BOP

トニー・ガトリフ監督の”MONDO”

 

ひとりぼっちの少年の物語です。

自分のルーツも知らない、家もない、何ももたないひとりの少年。

 

道の芸人、移民、郵便配達員、釣り人、パン屋。

地域で必死になって生きる人、社会的に決して恵まれていない人たちと

交流しながら、与えられながら、生きています。

 

一方で街の治安のために、少年を捕まえて保護観察下に置こうとする、

権力者達。

 

少年に出会う時、少年を受け入れる時、少年と過ごす時、少年が去る時を、

素晴らしい景色の描写とともにストーリーが作られています。

 

舞台はニース。

 

悲惨が事件があった舞台です。

 

倒れている少年を素通りする、毛皮のコートを着た人たち。

1995年のこの映画は、すでにこの社会の矛盾を描写していました。

 

日本だって同じです。

 

裕福な人は、貧困な人に手を差しのばそうとしません。

貧困な人に手を差しのばすのは、常に貧困な人。

裕福な人の方が力があるのに、裕福な人にはそれができない。

まるで、自分がそっち側の人間ではないというような境界線を作っているようです。

 

C.K.プラハラードがネクスト・マーケットでBOPビジネスを提唱し、脚光を浴びたのが2005年。

そしてグラミン銀行の創始者ムハマド・ユヌス氏がノーベル賞を受賞したのが2006年。

 

BoPが、Bottom of Pyramidではなく、Base of Pyramidと言われるようになり、

社会の底辺という考え方から社会を支える人たちという表現になったのは歓迎すべきことです。

 

しかし、10年たって、この格差という社会問題はまだ解決されていません。

 

ムハマド・ユヌス氏の言葉

 

「利益と人間のニーズが対立すれば、勝つのはたいてい利益の方だ。人間のニーズは二の次にされてしまうのだ」

 

資本主義は、今も利益の最大化を目指しています。

 

利益の最大化がうむのは常に格差。

資源は限られているので、この構造は絶対に変わりません。

 

裕福な人は、いつまでたっても少年”MONDO”の前を素通りし続けます。

 

利益が好きな人は、少年”MONDO”の前を素通りしているから、金持ちのままです。

自分の利益よりも、思いやりの方が大事な人は、少年”MONDO”に字を教えます、パンを与えます、芸を教えます。

大事なのは心で、利益じゃないから貧乏なまま。

でも、心は”MONDO”によって満たされます。

 

限られた資源の中で配分される富は、利益を求める人のところに集まり続けます。

 

ムハマド・ユヌスに共感するのは、本の中でだけ。

本の中で共感しても、やっぱり3万円の万年筆が欲しいから、3万円を貧しい人に配分しようとしない。

行動変容にはつながりません。

 

もうすぐオリンピックが始まります。

何も持たない、実力だけが勝敗を決する。

実力は、努力によってつくられる。

だから、人は、美しいと思います。

 

その裏でうごくお金。

勝者と敗者の天国と地獄。

 

常に表と裏があるのが人間。

 

この表と裏のバランスをとるのは、ビジネスか、それとも思いやりか?

 

”MONDO”は釣り人に字を教わります。

”MONDO”のOは月。

Nは、「おいで」といっている人。

少年”MONDO”は自分の名前に月が2つあるので喜びます。

 

 

日本人は昔から、月を見て喜びます。

いとおかし。

 

ウルグアイにムヒカ大統領がいるならば、日本には石川五右衛門がいました。

 

日本人は、資本主義でも、  IFARSでも、日米安保でも、TPPでも、

そんなことは全く関係なしに、

日本人だからという理由だけで、

誰一人”MONDO”の前を通り過ぎない人に、戻れる可能性があると信じています。

2016-07-17 | Posted in BlogNo Comments » 

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