The Thucydides Trap

ナイフを磨くのが仕事の人がいたとします。その人は、朝から晩までナイフを磨き続けて50年。果たして、その人よりも、うまくナイフを磨くことができる人はいるでしょうか?きっといないと思います。

50年もナイフを磨き続けるということは、いくらナイフ磨きが好きでも、何回か、「もうやめよう」と思うはずです。でもやめなかった。

50年もナイフを磨き続けたならば、その間に、自分が磨いたナイフよりもさらによく磨かれているナイフに何回も出会っているはずです。その度に、それを越えようと努力をされているはずです。

上記は、勝手な作り話ですが、何事も、一つのことをやり続けるということは、たくさんの壁を乗り越えることだと思います。一つのことをやり続けた人には、必ず、やり続けたそのことだけでなく、たくさんの壁を乗り越えてきたという強みがある。だから一つのことをやり続けた人は、人格者であり実力者であり、尊敬されます。

では、一つのことをやり続けず、様々のことができる人はどうでしょうか?その人は、一つのことをやり続けた人と同じ壁は乗り越えていません。でも、様々なことに挑戦をして、挑戦をするたびにその壁を乗り越えてきたはずです。だから、様々なことに挑戦してきた人は、魅力があり、頼りになります。

では、何をやっても中途半端な人はどうでしょうか?その人は、一つのことをやり続けた人と同じ壁は乗り越えていませんし、様々なことに挑戦してできるようになった人とも同じ壁は乗り越えていません。でも、必ずいろんな壁にはぶち当たってきたと思います。だから、何をやっても中途半端な人は、思いやりが、一緒にいて安らぎを与えてくれます。

これもまた作り話です。でも、人間生きていれば大変だし、誰もが人に必要とされる特性、人に愛される特性を持っています。だから人間に優劣はありません。

しかし、人間には生と死があります。生がある以上、男同士の争いは絶えません。争わなくてよくなるためには、優劣をつけるしかありません。

しかし、優劣をつけると、上に立った人は下に立った人よりいい思いをします。そうすると下に立った人は、必ずいつか上に行こうとします。それを繰り返していると、やはりいつまで立っても競争。

昔も今も、争いだらけです。はじめは石投げだったかも知れませんが、今は核の力の競争です。昔は米俵の数だったかも知れませんが、今は石油とかデータとか通貨とかの競争です。

生と死がある限りは、争いはなくなりません。

でも、争わずに誰に対しても優位に立たずとも、尊敬されている人もたくさんいます。イエス・キリストやブッダもそうだと思います。一休さんもそうだと思います。歌手や画家も、勝手に回りが優劣をつけているだけで、ご本人は自分自身を表現しているときは、他の人に勝つといったことは考えていないと思います。

文化そして思想を交わす交流は、あらゆる人を尊敬する心を醸成します。

相手をよく知り、お互いを尊重すること。隣人を愛すること。それは競争で勝つよりもはるかに尊いことです。

今は、情報が一瞬で伝わる時代。これが、分断の方向に残念ながら向かっていますが、本当は、隣人を愛する方向に向かえるのではないかなと思います。争いのない、本当に平和な世界が作れるのではないかな、と思います。

2019-05-09 | Posted in BlogNo Comments » 

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