長谷寺(Hasedera) / 桜井(Sakurai)

<長谷寺パンフレットより>

長谷寺は、山号を豊山(ぶさん)と号し、朱鳥(あかみどり)元年(686年)、道明上人が天武天皇のために「銅板法華説相図」を初瀬山西の岡に安置したことにはじまり、のち神亀四年(727年)、徳道上人が聖武天皇の勅願によって御本尊十一面観音菩薩像を東の岡にお祀りになりました。

徳道上人は観音信仰にあつく、西国三十三所観音霊場を開かれた大徳として知られ、長谷寺はその根本道場とも呼ばれるゆえんであり、長谷詣、長谷信仰は全国に広がりました。

下って天正十六年(1588年)、専誉(せんにょ)僧正がご入山されてより、長谷寺は関係寺院三千ケ寺を有する真言宗豊山派の総本山として、また西国三十三所第八番札所として、檀信徒は約二百万人、四季を通じて「花の御寺(みてら)」として多くの人々の信仰を集めています。

登廊

平安時代の長暦三年(1039)に春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、百八間、三九九段、上中下の三廊に別れている。

下廊は明治二十七年(1894)年再建で、風雅な長谷型灯籠を吊るしている。

本堂

小初瀬山中腹の断崖絶壁に懸造り(舞台造)された南面の大殿堂である。正面(内陣)は桁行(間口)の柱間九間、梁間(奥行)同五間、入母屋造本瓦葺で、また札堂(外陣)は正堂よりやや低く、桁行九間、梁間四間、正面入母造本瓦葺。(公式パンフレットより)

五重塔

昭和二十九年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、「昭和の名塔」と呼ばれている。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っている。(公式パンフレットより)

弘法大師御影堂

宗祖弘法大師1150年御遠忌を記念して、昭和五十九年(1984年)総檜で建立された。大師の両側には細密な版画『長谷寺版画両界曼茶羅』が祀られている。毎月二十一日、弘法大師御影供の法要を行っている。(公式パンフレットより)

2017-04-09 | Posted in NaraNo Comments » 

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