角館(Kakunodate) / 仙北(Semboku)

深い木立と重厚な屋敷構えが今もなお藩政時代の面影を残す町、角館。東北の小京都と呼ぶのにふさわしい風情を街全体に漂わせた桜の名所です。

この町は今から約400年前、芦名氏によってつくられ、その後は「佐竹北家の城下」として栄えました。町は「火除」と呼ばれる広場を中心に、北側は武家屋敷が立ち並ぶ「内町」南側は町人や商人が住む「外町」に区分されました。

火除は外町の火災が内町に燃え移るのを防ぐために設けられたと言われていますが、武家屋敷がひとつの城郭の役割を成していたともいえるでしょう。

北側の武士社会、南の町人社会に分かれていた町割りは今もその成り立ちを残したままです。

北側に位置する武家町は、深い木立ちが覆い、一方南の町人町は町並みがびっしりと埋めて対象をなしています。町が造られた当時の元和6年(1620年)には、武家屋敷250戸、町家420戸と数えられています。

岩橋家は江戸時代に改造、角館の中級武士の家屋として間取りなど典型的な形を残しています。

石黒家は佐竹北家の用人を務めた家柄です。武家の格式を示しながら簡素な佇まいを呈しています。

青柳家は寄棟萱葺屋根の母屋、薬医門、蔵、堀などで、武家屋敷の建築様式を今に伝えます。

勝楽山成就院薬師堂。薬師如来を祀る鎮守で、”峰の薬師さん”と呼ばれ、戦国時代に戸沢氏が信仰したのが始まりとされています。現在の地には芦名が行った町割りの際に移転しました。のちに佐竹北家の外護があり、特に佐竹義文は篤信したといわれています。

常光院。寛正元年(1460年)開山。佐竹北家の菩提寺です。幕末の戊辰戦争で大村藩など九州からの援軍藩士の戦没者墓地があります。

三方を山に囲まれ、南の玉川筋によって仙北平野に開いている地形は城下町を形成するために最も適している場所であったとのこと。

町を作るのには、現在の古城山(城跡)を北端として、南に向けて三本の道路を設定し、これを中心に造ったと言われます。

2018-01-04 | Posted in AkitaNo Comments » 

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