妥協 – compromise-
新しいビジネスは社会の課題があると誕生します。こんなことができたらいいなを実現するのが発明。発明の対価は、それを商品化することによって得ることができます。エジソンが電球を、ワットが蒸気機関を、など、発明が社会に与える影響が大きければ大きいほど、その対価は大きくなります。
人のあったらいいな、は、衣食住の利便性を高めることをめざします。洗濯板で洗濯するのも、薪を割って火を起こすのも大変。だから電気やガスなどのエネルギーが起こす力が機械を回すことによって、人の作業を機械が代替してきました。エネルギーこそが、人の利便性を高める源泉。
マッチやライターなしで火を起こすことにかけて、昔の人よりも優れている人は少ないでしょう。おそらくどこかには必ずいますが、むしろマッチもライターもなく、無人島で火を起こすことができる人はほとんどいないと思います。人は、何かを得ると必ず何かを失います。得るものと失うものの間には妥協が働いています。石油や石炭など化石資源を掘れば掘るほど、エネルギーは誕生する。その代わり化石資源はどんどんなくなっていく、地球環境はどんどん破壊されていく。残念ですが、これも妥協。
人工知能学会が人工知能の研究開発の倫理指針をまとめました。この倫理指針に従うのは研究者だけではありません。人工知能自身も従うことになります。つまり、人工知能が人工知能を開発する際に、この指針に従ってくださいよ、ということになります。人は何を得て、何を失っているのでしょうか?そこに妥協は働いているのでしょうか?そこで働いているのは妥協ではなく放棄であると感じるのは私だけでしょうか?
世の中にたくさんの課題が存在しており、解決できない領域に入りつつあります。地球環境保護も人口増加も、なんとか解決しようと必死になっている人たちがたくさんいます。その中には、ITという新しいテクノロジーを使って解決しようとしている人々もいます。素晴らしいことです。そこに新しい発明が生まれ、この課題を解決すれば、社会に与える影響はとても大きい。だから、その対価はとんでもなく大きいはずです。ただ怖いのは、間違った方向に進まないか、ということ。対価を得るために、ベンチャービジネスでこの課題に取り組み、解決しました。でも同時に大きなものを失いました。実は発明した時は、その先は考えてませんでした、ということになると困ります。短期的でなく、人類の永続を前提とした発明でなければなりません。だから人工知能という大変有力なツールを発明する際には、きちんと倫理指針に従いましょうよ、ということだと思います。
人工知能は倫理指針に従ってくれるでしょうか?人工知能には妥協は存在するのでしょうか?人工知能は何かを得て、何かを失うか?人は覚えると同時に忘れるという能力を持っています。人工知能が妥協するためには、失うという能力と忘れるという能力をインプットしなければならないでしょう。失うという能力をインプットするためには、死をプログラミングしなければなりません。忘れるという能力をインプットするためには、傷つくという感情をプログラミングしなければなりません。感情をもった人工知能、愛をもった人工知能、そして死を迎える人工知能を作らなければ、人工知能に妥協させることは不可能でしょう。愛と死をもつのは人間。人は今、人間を作り出そうとしているのか?人類はとうとう神になろうとしているのか?
未知の扉を開いてはいけないような気がしてきました。