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生態系はエコシステムと呼ばれる通り、再生のための仕組みです。草食動物が草を食べ、大型捕食動物が草食動物を食べ、大型捕食動物の糞から微生物は光合成のために不可欠な無機物に分解する。海中に堆積したプランクトンの死骸は、火山活動により再び地上に現れる。これらはすべて普遍的なサイクルです。
すべての生物、そしてもしかしたら無機物も、このサイクルの中に位置付けられます。人間ももちろん位置付けられます。ところが、人間は野菜も食べれば、肉も食べれば、魚も食べる。逆に、野菜を栽培することもできれば、動物を育てることもできる。さらには、地球上の無機物に様々な役割を与えることもできます。
堆積した化石は地中で炭化水素に変わります。石炭、石油、ガスなどの炭化水素を燃やすことで安定したエネルギーを得ることができるようになり、人類は、炭化水素の力を用いて、発電その他機械という人類の力をはるかに超える力をコントロールできるようになりました。化石は噴火ではなく、人類に掘り起こされることによって地上に出てくるようになりました。
光の反射という性質は、生物に色という形でその反射の角度を教えてくれます。その反射の角度によって、光には様々な力があるということを知った人類は、光によって発生する熱により物質をコントロールする技術を身につけました。人類は色素を色として楽しむものだけでなく、記録するもの、さらには発光するものとして活用することができるようになりました。化学的に合成された色素は量産され、反射したり、透過したりしながら樹木を伐採してパルプから紙を作らなくても、記録と伝達の利便性を飛躍的に向上させました。
物質には絶縁性の物質と導電性の物質があります。人類は、特定の物質については、リンのようなP型の分子とホウ素のようなN型の分子の受け渡しにより、絶縁と導電の両方の性質を持たせるということを発明しました。そこから、電力を光や熱などのエネルギーに変えたり、逆に光を熱のようなエネルギーに変えたりする能力を身につけました。
人類は、エコシステムの中にありながらも、エコシステムに大きな影響を与えています。育成して捕獲する。タネをまいて、耕して、刈り取る。人類独自のエコシステム。大きな目で見れば、化石燃料の消費だって、一つの人類独自のエコシステムかも知れません。一つ一つの生物、一つ一つの物質に役割があります。人間だれもが必要な存在であるのと同じで、生物も物質も、何一つ不必要なものはありません。人類が、あらゆる生物の中で他の生物や物質を「活用する」という役割を与えられたことを考えると、人類の今の姿は、人類本来の役割から大きく外れはないのではないかなと思います。でも、今の人類の活動は明らかに「やりすぎ」です。この「やりすぎ」は、必ず、何かしらのエコシステムのよって調節されることになるのではないかな、と思います。この調整は、個々ではなく、全体で起こると思います。かつて氷河期がなんども地球の生命を調節してきたように。
エコシステムには誰もあがらうことはできないと思います。だったら、早く本来のエコシステムに戻るべき。つまり「やりすぎ」を見直すべき。これが今世界が取り組んでいる環境保護や生物多様性維持のための活動だと思います。そしてこの活動は常に、前進か後退か?、拡大か縮小か?などの相反する利害関係にぶつかります。これまで人類は、地球を破壊してきただけではありません。地球のために役に立つ活動もたくさん行ってきました。ちょっとやりすぎているだけです。
資本主義は、前進と拡大でした。でもこれからは、相反する利害関係ではない、分かち合うという関係が重視されると思います。すでにシェアリングエコノミーはそうなっています。コンパッションは理想ではなく、秩序になると思います。