Why, What if

勉強が楽しいか?本来は楽しいものです。生きることは成長すること。成長するためには栄養が不可欠。教養は栄養の重要な一つの要素です。

しかし勉強が嫌いになることがあります。なぜ、本来は楽しい勉強が嫌いになるか?

一つの理由として、そこに競争という要素が加わるということがあります。人は誰も比べられたくない。もし比べられるならば、優位に立つ必要があります。プライドとか自尊心が、人よりも劣っているということを簡単には認めさせてくれません。だから、受験勉強とか、資格試験とか、勝つための勉強は楽しくなく、苦しいものです。

もう一つの理由は、どんなに頭が良くても、「できない」という現実に直面せざるを得ないことがあります。私も算数の時はよくできましたが、数学になった瞬間、できなくなりました。だから今でも、足し算、引き算、掛け算、割り算以外はできません。

そして嫌いになった勉強が、大人になると、また好きになります。なぜ嫌いな勉強が好きになるか?それは働いたり、家庭を持ったりしながら、必要なことを学ぶうちに、自分の得意・不得意がわかるようになって、自然と自分の好きなことにどんどんのめり込んでいくからだと思います。だから人は、どんどん専門特化していく。算数しかわからなくても生きていけますが、生きていくためには自分の専門領域は勉強し続けなければなりません。その勉強が好きになれないと、日々苦しいことになります。早い段階で文系と理系を区別してくれる日本の教育制度に感謝です。

さて、好きな勉強と嫌いな勉強の差は、自発的に学ぶか、強制的に学ばされるかの、差だと言えます。料理のレシピならば覚えられるけど、円周率の3.14以降はなかなか覚えられません。円周率の3.14以降を覚えられる人は、それ自体に面白さを感じるコツを手に入れた人だと思います。

そのコツとは何か?それは、何故?と思うことだと思います。そして、何故からさらに、もしこうっだったら、どうなるだろう?と思うことだと思います。みりんの代わりにワインを使って見たらどうだろうと。カレーにトマトを入れて見たらどうだろうといった楽しさは、すべての勉強に通じると思います。

問題はすでに、みりんの代わりにワインを使うレシピが存在していること。カレーにトマトを入れることはすでに特に珍しいことではないこと。だんだん、何故?とか、もしこうだったらどうだろう?と思うことが難しくなっています。

なぜ、イスラム国は、イギリスとフランスを狙うのか?人には歴史的に積み重ねられてきた感情があるからだと思います。イランが隣国イラクの状況を見て、核開発をしたのは、日本がエネルギー資源の供給をストップされて太平洋戦争に踏み切った時と同じ数の選択肢しかなかったからだと思います。リビアのカダフィ大佐が殺されたのは、石油メジャーが独占していた石油価格の決定権を、OPECにも与えたからだと思います。経済が不安定なのは、農業や工業のように各国の規制が働かない金融というテーマの存在感が大きくなっているからだと思います。でも、真実はわかりません。わかるのは神のみだと思います。何故?を繰り返すしかないでしょう。

明確な真実もあります。英仏の百年戦争がなぜ終わったか?結婚のためです。王の結婚は、個人の感情を克服できる。

人は、本来、勉強が好きです。宗教も勉強。科学も勉強。歴史も勉強。宗教が政治的に利用されないように、政教分離が行われており、公立学校のカリキュラムでは宗教の科目はありません。それはそれでよいこと。

宗教も哲学も、科学も、常に、何故から生まれています。その何故は、生と死という永遠のテーマに起因しています。その何故に唯一答えるのが愛。

勉強するボリュームは時代とともに多くなります。専門の数はどんどん増えます。競争もますます激しくなります。情報もますます溢れることになります。だからこそ、本質を忘れないために、何故?を忘れないようにしなければならないと思います。物事を解決するのは、専門という名の下に枝分かれした先っぽではなく、本質だと思います。本質は、常に愛。

2017-10-22 | Posted in BlogNo Comments » 

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