。

 

しかし、そんなものは、まやかしです。過去に縛られるのはまったくもって残念。

学歴とか履歴書などは、自分の都合のよい世界を作ろうとして、できないというジレンマを抱えている人たちが押し付けているだけのこと。

 

自分は今の自分でしかなく、生き方は毎日、毎時間、毎分毎秒、自分で決める事。

 

過去の自分に縛られる必要は全くありません。

柳井正さんの「成功は1日で捨て去れ」という本の題名は名フレーズだと思います。

 

過去の経験が、自分の生き方に大きく影響するのは、事実ではなく自信。

42.195km走った人と走ったことがない人の違いは、自分が走る事ができるということを経験しているかどうか?

 

人は、いつ生き方を決めるか?

それは、自分の意識ではなく、何かの導きであり、その導きの先には自分の役割があります。

 

常に正しい選択をするためには、勉強するしかありません。

成功したくて成功をしていることと、成功しているのに、成功したと思っていないことは、常にイコールだと思います。

誤った選択をしてしまったことも、実は正解だったりする。

 

シラノ・ド・ベルジェラックは、ただ愛のために生きたかっただけなのだと思います。

 

愛のために生きたくない人がいるでしょうか?

愛のために死にたくない人がいるでしょうか?

 

お金も地位も名誉も愛にはかないません。

自由は一番難しく、一番尊い。

たとえ自由でも、愛を手にいれることは叶わない。

なぜなら人は一人では生きられないから。

 

生き方

 

なんて複雑で、なんてシンプルなんでしょう。

 

2016-07-03 | Posted in BlogNo Comments » 

 

世界恐慌 -global depression-

イギリスのEU離脱の日本にとっての最大の問題は円高ではありません。

世界中で国債を売る動きに繋がること。

 

すでに多くの先進国が史上最低の金利です。

つまり、国債の価格が非常に高い状態。

溢れるマネーがリスク資産に向かわずに安全資産である先進国の国債に向かってきました。

 

しかし、国債が安全資産でなくなったら、莫大なお金が国債から離れます。

もし少しでもこういった動きが現れると、一番危ないのが日本。

 

日銀が国債を買い支えられなくなると、一斉に国債の値崩れがおきます。

マイナス金利から一転、長期金利の暴騰がはじまります。

そうなると、日本の財政は国債の利息が払えなくなります。

 

日本の債務残高は、すでにGDPで232%。

こんな先進国はどこにもありません。

 

2001年の144%でも、異常と言われていましたが、

アベノミクスで借金をしまくったので、2016年にはこんな前代未聞の数字となりました。

ギリシャよりもはるかに多い。

日本と産業構造が似ているドイツが債務のGDP比75%であることを考えると、

いかに政策がアクセルを踏みまくってきたかがわかります。

 

ちなみにイギリスは115%。

イギリスがEUから離脱するならば、イギリスの国債は売りでしょう。

じゃ、イギリスよりもはるかに大きい債務を抱えている日本は?

 

こんな発想になったら、アウトです。

 

国債を世界中が一斉に売ると、国債は暴落します。

 

 

もちろん、国債が売られれば、一斉に住宅ローン金利があがります。

さらに設備投資にも資金がまわりません。

第三の矢である成長戦略は実行できません。アベノミクスは崩壊です。

 

国債を売って得たキャッシュが向かう先は株もダメ、オイルもダメ。

じゃあ、金(Gold) しかありません。

金(Gold)は高騰するでしょう。大いに結構。金本位制に戻れば貨幣経済は正常化するでしょう。

 

しかし、金が貨幣価値をさだめるようになるということは、同時に物価もあがることを導くかもしれません。

投資が活性化せず、賃金もあがらないのに物価はあがる。最悪のシナリオです。

まず上がるのは食料品でしょう。

 

食料品があがると、生活できない人が出てきます。

 

こんな世界恐慌を日本は高齢化社会で迎えることになります。

 

 

世界中で「国債を売らない」という動きをどうやって実現するか?

 

それが、今の日本がやらなきゃいけないことだと思います。

 

来週前半が勝負でしょう。

 

できると信じています。

2016-06-26 | Posted in BlogNo Comments » 

 

仕事と労働 – Job and Work –

人は生きるために働くのか、仕事をするために働くのか?

お金という概念が、この考え方を難しくしました。

 

かつては、皆、生きるために働きました。

しかし、今、多くの人が、お金を稼ぐために働いています。

 

しかし、資本主義のもとでは、富の配分は公平ではありません。

100の労働をして、10の対価を得る人もいれば10の労働をして100の対価を得る人もいます。

10の労働をして100の対価を得る人は、今度は1の労働で1000の対価を得るようになります。

そうすると、1000の労働をして1の対価しか得られない人が出てくる。

 

1000の労働をして1の対価しか得られない人は、

生きるために働くというよりも、だんだん、1の労働で1000の対価を得る人のために働くようになってきます。

これが、支配。

 

実はその支配から飛び出せばよいだけなのですが、資本主義がつくった秩序のために、

飛び出しても同じ結果となります。

 

みんな、この異常な事実を知っている。

でも、自分が1000の労働をして1の対価しか得られない人にはなりたくないので、

いろんなことを見ないふりをして

100の労働をして10の対価を得る立場に落ち着こうとします。

 

100の労働をして10の対価を得る立場も、1000の労働をして1の対価を得る立場も、

生きるための労働ではなく、仕事のための労働。

仕事とは、1の労働で1000の対価を得る人のためのもの。

 

さて、ここで重要なのは、100とか1000とか働いて、

10とか1とかの対価しか得ていない人が、仕事が好きかどうか、ということ。

 

おそらく好きではないでしょう。

 

おそらく、ビジネスが好きって人はそんなにいないんじゃないかと思います。

子供の頃はサッカーとか野球とか、スポーツが好き。

中学、高校になると音楽が好き。

高校になるとあらゆる日本文学を読み尽くしたという豪傑も出てきます。

 

それが、なぜか、大学を出ると、ビジネス。

 

ビジネスは、仕事ではあっても労働ではありません。

ビジネスとは、ビジネスが好きな人が、1の労働で1000の対価を得ようとする仕組みのことをいいます。

 

それにあえて、みんなそろって付き合う必要はないのです。

 

重要なのは労働。

働いて、働いた内容にふさわしい対価を得る。その対価で生きる。

それが重要です。

 

働くとは、端を楽にすることと言われます。

神様は誰にでも公平に才能を与えてくれています。

 

自分にはできるけど、他の人にはできないことが、誰にだって必ずあります。

これは人間だけではありません。

あらゆる生物や細菌もそう。これが生物多様性です。

有機も無機も、すべてお互いに助け合って地球という生命体をつくっています。

 

人間の能力は月や星の位置で決まるように、地球は宇宙の中の他の惑星とも相互に影響を与えています。

人も、動物も、地球も、惑星も銀河も、何一つ画一的なものが生まれないように、宇宙が創られているのだと思います。

 

人間がそろって、ビジネスという勝手な物差しに、おさまる必要はありません。

 

だったら、今、人は何をすべきでしょうか?

Compassionです。

 

人の能力を尊重して、人の能力から自分だけが搾取することを考えるのではなく、

人の能力を生かして、よりよい世の中を作っていくように、全員が動くべきです。

 

 

すでに、いろんな人が、このCompassionを実現しています。

と、いうか、新しいビジネスは、だんだんCompassionの方に向かっています。

Facebookの「Like」もそう。

これは Compassionのマークだと思います。

 

Airbnbや UberやEtsyも、Compassionの一つだと思います。

ITの役割は、ビジネスの創出でも富の偏在でもありません。

最適化。

 

人の能力をマッチングさせて、最適な世の中をつくることこそが、ITの役割。

 

そもそも世の中の流れなので、物事は正しい方向に向かうと思います。

しかし、資本主義は十分大きくなり、特定の人が資本主義によって力を得ました。

その力が間違った方向に向かうと、世界は混乱します。

 

ITが、間違った方向に行かないためには、アジア的な考え方が必要だと思います。

富が人を支配するのではなく、徳が人を導く。

 

みんな、金儲けが好きな人などほっておいて、正しい方向に向かって、

自分の能力をどうやって生かすかを、考えてほしいな、と思います。

2016-06-26 | Posted in BlogNo Comments » 

 

思いやり主義 - Compassionism –

英国がEUを離脱するか、しないか、まさに今それが決定しようとしています。

これを、トリガーと呼ぶのでしょう。

 

引き金を引くと、パタンパタンといろんなものが変わる。

変革には、必ずきっかけがあります。

 

かつてはサラエボが火薬庫と言われました。

 

資本主義は西洋で生まれました。歴史的には世界で影響力をもった時間は西洋よりも東洋の方が圧倒的に長かったにも関わらず、

イギリスで複数個所で偶発的に起こった産業革命が、世界の構図を変えました。

 

この「金」と「秩序」を重視する資本主義の考え方は、西洋自身の手によってまた変わらなければなりません。

そうでなければ都市化はますます進み、格差はますます広がり、地球環境はますます破壊されます。

 

人がいるところに行けば、ビジネスができ、ビジネスができるところに住む。

だから都市化は進み、地方は都市のエネルギーや食糧を賄うために、食料を大量生産したり、

原発で発電したりする。

 

貧しい地方に付加がかかり、人はますます貧しくなり、そして大量に生産する食糧のために大量に水を使い、

地盤沈下する。そのうち水は枯渇する。

 

これが世界中で起こっている、資本主義の帰結の姿です。

 

市場原理は素晴らしい。

海水淡水化プラントのように、人類の永遠の課題を、市場原理は実現させました。

太陽光や風力発電だって市場原理のおかげですし、地熱発電だって、市場原理の貢献なくしては成り立たなかったでしょう。

 

しかし、太陽光の普及は、市場原理だけではありません。

政府が多額の補助金を出したのが大きい。

そして、太陽光を指示する人達の多くが、市場原理だけでなく、自らも地球環境破壊の流れを食い止めるために、

何かしら貢献したいという気持ちを持っています。

 

資本主義は間もなく称賛されなくなるでしょう。

リーマンショックが余震ならば、これから本震がやってくると思います。

これだけ膨らんだんだから、ソフトランディングなんてありえない。

 

次にやってくるのは、東洋の秩序だと思います。

これは歴史の流れを見ると、必然かと思います。

 

どんな世界になるかわかりません。

でも私がなってほしいと思うのは、私の大好きなダライ・ラマの

Compassion and Indivisual

Compassionは日本語にすると、同情ということになるようですが、

あえて日本人が日本語に直すと、「思いやり」だと思います。

 

Compassionで今の地球上の問題は解決に向かうと信じています。

Capitalism の次は、Compassionismとでも言われるような、そんな世界になってほしい、

いやしなければ、と思います。

 

2016-06-24 | Posted in BlogNo Comments » 

 

爆買い - dynamic shopping –

中国人が日本で爆買いをしています。

日本の製品が良いと、わざわざ日本まで来て爆買いしてくれるのは嬉しい限りです。

 

しかし、中国人が爆買いしているのは、日本でだけではありません。

世界中です。

しかも、観光客向けの製品ではなくきちんと良い製品をあらかじめ調べていて、それを買うそうです。

日本なら◯◯を買うのような感じです。

 

なぜ爆買いするか?

 

おそらく自国で販売されている製品を信用していないのではないかと思います。

海外に行って、信用のある製品を購入して、それを大切に人に送る。

 

製品のブランドだけではなく、どこで買ったか?ということも重要。

 

同じブランドでも、中国で購入した製品だと、「本物か?」と思われるのではないでしょうか?

しかも、ブランド品を中国で購入すると、日本よりも高い。

 

2009年~2013年くらいにかけて、軽工業の有名なブランドがアジア、というか世界の主力市場を

日本から中国にシフトしました。

銀座のブティックからナンジンルーやワイタン、ハイワイル―などの通りに一斉に重点戦略を移し、

実際にアルマーニやゼニアは莫大な売上を挙げました。

 

しかしリコノミクスで、共産党幹部の袖の下に統制がかかり、その一方で一般消費者の消費に日がつき、

購買ターゲットは富裕層から中間層にシフト。

 

中間層は、微信などで情報を共有する時代。

同じブランドでも、中国で買った製品が、日本で買った製品よりも、高くて質が悪かったとなれば、

じゃあ日本で買おうということになります。

 

幸い春秋航空など、中国は格安旅行に関して充実しています。

 

地球上の20%近くの人が住む中国。

中国人が一斉に、安い物、近くにある物よりも、遠くにある、本物を求めるようになっています。

 

これは、アダムスミスの神の見えざる手では説明できない現象なのではないかな、

 

と思います。

2016-06-24 | Posted in BlogNo Comments » 

 

不便  -inconvenience-

かつては紙1枚作るのに多大な工数がかかっていました。

和紙の1枚1枚の品質は気持ちいい。

手触りも、白さも、独特の重みがあります。

 

そもそも白という色は作り出すのが難しい色です。

光を100%反射させると白、100%透過させると黒。

理屈は簡単ですが、世の中にある物質で100%というのはあらゆる意味で難しい。

 

今、白色を作り出す物質は無機物である酸化チタンくらいしかありません。

しかし紙に酸化チタンを分散させていたらコストがあいません。

そこで今ある紙は、化学薬品によって、白さを作り出している。

欧米人とアジア人とでは、目の色が違うので、白の好みも、白の上にのる黒の好みも違う。

化学的な調合で微妙な色を作り出しています。

レシート、印刷物、チケットなど、毎日大量の紙が消費されます。

たくさんの木片チップが化学物質でじゃぶじゃぶに洗われて白くなります。

 

 

しかし、和紙の場合、そんな人の好みなど関係ありません。

天然の色そのまま。

 

好みとは関係ないのに、誰もがいい色と思う、これこそ本物の証だと思います。

 

和紙は、高速プリンターや印刷機には耐えられません。

和紙を使うならば、1枚1枚思いを込めて書く手書きに限る。

 

色も人の好みに合わせていなければ、用途も限定される。

そんな不便なものだけど、誰もがいいと思う。

 

昔は、一つ一つもものが、不便だったと思います。

不便なものを、知恵を絞って、大事に使う。

使っては、感謝する。

受け取った方は感動する。

 

世の中にものが溢れるようになってから、人々はより便利なものを求めるようになりました。

形状安定シャツ。

どんな化学物質が使われているのか知りませんが、アイロン不要です。

どんな化学物質が使われているのか知りませんが、とにかく真っ白。

 

化学物質の強みは、大量生産。

プリンターのトナーも大量生産。

今では釜でトナーを重合させて作っています。

 

コストは下がりますが、なんだか寂しくなります。

 

子供の頃、あまりにも字が下手だったので、

坂の上にある書道教室に通っていました。

書く時間よりも、墨をする方が時間がながい。

 

そうしている間に、心が整えられてきます。

 

だから、字は書になる。

 

便利からは、本物は生まれないのかもしれません。

もっともっと、不便な環境に身を置かなければ、本物の人間には成長できないな、と思いました。

2016-06-19 | Posted in BlogNo Comments » 

 

名前 – Name-

イチロー選手、本当に偉大です。

昔から、おごらず、威張らず、淡々と自己を磨き続けるイメージです。

 

イチロー選手の名前が定着しすぎて、もはや本名をしらない人もたくさんいるのではないでしょうか?

もしかしたら、イチローという新しい自分を作ったことが、イチロー選手が現役の第一線で活躍し続ける秘訣なのかなと思います。

 

アメリカが、なぜ超大国になったか?

それは、アメリカが、United States ではなく、United States of Americaになったからだと思います。

様々な国が集まりながらも、どの国の人たちも、自分はアメリカ人という。

 

United Kingdomの場合は、こうはいきませんでした。

日本人だって、英国人のことを、イギリス人といいます。

イングランド人は、Britishである前に、イングランド人だし、ストットランドはもっとです。

 

EUは、もっと迷走しています。 EUを作って、結局ドイツがEU域内の富を吸い上げているではないか?

とも言われます。これではいつまでたっても一つのEUにはならないでしょう。

 

United Nation、すなわち国連に至っては、戦勝国5カ国に未だに拒否権が与えられています。

これでは、いつまでたっても、Unitedにはならない。

 

そもそも、Unitedとか、Unionとか言っている時点で、バラバラの国の集まりで、一つの国ではありません。

 

世界政府を作るためにはどうしたらよいか?

 

イチローになることではないかな、と思います。

アメリカは惜しかったけど、ちょっと驕りが出てしまいました。

 

世界政府は、もともとの国の名前を忘れるような、名前がいい。

これからは、日本人ではなく、地球人です。

2016-06-17 | Posted in BlogNo Comments » 

 

マネジメント – Management-

サラリーマンで一生を過ごすならば、マネジメントは経験しておいた方がよいと思います。

大きな人数で仕事をした方が、大きな仕事ができるから。

 

芸術家や職人として一生を過ごすならば、マネジメントが必要なのかどうか分かりません。

磨き抜かれた技に対して、顧客は対価を払います。

人数が多ければ、すばらしい作品ができるとは限りません。

 

そもそも、マネジメントとは何でしょうか?

 

管理して組織の規律を保つ事。

メンバーの力を最大限に引き出す事。

目標を達成するために組織を動かす事。

組織の利害を調整すること。

 

どんな言葉をつかったとしても、しっくりいくことがありません。

なぜならば、マネジメントの対象は常に人だから。

人が、人のために行うのがマネジメント。

マネジメントする立場が、なぜマネジメントするか?

メンバー一人一人が、何を目的としてその組織に帰属しているか?

それは、あらゆる組織体において、全部ばらばらのため、マネジメントのあり方は、

当然異なるでしょう。

 

一つ共通して言える事は、メンバー一人一人を理解しないと、マネジメントはできないということ。

だから、一人で管理できる組織は150人が限界と言えます。

実際150人名前と顔が一致するだけでも結構難しい。

 

最近は、サラリーマンでも、一人一人の仕事が専門特化していて、マネジメントがより難しくなっています。

マネージャーという肩書きがついても、マネジメントを放棄している人は星の数だけあるでしょう。

 

そんな中で、すさまじいマネジメント能力を発揮している方もいます。

カルビーのCEO就任後、7年連続で最高益を更新し続けている松本会長。

 

木曜日に松本会長のご講演を聴く機会があったのですが、

すさまじい覚悟に圧倒されました。

 

これならば、メンバーは、ついていかざるを得ないだろうな、と感じました。

 

覚悟を示して、実行して、成果を残す。

 

これが、今マネージャーに求められている能力。

 

そのためには、古からの慣習も変えなければならないこともあると思います。

多くの反対意見を受けながらもやり遂げ続けなければならず、孤独だと思います。

足を引っ張る人も、たくさんいると思います。

 

 

マネジメントは人と人。

だから、スキルも、セオリーもありません。

あるのは、愛と戦いと相互理解。

 

松本会長のご講演をお聞きして、そんなことを感じました。

 

 

ポジションとか、人事権とか、過去の栄光を振りかざす日本型経営は、成り立たなくなっています。

でも日本にアメリカ型の個人の成果を重視するマネジメント手法が当てはまるとは思えません。

そもそも日本とアメリカでは労働法が全然違う。

 

きっと、日本型経営よりも、もっと前の、赤穂浪士を束ねた大石内蔵助のようなサムライ型マネジメントが求められているのではないかな、と思います。

2016-06-11 | Posted in BlogNo Comments » 

 

涙  -tear-

仕事で泣けるか?

仕事で泣いた事がある人は、一生懸命やって、何かがうまく行かなくて、悔しくて泣いた、

という経験をした人だと思います。

 

仕事で泣いた事がある人が、どれだけいるでしょうか?

 

昨日獺祭の桜井社長のご講演を聞く機会がありました。

綺麗なスーツに綺麗なネクタイ。

ピシッと伸びた背筋と動かない姿勢。

 

TEDのプレゼンも好きですが、話さなくてもピリピリと伝わってくる大和魂のプレゼンもすばらしいと思いました。

 

淡々とお話をされますが、それそれは大変な苦労をされています。

戦略がすばらしと思いますが、私個人の見解では、戦略など後付けではないかと思います。

必死になってやってきた。

自分のために、仲間のために、そして日本のために。

 

こんなすばらしい会社を世の中に生み出すことができるなら、3回くらい死んでもいいな、と思いました。

 

仕事で泣いた事があるか?

 

旭酒造の桜井社長が泣いた事があるかどうかは知りませんが、

これだけ大きなことをされている中で、めちゃくちゃ泣いてこられたんではないかなと思います。

 

涙。

 

優秀な俳優さんは、なりきる事で本気で泣けるかもしれませんが、

普通の人は、感情が溢れた時に、体から溢れてしまう感情のエネルギーそのものだと思います。

 

涙は感情だから、美しい。

人間は、成長することでしか、新しいものを手に入れる事はできません。

もし成長せずして何か得たならば、それを守るためにやはり成長をしなければならない。

もし守るために成長できなければ、結果として失う。

だから人は、前に進み続ける限りは、何歳になっても涙を流し続けるのだと思います。

 

失敗して、涙が出るほど、悔しくなければ、まだまだ本気じゃなかったということでしょう。

 

そういえば、最近、泣いてないな。

 

もういっかいがむしゃらに、やってみたいな、と思わせてくれた、

とても有意義な、桜井社長のご講演でした。

2016-06-11 | Posted in BlogNo Comments » 

 

忘れる -forget-

あらゆるものが、ITに変わっています。

人工知能がチェスや将棋だけでなく囲碁でも人類の頂点に立ちました。

しかし、私は、人工知能が人類の知能を超える事は絶対にないと思います。

 

なぜならば、人間の脳はまだほとんど解明されていないから。

逆に言えば、原理が解明されているものに関しては、ICT技術に置き換えることができると思います。

 

コンピューターは人間が作ったもの。

人間が作ったものである以上は、人間ができることしかコンピュータにはできないと思います。

そして、人工知能は、人間が求めるもの、人間がなりたいものに、なろうとするでしょう。

 

そのように考えると、コンピュータも、欲や愛といった性質を持つようになると思います。

 

脳の需要な機能は、考えること、覚えること、学習すること。

また、感じること。

それと同時に忘れること。思い出すこと。

 

一番難しいのは、忘れることと思い出すことだと思います。

人間はなぜ忘れるか、なぜ思い出すか、が解明されると、

コンピュータも忘れることができるようになるかもしれません。

 

人間は忘れることができるから、集中できる。

忘れることができるから、立ち直れる。

忘れることができるから、一人で複数の言語をいくつも自在に扱える。

 

強みは弱みであり、弱みは強みであり、人間にはかならず表があり、

そして、

万物は流転する。

 

コンピュータは人間が作ったものだから、いつか人間の代わりになるでしょう。

しかしコンピュータにあるのは、機能のみ。

機能は流転しません。常に強化されるのみ。

忘れなければ、弱くならなければ、コンピュータには人間の代わりは務まりません。

 

いろんな有識者が、人工知能の脅威を訴えています。

なぜ脅威か?

それはコンピュータは、忘れることができないからだと思います。

水に流すとか、なし。

淡々と機能強化されるのみだから、人間とちがって、間違った方向に向かった時に軌道修正がきかないことが脅威なのだと思います。

 

だから、人間は、自らの欠点を大事にすべきだと思います。

 

 

 

2016-06-10 | Posted in BlogNo Comments » 

 

喜び -Joy-

今日の昼矢口渡に着いた時。

偶然にも、30分程時間ができました。

これは昼ごはんを食べるしかないと考え、歩いていると、いくつかの飲食店がありました。

 

ただ今日の気分は定食屋。

インド料理とか、海鮮丼とか、美味しそうな店もたくさんありましたが、

絶対定食と思い、定食屋を見つけて入りました。

 

時間は13時。

昼休みが過ぎてしまったせいか、店に入った時には一人も客がいませんでした。

とりあえず、カウンターに座る。

外は暑かったので、ほっと一息です。

そして、かんばんに書かれたメニューの中から、ナスの料理を頼みました。

 

何気ない、日常の一コマといえるでしょう。

 

大将はおそらく70歳前後。奥様もきっと同じくらい。

 

奥様が急須にお茶を入れ、それから湯のみに入れてくれます。

外は暑い。店の中も涼しいとは言えません。

しかし、その暖かいお茶がうまい。

 

そして、大将は、ナスを取り出します。

のんびり、ナスを切ります。しかし、あっという間に切り終わります。

そして、ナスを挙げている間に、サラダとか、豆腐とかを小鉢に入れ、

奥様が小鉢をお盆に並べています。

 

ナスが一瞬で揚がりました。

奥様が、お盆に乗せて持ってきれくれます。

 

この一連の作業も、何気ない日常の一コマでしょう。

ゆっくりゆっくりとした作業が、とんでもなく早いスピードで料理を完成させる。

そして、その一つ一つの作業が美しい。

 

客として一人で座っている私は、なんだか劇場を独占した気になりました。

カウンターが、横にずーっと伸びていく感じ。

あまりにも手際がよくて、現実と空想の狭間です。

 

そして、ナスを口に入れた瞬間、一気に現実に戻りました。

う、うまい。

ただナスを揚げただけ。しかし、とんでもなくうまく、一瞬で食べ終わりました。

 

食べ終わると、大将が、「今日は暑いですね」の一言。

普段頭空っぽの私は、暑かろうと寒かろうと、どう感じていようと、「そうですね」と答えます。

しかし今日は違いました。

「とても美味しかったです。ありがとうございました。」

 

人間の喜びって、なんでしょう。

美味いものを、美味いって食べる事が、一番の喜びではないかなと思います。

 

今日は、紛れもなく、最高の喜びを、定食屋の大将と奥様にいただきました。

 

2016-06-08 | Posted in BlogNo Comments » 

 

思いやり - Compassion-

中東・アフリカで多くの難民が発生しています。

EUでは難民の受け入れが大きな問題となっています。

 

なぜ難民が発生しているか?

紛争が起こっているからです。

 

ソマリア・コソボ・レバノン・スーダンなど、中東・アフリカには不安定な地域があり、

紛争が勃発していました。

 

人間である以上、争いはあるでしょう。

いや、動物である以上、オスとメスがある限りは、絶対に争いはなくなりません。

生きることこそ戦い。

 

しかし、なぜ難民が発生するかというと、争いが多くの人を殺すからです。

なぜ殺すか?勝つためです。

勝つために、なぜ殺さなければならないのか?

これは、人間の闘争本能だけでは答えが出ません。

 

織田信長が、最強と言われた武田信玄の騎馬隊を打ち破ったのは鉄砲の力。

 

争いを悲惨な形にするのは、闘争本能ではなく、兵器です。

アフガニスタンの紛争でも、シリアの内戦でも、使われている武器はすべて、

国連安保理常任理事国+ドイツを加えた、このわずかな国で製造されたものです。

 

そして、これらの国々は、武器の輸出で富を得ています。

武器を輸出して、富を得る、安全保障理事会常任理事国。

 

安全保障は秩序ではなく、力によって維持される。

そこに疑いはないでしょう。

 

国連の枠組みで、軍縮など様々な取り組みを行ってきていますが、

争いを悲惨な形にすることで、拒否権を持つ安全保障理事会の常任理事国が

富を得ているならば、国連の枠組みでは、紛争がなくなるはずがない。

 

紛争をなくすためには、ガンジーのような動きが必要でしょう。

日本にも、最澄のような存在がありました。

 

必要なのは、心。

力ではなく、思いやり。

相互理解・文化交流。

 

ペンは剣よりも強し。

 

世界の平和を作るのは、私たち一人一人です。

2016-06-06 | Posted in BlogNo Comments » 

 

ナショナリズム - Nationalism-

ナショナリズムが高揚する時。

それは、嫉妬心が生まれた時だと思います。

ナショナリズムは今は、言葉からして国家。

しかし、日本は徳川統一幕府の前は群雄割拠。

中国も今の共産党政権の前は様々な王朝が変わり代わり支配する国。

オスマン・トルコだって、フランク王国だって、同様です。

今の国際法でいう国家の枠にかかわらず、

いろんな単位でのナショナリズムが歴史を作ってきたといえるでしょう。

 

そして、怖いのは、ナショナリズムは最終的には暴力とつながっていくということ。

 

嫉妬は、人間誰もが持つ感情。

だから、ナショナリズムが起きないようにするためには、

できるだけ全員平等にするか、

それともしっかりとしたピラミッド構造を作り上げるか、どちらかだと思います。

 

徳川政権は、親藩・譜代などの構造を作り、さらに参勤交代で中央政権の権威付けを明確にした。

 

アメリカの一極構造とか、中国との二極構造とか、世界的な秩序が議論になるのは、

グローバルレベルではピラミッド構造がないため、圧倒的な力がナショナリズムの高揚を抑えているからだと思います。

 

しかし、世界は不安定な時代に入りました。

アメリカは少なくとももはや一極ではありません。

今や、アメリカがクシャミをすると、世界中の国が風邪をひく時代ではなく、

中国が機嫌を損ねると、世界中の国が愚痴を言う時代になりました。

 

そして、かつて世界の秩序を維持し、資本主義の方向性を牽引してきたアメリカに、

ナショナリズムの象徴のような、トランプ大統領候補が支持を集めています。

 

 

すでに共和党候補者を選ぶ段階からナショナリズムを感じさせる暴動が起こっているのは

アメリカという超大国の地位が変わりつつあることと無縁ではないでしょう。

 

6月1日の朝日新聞朝刊の「折々の言葉」より

『日本は一位とか二位とかを争う野暮な国じゃなくていい。「別品」の国でありたいと思うのです』

 

これならば、嫉妬心は生まれません。

ナショナリズムも生まれません。

暴力も生まれません。

 

こうありたいと思います。

2016-06-05 | Posted in BlogNo Comments » 

 

空腹 - want –

お金をたくさん持っている人程、お金では何も買えないことを知っています。

一流の人程、人を資産や身分などの物差しで判断しません。

 

現在・過去・未来。

投資の対象は、未来だと思います。

 

それならば、投資の対象で一番重視するのは可能性。

不確定な時代だからこそ、可能性への投資は重要となってきています。

 

資産や身分は一つの結果。資産や身分がある人は、ない人よりもできることの領域は広い。

本当にそうでしょうか?

 

確かに、資産や身分がある人は、お金で買えるものを手に入れることができますが、

お金で買えないものを手に入れることができるかどうかは、資産や身分がない人と立場は同等。

いやむしろ、守るべきものがあるために、より難しいのではないかと思います。

 

と、考えると、一番可能性があるのは、腹が減っている人だと思います。

空腹を満たすために、貪欲に取り組む。

胃袋が大きい人ほど、貪欲に取り組み続けるでしょう。

 

東芝、三菱自動車、シャープのような超一流企業が、一つの経営判断の間違いで危機に瀕する時代。

不確実・不連続の時代。

 

オイルも大豆も日本国債も、そして金さえも確実な投資の対象と言えない時代。

これからの投資対象は腹が減っている人だと思います。

腹が減っている人は可能性がある。

腹が減っている人が、いつか、腹が満たされる時、成長が止まります。

 

腹が減っている人は、どこにいるか?

新興国にいくらでもいます。

しかし、新興国の多くの人は、生存の欲求から腹が減っている人。

腹が満たされると別のことを考えるでしょう。

 

生存の欲求ではなく、自己実現の欲求のレベルで、腹が減っている人が一番可能性があります。

 

自己実現の欲求をもっている人は、先進国の二極化された構造の、富の側だと思います。

これだと、格差はますます広がっていく。

 

しかし、世界的に見て、莫大な数の、腹が減って、かつ自己実現の欲求を持っている層を抱えた国があります。

それは、日本。

 

日本人はそろそろ、腹が減りだしました。

私が社会人になった時、日本のサラリーマンは、デブと言われていました。

そりゃ、会社のお金で、いいものばかり食べていたら、腹は減りません。

 

しかし、今、周りにデブと呼ばれるサラリーマンの人はいるでしょうか?

ほとんどいません。

会社のお金でいいものばかり食べる?

とんでもありません。

そんなのは、お盆と正月だけ。

みんな、常に、腹が減って、必死になって仕事をしていると思います。

 

一億総活躍。

 

結構ではないかと思います。

ぜひ、デブになって満足しないような、腹が減り続けながら、

活躍する社会になってほしいと思います。

 

2016-06-05 | Posted in BlogNo Comments » 

 

出会い – encounter-

生まれて初めてハワイに行きました。

海外に行くことは、お金も時間もかかるので大変。

だから、海外に行くのは、海外に行かなければ会えない人に会いにいく以外の目的は思い浮かびませんでした。

 

しかし、今回は社員旅行でハワイ。

仲間たちは現地でツアーに参加するとのこと。

全日程別行動なので、何をするか、自分で考えないといけません。

どんなツアーに参加すると、どんないいことがあるのか、分かりませんでした。

 

そうこうしているうちに、ハワイに出発。

初日は、ハワイの日系IT企業の経営者の方にお時間をいただき、インタビューさせていただきました。

 

その方は、もともとハワイで起業することは全く考えていなかったとのこと。

いろんな出会いが、それを実現させて、今や創業して20年。

たくさんの誇るべき仲間たちに恵まれていると、お話してくださいました。

 

人との出会いこそ財産。

もともと人に会うために出かけるのでなく、出かけてから出会うことも重要だと思いました。

その経営者の方とも、とても貴重な出会いをいただきました。

 

そして、その後、やっぱり何かツアーに参加しようと思い、

現地のツーリズム オーソリティに、現地の旅行会社を紹介してもらい、

そのままツアーに申し込みました。

 

ツアーには私を含めて8人参加。アメリカ本土から5名、オーストラリアから2名。そして私が日本から1名。

これが初めてというガイドさん1名。ガイドさんが初めてなので、マーケティングマネージャーも1名同席。

総勢10名で、丸1日を過ごしましたが、とても楽しい時間でした。

特にハワイで生まれ、ハワイで育ち、カリフォルニアの大学で学び、カルフォルニアでIT企業を起業し、

そしてハワイに戻ってきたマーケティングマネージャーからは大変多くのことを学びました。

 

出会いは、必然。

求めていても、求めていなくても、必ず出会うべき人と、出会えるようになっているんだなあと、

当たり前のことを、改めて感じました。

 

ハワイに行っていなかったら得られなかった出会い。

いい出会いを得るためには、目の前のことから逃げないことも大事。

理由をいちいち考えずに、行動することが大事。

 

と、思いました。

 

2016-05-29 | Posted in BlogNo Comments » 

 

旅 – Voyage –

人は旅に出ます。

なぜ旅に出るか?

 

ただ、日常から脱却したくて。

新しい出会いを求めて。

刺激。楽しみを求めて。

憧れの場所に行きたくて。

 

何かしらの目的があると思います。

 

旅がいいのは、必ず発見があること。

 

お金を求める人は、際限なく求め続けます。

最後に待っているのは、お金がいらないから✖️✖️したい、とか、あるいは、破産か?

行き着くまで行くまで、求め続けることほど、不幸なことはありません。

そして、大抵の場合、お金から得られるものの価値は、お金を支払って得られるもの以上のものはないことに気がつきます。

 

旅の場合、必ず得られるものがありますが、

それは、自分が求めていたものと違ったりします。

 

スティーブ・ジョブズがインドや日本で様々な出会いがあったことは有名ですが、

そもそも大きなことを成し遂げた人は旅をしています。

三蔵法師など、旅に始まり、旅に終わる。

 

なぜ、人は旅をするか?

そこに答えはないと思います。

人生そのものが、旅だから。

 

旅をして、自分を発見して、また何かに打ち込む。

成長したら、また旅をする。

永遠に、その繰り返しかなと思います。

 

いい旅をする。

 

それは、旅のガイドブックを読むことも重要ですが

常に自分を磨き続けることが、いい旅をするための最大のコツではないかな?

と思います。

 

 

2016-05-22 | Posted in BlogNo Comments » 

 

新しいこと something new

新しいことに挑戦するとき、

一人でやるときと、みんなでやるときがあると思います。

人間一人でやり切るには限界があります。

芸術などの文化活動と違って、政治や経済では、やはりみんなでやった方が大きなことができます。

 

みんなでやるときは、必ずリーダー的存在がいます。

新しいことを始めるときのリーダーと、始まってからのリーダーと、そしてうまく立ち上がったときのリーダーはもしかしたらそれぞれ、違うかもしれません。

 

それが役割って意味なのかなと最近思います。

 

うまく立ち上がったときに、関わった人全員が、「俺がリーダーとして実現した」といったとすると、それは最高の結果になるんじゃないかなと思います。

でも、みんなでやるときに、「あいつがこれやらない」とか、「リーダーの指示が悪い」とか言っているとうまくいかないと思います。

 

自分の役割は何かを、知って、自分の役割を果たしながらも、他の人の役割をサポートできる人が、本当の意味のリーダーと思います。

 

しかしこれはなかなか難しい。趣味もあれば、家庭もあります。

「自分の役割はここまで、あとはよろしくっ」という気持ちになりたくなります。

 

しかし、最後までやり切らなければ、新しいことなど実現しません。

最後までやりきった人だけが、成功の喜びをつかむことができます。

 

織田がこね、羽柴がつきし天下餅、座りしままに食うが徳川

 

とありますが、これは江戸幕府という長期の安定政権を作る上での見事な役割分担だと思います。

織田も、羽柴も、「あとはよろしくっ」っていう気持ちになったことは一度もないと思います。

 

幕末も、吉田松陰、坂本龍馬、勝海舟、高杉晋作などそれぞれ役割を果たして、板垣退助や伊藤博文につなぎます。

誰も、「あとはよろしくっ」っていう気持ちになったことは一度もないと思います。

 

1789年のフランス革命は、 EUの実現につながる第一歩だったと思います。EUは、もしかしたら世界統一政府が実現するための役割を果たしている最中かもしれません。EUはまだ諦めていません。

 

FacebookやTwitterの果たした役割は大きい。FacebookもTwitterもまだ諦めていません。

 

何か「新しいこと」が実現していくために今、一人一人が役割を果たしています。

インターネットと、英語という国際言語のおかげで、世界の人々が分かり合えるように、その一方で傷つけ合うようになりました。

政治が悪いとか、首相が悪いとか、あの国が悪いとか、北が悪いとか、格差がわるいとか、資本主義が悪いとか、あの宗教が悪いとか、そう言い合っているうちは、その組織はうまく機能しないと思います。

 

国際宇宙ステーションの中では、国籍も関係なく、人類の未来のために新しいことが日々行われています。

 

人類一人一人が、自分の役割を認識して、最後までやりきるってことが、重要なんじゃないかなって思います。

 

2016-05-15 | Posted in BlogNo Comments » 

 

空気 -atmosphere-

 

ニューヨーク郊外のクイーンズのバスの中。

日本と違って、バスの中は肌の色も言葉も様々。

ちょうど帰宅時間と重なっていて、バスの中は大混雑。

 

ある足の悪い人が乗ってきました。

すると、混んでいたはずのバスの中が、

さーっと空いて、足の悪い人は、簡単に席に座ることができました。

 

そこには、小さな会話と笑顔があります。

素敵な光景。

欧米では、公園にいても、公共交通機関を利用しても、こんな素敵な光景にたくさん出会います。

 

ある日、クアラルンプールで、ブキビンタンに行こうとして、モノレールに乗ったら、とても混んでいました。

乗りたいけど乗れない人たちがいて、降りたいけどおりれない人がいて、結構なストレス。

おそらく欧米から来た、ある観光客がいいます。

まるでTOKYOのようだと。

 

このセリフ、バンコクでも、聞きました。

TOKYOの地下鉄は、世界中で、混んでる交通機関の代名詞。

 

 

確かに、東京の朝の通勤ラッシュはクレイジーです。

ストレス以外のなにものでもない。

東京の朝の通勤ラッシュが大好きという人は、まずいないでしょう。

 

なぜ、こんなに東京の通勤ラッシュは、ストレスがたまるのか?

 

礼儀正しく、思いやりとおもてなしの精神があり、助け合う日本人達が、

これだけたくさん集まってストレスをためあう。

これは日本では、なかなか他にはない特殊なシーンだと思います。

 

なぜ世界中から礼儀正しいと称賛される日本人が、東京の朝の通勤ラッシュでは、

ストレスをため合うのか?

それは、おそらく、クイーンズのバスのような、小さな会話と笑顔がないからだと思います。

 

電車に乗るときも、降りるときも、混んでるからどいてもらわないと動けないときもあります。

しかし、日本人は、なかなか声をかけられない。

 

欧米では言葉によってコミュニケーションをしますが、

日本人は言葉だけでなく、空気でコミュニケーションをします。

それが、道(ドウ)だったりする。

 

だから、極度に人が集中した場所で、声をかけあうことが大の苦手です。

心ではわかっているけど、声がでない。

しかし、たまに勇敢な人がいます。

「降りる人がいます。通してあげてください」

 

すると、混んでいた電車の中に、すーっと道が空きます。

気持ちが通じると、一斉に動けるのが、日本人の強さ。

そして、声を出してくれた勇敢な人に、素直に共感できるのも日本人の強さ。

 

 

そして、私はこんな声を聞いて、ほっとする臆病者の一人。

自分にはできない。

わかっていても、なかなかできない人は、たくさんいると思います。

 

通勤ラッシュの重たい空気を、爽やかな空気に変えてくれる、

勇敢な一言。

 

日本人として、空気を大事にしながらも、大事なところで空気を変えることができる、

そんな勇敢な人になれたらなって思います。

 

敵は、通勤ラッシュでもなく、重たい空気でもなく、日本人の気質でもなく、自分自身。

わかっちゃいるけど。。。

2016-04-24 | Posted in BlogNo Comments » 

 

我思う、故に我あり – Je pence, donc je suis –

子供の頃、シートン動物記を読んで、世界に関心を持ちました。

理由はわかりません。あったのか、なかったのか。

ただとにかく、毎日本ばっかり読むようになったのは、シートン動物記がきっかけです。

 

その後、ドリトル先生シリーズにはまりました。ドリトル先生はハードカバーで、一冊が高い。

親は、決して裕福ではありませんでしたが、母親は内職までして、本だけは好きなだけ買ってくれました。

本ばっかり買っているので、いつまでたっても貧乏。でも母親は本を買います。

なぜか? 母親に今、聞いても、知らないと言います。

 

 

 

ドリトル先生の何かの本を読んで、速記というものがあることを知って、

英語に関心を持ちました。

 

 

 

我思う、故に我あり。

この我は、それぞれ別人だと、ゴダールの映画は言っています。

 

 

その通りだと思います。

思っているから存在している自分と、自分の意思とは無関係に存在している自分がいる。

 

 

自分の意思とは無関係に存在している自分には、逆らうことができないような気がしています。

年を重ねれば、重ねるほど、逆らうことができないことを感じる場面が多くなります。

これが、成長が鈍化するということなのか、それとも運命なのか?

 

 

50歳にして、31歳の師匠をもった伊能忠敬は、思ったのか、それとも、そうあったのか?

いずれにしても伊能忠敬は測量を完成させます。

それが歴史。それが事実。

 

 

いずれにしても、今、誰もが、「我思う」と「我有り」の二人が存在しています。

自分でコントロールできるのは、「我思う」の方の我だけです。

「我思う」が、コントロールできるのも、「我有り」が存在している間だけ。

 

 

シートン動物記をもう一回読んで、我思うと我有りが、なんとなく一致した時に、

初めて、

一人前になったということができるのかな、と思います。

まだ道のりは大分長いような気がします。

2016-04-17 | Posted in BlogNo Comments » 

 

穴 - a gap –

養老孟司さんの『超バカの壁』にこういう一節があります。

「仕事というのは社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分にあった穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。」

 

私も社会人になって、17年がたちました。振り返って思うのは、がんばったって心から言えるのは、目の前の仕事から逃げなかった時だなって思います。

誰もが目標があります。そして培ってきた努力に基づく自信もあります。だから、自分の目の前に空いている穴を埋めることを、「自分の仕事じゃない」といってやらない言い訳はたくさんあります。

 

でも、実は、その穴が見えているは、自分だけ。その穴は、社会が自分に対して、埋めることを求めている穴です。そして、自分で埋めて初めて、その先の道が開けます。

私は商社からコンサルティング会社へ、コンサルティング会社からIT企業へ転職しましたが、いずれの転職も、まずやるべきことは、掃除とか、言われたことを徹底的にやることとか、電話をとることとか、誰でもできること。

しかし、社会人を17年も経験していると、その誰でもできることの中にも、自分しか見えない穴が見えてきます。だから見えた穴をせっせと埋める。そうすると、転職した立場とはいえ、ずっとそこで働いている人には見えない穴が見えてきます。

 

その穴をどうやって埋めるかは、それまで培ってきた自分の考え方だと思います。「世界には、服を着ることもできない人がいる」、という穴を発見した人達がいるとします。

ある人は、募金を募って、服を持たない人に服を送ろう、と考えます。

ある人は、服がかえるようになるように、その地に産業を根付かせよう、と考えます。

ある人は、その人たちでも買えるくらいの安いを服を作ろう、と考えます。

 

アプローチは様々ですが、自分にできることしかできません。大きな穴が見えていても、埋められないかもしれません。だから、人は、自分が埋めることができる、見えている穴を埋めるために、毎日仕事をする。努力する。

穴を埋め続けた結果、実は、自分にできることは、これだったんだ、とわかります。その時、大きな穴も埋めることができる。大きな穴から目をそらさない限りは。

 

最初から大きな穴だけを見て、長い道のりで大きな穴を埋め続けてくれている人たちもたくさんいます。

科学技術の進歩はそういう人たちによって成し遂げられてきたと思います。

 

今、私の前には、社会に存在している穴もあるし、自分がお世話になっている会社の中に存在している穴もある。

まずは、自分ができることから初めて、一つ一つの穴を埋めていきたいな、と思います。

 

大好きな吉川英治さんの『宮本武蔵』の中で、弟子の伊織の一節

「自分を捨てて、大勢のために考えれば、食物はひとりでに、誰かが与えてくれるのだということを覚えた」

 

2016-04-16 | Posted in BlogNo Comments » 

 

グローバリゼーションと言語 - globalization and Language-

英語がInternational languageになったのは、簡略化に成功したからだと思います。

 

シェークスピアの英語は難しい。でも、今CNNやBBCなどで流れている英語は決して難しくありません。

新聞を見ても、地方紙やゴシップ紙で使われている英語は難しいですが、

USA TODAY や Washington postなどで使われている英語は難しくありません。

英語が普及した最大のポイントは、英語を母国語とする人以外にも分かりやすくしたことだと思います。

 

ハリウッドの映画などを見ると、とにかくセリフが多いように感じます。

宇宙人がきたり、戦争をしたり、派手なアクションのシーンが多いのに、出演者がよくしゃべる。

多少英語がわかっても、ハリウッド映画は見ていて疲れます。

 

それに対して、日本、フランス、イタリアなどの映画は、景色は綺麗で静かで、セリフも少ない。

その一方で、言葉一つ一つの後ろにある意味がわからないと、なかなか理解できません。

フランス映画なんかは、何回見ても、見るたびに発見があります。

 

 

地球は急速にグローバル化していき、フラット化していきます。

数学は人類の共通言語。そして数学に基づくプログラムで構成されるデジタル世界がどんどん拡大しています。

あたらしいプログラミング言語もどんどん開発されています。それぞれのプログラム言語のメリット・デメリットがありながらも、最終的にはプログラムの世界も、英語のように何かの言語が、汎用化され、簡略化されてInteenational Languageになるでしょう。

 

プログラムは OSとブラウザと密接に関与しているので、今はまさに標準化に向けた各社の競争の時代。

プログラムの世界で使われるのはアルファベット。プログラムの世界でInternational Languageが決まり、統一化されたとしてもその言語に日本語、中国語、韓国語が採用されることはまずないでしょう。

だから、日本から、GoogleやFacebookやTwitterが生まれるとはあまり想像がつきません。

中国も、alibaba, 微信など中国内部または中国語人材だけで使われるアプリケーションが成功しています。

 

 

 

日本企業もグローバル市場でイノベーターとなるためには、

欧米の土俵で戦うのではなく、日本が強みとする領域で戦うということが大前提だと思います。

グローバル化で成功した日本企業は、常に海外では品質で勝負してきました。

日本はグローバル社会に対して、汎用化や簡略化でアプローチすべきではないと思います。

 

そう考えると、日本語も、最後まで、簡略化すべきではありません。

日本人の文化が魂が、日本語には宿っています。

 

グローバル化が進めば進むほど、日本人は古典を学ぶべし。

IT化が進めば進むほど、日本人は手書きの手紙や手作りの製品にこだわるべし。

 

と思います。

2016-04-03 | Posted in BlogNo Comments » 

 

アキレスと亀 -Achilles and the Tortoise –

足の速いアキレスが、先を行っている亀にいつまでたっても追いつけない。

このアキレスと亀の話を教えてくれたのは小学生時代の先生。

 

その時、いやいや、追いつけないというよりも、あっという間に追い越すだろう、と思いました。

それから約30年。

 

このアリストテレスの話の奥の深さを感じています。

宮崎駿監督のジブリ映画「風立ちぬ」でも主人公がドイツに行った時にこのアキレスと亀の話を言及していました。

だから零戦が誕生した。

 

真似をしている人は、先を行っている人に決して追いつけないということは、スピードの事を言っているのではなく、意識のことを言っているのだと思います。

誰よりも最初に一歩を踏み出す人が持っている意識を、真似をしようとしている人は持っていない。

 

誰よりも最初に一歩を踏み出すためには、たくさんの壁を乗り越えなければなりません。

その壁を乗り越える方法を自分で考え、自分の力で乗り換えた人と、先に乗り越えた人の真似をした人とでは、

実力に大きな差があります。その差は、真似をしている限りはいつまでたっても追いつけないでしょう。

 

イノベーターになるためにはどうすればよいのか?

ビジネスの世界では、リチャード・ブランソン、スティーブ・ジョブズ、イーロン・マスクなど、

いくつものイノベーションを起こした人がいます。

イノベーターになるためには、イノベーターになると決めて、人の真似をしないということなのかと思います。

 

正しいことさえしていれば、マーケットがついてくるかどうかというのは時間の問題。

だから、イノベーターは最初は苦労して、最後に大きな成功を手にする。

 

では、正しいこととは何か?それは、人を幸せにすること。

しかし、1990年代と2000年代とでは、人を幸せにすることの定義が異なります。

今、イノベーターになるということは、新規ビジネスを生み出すという事ではないような気もします。

 

格差を是正するとか、地球環境を破壊しないことと持続的成長を両立させることとか、

そういうことでのイノベーションが今求められています。

 

アキレスになるか、亀になるか。

地球環境を破壊しないことについては、まさにアキレスに抜かれない強い意識をもった亀が必要です。

 

2016-04-02 | Posted in BlogNo Comments » 

 

労働法 - labor law-

日本では、労働者の権利を定めた労働基準法、労働組合法、労働関係調整法といういわゆる労働三法に加えて、

労働安全衛生法、労働者災害補償保険法、雇用保険法など労働者の雇用と雇用関係を確保するための法律があります。

 

これらの法律のおかげで、日本では雇用されると一定の生活水準が保証されます。

会社をやめても、一定期間は給付金があり、その期間が過ぎるとなくなる。

 

労働法は元来労働者の権利を保護するものですが、政府が働く事を奨励し、応援するための法律という位置付けもあるでしょう。

トーマス・フリードマン「グリーン革命」にバーレーンについての言及があります。

『バーレーンは湾岸ではじめて、マッキンゼーに依頼して労働法の作り直しをはあり、労働を輸入しなくてすむように、国民の生産性を上げて雇用に応じられるようにした国でもある』

 

人には働かずに高い生活水準をすることを求める一方で、どれだけ財産を持っていても働かなければ生活水準はどんどん下がっていくということは普遍的な事実です。

スペンサー・ジョンソン著「チーズはどこに消えた?」は日本でも大ベストセラーとなりました。

しかし、人は、それでも働かずに富を得る事を求める。わかっちゃいるけど、変えられない。それは「怠惰」は人間として本来保有している一つの性質だからでしょう。

 

その人間が元来保有している「怠惰」という性質には、個人差があります。律することができる人もいれば、できない人もいる。できない人が悪いわけでは決してありません。でも、社会的には差がついてしまいます。

そもそも自由と自律は究極の命題。

 

誰もがもつ「怠惰」という性質に、人々が負けないようにするための法律が、労働法と言えるのではないでしょうか?

 

 

このように考えると、一億総中流を達成した資本主義の軌跡とも言われる日本の労働法はどの国と比べても優れているに違いありません。

一方で、他の先進諸国同様に、急速に格差が広がりつつある日本にとって、今一度、労働法を見つめ直す必要があるタイミングが来ているとも言えます。

 

働いて、賃金を受け取り、税金を支払い、保険を支払い、生活の保証を受ける。

世界がうらやむ日本で生きる事の「安心感」。

 

優れた労働法があって初めて維持されるのだと思います。

2016-03-27 | Posted in BlogNo Comments » 

 

師 -mentor-

昨日は大学のゼミの同窓会。

金沢大学法学部の国際関係論ゼミ出身者が、数年前に退官されて今は放送大学のセンター長をされている恩師の東京出張にあわせてたくさん集まりました。

 

私の卒業が1999年。ゼミの一期生の卒業が1985年。そして、同窓会には最近大学を卒業した先生の最後のゼミ生も参加。

同窓会はこれまでに何度か開催されていますが、昨日初めてお会いした方もたくさんいます。

 

驚くのは本当に皆さん似た考えを持っているということ。

国際関係の仕事に従事している方がほとんどですが、それは国際関係論のゼミを選択している時点でそういう人が集まっているためある意味当然だと思います。

しかし考え方が似ているというのは、やはり20歳前後の多感な時期に指導してくださった先生の影響がとても大きいと思います。

 

国際機関で働いている人、日本政府で働いている人、民間企業で働いている人、自分で事業をしている人、それぞれ向かった道は様々で、要職についている人もいればまだ若い担当の方もいます。

でも、それぞれが、みんな、先生の考え方を引き継いで、それぞれの使命感を持って仕事をしているというのは、とても大きな力だなあと思います。

 

私自身、一昨年、突然先生にお会いしたくなり、一人で先生に会いに金沢に行きました。

そこで、思ったこと、感じた事が、今の自分の方向性を決めています。

思い起こせば、学生時代にゼミの中で思ったこと、ディスカッションしたことが、これまでの方向性を決めてきたな、とも思います。

 

師が、弟子に影響を与える。

当たり前かも知れませんが、これはとてつもなく大事な事だと、改めて思いました。

 

いつか、自分も、師の立場になれるかな?

そのためには、まだまだ修行を続けなければなりません。

そうやって、DNAは引き継がれていくのだと思います。

 

おそらく、一生修行です。

2016-03-26 | Posted in BlogNo Comments » 

 

コンゴ - Congo-

アフリカのコンゴ民主共和国。1960年に独立するまではベルギー国王の私有財産でした。

独立運動を経て大統領についたカザブブ大統領とルムンバ首相が対立。

そしてモブツ将軍がカタンガ州の分離独立を画策し、動乱となりました。

 

ルムンバ首相は国連軍を要請しましたが国連軍は拒否。

結果ルムンバ首相はソ連軍の支援を要請。

国連軍は資源豊かなカタンガ州にソ連の影響力が及ぶことを恐れ、

モブツ将軍を支援します。

 

その後モブツ将軍が政権を掌握し、32年間におよぶモブツ独裁政権が続きます。

ベルギー支配下で豊かだったコンゴは、独立後アフリカにおける動乱の象徴とも言えるほど、混乱が続きます。

 

安定と豊かさは、支配によってのみ成し遂げられうるのでしょうか?

決してそうでは無いと思います。

 

キリスト教の中でも、対立がおこり、ピューリタンが新大陸を目指しアメリカが建国されました。

イスラム教の中でも、シーア派とスンニ派が争い、サウジアラビアとイランという二つの大国がにらみ合っています。

 

イデオロギーは人々を結びつけますが、しかしいつか、どこかで、分裂します。

 

今我々が豊かな生活を過ごすことができているのは、法と秩序に守られているからです。

法と秩序がなぜあるかというと、政治があるからです。

国際政治は、コンゴ独立の立役者であるルムンバ首相を黙殺しました。

そこには資源という利害がありました。

 

何が正しいかわからなくなります。

だから、人々は、真実を追求するために学ぶのだと思います。

 

正戦論があり、勢力均衡があり、文明の衝突がある。

社会主義があり、資本主義があり、共産主義があり、民主主義がある。

 

どこにも答えはありません。

答えはなくても、結局人には生と死しかありません。

 

限られた生をいかに愛に溢れたものにするか?

 

一人一人の力が限られている中で、できることも限られています。

結局、自分が正しいと思うことを、やり続けてやり遂げるしか無いのだと思います。

 

2016-03-20 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Money – L’argent-

子供の頃、近所の人が畑の収穫の度に、新鮮な野菜をくれました。

みかんの収穫の時には、みんなで手伝いに行き、ご褒美にみかんをたくさんもらいました。

釣りに行って、たくさん釣れたらご近所におすそ分け。

 

暑い夏、ご近所の人たちは夕方になると前の道路に水撒きをして、

ベンチを出して、夕涼みをします。

 

たまに遅くまで近所のおばさんが座っていて、中学校の部活の帰りに、

おばさん、「もう暗くなったよ、今日はどうしたの?」なんて声をかけると、

おばさんが、「これでジュースでも買っといで」って100円くれて、

自販機でジュースを買って、ベンチのとなりでおしゃべりをします。

 

お盆とお正月はご馳走が食べられます。器も違う。家族みんな、楽しみ。

みんな揃って、父親がいただきますっていう。

 

貧しいマッチ売りの少女の話。

少女がマッチを一箱分すべて壁でこすったのは、

自分を愛してくれた唯一の人、おばあちゃんと一緒に行くためでした。

 

私たちが子供の頃には、隣のおばちゃんにもらった100円は、

おばちゃんとおしゃべりをするためのものでした。

地域には、マッチ売りの少女が望んでも手に入れることができなかった、愛が溢れていました。

 

おそらく、欧米には、日本のような愛に溢れた地域社会はないでしょう。

どちらかというとご近所をリスペクト。お互いを尊重して、よい距離感を保ちながら、

よい関係を築いていく。

 

でも日本では、私が子供の頃は、悪いことをたくさんして、ご近所さんにたくさん

怒られました。そうやっていろんなことを学んできた。

ご近所さんだけではありません。電車の中でもいろんな人に怒られました。

きっと、欧米では冷ややかな目で見られるだけだろうな。

 

フランス映画のL’argent

トルストイの小説をもとにしています。

お金が愛する娘と妻を奪います。

お金が自分を変えてしまいます。

 

同じくフランス映画のSerie noire

お金に翻弄される人生。

主人公が殺人を行うまでの葛藤が描かれています。

 

人生は生と死です。

生きている間に、愛であふれていることほど素晴らしいものはありません。

愛は、地球の愛、人の愛、なにもかもです。

 

お金に翻弄されることほど虚しいことはありません。

L’argentとSerie noireからわかるのは、お金に対する欲望は、愛を犠牲にするということ。

 

衣食住足りて礼節を知る。

 

お金っていうのは、まずは生きるために、

その次に礼節を知るために必要なものです。

 

欲望の先に愛があるでしょうか?

欲望の先にあるのは欲望だけです。

 

だから世界の格差はどんどん広がっていく。

地球の愛を資本が破壊していく。

 

マッチ売りの少女は1845年。私はまだ生まれていません。

Série noireは1979年。私は3歳。

L’argentは1986年。私は10歳。まさに、地域の人たちの暖かい愛に包まれて成長していた時。

 

人々は、本当に大切なものは何か、とっくの昔に知っていました。

 

時代が変わっても、失ってはいけないものがあります。

 

手を伸ばせば届く、輝いて見えるものには手を出すな。

愛ある人生を過ごす上での鉄則だと思います。

感謝。

2016-03-19 | Posted in BlogNo Comments » 

 

強敵 -rival-

カメラのキヤノン。国産初のカメラはドイツのライカの模倣品から始まりました。

キヤノンの成長は「ライカに追いつけ、ライカを追い越せ」という社員の一体感が支えました。

 

国産初のキヤノンのカメラにレンズを供給したのがニコン。

そしてキヤノンはレンズ事業も自社で確立していきます。

戦後のキヤノンのカメラJII型ではニコンのニッコールとキヤノンのセレナーが混在しました。

 

そして、その後、師であり、強敵であるライカとニコンと開発競争が繰り広げられます。

この3強の競争は今も続いているといえるでしょう。

そしてその競争は、常に最高の品質を目指す競争。

ライカM3の登場に衝撃を受けたキヤノンが一眼レフを開発しました。

 

一方、カメラが売れても、収益を得るのはフィルム。

この構造は世界的に変わらず、キヤノンのカメラが売れても、儲かるのは富士フィルムやコダックでした。

 

しかしキヤノンはフィルム事業には参入しませんでした。

その理由は分かりません。

 

その後キヤノンはXeroxの持つ絶対に破れないと言われたゼオグラフィーの基本技術であるカールソン特許を見事破り、複写機事業に参入します。

 

そして、複写機からレーザービームプリンターとインクジェットプリンターが誕生し、世界No1のプリンタメーカーとなります。

 

複写機ではゼロックスやリコーが、レーザービームプリンターではHPが

インクジェットではエプソンが、常に強敵として存在します。

そしてこれらの世界では常に技術革新が繰り返されてきました。

 

大きなマーケットですが、なかなか他者は参入できません。

 

キヤノン、ニコン、ライカ、そして、コダック、HP、コニカミノルタ、リコー、富士フィルム、エプソン、パナソニック、東芝、シャープ、京セラミタ

という閉ざされたプレイヤーの中で熾烈な開発競争が繰り広げられた結果、あまりにもレベルが高すぎて、どれだけ資金をつぎ込んでも参入できない市場が出来上がりました。

 

これらのプレイヤー達は、強敵であり、仲間。

仲間達と切磋琢磨しながら新規開発を繰り広げてきた結果、他者が真似しようとしてもできない、絶対的な高品質な世界を実現しました。

技術を追い求める強敵達。

 

こんな仲間達がいたら、いいな、と思います。

新しく参入しようとしているサムスン。そしてシャープを買収するホンハイ。

豊富な資金力を持つ彼らは、仲間になれるでしょうか?

 

お金で買えるものと、買えないもの。

師がいて、強敵がいて、仲間がいる。

これは絶対お金では買えないと思います。

 

お金で買えない存在になるためには、強敵がいることが重要。強敵がいるから、自分の進むべき道を知り、その道を追求できるのだと思います。

2016-03-06 | Posted in BlogNo Comments » 

 

家族 - Family-

世界的に強固な経済ネットワークを持つユダヤや客家の人たち。

ユダヤにも客家にも共通しているのが迫害の歴史と家族の繋がりの重視。

 

経済活動を中心に考えた時、これは一つの企業の内部の話もそうですが、

必死となって働くメンバーがお互いに助け合ってひとつの目標に邁進する組織が一番強い。

そのことをみんなわかっているのに、それがなかなかできないからどの企業も苦労しています。

 

ユダヤや客家の場合、世界中に仲間がいますが、その仲間がお互いに助け合っています。

お互いを家族と思っている。

そして、ユダヤのために、客家のために、というひとつの共通した考え方を全員が持っています。

これほど強い組織はないでしょう。

 

ひるがえって日本。

かつて、日本企業の経営は家族的経営と言われました。

終身雇用が前提で、ずっとその会社で働き続ける。

会社は従業員の給与を保証するだけでなく、従業員の家族も大事にするし、

従業員の健康も大事にする。

そんな組織なので、従業員が家族のようにお互いを大事にする。

居酒屋で自分たちの会社のことをバカにされれば、自分がバカにされたわけでなくても、ケンカになります。

自分がいて会社があって、会社があって自分がいる。

会社に転勤を命じられれば、何処でも行く。

これが、日本の企業でした。

 

しかし、グローバリゼーションは日本企業を変えました。

今も変わらない企業も多いですが、大半の企業は、

「終身雇用は古い」とか「海外の優秀な人材を活用する」とか「イノベーションを起こす」とかいっています。

 

何のために?誰のために?

 

昔は、企業のために、従業員のために、家族のために、とそこだけは日本企業はブレなかったのですが、

昨今は、企業のために、と、従業員のために、と、家族のために、がそれぞれ一致しなくなっています。

 

じゃあ、そんな会社やめるか、他の会社に行くか、と従業員が思う。

そうすると、会社にとっては戦力ダウンです。

従業員も新しい環境で外物としてスタートしなければならない。

そうなると日本経済全体として戦力ダウンです。

 

日本人には、ユダヤや客家のような世界的なネットワークはありません。

でも、世界の何処にいっても、日本人は尊敬されている。

それは、日本人としてのアイデンティティをもって国際的に貢献したいと思っている人が

たくさんいるからです。

今も、どこかで、日本人が、日本人として、海外のどこかの国で、貧しい人たちと一緒に鍬や鋤を振っています。

 

日本人のグローバリゼーションは、それで十分ではないでしょうか?

アングロサクソンの人たちの考えた産業革命やグローバリゼーションに、

島国にっぽんが適用しなければならない義務はありません。

 

ユダヤや客家や、最近では韓国の人たちのように、

世界中に家族を増やさなければならない危機感を持つ必要も、まだ日本にはありません。

 

今、やらなければならないのは、日本の中身を、再び強くすること。

日本の中で、日本人同士がつながることだと思います。

日本人同士のつながりに共感する外国人もたくさんいます。

日本人としての考え方を無理に変えなくても、世界の多様な国々と力を合わせて、

地球を、地球に住む人々をよくしていくことはできます。

 

もういっかい、日本は、家族を取り戻さなきゃ。

 

と、思います。

2016-02-28 | Posted in BlogNo Comments » 

 

らせん - Spiral-

いろいろと手を出して、一つも最後までやりきれない場合があります。

一方、よくわからないまま取り組んでいて、最後までやりきった後で、あっ こんなことやり遂げたんだって思うこともあります。

 

何か大きなことをやり遂げた人が、最初から無駄なく、まっすぐ、ゴールに向かっていったってことはまずないと思います。

常に疑問を持ちながら取り組むと思います。

 

 

これでいいのかな、正しいのかな、と思いながら、目の前のことに一生懸命取り組む。

取り組んでいる間に、何度も、やめようって思うと思います。

 

そもそも、確信があることなんて、一つもないと思います。

物事をはじめるのも、やめるのも、実は理由など、もともとないと思います。

理由はあとから考えているだけ。

 

人はみな、らせん階段を上っていると思います。

ぐるぐるぐるぐる回りながら、どこかのゴールに辿り着く。

まっすぐゴールに向かっていないから、本当にゴールにつくのか不安。

 

らせん階段はもしかしたら、登っているかと思ったら降りているかも知れません。

もし降りていたら、階段の向こう側に落ちている落し物を見つけることができるでしょう。

 

 

重要なのは、動き続けること。

疑問に思っても、確信が持てなくても、遠回りをしていると思っても、

目の前の階段に足を一歩踏み出し続けることが、ゴールに辿り着く唯一の方法だと思います。

もしかしたらゴールがないかも知れませんが、その場合は、ゴールがないということが、

おそらくゴールなのでしょう。

ゴールについてから、気がつきます。

無駄なことなんて、ひとつもなかったんだって。

 

IT技術が進んで、ボタンひとつで、いろいろなことができます。

ボタンを押して、何かができても、事実はボタンを押したということだけ。

自分の階段はボタンを押した以上は進んでいません。

ボタンを押して、デジタルがいろんなものを処理しても、動いているのは周りだけで

自分ではありません。

 

らせん階段は、どこにあるか。

全員の足元にあるはずです。

そのらせん階段をしっかりと自分の足で感じるかどうか?

 

それが、頑張るってことなのかなって、思いました。

2016-02-21 | Posted in BlogNo Comments » 

 

挑戦 -challenge-

衰退の条件である、おごり、自惚れ、甘え、マンネリ。

人は成長を続けようと思ったら、この4つの敵との戦いを続けなければなりません。

 

昨日は毎年恒例の大恩人との飲み。

毎年の新年のこの飲みで、その1年を決定づける一つの大きな学びをいただいています。

今年の学びは、

「どんな人格者でも、確実に勝てるゲームでは、横柄になる」

という内容。

 

成長し続けることは、挑戦を続けること。

一昨年までは挑戦を続けていましたが、サラリマーンに戻った昨年一年はConfortableな毎日を過ごしてしまいました。

おそらく、私の態度に、自分では気がつかない横柄さが出ていたのだと思います。

 

今年こそ、再び「挑戦」をしたいと思います。

2016-01-10 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Le papillon

フランスの映画 Le papillonをDVDで見ました。

 

子供が高原を散歩している時に、老人に尋ねます。

子供:「お金持ちになるにはどうすればいいの?」

老人:「好きなことをすることさ」

子供:「ちゃんと答えてよ」

老人:「今答えただろう」

 

お金もちになるだけではないと思います。

何でも、好きなことを好きな人と一緒にすると、うまくいき、

嫌なことを嫌な人と一緒にやっているとうまく行かないと思います。

 

好きなことをすることは最高の幸せ。

 

孔子は、「30にしてたち、40にして惑わず、50にして天命を知る」と言いました。

結局、人生って、好きなこと見つけるための旅なのかなって感じました。

 

来年40歳になります。なるほど、と思います。

確かに今、好きなことをしている。でもまだ天命は分からない。でも何かしらの天命はあることを感じています。

 

人は生きてきた以上、みな、天命があります。

天命を知った時に、思う存分力を発揮できるように、好きなことを思いっきりしておこうと思います。

2015-12-27 | Posted in BlogNo Comments » 

 

取り替えがきくもの

取り替えが効かないもの:命、信頼、友情、思い出、家族、恋人、手紙、手作りの品、昨日の晩御飯。

取り替えが効くもの:お金、薄っぺらな人付き合い、大量生産品、賃貸住宅。

 

人は、いつからなのか、なぜか、取り替えが効くものを求めるようになってきていると思います。

取り替えが効くお金で、取り替えが効くモノを買う。

そこに何が残るでしょうか?

際限ない欲望と地球環境の破壊だと思います。

 

昔の人は、自然に感謝して、必要な食べ物だけを食べて、

地域の人たちと助け合って生活していました。

 

取り替えの効かないものだけを、大事に、大事に使って生活していました。

酸化防止剤入りのお酒も飲まなければ、防腐剤入りのお弁当も食べません。

その土地にあるものを感謝しながら食べていました。

 

中国では、東北地方では餃子が、内陸部では麻婆豆腐が食べられています。

地域にあった食事が大事に食されています。

しかし北京や上海など都市部では、今やどこへ行ってもケンタッキーやサブウェイ。

 

取り替えの効くチェーン店の量産品が、取り替えの効かないものを席巻していきます。

大量生産するためには、家畜も鶏も、大量に育て、大量に殺す。

そこに命の価値はどれくらいあるのでしょうか?

 

私の父は鶏肉が食べられませんでした。

貧しい幼少時代を過ごして、何でも食べるのに、鶏は食べない。

子供時代、大事に飼っていた鶏を私の祖父がさばくのを見て以来とのこと。

 

チェーン店で出てくるフライドチキンも、元は命あるもの。

取り替えの効かないものが、取り替えの効くものに変わってしまっています。

 

取り替えの効かないものを大事にする心。

心だけは、取り替えての効くものにしてはいけないと思います。

2015-12-26 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Live with Nature

When I was a child, I learned English at Labo. I have been to Labo land in Kurohime. I leaned a lot at there. Children gathered from all over Japan and stay almost 1 week without any support of their family.

I was around 10 years old. It was my first time to cook, to find natural food in the forest, and to build a fire. Nothing to play such as  baseball nor TV game but we were very busy and very tired everyday.

I am not sure whether or not such experience influenced my life,  but it is sure that I come to talk in English and love Japanese nature strongly.

If you live in rural area in Japan, you can feel variety of four season every year. All of these beautiful things are given from nature.

C.W. Nicol who is an author and naturalist is teaching how to live with nature in Japan. I believe it is irreplaceable experience for the people. I was strongly sympathized his activity when I learned that through Chu-nichi newspaper dated on October 25.

” If you don’t know how to fix it, please stop breaking it!”  this is a very famous speech made by Severn Cullis-Suzuki at Rio de Janeiro, when she was just 12 years old. We have to stop break our nature and we have to respect everything brought by nature.

2015-11-05 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Electronic components (written in Japanese)

アップルのiPhone6Sの電子部品として日本製品がたくさん採用されているそうです。

 

スマホなどの分解調査をしているフォーマルハウト・テクノ・ソリューションという会社があるそうです。その会社の調査で、6Sで新しく加わったタップティックエンジンを実現する部品として、日本メクトロン、新日鉄住金化学、JX日鉱日石などが関わっているとのこと。日経産業新聞に記載がありました。

 

小さい中に技術が結集している電子部品もすごいですが、それを知り、組み合わせることで機能を実現する技術もすごいです。なぜアップル社が素晴らしい製品を世の中に送り出すことができているか?それは、日本の部品メーカーとの付き合いを大事にしてるからではないかと思います。

 

日本のメーカーは、利益至上主義ではありません。こういったメーカーは、莫大な研究開発投資を行い、常に最先端のテクノロジーを追求しています。日本の素材技術もまた世界トップレベル。世界トップの素材の供給を受け、世界トップの部品を作っています。だから、絶対に安売りなどするはずがありません。

 

こういった一流のメーカーは、やはり一流のデバイスメーカーと取引をしたいと思うでしょう。一方で共感できないメーカーには自社の最先端の技術は紹介したくないはずです。アップルには、日本の部品メーカーがたくさん、惜しみもなく世界最先端の部品を提供する。それが、アップルのすごさの一面だなと思います。

 

アップルは、いい部品を採用しているので部品のコストは高い。でもアップルの製品も高い。しかしアップルの製品は、いくら高くても買うファンがたくさんいる。アップルはもうかる。だからまた最先端の部品を採用する。部品メーカーは喜ぶ。そして、アップルは、もっといい製品を開発する。その製品がいくら高くても、市場に現れれば、ファンはまた喜ぶ。

 

これこそ究極のビジネスモデルだと思います。

2015-10-22 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Japan Post (Written in Japanese)

日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命が11月4日に東証に上場します。

 

株価をいくらつけるか、という点も注目ですが、果たして誰か大株主になるか?という点も注目しています。

 

かんぽ生命もゆうちょ銀行も世界トップの資産規模を誇ります。

逆に言えば、日本国民の資産が国内にとどまり、リスク資産に向けられなかったのも、

かんぽ生命、ゆうちょ銀行のおかげでした。

 

しかし今や、かんぽ生命、ゆうちょ銀行ともに、リターンを得ることを目的として、

資産を海外のリスク資産に向けています。

 

上場して、特定の株主の影響力が強まると、リスク資産にまわる傾向がますます強くなります。

 

日本国債の信用力が高いのは、日本がいくら財政赤字になっても、日本の対外債務が少ないこと、

そして日本国内に豊富な資金があることです。

 

しかし、日本国内にある豊富な資金がなくなったらどうなるか?

 

日本が財政的に破綻する可能性もあります。

もし日本国内にある豊富な資金がなくなったら、

その時は、その豊富な資金は、どこかの国に移動していることになります。

 

だから、今回の上場の株主は、とても重要だと思います。

株式が、多くの日本国民によって、分散的に保有されるならば、安心です。

 

しかし、海外の特定の機関投資家や投資銀行が主要株主になるようだと、

話は変わってきます。

 

民営化されたとはいえ、

世界最大規模の金融資産を持つ日本企業として、

ゆうちょ銀行、かんぽ生命には、

日本を支え続けて欲しいと思います。

 

 

 

2015-10-20 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Individuality (written in Japanese)

一人でいる人間は強いと思います。

他の人たちがグループを組んでいても、一人でどしって立っている人がいます。

こういう人は、自分に自信を持っています。

そして、実は、周りに気を配っています。

こういった自信を持っている人は、強烈な個性を持っていると思います。

なぜ、強烈な個性をもっているか?

それは、自分を信じて、個性を磨き上げてきたからだと思います。

自分を信じているからこそ、個性を磨き、個性を磨き上げてきたから自信を持っている。

そういった人は、本当に強いと思います。

昨日、田中角栄 100の言葉 (宝島社)という本を買い、一気に読みました。

政治の世界。周りはエリート。

そんな環境で、尋常小学校しか出ていなくても、決して卑下することなく、

強烈な個性を発揮し続けた田中角栄。

自分を卑下することがなかった以上に、人を見下すこともなかったのだと思います。

世の中は、ものさしだらけ。

何かにつけて、勝者と敗者をはっきりさせたがります。

でも、そういった誰かがつくったものさしに左右されることなく、自分の信念を貫く人こそが、

本当に強い人なのだと思いました。

2015-10-19 | Posted in BlogNo Comments » 

 

Tofu (written in Japanese)

昨日 相模屋食料株式会社 代表取締役 鳥越様のご講演をお聞きできる機会がありました。

相模屋食料様は「ザクとうふ」を大ヒットさせたことで有名な豆腐業界No.1企業です。

豆腐業界では企業は大きくなると潰れると言われており、60億が一つの目安らしいです。
業界で売上60億以上の豆腐を製造している企業は他にも4社ありますが、
いずれも専業は豆腐以外とのこと。
そういった業界で、6年間で売上4倍、9年間で売上5倍と急成長し、平成26年の売上は178億円。

売上32億の時に41億の投資を投資をして新工場を建設したとのこと。
まさに奇跡であり、この詳細は鳥越様の著作
『「ザクとうふ」の哲学』(PHP)に記載されています。

日本の伝統食品の市場は縮小しています。
そういった中で、独自の市場を作り出して会社を成長させつづけている
経営手腕にはただ驚くばかりです。

じつは「ザクとうふ」のヒットのあと、仮面ライダー鎧武豆腐を発売したところ、
そちらは売れなかったとのこと。
なぜ「ザク」はヒットして、「仮面ライダー」はヒットしなかったのか?

それは鳥越社長ご自身が、好きだったかどうかにかかっていると分析されています。
ガンダムは大ファンだそうです。

徹底的に細部にこだわって、ぶっ飛んでいると思われるような
商品を発売したところ、多くのファンの心をつかんだということでしょう。

まさしく経営の原点を教えられたように思いました。

2015-10-17 | Posted in BlogNo Comments » 

 

RMB (written in Japanese)

中国政府がロンドンで人民元建ての国債を発行する準備に入ったとのこと。

かつて人民元は、貿易における経常取引も開放されていませんでした。
中国企業と貿易する際に、円建てかドル建てか、という交渉は、わずか10年前は当たり前でした。

ところが人民元建て決済が自由化されると、人民元建て比率はすごいスピードで高まり、
今や中国との貿易で人民元建ては普通です。

経常取引が自由化されても、資本取引は自由化されていませんでした。
そこで中国への金融の入り口として香港の位置付けが高まりました。

そして今回、初めて元建て国債を海外で初めて発行するとのこと。
今の株安を引き起こしたのが、中国の元安だったことをもはや忘れる勢いです。

イランが制裁を受けていた中、中国は人民元建てでイランから原油を輸入し続けていました。
そして今、各国がイランへの制裁を解除し、人口が多く、歴史が長く、
そして自動車など製造業も強いイランに注目が集まっています。

イラン市場でも、中国のプレゼンスが高まることは容易に予想できるでしょう。
アフリカでも中国は人民元建てで資源を購入し続けています。

インドネシアでも同様に、中国は人民元建てで資源を購入しはじめています。

世界第2位のGDP。そしていつか第1位になることが確実な国。
ライバルのインドが中国を超えるのは当分先の話です。
その国の通貨に、魅力がないはずがありません。

さて、問題は日本です。

アベノミクス第1の矢。金融緩和は大成功でしょう。
しかしインフレ目標の達成には寄与しませんでした。
効果があったのは円安。
円安になれば大企業の業績が潤います。

しかし、これらは基本的に念頭にあるのは円ドルの交換レートです。

もしアジア地域が人民元圏化した場合、ドルベックならぬ元ベックする国が
増えるでしょう。
しかし円はすでに国際通貨であり、元ベックなどできるはずがありません。

そうなると、アジアで日本は、元との間の為替リスクを負いながら、
アジア企業と競争しなければなりません。

かつて、ドイツがマルクをドルとの間の変動から守るために
ユーロを導入したように、日本もアジアでの基軸通貨を作ることができれば
よかったのですが、今や基軸通貨は円よりも元の方が可能性が高いと思われます。

元が国際通貨として、アジアで支配的な影響力をもつようになったとき、
我が国はどうすべきか?

今から真剣に検討しなければならないように思います。

2015-10-15 | Posted in BlogNo Comments » 

 

M&A (written in Japanese)

大型M&Aが相次いでいます。

アンハイザー・ブッシュ・インベブがSABミラーを710億ポンドで買収。
デルはEMCを670億ドルで買収。

大企業が大企業を買収する動きは少し前から活発でしたが、
そのスケールがますます大きくなっているように感じます。

そして、インド・タイ・フィリピン・ベトナムなどで、
世界企業が誕生しています。

急速に進むグローバル化の中で、競争に勝ち抜くために、大企業もさらに規模を求めます。
選択と集中で事業を切り売りする企業もあれば、事業拡張で買収により新事業に参入する企業もあります。

それぞれ、専門的な見地から徹底的に練った戦略の上での買収だと思います。
しかし、中小企業で働いていると、こういった動きは不思議に感じます。
買収して、2つの会社が簡単に1つの会社になれるんだろうか?と。

買収したからといって翌日から理念や方向性が一致するとは思えません。
長い時間かけて育んできた社風や歴史への誇りはむしろ買収された後の方が、従業員は意識するかもしれません。

大事なのは、いくらで買収するか?ではなく、買収後どうやって同じ方向をむくようにするか?だと思います。今後ポストM&Aの取り組みがますます重要になっていくと思います。

2015-10-14 | Posted in BlogNo Comments » 

 

TPP (written in Japanese)

2015年10月5日、TPP(環太平洋経済連携協定)が交渉参加12カ国の間で大筋合意しました。

日本にとっての大きな論点は以下の通りだと思われます。

① 金融、特に保険

② 自動車の関税

③ 医薬品の価格

④ 農林水産物の関税

 

特に農林水産物に関しては、海外で大量生産された安価な食料が入ってきて、国内産業が大きな打撃を被るのではないかと懸念されています。農林水産省は大筋合意からわずか4日後の10月9日には関係者への説明会を開催するなどの対応を行っていますが、今後も国内において大きなディスカッションが繰り広げられることになると思います。

日本の食料自給率はすでに40%を切っている一方で、オーストラリアやアメリカは100%を大きく超えています。農林水産物の国際的な競争力は日本よりもオーストラリアやアメリカの方が圧倒的に強いと言わざるを得ないと思います。

 

一方で、日本には、「食」を生きて行くために必要な資源としてではなく、心を豊かにする文化として考えてきた歴史があります。今回のTPP合意によって、資源としての「食」は厳しい競争にさらされることになりますが、文化としての「食」はむしろ環太平洋地域に対して発信するための機会が増えることになると思われます。

 

しばらくは行政も国内外での対応に追われると思いますが、多品種少量で、保存期間も短い、日本の「安全・安心・ヘルシー」な「食」が環太平洋地域のあらゆる国に、おいしいまま届けられるような、物流やマーケティングの仕組みが構築されると良いと思います。

 

2015-10-12 | Posted in BlogNo Comments »