nominalisation
人は誘惑に弱く、そして誘惑は常にシンプルです。そして、世の中はどんどんシンプルになっています。ご飯を作るのも、掃除をするのも、洗濯をするのも、50年前と今とでは、複雑さが全く異なると思います。
それもこれも、昔の人が一生懸命考えて、一生懸命働いて、便利なものをたくさん発明してくれたからだと思います。発明の過程には、血の滲むような努力があって、完成までにたくさんの課題を乗り越え、完成した後も厳しい市場の声にさらされてきたので、製品としての完成度が高まり、今世の中にあるものは、何不自由なく使える物ばかりです。
使う方は、ただその恩恵に預かるばかり。便利になればなるほど、名詞が増えていきます。ご飯をたくという大変な作業を便利にするために、誰かが炊飯器という新しい製品を開発すると、それは定着し、名詞になり、ご飯をたくという昔の複雑な行動は、忘れられていきます。
このように、技術が進めば進むほど、名詞の数は増えていきます。新しくできた名詞は、過去の複雑な作業を集約しています。それは、研ぎ澄まされた結果ですが、何かしらを失った結果でもあります。
名詞の後ろには、動詞があります。その動詞の意味を考えると、失ったものが見えてきます。例えばインターネット検索。今、インターネット上で簡単に入手できる情報も、一昔前は、知識を持った人に手土産持って行って教えを請いたりしないと得られなかったものがたくさんあります。古本屋を回って探さないと見つからなかった情報もたくさんあります。
名詞は、キャッチーで、シンプルで、誘惑を引きつけますが、名詞だけを追っていると、その後ろにかつてあった、人と人とのつながりを見失ってしまうかも知れません。
今、ネットワークが注目されています。人と人をつなげるネットワーク、人と物をつなげるネットワーク。これにより、新しいものが生まれつつあります。新しい社会が誕生しつつあります。
与えられることに慣れた時代に育った私たちが、ネットワークを活用することで、何を得るのか?名詞を増やし続けるのか、それとも名詞の後ろにある動詞に気がつき始めるのか?
なんとなく、私は、良い方向に向かっているような気がします。