教育 – Education-

 

先日新聞に出ていましたが、英語が小学生から必修になったり、プログラミングの授業ができたりするようです。人類は日々たくさんの発見をしているから、覚えることもどんどん増えています。あれも、これも覚えなければいけないから、後から生まれた世代は大変だと思います。

 

昔は教育を受けることができない人もたくさんいました。今では、義務教育のおかげで、誰もが教育の機会を均等に与えられています。所得格差を是正するために、私学に通う子供を持つ親への助成金のような制度も出てきています。昔は先生は怖いものでした。学校に行けることに感謝。先生が教えてくださることに感謝。しかし今は学校に行けることが当たり前。当たり前になった結果、感謝の気持ちを忘れてしまいました。今は、生徒は先生が怖くない。逆に先生は保護者が怖い。先生は授業もあるし、部活もあって、休めない。生意気な生徒を、突き飛ばすことも許されない時代。学校の先生は今、心も体も最も過酷な職業でしょう。

ゆとり世代と呼ばれた年代が社会人になってから、働き方改革で残業時間の制限がいわれるようになっています。学校教育で競争をよしとされなかった世代が社会に出ていきなり競争にさらされるのはしんどいのは当たり前。ゆとり世代の人たちがどれくらいいるのかわかりませんが、しばらくは過酷な労働環境はよしとされない傾向が続くでしょう。先生に叱ってもらうことも、上司に叱ってもらうことも知らない世代に、きちんと活躍してもらう社会を作ることが、「ゆとり」という制度を生み出した我々の使命でしょう。

 

「ゆとり」はなくなりました。再び、子供達は競争に。そして、昔よりもたくさんのことを覚えなければなりません。でも、やはりなんとなく、全体の傾向として、子供にたくさん学んでもらうことを期待して、子供たちが勉強できる環境をつくるために、社会が教育そのものを甘やかしているような気がします。

 

昔、ヨハネスブルクからニューヨークへの16時間のフライトで、TEDでミシェル・オバマさんが他の女性たちと一緒にインタビューに答えているシーンを見ました。3年ほど前の内容なので忘れてしまいましたが、印象に残っているのは、「母親が教育で果たす役割は、いつの時代もたった一つ。勉強の楽しさを教えること」という言葉。大変共感したのを覚えています。

 

私は物心ついたときから本の虫。1日中本ばっかり読んでいます。なぜそうなったか考えると、母親が毎日本を読んでくれるのが楽しみだったからです。今日はこの本っていって、持ってきて、読んでもらいました。毎日読んでもらっていたので、自分で本を読むことができるようになってからは、毎日本を読むことが当たり前に。

 

本を読むこと=勉強ではありませんが、本を読むことは楽しいということは、母親から教わりました。残念ながら、私の子供達が小さかった時、私は商社で働いていたので、毎日終電かタクシー帰りだったし、休日はゴルフか寝てるかだったので、一切子供達に本を読んであげることができませんでした。でも、息子が中学生、娘が小学生の時に香港の友人のところに遊びに行き、そこで子供達は英語でコミュニケーションをすることの楽しさを知ってくれたようです。勉強の楽しさって、いつでも、どんな形でも、それを教える機会はあるんだなって思います。

 

早く英語の勉強をするのもいいし、プログラミングを教えることも大変よいと思います。ただ、子供達がそれを楽しいと思わなければ、脳みそは拒絶の方向に作用します。

 

親が忙しく、子供の相手はゲームに任せている時代。その環境で、勉強の楽しさを自ら学ぶ子供達はわずかしかいないんじゃないかなと思います。私たちが教えてもらった、勉強の楽しさを、ちゃんと次の世代に伝えていきたいな、と思います。

 

2017-02-19 | Posted in BlogNo Comments » 

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