尊厳 – dignity-

イギリスにもともといたのはケルト系の民族。そこに9世頃、ゲルマン系のアングロ・サクソン民族が南から侵攻し、イングランドを建国します。北に追いやられたケルト人はスコットランドを建国します。

 

14世紀からイングランドはフランスの王朝と長い歴史にわたる熾烈な戦争を繰り広げます。16世紀末にはイングランドを侵攻しようとしたスペインの無敵艦隊をアルマダの海戦で破ります。18世紀初頭、アン女王の時代に、イングランドはスコットランドとの統合を強め、グレートブリテンとしての地位を固めます。国力と国民の士気を高めた大英帝国は世界に多大な影響力を持つようになりました。パックスブリタニカの隆盛です。

 

イギリスの世界覇権の一方で、宗教改革で誕生したカルバン派のピューリタンは、ジェームズ1世の時代の「主教なくして国王なし」の号令のもと追放され、北米に渡ります。

 

アメリカには、ラ・サールが発見してからフランスが統治をしていたルイジアナがありました。その後、18世紀、フレンチ・インディアン戦争でイギリスがフランスを破ります。アメリカの東海岸はイギリスの領土へ。ボストン茶会事件をきっかけにアメリカはイギリスから独立。アメリカの建国は、イギリスから東海岸にたどり着いた民族達によってなされます。アメリカは、合衆国という形で国家を形成します。東海岸の人々は、プロンティアスピリッツと称して、西の開拓に進みます。これが、GO WEST。一方で、アフリカ大国もヨーロッパ列強によって分割されます。

 

歴史の見方は人様々であり、答えはありません。しかし、私が感じるのは、1000年くらい前から世界の領土の奪い合いが始まり、ある程度奪い合ったから、100年くらい前に世界大戦が起こったということ。そしてある程度世界の秩序が出来上がったから、今度は10年くらい前から分断が始まったということ。

 

もとをただせば、奪い合いの歴史からスタートしています。強者が弱者を奪うという歴史に変わりなく、もともとイギリスにいたケルト人も、もともとアメリカにいたインディアン、もともとアフリカにいた多様な民族も、奪い合いの歴史には参加していません。奪い合っているのは、外から来た強者達。

 

それは日本も同じで、先住民のアイヌ達は、大陸から来た民族に追いやられたと言われています。人間に闘争本能がある限り、戦いは避けられません。強者が弱者を支配することは避けられないでしょう。それは人間に限らず、どんな哺乳類も同じです。

 

 

しかし、人間には知性があり、知性に応じてそもそも多様な特徴を持っています。アルマダの海戦で、イギリスがスペインの無敵艦隊を破ったのは、スペインのような大型の艦隊ではなく、小型の船を大量に用いるという戦略が功を奏したためです。日本にだって、柔よく剛を制すという言葉がある。

東海岸にたどり着いたアングロ・サクソンの人々が、GO・WESTを続けていると、西海岸にたどり着いた。また海か?という感じでしょう。しかしそこで今度はゴールドラッシュが起こる。一方、西海岸には東海岸から来た人たちと、移民の人たちとが混ざり合って、多様性が生まれる。ハリウッドのような文化やシリコンバレーのようなテクノロジーが生まれる。

 

こんな簡単な表現をしては許されないと思いますが、共和党は、GO・WESTで西海岸を切り開いた人たち、民主党は多様性を受け入れてイノベーションを起こして来た人たちのように思います。だから、保守とリベラルという表現で表される。

 

アメリカ大統領選で、共和党が勝ちました。それはそれで大事なことです。歴史は変わる。しかし、今脅威が起こっています。それは、多様性の封じ込め。受容と寛容によるイノベーションを支えているのは表現の自由です。日本でも憲法が最も重視するのは表現の自由。この表現の自由の封じ込めをトランプ次期大統領がこれから行うのでは、と脅威を感じます。そしてこの流れは、同じく世界を奪い合って来た国々でも起こる可能性があります。

 

今も、昔も、正義が勝つのではなく、勝つものが正義だ、という普遍的な事実は変えようがありません。だから表現の自由によって「勝つ」ということの定義を、物理的なことからできるだけ回避させている。でなければ、人類は、支配のために破壊を続けるからです。繰り返しになりますが、物理的な支配を求めるということは、破壊をするということにつながります。破壊を避けるためには、表現の自由が必要です。

 

なぜ人は、支配を求めるか?それは欲望があるからです。支配をしたいという欲望がなぜ生まれるか?それは敬われたいからです。なぜ敬われたいか?それはばかにされたくないからです。ばかにされたくないならば、別に支配などしなくても、いろんな形で、尊厳を守れば良い。表現の自由があれば、尊厳は守れます。

 

人類の歴史は、どこかのタイミングで、侵略の歴史になってしまいました。歴史の教科書を見ると、文化の内容よりも、侵略の内容ばかりです。神が人類が過度に侵略をしないように、陸と海を作ったにも関わらず、テクノロジーがそれを乗り越えた。

 

日本は、天皇がいて、八百万の神を敬う敬虔なる信者がいて、先祖を敬う心があり、また島国ということもあり、今もかろうじてあらゆる人々の尊厳を守ることができています。一億総中流という素晴らしい歴史も持っています。でも、これだけテクノロジーが進むと、本当に今の素晴らしい日本を維持できるのか、心配になります。

 

キリストは人間の姿をして処刑されることにより人類の罪を償いました。しかしもはやそれは期待できないでしょう。人間は人間の手によって、罪を償う必要がある。それは、破壊と滅亡ではなく、再生であるべきです。そのために必要なのは、表現の自由。

 

表現の自由だけは、絶対に失ってはなりません。

2017-01-15 | Posted in BlogNo Comments » 

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