ハイブリッド -Hybrid-

昔、家電製品でファジー機能が流行ったことがありました。

常にフルパワーで動くのではなく、曖昧な感じで少し人間味のある機能。

 

言葉でも、「まあまあ」といった何を意味しているかわからない言葉は、柔らかく親しみを感じます。

Yes, but…. となると、どっちやねん、という気持ちになるときも皆無ではないですが、通常は、butの後ろに自分の意見が来るんだな、という心の構えを持つことができます。

 

人間はそもそも、白か黒かよりもグレーな世界に生きています。だからいろんな意見がある。対立もすれば、理解もすれば、助け合いもすれば、協力もすれば、妥協もすれば、譲歩もする。

 

シンギュラリティ。人工知能が人間の知能を超える技術的特異点が訪れ、その境界を超えると、人類の想像を超える大きな変化が起こると言われています。そしてシンギュラリティは必ず起こるという著名人が今や多数。

 

その思想の背景に、人類の知能の結晶であるチェスさらには囲碁でも人間が人工知能に敗北したという事実があります。

 

さて、随分前に、自動車はいつかすべて電気自動車になると言われました。実際、完全電気自動車のテスラモーターは短期間で飛躍的に売り上げを伸ばしました。

一方で、すべての自動車が電気自動車になったかというとそうではありません。未だに完全ガソリン車のシェアが圧倒的。しかし、その中で、確実にスタンダードのポジションを得つつあるのがハイブリッドです。電気自動車、クリーンディーゼル、さらには水素自動車など、様々な技術が実用化されながらも、確実に人々の中に浸透していっているのがハイブリッドでしょう。

 

人類は、チェスや囲碁で人工知能にまけました。でも、毎回まけているわけではありません。そして、現在最強の棋士は、人間と人工知能のタッグです。

 

人間は、道具を使う生き物。縄文時代より前の石器時代から、人類は道具を使っています。道具はどんどん変化していきました。そして、人間の本能として、身を守るためには、できるだけ体の近くに道具を装着しがちです。だからモバイルとかウェアラブルっていうのは自然の姿でしょう。そして人間の本能には闘争がある。

 

シンギュラリティが起こった時、人間が道具を使うか、道具が人間を使うか?人間は道具に使われることは望みません。人間は飛行機を開発して、空中を移動できるようになりました。飛行機が落ちれば命は助かりません。しかし、人間はそれでも飛行機に乗る。そして戦争になればお互い飛行機を落とし合う。

 

人類は戦争の悲惨さを身をもって知り、平和な世の中を維持するために秩序を尊重します。秩序のためには上位規範が必要。だから憲法を定めます。

 

人類の知能を超える人工知能は、憲法を定めるでしょうか?秩序を維持するでしょうか?人工知能は戦争の悲惨さを身を持って知るでしょうか?

 

秩序は、闘争本能をもった人間が自らを律するためのもの。機械が人間を律するという発想はあり得ないと思います。

 

私は、ハイブリッドは、ブロセスではなく、ゴールだと思います。最強のチェス棋士はいつまでたっても人間と機械のタッグでしょう。ただし、強化されるのは人間の頭脳ではなく、機械の方。それでもいつまでたっても、機械と人間のタッグを機械単独で超えることはないと思います。

 

今、人々が忘れているのは秩序です。原子力のように、人類は自らが100%制御することができない技術を生んでしまいました。人工知能も同様に、自らが100%制御することができない技術になると思います。これは人類にとって必要必然。石と石をぶつけて斧を作り、火を焚いた時からその方向に向かって動き出しています。だから人間は他の哺乳類と違う進化を遂げてきた。制御できなくなるまで人類は道具を開発し続けます。そして、その制御できない技術を制御するのは、秩序しかありません。秩序を作るのは人間。最強はハイブリッド。秩序を維持するためのハイブリッドが、大至急、求められていると思います。

2016-12-23 | Posted in BlogNo Comments » 

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