Theory
シャノンがブール代数の真・偽をスイッチのオン・オフに対応させ、チューリングがほぼ同時期にその原理を用いた計算機を開発しました。その後戦後になって、ノイマンが、その機能を入力、記憶、制御、演算、出力といった形で構造化して、コンピュータの基礎を築きました。
間違っているかもしれませんが、0と1からなる2進数を用いて大量のデータを瞬時に処理することができるようになったのは、19世紀のブール代数という理論が基礎になっています。
昨日の朝日新聞の折々のことばで取り上げられた坂口安吾氏の「限度。学問とは限度の発見にあるのだよ。」という内容。『原子爆弾という、人間の制御を超える装置を発明をするのは学問ではない。「子供の遊び」だと作家は言う。」とあります。
誰かが理論を考えて、様々な人がその理論を応用して実践する。そして世紀をまたいで、誰かが実用化する。実用化の最初の段階は市場と結びついていませんが、いつかどこかの段階で、画期的な技術が誕生し、消費者のニーズを作り出し、需要を創出する。誕生してしまった技術が、危険なものであれば、規制しなければならなくなる。人類は石器を使いはじめたころからこんな感じで広がってきたのではないかと思います。
世の中にある、形のあるものの基盤には必ず理論があります。ろくろを回すことによって食器が作られます。回転の理論は、扇風機も洗濯機も誕生させましたし、タービンも誕生させました。
今、理論の先にあるものが多すぎて、大変です。なんでもデータ。「データを支配するものが世界を制する」みたいな、石油の世紀をそのままデータに置き換えようという標語もたくさん存在します。
こういった言葉は、富を追求しようという人たちの言葉であり、データを支配しても、人々の生活はよくならないと思います。こんな時代だからこそ、理論にしっかりと向き合うことが重要だなと感じます。