福島宿(Fukushima-Juku) / 木曽郡(Kiso-gun)

四大関所のひとつ、福島関所があったことで知られる福島宿。

崖家造りの家が木曽川に沿って建ち並びます。

名所旧跡も多く、「福島関所資料館」、尾張藩の木曽代官屋敷「山村代官屋敷」、木曽氏の菩提寺で枯山水の庭園が見事な「興禅寺」、島崎藤村ゆかりの「高瀬家」など、木曽の歴史に触れることができます。

福島関所跡では、下番所、上番所などが復元され、関所資料館として各種資料が展示されています。

福島宿は江戸幕府が江戸防衛のために五街道の各所に張り巡らせた50箇所にのぼる関所の中でも、東海道の箱根・新居や中山道の碓氷などと並び天下の四代関所のひとつでした。

有事の際には関所を封鎖し江戸を守るために、木曽川の断崖に臨む険しく狭い馬祖に設けられていました。明治2年の廃関後に取り壊されましたが、昭和50年の学術発掘をふまえて関所建物(上番所・下番所・勝手)を模した福島関所資料館と史跡公園関所門が整備されました。

 

江戸時代、関所を通るには手形や証文が必要でした。江戸時代の諸大名の妻子の脱出を監視するため、幕府が用いたのが「女手形」です。

当時の最新兵器であった鉄砲も証文が必要で、江戸へ向かうものは「入鉄砲」と呼ばれ、特に厳重に管理されました。

(福島関所パンフレットより抜粋)

福島関所資料館では、女手形や道具、武具、証文などを見ることができます。

萬松山興禅寺には、日本一広い石庭や木曽義仲公の廟所があります。

禅宗庭園として昭和38年に現代作庭家の巨匠重森三玲氏により作庭され、枯淡で簡素な抽象性の強い庭園、看雲庭。

一木一草を用いない枯山水の庭園としては東洋一の広さです。

宝物殿の玄関天井には、天井絵があります。木曽福島中沢出身の田中瑞耕画伯によるものです。格天井に54枚の花の絵が描かれています。

万松庭は、庫裡西側の斜面を利用した池泉観賞式の庭園で、江戸中期金森宗和の作庭です。

石庭とは全く対象的な庭で、石庭の力強い崇高森厳さに対し、万松庭は円満温和な心の安らぎを感じさせています。

(興禅寺パンフレットより抜粋)

江戸時代を通して木曽を治めた山村代官の屋敷跡です。

山村氏は戦国大名木曽氏の旧臣で、慶長5年の関ヶ原の戦いでの功績により山村代官を命じられ同時に福島関所を預かりました。大坂夏の陣後は尾張藩に属し石高5700石に白木五千駄を給付され、福島の関所として幕府から旗本の一種、交換寄合の待遇を許されていました。

当時の屋敷図に見る壮大な屋敷構えは島崎藤村の『夜明け前』に書かれています。現存する遺構は下屋敷の一部で12代良祺(ただのり)公の書斎「看雨山房」の書院造りの座敷を中心に教室からなる「城陽亭」(1723年建築)と庭園です。また隣接する福島小学校跡地には旧本邸の当時の一部が残っています。

(山村代官屋敷パンプレットより抜粋)

2018-04-30 | Posted in NaganoNo Comments » 

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