Be Giver

年間1億円の収入を得ている人が、年間100万円の収入を得ている人の100倍働いているか?というと決してそうではないと思います。むしろ、主婦のような収入を得ていない人こそが、掃除に洗濯に料理にと一番たくさん働いていると思います。

働いた量と収入は必ずしも比例しません。だから世間では仕事は量ではなく質だといいます。

でも、それは果たして本当でしょうか?

実際のところは、「質」というのは不公平さを取り繕うための大義名分のような気がします。

単価の高い仕事も単価の低い仕事もどちらも重要。むしろ単価の低い仕事の方が、世の中にはなくてはならない仕事であることが多いと思います。

よく、2:6:2ということが言われます。上位2割は優秀、真ん中6割は普通、そして下位2割は役立たずみたいな解釈があるようですが、そんなことは絶対ありません。生きている以上はみんな価値があり、働いている以上は誰もが貢献しています。

これもまた、不公平さを取り繕うための大義名分だと思います。

どんな組織にも、この人は10人分働いているな、と思われている人がいます。逆に、この人は、0.1人分しか働いていないな、と思われれている人もいます。しかし、実は10人分働いていると思われている人は、PRがうまい人で、実際はそんな働いていない人かも知れません。0.1人分しか働いていないと思われている人は、実は自分の仕事をすべて人の手柄にしている人かも知れません。

人が頑張った成果を、自分の成果だとPRしている人には、自分の手柄を人の手柄にすることはできないでしょう。また、自分が頑張った成果を、人の手柄にしている人は、人が頑張った成果を、自分の手柄だとPRすることはできないでしょう。そう考えると、どっちもどっちです。

ただ、偏見かも知れませんが、欧米の考え方ではPRが重要。昔の日本の考え方では、PRをするのはあまり望ましいこととはされていなかったように思います。正直言って、べつにどちらでもいいですが。

ただ、人の手柄を自分の手柄にしている人は、単純に成長する機会を失っていると思います。逆に、自分の手柄を人の手柄にしている人は、手柄よりも自分が成長する機会を求めているからそのような行動をとるのだと思います。

同じ環境で、その二人が、何年も一緒に仕事をしたら、一方は高く評価され、一方は低く評価されますが、一方は大きく成長して、一方は全く成長しないんじゃないかなと思います。

昔は、見る人がみたら、過度なPRをしても必ずバレました。でも今は業務が細分化されて専門特化しているので、全くわかりません。というか忙しいのでそこまで手が回らない。

だから、こんな時代だからこそ、楽な方に流れずに、貪欲に成長を求めることが必要だと思います。

人は、食うために学ぶにあらず、学ぶために食うべし。

高野長英は偉大だと思います。

2019-06-08 | Posted in BlogNo Comments » 

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