落合宿 (Ochiai Juku) / 中津川 (Nakatsugawa)

落合宿本陣は、往時の面影を残す貴重な建物であり、平成22年2月、国史跡中山道の一部として追加指定を受けました。

落合宿は文化元年(1804年)と文化12年(1815年)の2度にわたって大火に見舞われ、その際、本陣も焼失しました。伝承によれば、現在の本陣が立てられたのは、文化15年(1818年)のことだとされています。

『大概帳』には、「門構え玄関付きで建坪12坪(436m2)中町にある」とあり、門については加賀藩主前田侯から寄贈されたとの言い伝えもあります。

明治14年(1881年)には大規模な改修が行われ、板葺平屋建てが現在のような瓦葺一部二階建てとなりました。

火災への配慮から、木材の上に厚く土塗りを施す土蔵造りとなったのもこの時ですが、塗り固めた壁の厚さは22cmにも及びます。この際、南側の居室部分は改築されましたが、北側に元あった屋敷の座敷部分は現在も残されています。

元の所有者である井口家は、この地で本陣とともに、千村方の庄屋や問屋を務めました。

隣接する次の間よりも床が一段高くなった部屋があります。この部屋は本陣の中で最も格式の高い部屋で、奥には床の間や違い棚を備えています。殿様がお休みになる際に使われました。

上段の間と通りの間を隔てる障子には腰板がないので、盗人や忍びがどれだけ姿勢を低くしても障子に影が映ってしまいました。こうした障子は城や本陣といった建物に見られます。

落合の助け合い大釜

宿場町としての、おもてなしの心を今に残す大釜です。かつては「寒天」の原料の天草を煮るときに使用されたとされています。今でも落合宿まつりなどでは「千人キノコ汁」が振る舞われます。

中山道44番目の落合宿は、小さな宿ながらも、険しい木曽路へ向かう旅人を送り出し、木曽路を超えた旅人を迎えた重要な宿場でした。

慶長5年創建の善昌寺は山門の右側に門冠の松があり、中山道の雰囲気を醸し出しています。

馬籠宿と落合宿の間には十曲峠があり、その道の険しさから石畳が敷き詰められていました。明治以降は荷車が通るのに不都合なために取り除かれた場所もありますが、現在では江戸時代に敷かれた部分を含め840メートルにわたって復元されています。

瑠璃山医王寺は浄土宗の寺院です。本尊の薬師如来像(山中薬師)は三河の鳳来寺、御嵩の願興に日本三大薬師の1つに数えられ、特に虫封じに御利益があるとして広く信仰を広めました。

2017-12-09 | Posted in GifuNo Comments » 

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