栗橋宿(Kurihashi Juku) / 久喜(Kuki)

街道整備以前の奥州道は、現在の幸手市から茨城県五霞町を通り、古河市に通じていました。栗橋を通る日光道中は、慶長年間(1569〜1615年)に関所、宿場を造るために開かれたものです。19世紀半ばの宿場は南北10町30間(約1.13km)にわたりました。

栗橋宿は、日光道中の中でも、唯一の関所を擁していた宿場です。慶長年間、下総国栗橋村(現・茨城県五霞町)の池田鴨之介や並木五郎平らが開墾したとされています。

源義経の内妻だった静御前は、義経の後を追って奥州・平泉へ向かう途中、久喜市伊坂(旧村名・静村)の地で亡くなったと伝えられています。市指定史跡の静御前の墓は、享和3年(1803年)、勘定奉行・関東郡代を務めた中川飛騨守忠英が伝承を知り、墓に墓標がないこを哀れんで建立したものとのことです。

2018-03-25 | Posted in SaitamaNo Comments » 

Related article