Artificial Intelligence
今、空前のAIブームです。レイ・カーツワイル氏が提唱したシンギュラリティは本当にあるのか、あるとしたら何時訪れるのか?そんなワクワクしつつも、恐怖でありつつも、といった議論が、お茶の間も飲み会の席も賑わしてくれています。
AIについて語るとき、いろんな立場の人がいます。AIのライブラリを使ってAIのアプリケーションをプログラミングしている人もいれば、AIのライブラリを作ってしまう人もいます。AIとは何か?をよく知らないまま、AIだったらこんなことができると論じる人もいれば、AIについて全く関心がないという人もいます。
こういったことは何事においても同じだと思いますが、でもこれらをすべて一括りにして、AIのアルファベット二文字で片付けてしまうのも少し乱暴な気がします。
AIがこれだけ注目されるのは、人間の欲望と結びついているからだと思います。欲望の一つは富。それ以外は支配。このあたりはわかりやすいです。太古の時代より、常に人は支配する側と支配される側に別れていました。織田信長の鉄砲が無敵の武田信玄の騎馬隊を破ったように、最新の道具を使いこなした方が勝ちます。新しい道具が誕生するたびに、人々は支配する側に回るために、必死になってそれを使いこなそうとするのでしょう。
しかし今回のAIブーム。ライブラリを作っているのはグーグルなど大手企業の人達が多いですが、限りなく自由に、のびのびと発明をしているように感じます。そして、全く儲けることを考えていないようなフリーの方が、すごいライブラリを発表していたりします。純粋な好奇心。こういった方々のことをイノベーターと呼ぶのだと思います。
思えば、世の中のあらゆる偉大な発見は、最初は儲けとは違うところから生まれていました。「知への欲求」というのが正しいのでしょうか?だからAIにしても、すごい発見をする人と、そのすごい発見を使って世の中を変える人とは、別々のような気がします。
怖いのは、AIの「知への欲求」を飲み込む力は無限大と思えるほと大きいこと。AIに終わりはないので、イノベーターの方々は、どんどん画期的な発明をしていくような気がします。まだ活用されていない良質なデータがたくさんあります。データがある限りは、無限に新しい技術が生まれそうで、その周りには儲けることを考える賢い方々が群がっていくことになると思います。
AIは、人間の学習によって判断の精度を高めていきます。AIが能動的に判断するならば、それはもはや道具ではありません。
シンギュラリティは起こるか?その答えはわかりませんが、人間に「知への欲求」がある限りは、シンギュラリティが起こるまで、AIの研究開発は続けられるのだと思います。