楽山園(Rakusan en) / 甘楽町(Kanra)
楽山園は、江戸時代初期に織田氏によって作られた小幡藩邸の庭園です。池泉回遊式の借景庭園で「戦国武将庭園」から「大名庭園」へと移行する過渡期の庭園と位置付けられ、京都の桂離宮と同じ特色があります。
「景石」の置かれた池を中心として、「中島」や「築山」を築いて起伏のある地形を造りだし、「梅の茶屋」や全国的にも珍しい五角形の形状をした「腰掛茶屋」など複数の茶屋を配し、それらを巡る園路にも工夫を凝らしています。
借景庭園としての秀逸で、庭園の西側にある雄川を挟んで紅葉山、南方の連石山、熊倉山などの山並を借景として取り込み、豊かな広がりを演出している空間構成は、「庭園の美」の極みといえます。さらに複数の茶屋を配していることから「織田氏と茶事」との関連も深くうかがうことができ、歴史的・文化的にも高い価値がある庭園です。
楽山園という名前の由来は「知者ハ水ヲ楽シミ、仁者ハ山を楽シム」という『論語』の故事から名付けられたと言われています。
拾九間長屋。藩邸の使用人達が暮らしていました。
昆明池。周囲の山々を借景に景石を配してあります。雄川堰一番口取水口から小堰をめぐり、往時と変わらぬ流路と楽山園へと流れ込む水が滝口から注ぎ込みます。
中島に渡る、長さ6m、幅約1.6mの土橋が架かっています。
梅の茶屋。庭園全景が見渡せる高台に建てられた、屋根が茅葺、庇がコケラ葺きの建物です。藩主が休憩したり庭園の景色を楽しみました。
腰掛茶屋は全国でも珍しい五角形の形をしています。
庭園西北側の小高い場所には梅があります。樹高約10m、枝張りは東西約10mです。
御殿跡です。東側は広間などの公的空間、北側の台所、西側の生活空間といった3つの空間で構成されています。
2018-05-04 | Posted in Gunma | No Comments »