Equivalent
感動的にうまい食事に出会うことがあります。どうやったら、こんなうまい料理を考えつくのか?料理人の方は天才です。では、この天才、一流の大学を出ているかというと、実は高校にも行っていなかったりする。中学出てから日本の料亭で修行をして、その後イタリアンとかフレンチとか渡り歩きながら、修行に修行を重ねて、ようやく夢がかなって自分の店を持っているようです。
うまいのは料理だけではありません。接客も一流。店内の内装もすごいセンス。マーケティングやプロモーションも一流です。
では、この料理人の方、中学生の頃から優等生だったかというと、きっと必ずしもそうではないでしょう。もしかしたら、落ちこぼれだったかも知れません。でも中学の時から、料理人になると決めていたそうです。40歳過ぎても、何になるか決めていない私とは雲泥の差。これではどれだけ背伸びをしても同じ目線の高さにたどりつけません。
いつの間に、こんなに大きな差がついたのか?私だって、それなりに頑張って来ました。でも、例えば同じ絵を見ても、明日の天気の話をしても、その料理人の方のセリフは常に私を驚かせます。きっと私のセリフはその料理人には、驚きを与えることは出来ていません。これこそが、同じ年月を歩んで来た中で出来てしまった圧倒的な差。
決して人のせいにするつもりはありませんが、若い頃にチヤホヤされて、優等生扱いをされると、人は、自分をその優等生という枠組みに当てはめようとすると思います。引き立てられれば、成長も加速しますが、奢りも生まれます。そしてその成長の方向はその枠組みの中であり、そして奢りは、その枠の中にあるモノサシではかることによる優越感に繋がります。自分がどんなに気をつけていても、「他の人よりも優位」という感情は少なからず生まれてしまうと思います。これは地位とか名誉とか、所得も一緒。特に、お金は、お金で買えるものがたくさんあるために、一番この「優位」という錯覚を引き起こしやすいです。
ヒトは、二足歩行するようになったことにより、森から、草原へと世界を広げました。大型の捕食動物に襲われた時に、逃げるための木がなくなったので、戦うための知恵を身につけました。そして、知恵よりも強力な仲間も持つようになりました。そうやって、強力な敵と戦うために、ヒトには「助け合う」という遺伝子が組み込まれました。知恵を持ったヒトが数人集まれば、ライオンにだって、オオカミの群れにだって勝つことができます。いつ襲われるかわからない状況の中で、そうやってヒトが自分たちよりも強く、早く、大きい動物に、常に勝つための戦略として作り上げたのが秩序。
ヒトの群れは秩序ができた故に、他のヒト群れと出会った時に、ぶつかります。同じヒトなのに、秩序が違うと、秩序を守るために、戦います。これが戦争。戦争に勝った方が、戦争に負けた方に、自分たちの秩序を押し付けます。世界は二度の世界大戦を経験することにより、戦勝国によって大きな秩序が作られました。冷戦が集結し、資本主義と民主主義からなる、大きな秩序が形成されました。
優等生だって、金持ちだって、偉い人だって、みんな、この作られた秩序の中でだけ、優位に立っているだけであり、人間として優れているという意味にはなりません。でも生まれたときからこの作られた秩序の中で生きている、戦後生まれの私たちは、自然とその秩序をあるものとして受け入れてしまう。
結局、人間ってすべて公平だと思います。優劣の差はあくまで作られた秩序における判断基準でしかありません。自分が優秀だと勘違いして、その居心地のいい秩序の中でだけ取り組んでいると、その秩序に縛られない人が、気がつけば自分よりはるかに高いところもピョンピョンと飛び跳ねながら、あっという間に追い越してしまうことになります。だから、チヤホヤされて、自分を見失うと、必ず人は衰退の方向に向かうことになります。
2018年。世界の秩序は大きな変化を遂げようとしています。ノーベル平和賞のICANのペアトリス・フィン事務局長のスピーチは、地球と人間の存続が、核の傘という作られた秩序と対立構造にあることを感じさせてくれました。命よりも大事なものはないにもかかわらず、それを一瞬にして失わせることができる核兵器がすでに1万5千個も配備されており、しかも増え続けている。そんなシンプルなことを訴えただけであるにも関わらず、批判が集まる。その批判をしている人たちが正しいかどうかは、頭の悪い私には分かりませんが、その批判をしている人たち、核の傘という秩序の中にいる人たちであることは間違いないような気がします。秩序の外にいる人たちからすれば、核がなければ平和を守れない秩序を作った人たちが、自分たちの都合で「核がないと平和を維持できないぞ!」と言っているように感じると思います。だったら、自分達も核をもったら、その秩序はどうなるかな?と考えるのは、当たり前と思いますが、実際に秩序の外にいる北朝鮮がそのとおり核を持つと、秩序の中にいる人たちの口からは、平和ではなく戦争がチラつくようになってしまいます。少なくとも、「核」は平和だけのためのものではないようです。
秩序の中にいる人が、秩序の外に出るってことは、自分の帰属を失うことだと思います。それは誰でも辛いこと。地位も名誉もお金も失っても、帰る家は失いたくない。できる限り、秩序の中にいたいでしょう。だったら、他の秩序も尊重すべきだと思います。
秩序の中にいる人たちの中で、秩序の外にいる人を敵だと考えずに、ヒトが二足歩行を初めて、捕食動物からの危機に立ち向かった時を思い出し、秩序の中にいる人も、外にいる人も、生態系の崩壊と地球環境の破壊という今ある最大の課題のために、みんなで助け合いの遺伝子でつながりあって、取り組むべきだと思います。
自分が秩序の支配者として君臨しようという気持ちがヒトの中からなくなり、助け合いの精神が一番優先となり、そして、その大前提の中で、贅沢でなくてもいいから、盆と正月くらいは、うまいものを食べたいな、と全世界のヒトが、それぞれおもった時、一流のシェフが、全世界の人に対して共通に、自然の食材をつかった、とんでもなくうまい飯を、これもまた助け合いの精神で、作ってくれると思います。