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中学から高校に入っただけで、突然勉強が難しくなりました。それぞれの勉強内容が中学からの延長でなく、全く新しいものになった感じでした。中学までは、英語も数学も理科も社会も別の科目と思ったことがありませんでしたが、高校になると、英語とはこういうものだよ、数学とはこういうものだよといった感じで、それぞれの科目が明確に別れました。さらに社会に関しては世界史と日本史といった形で、理科に関しては生物と物理と化学といった形で選択制になりました。
世界史とか日本史とか、生物とか化学とか、選択になる前の、高校理科、高校社会の段階からさっぱり理解できておらず、毎回赤点でしたが、それでも選択制になった段階でどれか一つを選択することはできなかったので、日本史も世界史も、生物も物理も化学も、全部選択しました。きっと先生には大変な迷惑をかけたと思います。最後まで、どれ一つとしてまともな点数を取ることができないまま、高校3年間を過ごしました。幸いにも大学は小論文で入学することができました。
最近、これらの科目の大切さをようやく痛感して、あらためて勉強しなおしています。やらされるのではなく自分からやる勉強って本当に楽しい。
それぞれを勉強すればするほど、文系とか理系とかの区別はないな、と思います。生物も物理も区別はないと思います。ただ、分業をするためには区別が必要。専門を分けて、細かく細分化された専門分野の中で専門性を追求することで、世の中の謎を解明することができます。結果として、中東戦争の専門家と量子力学の専門家では、全く違う分野とみなされることになります。本質的に追求している部分は、どの分野だろうと同じですが。
専門性を追求することで、電気が発見されました。電気を発見することにより、電圧や電流や抵抗の発見につながり、人類はそれを回路として活用することで、デジタルの世界を作り出しました。発見のためにも、活用のためにも専門性は大変重要。
発見は保護にもつながります。生態系、食物連鎖の発見によって、人類は生物多様性の重要性に気がつきました。大型捕食動物は脅威ではなく、生態系維持のために不可欠な存在として保護の対象となりました。
人間の体の仕組みを知ることで、病気を治す方法を知りました。地球の仕組みを知ることで、地球環境保護の重要性にようやく気がつきました。絶滅の危機にあるメダカを保護する活動自体が、メダカの生態系を崩していることに気がつきました。牛のゲップが、地球温暖化の原因になっているメタンガスを大量に発生していることに気がつきました。
専門の分野もどんどん細分化され、特化された専門分野という枝の先っぽで、新たな発見がなされ、人類に大切なことを気づかせてくれています。
専門特化すればするほど、幹にたどりつくのが遠くなります。高校の勉強って、将来、いずれかの専門分野に身を置いた時に、幹を見失わないようにするためのものだったんだと、ようやく気がつきました。