Democracy
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。
生まれた時の身分で人生が決まるのではなく、法の下での平等、機会の平等が実現するようになるまで、人類は長い歴史を必要としました。
努力した者が報われる。素晴らしい響きです。
実際に平等を勝ち取るまでの歴史を知っている人はこの重みを知っています。
エリートと呼ばれる人たちは全体の1%くらいです。だから、1%に選ばれた人たちは、残りの99%の人たちを正しい方向に導くために必死になって勉強し、そして働きました。まさに全体の奉仕者。
努力した者が報われる。その内容に、ほんのちょっとだけ、ニュアンスが変わった内容が含まれるようになりました。完璧な人間がいない以上、こうなるのは避けられないと思います。
誰だって、最低限の生活は維持したいものです。エリートの人も同様です。エリートに選ばれた以上、身を粉にして、自分に犠牲にしてまで、全体のために尽くさなければならないと言うことは決してありません。
努力した者が報われる。かつては、この意味は、努力することによって様々な障壁を乗り越えられるということだったと思います。でも、ほんのちょっとの、とても小さな、「努力した者が得をする」、というニュアンスが、かつての歴史を体験していない人たちの頭をよぎるようになったのだと思います。
1%のエリートは、99%の人のために尽くしているのだから、ほんのちょっとだけ、1%の人が得してもいいんじゃないかと思います。誰もそのことに意義は唱えないでしょう。社会の秩序はそうやって守られる。
むしろ、1%のエリートの方々が、豊かでないと、そもそも誰もエリートに憧れないと思います。そうなると、社会の成長は見込めなくなります。だから1%のエリートの方々には、かっこいいスーツを着ていただいて、美味しいものを食べていただいて、飛行機にはビジネスクラスに乗っていただきたいと思います。それが、結果として、全員がハッピーになることを導くと思います。
でも、1%のエリートが、1%の人のためだけに尽くすようになったら、99%の人にとっては全くいいことがありません。1%の人たちは99%の人たちにとって妬みの対象になり、社会はどんどん分断されていくでしょう。
努力した者が報われる。でも努力しなかった者は報われない。残念ながら、社会は、ほんのちょっとずつ、しかし確実に、その方向に向かっていると思います。
デモクラシーは最悪の政治形態らしい。ただしこれまでに存在した他の形態を除けば。といった発言をチャーチル首相がしていたと思います。第二次世界大戦の時には、おそらく、いつか、このような結果を導くことになるということが、分かっていたのだと思います。
人を正しい方向に導くことができるのは、選ばれた人だけです。選ばれるためには努力をしなければならない。努力をする中で、競争に勝ち続けなければならない。競争に勝者がいれば、必ず敗者がいる。
「努力した者が報われる」と「努力した者だけが報われる」では、意味は100%異なります。努力した者が報われる社会は、過去の歴史の中で高い理想をもった人が勝ち取った成果です。そのこと忘れて、恵まれた環境にあぐらをかいていると、社会は間違った方向に行ってしまいます。
人を正しい方向に導くことができるのは、選ばれた人だけです。社会に矛盾が起こると、選ばれる人の種類が変わってくると思います。ただ、競争に勝つ人が選ばれるのではなく、競争に負けた人が選ばれると、競争に勝った人は、素直に導かれないでしょう。そうすると、対立という結果しか起こりません。過去の歴史を繰り返すのはあまりお利口とは言えません。
競争しないで選ばれた1%の人が、競争をしている99%の人に対して、勝とうと負けようと、正しい方向を教えてあげることが重要だと思います。実際にそれは「対話」という枠組みで実現してきました。その一番大きな組織が、国連。でも国連のような枠組みではそれは実現できませんでした。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。この動きは、上からではなく、下から起こったのだと思います。戦勝国によって作られたのが国連。国連の考え方は正しいのだと思いますが、上からではエボリューションにもならないと思います。エボリューションもレボリューションも、既存の秩序ではないところから起こるのだと思います。
1%のエリートが残りの99%の人を正しい方向に導くことができなくなったとき、もう1回、昔のような、理想の姿に戻るための仕組みができるのか、それとも、これまでと全く違ったレボリューションが起こるのか?
既存の秩序がズタズタに破壊される前に、そのどちらかが実現するといいなと思います。でもきっと、沖合にまで泳ぎすぎて、もといた海岸に戻る方法はもう、誰も知らないんじゃないかな、と思います。